蓬莱・二
調べさせていた。
高崎の、若当主の妾のこと。
都から嫁いだ姫の周囲と取引があったから、調べることは簡単だった。
その『女』が、正妻の侍女たちにいびられてとうとう本邸を追い出され、普陀落渡海、したがっていることを知ってほくそ笑む。当然、拾いに行くつもりだった。
渡海は大抵、波の静かな日を選ぶ。潮流の関係で、辿る航路は大体わかっている。潮流に対して横向きに大船を何艘も出して待ち伏せ。獲物のかかるのを待った。
待った獲物は、確かに、かかった。
「助け……」
意外なおまけと、一緒だったけれど。
「助けてくれ。なんでもするから、助けて」
喋れたとは、知らなかった。
自分のことを、願っているのでないのはすぐにわかった。
『女』は、必死に『男』を抱いていた。
愛したのだろう、男を。
「助けて……ッ」
華のような美貌と裏腹の悪鬼のようなしたたかさを、喉の傷跡は知っている。
そんな『女』が『男』のために泣きじゃくり縋りつく様は、可愛いとか美しいとかを通り越して。
ダイレクトに、響いた。
腰骨の、内側に。
『女』だけを船に引き上げようとしたら。
「イヤだ、いや、い……、ケースケッ」
暴れて海に戻ろうとした。木の葉のように波に玩ばれるボロ船へ。
「けーすけ、ケースケッ」
掴んで、捕らえて、逃がさなかった。戻れないことを悟った『女』は。
「……助けて。なんでも、するから」
思わぬ真似を、した。
船板にしゃがみ、京一の膝を抱くように、縋りつきながら、哀訴。
「けーすけ助けてくれたてらナンでもするから……、お願い……」
震えていた。細い肩も声も指も。ごくっと生唾を、飲まずにはおれない色香だった。
「引き上げろ」
部下に指示して、担ぎ上げさせる。すぐに『女』は、『男』のそばに飛んでいった。
『男』の顔は見覚えがあった。高崎の若当主。
「死なない、よな……?」
若当主の首に指を当てて脈を測る俺に『女』は、泣き出しそうな目で尋ねてくる。縋りつくような、目で。
「死なないよな。大丈夫、だ、よな……?」
「分からん」
事実を告げる。脈は弱っていた。顔色も、ひどく悪い。疲労困憊、そんな感じだった。
「心の臓が随分、弱ってる」
手首では脈をとれないほどに。
「……けー、すけぇ」
『女』は若当主に被さる。風から庇うように。体温を与えるように。命を守るように。
「しっかり、して。死なないで……」
祈る、ように。
俺の屋敷に担ぎこみ、俺は当然の権利を行使、しようとしたが。
「……ヤ、」
掴んだ腕を『女』にふりほどかれる。そんなことを言える立場か?ん?
なんでもするって、自分で言ったんじゃねぇか。
「言ったよ。する。……でも、離れるの、イヤだ」
高熱を出してうめき苦しむ、若当主の枕もと。
「なに、してもいいよけーすけ、助けてくれるなら。……ここで、なら」
その頑なさが少し、腹がたたないでもなかったが。
生死の境の病人を気にするほどヤワでもなかったから、板敷きに敷いた畳の上で剥く。言ったとおり、『女』は抵抗はしなかった。その手が若当主を寝せた、粗末な布団の裾をきゅっと、握り締めていることには気づいたけど。
痩せていた。以前、襲撃をかけたとき、抱き締めた体とは随分ちがっていた。
足を開かせその狭間に手を、差し入れようとした、時。
「う……、うぅ……」
病人が、うめいた。
苦しげに頭を振る。
『女』は俺をふりほどいた。
痩せてほそっこい、肢体からは信じられない力で。
殆ど裸だった。白い背中も踝にも骨が浮いて見えた。そんな身体にこの俺を、跳ねのけるほどの力がどうして、あったのか。
「苦しい?けーすけ、苦しいのか?」
水差しから口移しに、男の唇に水をそ損でやる姿は、殆ど。
雛を庇護、しようとする母鳥の懸命さに、似ていて。
全裸の姿を気にもせず、浮かんだ汗を拭ってやっている、そんな健気さに、情けをかけるほど甘いつもりはなかったが。
引き剥がして組み敷いて、突っ込むことはどうしても出来なかった。
身体を拭えと用意させた湯を張った盥も、新しい小袖も、布も、櫛も。
『女』は男の為に、使った。
自分は汚れた着物のまま、ほつれた髪のままで、男の身体を拭ってやり髪をすき、髭をあたって着替えさせる。
殆ど、他には目に入っていなかったが、一度だけ。
看病しながら一度だけ、俺を見た事があった。
