蓬莱・六

 

 

 一見温和な顔をした、痩せた中年の男。

 けれどあなたに眼力があるならば、暫く眺めて、いれば気づくだろう。細身の身体の内側に張り詰めている、鞭のようなしたたかさ。同じく細く内心を悟らせない、瞳の奥の光の鋭さに。

「……よぉ」

 瀬戸内海の緊張は高まりつつある。地元を息子に任せ、九州沿岸の諸勢力たちと、連合を組むために遠出していた男は、久しぶりに会った息子に、そんな風に声を掛ける。

「元気そうだな」

「……あぁ」

 息子は頷き、涼しい縁側の円座に座っている。父親は上座で高麗縁の畳の上で、手酌で酒を汲んでいる。別段、仲が悪いわけでも揉めている訳でもない。無愛想な息子と韜晦に長けた父親の、間ではこんな風に、黙り込んだまま向き合うのが団欒の一種だった。

「珍しい、客が来てたそーじゃねぇか」

 盃を運ぶ手を止めて、父親が、不意につきつけた問いに、

「お袋に似てたよ」

 間髪いれず、息子は答える。

 父親の右眉が上がる。

 十五で嫁いできて、十六で拓海を産み、二十歳を幾つも越えないで亡くなった、女。

「一瞬、生きていたのかって、思ったぐれぇ。……ビックリ、した」

 女は美しかった。この息子はよく似ている。光彩の大きな瞳も形のいい唇も、優しい頬の線も。美少年、と呼ばれることさえある息子だ。女顔なのは歳若いせいもあるが、全体的に整っているからでもある。

「すげぇ似てた。ずっと泣きそうな顔、しててそれも、よく」

 拓海の記憶にある母親は胸を病み、拓海は膝に抱いては貰えなかった。慕い寄るわが子を突き放さなければならない若い母親は辛かったのだろう。いつも涙を浮かべていて、潤んだ瞳が拓海にとっては『母親』の俤。

「……似てたんだ」

 見逃した、言い訳を繰り返す。

 とてもじゃないが、あんなヒトを、捕らえて苛んで情報を吐かせて、政略に利用する気にはなれなかった。

 間諜を、させている医師につけて、高崎に返した。

 最後まで、泣き出しそうな顔を、していた。

「すごく、似てた。お袋に」

「……」

「似てた」

 繰り返す。

「そっくり、だった」

 この父親の、唯一の弱み。

「……そんなにか」

「あぁ」

「ビジンだったか」

「ちょっと珍しいくらい」

「優しそうだったか」

「好きな男にだけは」

「キツイメぇ、してたか」

「本気を出されたら、俺ビビるかも」

「そうか」

「うん」

 父親の手が動き出す。息子はぼーっと、それを眺めている。

 庭では、虫が鳴いていた。

 

「……あんまり、嘆くな」

 一見無骨だが人情の機微を弁えた、見た目より遥かに繊細な奥医師が、そっと彼を慰める。

 詳しい事は知らない。一晩、二人きりで、ナニがあったのかは。

 ただ、彼は哀しげに黙りこみ、博多からの商船の胴の間に座り込んだまま肩を落としている。

 人目を紛らわすための女衣装。ほっそりしたうなじから肩にかけての、線がとびきり扇情的だった。

「分かってやってくれ。あいつにも事情があるんだ。今はあんたと敵同士だから」

「どうして?」

 はっきりとした声だった。

 顔を上げて、まっすぐに、彼は史浩に尋ねた。

「どうして、俺があいつの、敵になる?」

「あんたは高崎の若様だろ。あいつは今、藤原に亡命中の身の上だ。藤原は九州の勢力と連合して、須藤と高崎と都に対抗、しようとしてる。だから……」

「俺は、高崎に戻るつもりなんか、なかった」

 そんなキモチなら最初から、こんな危ない賭けはしなかった。

「そばに、居たかった、だけな、のに」

「凄く幸運だよ。無事で戻れるなんて」

 藤原拓海。若いが怖い男。まだ少年の歳でいて、既に海戦にはしたたかな手腕を見せている。捕虜や敵には情け容赦ない。なのに彼には、奇妙な優しさを見せた。

 首領である父親が戻る前にと、変装させ高崎へ向かう商船に、紛れ込ませた。哀しみに沈んだ彼はまともな礼も言えなかったけど、それを気にするそぶりさおなかった。

「どうして、俺をそばに、置いてくれないんだ?」

「あいつ今は亡命の身の上だ」

 女を囲える身分じゃないと、医師が呟く。

「なら、戻ってきてくれれば、いいのに」

「仲の悪かった叔父が当主になって、須藤が幅をきかしてる家にか?殺されに行くようなもんだ」

 あんただってあいつを殺したいわけじゃないだろうと、優しい口調で、諭すように告げる。

「もうこんな真似はするなよ。危険すぎる。俺もあんたを送り届けたら高崎には戻らない」

「どう、して。俺は誰にも喋らない、よ?」

「あんたのことは信じてるよ。でも、あんたが嗅ぎつけた事はいずれ須藤にも、バレルと思った方がいいだろう?」

「俺は、須藤とは、なんにもないんだ」

 唐突な告白。医師は苦笑しただけで答えない。

「本当に、寝てない」

「それは、俺じゃなく啓介に言ってくれ」

「何度も言った。けど……、信じてくれな、かった……」

「……」

 医師は何も言えずに視線を岸へ向ける。高崎の港が近い。

「元気で」

「俺、もう、あいつの消息も聞けないのか?」

 訴える瞳で見つめられて、医師は本当に困ったけれど。

「元気で」

 他にいえる、言葉もっていなかった。

 

 

 藤原の屋敷から高崎へ、船で往復は二日がかりの行程だ。

「戻った。送り届けてきたぞ」

 幼馴染の友人とともに、今日から自身も亡命者となる医師が、高崎のかつての若当主に、告げる。

「お前に棄てられたって思って、随分嘆いてた。可哀相だった」

 ついつい責める口調で言ってみると、

「仕方ねぇだろ」

 縁側に脚を放り出し、庭を眺めながら啓介は言った。母屋の端、二部屋の続き間を、居室として与えられている待遇は亡命者として悪くはない。けれど、それだけ。衣食住を保障される代償に、いずれ政治取引の材料として利用、されるために庇護されている。

「俺、今、あの人守ってやれねぇよ。こんなトコにあんなヒト、置いてられるか。アナだらけにされちまう」

 無事にたどり着き、無事に帰っていった。それだけでも、滅多にない僥倖。

「ボロボロになんの見るぐらいならまだ、高崎でダイジにされてる方が、マシだ」

「須藤とはなんにもないって言っていたぞ」

 医師自身、それを信じている、ワケではなかったが。

「お前にそれだは信じて欲しそうだった」

 告げられて啓介は薄く笑う。

 哀しそうに、笑った。