蓬莱・三

 

 

 驚いたのは、盃の酒を投げられたことではなく、

「……、てんのか、おめぇはッ」

 目の前の男が激高していること。そしてその理由。

「ダイジな話してんのに、ぼーっと庭なんざ眺めやがって」

 そんなの俺の、知ったことじゃない。

 そもそもそんな話を、どうして俺にする?

 都の大臣がどうとか、東宮の母親関係の閨閥とか、幕閣の人事とか。

 そんなものが俺にどうして関係が、ある。

「しっかりしろ。おめぇんとこの当主は」

 父親は、とは、この男は言わない。

「おめぇの御袋に首ったけで、使いモンになりゃしねぇ。おめぇがしっかり、するしかねぇんだぜ」

 あぁ。そんな風に、家臣たちにも言われたよ。

 愚かなコトだと思わないか。そんなのは。

 生まれて二十年、野心の欠片も才気の萌芽も、見せないように顔を伏せて生きてきた。俺は正妻の息子より年長だったから、切れ味を見せたとたんに殺されるキケンがあったから。

 無為に無気力に、敢えて無能な穀つぶしとしてようやく生きてきたのに、今更どうして『しっかり』なんて出来るだろう。

「聞いてんのかッ」

 イラついた声の、同じ叫びを聞くのにうんざりして。

「聞いているように見えるか?」

 顔を上げて反問。目線をじっとあわせると、男はいつも、黙る。

「俺が姫様と、姫様の父親を陥れる謀略の計画を、聞く気があるように見えるのか?」

 毒くらわば皿まで。それがこの男のやり方。左大臣の妾腹の姫を娶っただけで繋がりも実利も薄い。左大臣家の婿という栄誉と引き換えに交易でなした財を貪られるだけ。……そうではなくて。

 どうせなら、実利を、と。

 都から将軍家の御曹司、または帝の皇子を迎えて瀬戸内の海賊を討伐する。その後は御曹司を中心の豪族連合、のような体勢を作る。関東公方と呼ばれる東日本の体制をここ瀬戸内にも成立させようと言うのだ。その中核に位置することによって諸豪族の中で飛びぬけた、ゆるぎない優位を得よう、と。

「分かってるじゃねぇか」

話を聞いてりゃ、馬鹿でも分かる。でもそれと実行は別。俺はそんなのに手を出すつもりはない。

それは、俺なりの反逆であり、意地。無能であることを強いられた日々への。

まぁ、そんなことは、いい。俺はそれより、聞きたい事がある。

 聞きたい事が、あるけど……。

 俺がじっと見詰めていると、男はふいっと顔を背けた。

「じきに、梅が咲くぜ」

 瀬戸内の春は早い。梅が咲いたら桜はすぐだ。桜が散れば桃が咲き、そこで約束の一年。

「分かってる」

 男の答えは短い。そうして俺が、座を立つのを止めはしなかった。最近は、寝床にはべらされることが減った。代わりに若い侍女たちが男の夜を取り巻いてる。俺は楽で、とてもいいけれど。

 タメイキをつきながら侍らされていた宴席から自分の部屋へ戻る。昔、愛妾として住んでいた離れへ。敷かれている褥に滑り込みながら、俺はココロの中の絶望に気づくまい、気づくまいと、していた。

 約束の一年が近づいて。落ち着きがないのは、俺だけではなかった。あの男までどこかそわそわしてる。時々はイラついて舌打ち、なんかもしてる。……俺は。

馬鹿正直に一年、待つつもりなんか、最初からなかった。

だからあいつの部下を買収した。そうしてあの男の動静を探ってる。あれは最近、そっと、ヒトを探させている。

 若い男を。

  それは……、俺のあいつのこと、なのか?

 ……啓介。

 残酷で優しかった、あいつを男は捜している。

 つまり……、啓介が居なくなったのは、あの男の差し金じゃなかったって、コト。

 俺を置いて、お前、どこかに、行ってしまったの?

 それは……、一年前、俺は棄てられたって、コトなのか、と。

 思い至って凍りつきそうだった。身体も、心も。

 須藤京一に、尋ねたい誘惑が俺の胸を過ぎる。

 啓介、見つかったか?

 あいつ俺のこと、何か言っていたか?……、と。

 

 

 

 

 気づかれている。

 まぁ最初から、騙し通せるとは思っていなかったが。

 最近、物問いたげな目線を向けてくる。

 それを避けるために、最近は奴が席を立つのを黙認、せざるを得なくってあんまり触ってない。

 きめの細かい素肌の誘惑より、きつい瞳の無言の追求が痛い。目線だけで、あいつは俺を詰問する。

 睫毛の影の深い切れ長の目尻は、俺を責めつつ自分を追い詰める。

 ……させたくない、と。

 そんなことを、思ったのが多分、おれのそもそもの間違い。

 追い詰めたくない。絶望させたくない。

 自殺させたくない。泣かせたく、なかった。

 一年もすれば、少しは俺にも懐くと思ったのに。

 そうしたら、そっと。そおっと、教えてやるつもりだったのに。

 少しも俺には馴染まないままで、絶望的に聡明な瞳は事実を、察して揺れ始めた。

 そんなに、好きかよ。

 あんな男の、ことを。