蓬莱・四

 

 

 油断、した。

 自分らしくない失態を繰り返していると思う。

 最初からそうだった。原因は多分、あの切れ長の目にじっと見られると、思考が停止してしまう、から。

 のどの傷跡が寒さで疼く。つけたのと同じ唇を押し付けさせて、暖かな舌を這わさせても、なんだか奇妙に虚しいキモチが満ちるだけ。

 ……こんな風なのは苦手だ。

 甘くてぬるくて、でも浅い。命令して這わさせた舌先の温かさと同じように、一瞬で冷めてしまうぬくみ。

 オレじゃない男を愛してる、オンナ。

 そんな代物に手を伸ばしたのも、伸ばしたくなったのも本当は、初めてで。

 どう、すればいいのか分からない。

 抱き締めて庇護して可愛がってやればオンナは懐く、ものだと思っていた。欲しいと思った女はそうやって懐かせて、地元の屋敷に何人も飼ってる。懐かせた、責任はとってきた。そこに居たいと言う限りは俺の屋敷に置いて、安息が欲しいと言い出せば、支度をしてやって配下の男に嫁がせた。

 ……なのに。

少しも和らがない腕の中の体。

一年、      の猶予を俺は、最初から本気で言い出したわけじゃなかった。

 そんな時間がたたないうちに、オンナの方から耐え切れなくって腕を、伸ばしてくると思ってた。

 オンナってのはそんなものだと、多寡をくくっていた俺をあざ笑うように、隣に寝かせた身体は和らがない。……それを。

 抱き寄せて、抱き合って眠ってみたい、とか。

 思った時点で、多分おれは負けた。

 懐かされたのは、俺の方だった。

 

 

「おめぇが寝てた、あの日」

 言うと、オンナはキツイ視線を俺に向ける。寝たんじゃない。一服盛られたのだと、俺を咎める瞳の麗しさ。

「まぁ、なんてーか。抱こうとしてた、んだ。俺は」

 以前からその機会は狙っていた。意識のある間は男のことばかり、気にしていたオンナが興ざめだったから、寝かせてヤッちまおうと思っていた。男の意識が戻るまでが勝負ってコトは分かっていた。オンナは強い男に惹かれる。けどそれ以上に、弱った男を庇護しようとする、から。

男が目を覚ます前に、抱いて懐かせておくつもりだった。一回やりゃあこっちのものだとか、思っていた俺も甘かった。

峠を越した男の容態に安心したのだろうオンナは、こてんと、安らかに眠っていた。

その夜衣のあわせめに手を差し入れて、抱き上げる。痩せてる。殆ど、切ないくらいに。以前は細身でもしたたかな充実を、感じさせた肢体が骨と皮ばかりになってる。

よくあることだ。名家の若当主に溺愛されていた愛妾が、当主の結婚と同時にお払い箱になって、結局、生きていけずに崩れてしまう、ことは。

可哀相に。

けどまぁ、嘆くことはない。俺が拾って大事にしてやるさと、思いながらまず口を吸おうとした俺の、耳に。

『……ナニして、やがる……』

 届いた低い、うめき声。

 横を向くと、男が目覚めていた。

 身体を必死に、起こして俺を睨んだ。

『離せ……ッ』

 威嚇の声はかすれていた。俺はひとまず、その通りにした。オンナより、こっちが先決だったから。高崎の若当主は、ぎらぎらした目で俺を睨んだ。睨んで、でも、言葉はそれ以上、発しようとはしなかった。

『……ちょっと見たことのあるビジンが、シュジンに棄てられて普陀落渡海、するって耳にしてな』

 にやにやしながら、わざと丁寧に、俺はオンナを寝床におさめて、夜衣をなおして布団をかけてやる。いかにもずっと、してきたのだという態度で。

『まさか、こんなオマケがついて来るたぁ、思わなかったぜ』

 若当主は答えなかった。俺が誰でここがドコなのか分かってる顔をしていた。自分が今、敵中で捕虜である、ことを。

『オンナに感謝しな』

 その時の俺の、心に湧いたのはなんとも言えない苦さ。もしかしたら、あれがいわゆる、嫉妬とか言う感情。

『オンナのおかげでお前いま、息、してんだぜ』

 それは本当のことだった。オンナが縋らなければこの男を、寝せて食わせて薬を飲ませる義理は俺にはなかった。男が底光りする目を俺に向ける。意味を誤解した顔をしてた。いや正解か。俺にはモチロン、その下心はあった。

