蓬莱・七
戻ってきた、と知らせに来た清二を追い越し押しのけて。
蒸気の篭った湯殿に侍る、腰巻一枚の侍女たちを突き飛ばして。
帰ってきた美形の、目尻は微妙に腫れていた。視線は動かず正面に据えていて、その不均衡が、いい味を出していた。
湯殿から押しのけられた侍女たちは不平そうな顔をした。下帯一枚の姿で蒸される男の体躯に見惚れていたからだ。好きに眺めさせながら、京一はしかし、どんなに秋波を送られても、そんな場所で女のほとに手を伸ばすほど酔狂ではなかった。
蒸風呂の中でまぐわえば、まず間違いなく男が先に、まいる。
体力や精力の問題ではない。躯の構造が、そうなっている。そんな恥をかくのはごめんだった。
が。
泣きやつれ面貌のままの、美形が無言で近づいてくるのには。
手を伸ばす。受け止めようと、した。そのまま抱いて、恥をかいてやっても良かった。
しかし。
男の覚悟は空振りした。
のぼせて恥をかく、どころではなかった。
伸ばした腕は空を切り、代わりに。
高々とあげられた脚。
裾の奥をうかがう間もなかった。
「……ツテエッ」
思わず叫んで、飛び起きる。
春は訪れたが、夜はまだ冷え込む。
蒸気で呼吸も苦しくなってから、飛び込むための冷水を満たした湯船。
胸板を踵で蹴られて、不意打ちのカタチでそこに蹴り込まれた。
アタマを振って起き上がろうとしたところへ、
「おいッ」
もう一度、踏もうと差し入れられる、脚。
今度は顔を狙っていた。
避けようとする。起きようと。しかし不自然な姿勢で、湯船に嵌るように仰向けに、倒れこんだ姿勢のせいでうまく身体を起こせない。
身体をひねって、なんとか水の中で、踏まれる事は避けた。
底板に腕をついて肩を起こした、途端。
伸びてくる、腕に胸倉をつかまれる。
「一緒に来い」
張り詰めた、澄み切った、きつい瞳が真正面から、京一を捉えていた。
「お前のせいで誤解をされた。一緒に来て誤解を、解け」
「……オトコか。会えたか」
「俺とはなんにもないんだって、あいつの前で、誓え」
「……なんにも、かよ……」
かなりな真似をしてきたつもりの京一は苦笑した。確かに契りは、交わしていないけれど。
「言ってやってもいいが、そいつ信じるかな?」
告げるとみるみる、美貌が翳ってゆく。
湯船の中で、仰向けに倒され、なんとか肩だけは起こした胸の上に、殆ど馬乗り、されている姿勢が、なんだか。
この相手以外なら、決して許さないけれど。
この相手だと、笑えてしまうのが我ながら不思議だった。
「お前は俺の囲い物だと思われてるぜ、まわりには」
多分、誰もがそう思っている。
美しいオンナはきゅっと、口惜しげに唇を噛む。
誰に何を言われても、殆ど反応らしい感情を返さなかったくせに。
やっぱりあいつの、ことは好きなのか。
あいつに誤解を、されて口惜しいのか。
「俺とおめぇはもう、そんな次元じゃねぇ」
「……そんなって、なんだ」
「俺たちだけの問題だってコトさ。もう」
自重を片手で支え、もう片方の手を目の前の細腰に絡める。
引き寄せ、下腹に頬を当てる。気持ちがいい。うっとり、する。
「ここまで意地を張ってきて、力づくや権勢づくってのも、バカみてぇだしな」
「貴様の、せいだ」
「こうなりゃとことん、付き合おうじゃねぇか」
「貴様のせいで、あいつ、俺に興味が、もうなくなったんだ」
「どうすりゃ内側を俺に渡す?」
「あいつが俺に手を伸ばさないなんて……」
「飼ってやろうか、お前のイロ」
「あいつ俺のこと、もう欲しくないんだ……」
「捕まえて、おめぇにやる。繋いで玩具にすりゃあいい。好きなように、おめぇが弄りまわせ。されてきたんだろ?」
「貴様の、せぇ……ッ」
どん、と。
揃えた拳で、胸板を叩かれる。
「よしよし」
恋人を甘やかす仕草で京一が、湿気を踏んで柔らかく濡れた黒髪を撫でる。
「そんなに欲しいなら、とってきてやる。待ってろ」
「違う。そんなんじゃない。違う」
「ナニが違う。ふられちまったんだろ?でも、アキラメらんねぇんだろ?」
欲しがられたいのだと、それは分かる。だが。
「格好つけんな。素直になんな、正直に。もともとおめぇはあのイロと引き換えに、俺のになっちまう筈だったんだから、な」
「……違う」
「かわりにあのガキ、おめぇの、玩具にしてやる」
「違う、んだ」
力が抜けていく。襟首を捕らえていた手からも、胸を挟んだ膝からも。
「俺は……、ただ……」
「ん?」
「愛して、いるんだ……」
そして愛されたい、だけ。けれど。
「乱世だぜ」
今は。
「こんな時代にゃ、それに似合いのやり方しかねぇんだ」
力ずく。強者が弱者を支配するカタチ。それだけが安定感のある、つながり。
服従と従順を求める事が、求愛の作法。
「諦めろ。甘ったるい恋なんかは、都の公家らに、任しておくことだ」
俺たちには、それは許されないのだと。
告げて引き寄せ、抱き締める。
皮膚のまだ、外側だけしか、手に入れていないオンナを。