熱さましの唐渡りの薬草を煎じてやった時。嬉しそうに、とても嬉しそうに受け取って。
「……ありがとう」
微笑んだ、やつれた頬の翳りが凄絶な色香で。
熱、が。
腰骨に生じたのなら、良かった。それならまだ、処置のしようはあった。
けれど、その時。
熱く、なったのは、俺の。
ようやく熱が下がって、重湯を飲み下すようになり。
近々意識を取り戻すでしょうと医師がみたてた、夜。
俺は『女』に一服、盛らせた。危篤を脱した安心と連日の疲れに意識を失って、死んだように眠った『女』が、翌日。
目覚めて、男が居ないのに気づいて。
「何処にやった。……殺したのか」
めらめら燃えるような目で、俺を見た。
正面きって見据えられ、俺は満足だった。とても。
その顔を意識を、俺に向けることが出来て。
「さぁな」
「答えろッ」
「実は、話があるんだが。高橋涼介、殿」
「啓介をドコにやった」
「あんたがいい子にしてりゃそのうち、会わせてやってもいい。……あんた、高橋の家督を継ぐ欲はねぇか」
「啓介に会わせろ。話しは全部、それからだ」
聡い『女』は、好きだ。
そう思いながら伸ばした俺の手を。
「ッ、ト」
はねつけると見せかけて指を掴む。逆に折ろうとする。清二がやられた、あれだ。俺は咄嗟に『女』の肘を掴んで捻らせなかった。口惜しげに『女』は俺を見上げ。
「なんでも、するって言ったのは、あいつを助けてくれるのと引き換えだ」
「寝ろ」
顎先で布団を指し示す。この『女』を抱くために用意させた真綿の褥を。
「いい子にしてたら、会わせてやる」
「……死体に?」
「ほら、足、開け」
「冗談……。生きてるって分かるまでは、イヤだ」
「逆らうと今すぐ呼びつけて殺すぜ?」
「呼べよ。……コロス必要はない、だろう。会わせてくれれば、それでいいから」
「あんたが俺のオンナになったらな」
「だから……、一目でいいからッ」
散々にもめて、結局。
取引は成立した。
一年、『女』に俺のはツッこまねぇコト。
ただし、小袖の上から利子の代わりに、抱くことは承知させた。
くちづけは、永遠にしないこと。
そして一年後、『女』が俺のになったら、若当主に会わせる、と。
もう、奴のものに戻れない身体にしたら、会わせてやる。
そう言うと『女』は血の気を失って青ざめる。それを眺める、俺までどうしてか、妙な気分だった。
明らかに、俺を胡散臭くしか思っていない『女』の。
肢体を小袖ごし、掻き抱きながら、俺は。
熱がだんだん、募っていくのを自覚、する。
腰の熱なら、簡単だった。唇に突っ込んで飲ませてしまえば一応は引いていく。
処置なしなのは、……別の場所。
「信じられません。信じてませんでしたよ、俺は。京一さんが、高橋につくなんて」
人差し指を俺につきたてて、弾劾していった藤原党の跡取り息子。
「見損なったぜ。あんたは絶対、都に尻尾をふらないって信じてたのにッ」
大声で罵り、出て行く。どかどか高い足音は、協力的とはいえないが強調はしていた藤原党との微妙な同盟が崩れる音。
聞いていた、俺の背後で。
「……いいのか」
屏風の向こうに寝せていた『女』が珍しく、俺に問い掛ける。普段は滅多に、俺に口を開かない『女』が。
「構わねぇよ。状況が変っただけさ」
掌の中に新しい駒が手に入れば布陣は変っていく。棄てる駒も、出て来る。
「トモダチ、だったんじゃないのか」
その言い方に苦笑した。何を言い出すのかと思ったら。
「そんなケッタイな代物は知らねぇな」
俺は乱世の男。
そんなのとは、縁なく生きていくのだ。
「……向こうは、お前を慕っていた、ようだったのに」
「知ったことかよ」
「寂しく、ないのか?」
鼻で笑って立ち上がり部屋を出た。そうでもしないと、間違えそうだった。
言ってしまい、そうだった。……抱き締めて。
抱き締められたいのだ、と。
必死に男を庇い、看病していた、姿に。
熱の生じた場所は、胸。
清二には、確かに惚れたと言ったがあれはまだ、自分の中の『雄』が活きのいい『雌』を欲しがる衝動に過ぎなかった。
……今は。
言ってしまいそうだ。
あいつを愛したように、俺を、と。
男は、寂しい。
男だという、それだけで、世界中で一人。だから。
優しい女に包まれる、ことをいつでも夢見ている。
男を包める、優しく柔らかく、けれどナニにも崩れない結界のようにしたたかな女の腕に、包まれることを、いつも……。