 口惜しさ、後悔、そして俺に対する憎しみ。そんな感情を男の表情に、浮かばせたことに満足した。満足したから、そのまま座敷を出た。……愚か、だった。

 翌朝、男は居なくなって、いた。

 

 考えてみれば、当たり前の話だ。

 敵中に捉えられて、意識を取り戻して。なのに見張りもおらず、牢獄でもなけりゃ、普通はさっさと逃げ出すだろう。俺だって逃げ出す。

 だが、俺はあの男が『逃げる』なんて思わなかった。理由は『オンナ』が、居たから。オンナは一服、盛られて熟睡してた。疲労困憊して何日も眠り続けた男が、抱えて逃げれるほど、うちの警備はゆるくない。

 なら一人で。それは当然の発想。でもやはり、俺には信じられなかった。報告を聞いても実際にもぬけの殻になった座敷の寝床を見ても。

『啓介を何処にやった……』

 顔色を変えたオンナに、詰め寄られても、尚。

『答えろッ』

 言えなかった。

 あいつは逃げた、と。

 お前を置いて、一人で、と。

 言えなかった。言ったら、どれだけ嘆く、だろうと思ったから。

『……取引、しねぇか』

 だから。

 俺が隠した、ことにした。

 めらめら燃える瞋恚の瞳で見られても、良かった。

 泣かれるよりは、遥かに楽だった。

 あいつは逃げた、と。

 お前は……、置き去りにされたんだ、と。

 告げたら、オンナは、息をすることさえ忘れて嘆く、だろうと思ったから。

『……一年たったら』

 その頃には、笑い話に、できると思ったから。

 

 笑い話には出来なかった。けど、なき嘆くこともなかった。

 俺を余分に愛してるからじゃなく、聡いこいつは、予想がついていたから。

 悲しい目のまま、暫く呆然としていて、やがてふらりと立ち上がる。身体の芯が揺れていて危なっかしかった。俺が手を伸ばしたのは支えようとしたから。……けれど。

「風呂、入ってくる、から」

 思い掛けない言葉をきいて耳を疑った、スキにするりと、掌からすりぬけられる。

「約束だった、からな……」

 律儀というよりなにもかも、もうどうでもいいってな態度だった。けどそこで、無理すんなとか言うには、俺は俗物だった。

「……翡翠……」

 言われて、差し出された掌の上に、載せる。首から外した勾玉を。緑色の翡翠は、実は日本のが一番澄んでいて美しい。東国の糸魚川周辺で採れたのだろう、それを。

 かたり、襖を開いて、オンナは俺の前から消えた。

 そのまま屋敷から、消えた。

 

 油断、した。

 俺らしくない失態を繰り返していると、思う。

 けれど一番怖いのは、それがもしかして失態だから、ではなく。

 ……望んでやって、いないでもないところ。

一年前、あの男が邪魔たった。あいつのオンナが欲しかったから。だから、わざと、檻の扉を開けた。

そうして今、あのオンナに、惚れて。無理矢理カラダだけ、抱くには惚れすぎて、いたから。

……わざと、逃がした。だまされたふりをして。

 

「人質に貰ったって、高崎にゃ伝えとけ」

 騒がれたくなくって、部下にそう指示を出す。

「露骨に言うなよ。角が立つからな。そうだな。予定戦場を視察してもらう、とでも言っとけ」

 瀬戸内の勢力図は東から高橋・須藤・藤原と並んでいる。途中の小勢力や陸上では少し事情も違っているが。中勢力の俺が、都と結びつこうとした高橋の側についた以上、いずれ起こる戦争の戦場は俺と藤原の、領地の境になるだろう。

「……その方が、自由に動けるだろう、からな……」

 独り言のつもりだった、俺の低い呟きを聞きとがめた清二が。

「え?」

 振り向いたが、手を振って行かせた。