蓬莱・八
二人きりになった後。……いや。
なる前から、俺は彼をじっと見ていた。顔はそむけていたけれど、体中で彼を感じてた。
瞳がキレイに澄んでて肌に艶がある。健康的な生活をしてる、証拠。
いい服を着てる。服だけじゃなく、穿いてる袋足袋が、指股の深い丁寧なつくりなのが、俺の気持ちを暗くする。
……可愛がられてるね……。
それが嫌、なんじゃないんだよ。
イヤじゃない訳でもないけどさ、モチロン。
ただ、そう。俺は俺が、すごく情けなくって、泣きたくなってくる。
あんたを愛して優しくして、あんたのこと、大事に幸せに、したかった。
なのに俺は、あんたを痩せさせて、自殺、しようとさせちまうことしか出来なかった。
……苦しい。
苦しいと、あんたも俺に訴える。俺を愛してるって。オネガイだからそばに置いてくれ、って……。でも、どう、かな。
俺はここでは、流遇の身の上。あんたを凄く、とっても愛してるけど多分、守ってやることは、出来ない。
ここの若当主があんたを微妙な目で見てる。お帰り、早く。一刻も早くあいつのところへ。あんたは可愛そうなヒトだ。俺に愛された飛び切りの、『美女』。もうその、カラダはあんた、のものじゃない。
強い男の持ち物でいるしかないんだ。
だから、安全なところに、……帰れ。
言うと、ぼろぼろ涙をこぼしてぺたんと座り込む。肩が震えてる。うなだれた首筋からのぞく肌は、白いけどしなやかに張り詰めて、あぁ、やっぱり随分、健康になったんだなって、思った。
俺はあんたをぐちゃぐちゃに痛めつけた。
それしか出来なかった。
下女が敷いた衾の中に入って。
くるり、背中を向けた俺に、あんたのカナシミが伝わる。
それでも、勇気をふりしぼった、って感じで、
「隣で……、寝かせて……」
そう言って隣の衾から滑り出してくる、あんたを俺は、手酷くはねつけた。
「オネガ……、へんなこと、しない、から……」
せめて一晩、そばに居せらてくれと嘆く優しい、カワイイひと。
ムリだよ、俺には。そばに来られて触れられて、あんたを抱かないでいることは、出来ない。
抱けば手放せない。今だってギリギリの忍耐。泣くなよ。あんたのすすり泣きが、まるであんトキの声みたいで……。
興奮、しちまう……。
長い間、恋焦がれてた特上の肢体と肌と美貌を手に入れて、俺は有頂天だった。
なんだってしたし、させた。俺の欲望に仕えて、体の中に埋めて、それの些細な動きに支配される、あんたの泣き顔が声がダイスキだった。
大好物を好きなだけ、さぁ食えと勧められた意志の弱い奴みたいに、俺はあんたにむしゃぶりついていた。あんたが、痛みに耐え切れず震えて泣き出すのさえ、俺には甘ったるい快楽、だった。
……そうだね、俺は、ひどい男、だったね。
恨んで、憎んで、忘れてしまえ。その方があんたのため。そうしてそれが、俺のためでもある。俺はもう、二度と見たくないから。あんたが俺のためにカラダを投げ出すとこなんて。
俺を庇って、俺以外の男に脚を、ひらいてるあんたを見たくないんだよ。
もう、二度と。
須藤の屋敷でそうしてる、あんたを見捨てて逃げたときはまだ、あんたをいずれ、迎えに行く気だった。
つれて逃げるのはどうしてもムリだったから。
二人して繋がれてたら、あんたは永遠にあいつの思い通りになってなきゃいけないから。
高橋に戻って陣営を整えて、あんたを『助けに』行くつもりだった。けど途中、藤原党に捕らえられて、俺はメンが割れてるから、抑留を受けて。
イライラ、してる間に……、叔父貴が高橋の当主に選ばれた。
あんたを世継ぎとして。
その後押しを、していたのは須藤。あいつは頭がいい。その上、あんたの為になるように行動、してる。
傀儡にあんた自身じゃなく、ヒトのいい叔父貴をたててあんたに、直にはまだ、風が当たらないようにして。
ゆっくり、あんたの足元を固めてる。
……俺には、出来なかったよ。
思いつきさえ、しなかった。
俺はあんたに、なんにもしてやれない。
だからもう……、俺のことは忘れな……。
「……イヤ。……啓介……」
震える声でナマエを、呼ぶな。
抱き寄せたくなる、キモチを押し殺すために拳を、ぎゅっと握りこむ。
「イヤだ、なぁ……。どーうしてそんな酷いこと、言う……」
せっかく会えたのに。俺お前に、会いたくてここまで来たのに、と。
そんな優しい言葉を言ってくれる、あんたを俺は守ってやれなかった。
あんたが俺に添って優しくやわらいだ後も、俺は都の姫を娶ることを止めなかった、ひでぇ男だ。
あんたを抱き締める、資格は俺には、ない。
「そんなの……、酷い……。こんなにお前を、スキにならせといて……」
言うなって、そんな言葉を。
「けーすけ、なあ……、ダイテ……」
衾ごしに寄せられる、カラダ。
その、感触に総毛だつ。あまりにも……、淫靡な衝動が、キツク激しく、俺に襲いかかる。
触るなと、叫んで。
俺は衾から起き上がった。彼のカラダを、足蹴にして遠ざけた。そうする以外、このヒトを抱かずにおれる手段がなかったから。
散々、須藤に可愛がられたんだろ?
そんなキタネェ身体で俺に、触んな。
言い捨てて、足音高く、部屋を出る。
背中で、彼の泣き崩れる声が、聞こえた。
彼を高崎に送り届けた史浩は、その足で戻って一緒に、藤原党に、亡命。
医師であり地政学者でもあり、実は海戦指揮官としてもけっこういい腕、してるこいつは藤原党に、するりと溶け込んでいった。他人に警戒心や不信感を抱かせない男だ。
忙しそうに、帳付けを手伝ったり急病人を診たり、異国の商人が持ち込む薬種の品質を鑑定したり、重宝されながら忙しく過ごしている。
俺は……、無為に沈んでて居た。
世話係のオンナに乗るしか、することがなかった。明るい世界と切り離されて、このままこの、北向きの部屋で若さも人生も、埋めてしまいそうな気さえ……、した。
絶望、ってキモチに近かったかもしれない。
全部、なくしたよ。大事にしてたもの。大切なお気に入り。
地位も、名誉も、財産も。……オンナも。
そんな、怠惰な無気力に沈んでた俺に部屋に、いきなり。
「戦争だから、用意してください」
きりっと鎧の下重の、袖を肩まで捲り上げた、藤原の跡とり息子がやって来て言った。
「必要なものは本邸で用意してるから、急いで。前線指揮、してもらうから」
もっとも死亡率の高い役目は、いっそ、俺の気持ちに沿っていた。
「うちの侍女たちに揉め事、起こさせるだけがあんたの取り得じゃないんだろ?」
早口で言って忙しそうに出て行く、跡取のあとを追って女を寝床に、置き捨てて本邸へ。そうして戦場へ。
長いこと、部屋に篭ってて、いっそそこで人生に、カタをつけちまうのもいいかも、なんて思ってみたりする。
……眩しい。
長いこと、ってっても実際の時間は一年とちょっと。それでも外が、俺には眩しかった。
……とても。