Driven by jealousy
ヘッドライトで切り取った以外は暗闇。
荒れた路面、時々、極端に狭くなる道路幅。
一つ間違えば谷底。車のみならず自身もスクラップ。
それが峠のお約束。
いっそ谷底に転がり落ちてしまおうか、なんて。
冗談半分に考える。……冗談半分のつもりだった。けれど。
案外、本気だったかもしれない。だから思わぬ対向車が現れた瞬間、ギアを変えるのが一瞬だけ遅れた。流れるようにこっちのラインを読み、爆発的な加速ですり抜けていったのが一台。そして恐怖でハンドルを切りすぎブレーキを踏みすぎてコントロールを失って、こっちに突っ込んできたのが一台。
目を細め、タイミングを読む。一秒がひどく長く思える。FCの感覚と同調する。一台分が通れる空間が空いた途端、アクセルを開けて、突っ込む。
当てられるとでも思ったか、向こうのドライバーは恐怖で顔を歪ませた。……、冗談。貴様と心中なんざゴメンだ。
死ぬときは、俺は一人で死ぬなんて……。
自棄放棄な思考に浸りながらそれでも、生き延びるために、アクセルをあけた。
向こうの角度に沿うようにして車体を滑らせ、目の前に空間があいた途端、そこへ飛び込む。暗い空間が優しく俺を包み、ターンして向き直ったときには既に、ぶつかりかけた車は崖にぶつかって止まっていた。助手席側のフロントがへこんでいるが、大したダメージではないと、一瞥しただけで分析。ドライバーも、車も。
「おい、大丈夫かっ」
最初にスムーズに逃れたドライバーが、降りて声をかける。……俺にだ。
俺が何ともないくらい、見れば分かりそうなものだが。
「悪かったな、いきなり絡まれて、相手してたら気づくのが遅くなっちまった。に、してもあんた、こんなところでナニしてんだ?タカハシ・リョウスケ」
奇妙なイントネーションで名前を呼ばれた事が、気にならない訳じゃなかったが。
顔と名前を知られているのは日常茶飯なので聞き流した。
「こっちに面白い峠があると聞いて、出てきた。そっちの名前は?」
流れるラインの美しさが、俺に興味を抱かせた。うまい奴は何処にでもいる。強い雄も、場所ごとに一人ずつ。
「秋山渉……、あんたの、弟と」
「あぁ、そういえばレビン……」
ぼんやり、している。いつもなら見ただけで気づく筈なのに。以前、弟の啓介に絡みかけ、そして。
「知ってるのかよ。俺も有名だぜ」
嬉しそうに笑う。表情に翳りはなくて、いい奴かもしれない。が、今はそのことが俺の気に障った。
「藤原拓海に負けた男、だ」
「……あんただってそうだろ」
「そう。仲間に免じて、中身を見せてくれないか」
挑発しておいて微笑む、いつもの手段を俺は使った。秋山という男はいきなり向けられた笑みに戸惑ったが、すぐにどうぞと自分からレビンに歩み寄り、ボンネットを開ける。
事故車がゆっくり離れていった。俺も秋山もそっちには目もくれなかった。下手糞に興味はない。秋山も、俺と同様らしかった。
「これはまた」
「ナンだよ」
「いや、潔いことだと」
利便性、いやいっそ実用性さえ無視して強化されたターボ。これじゃ確実に足が負ける。ちらりと見ると、タイヤの溝が不規則に磨耗している。小刻みにハンドルを切るクセのあるドライバーにありがちな擦れ方だった。わざと、そういう乗り方で力を散らしているらしい。
あくまでもパワーに固執した改造ぶりは俺の趣味じゃない。趣味ではないがここまで徹底されると一種の、快ささえ感じてしまう。そんな俺の気分が伝わったか、
「放っとけ」
苦笑する秋山の顔もそれほど、不快そうではなかった。懐からタバコを取り出してくわえる。火を点ける前に風下にまわったのが笑えた。禁煙権、とか言いそうに見えたのか。
「Dでこっちに来るつもりなら止めときな。ろくな奴ぁ、居ないぜ」
「ご謙遜だな」
「俺は違う。地元って訳じゃねぇ。あちこちふらふらしてんのさ。あんたと同じ」
それは、俺が藤原に負けた仲間、とかいったお返しだったかも、しれない。もしかしたら親しみの言葉だったかも。けれど。
「一緒にするな。俺はホームコースを守った上で、こっちにも来てる」
なんだか腹が立った。イラついてると、自覚はあったが止まらない。秋山は静かに煙草を、一度吸い込んで、
「なんだ。噂どおりの嫌な奴じゃねぇか」
今度は俺を苦笑さす。
「お前もな」
「俺がなんの噂になってるってんだ」
「待ち伏せが得意なんだろ?……弟に、聞いた」
自分で言っておいて、その言葉に傷つく。ふぅんと秋山は煙草を投げ捨て、足でもみ消して。
「まぁいいや。あんた目かには無茶苦茶、詳しいって?」
その通りだったから、あえて謙遜はしなかった。
「ちっと見てくれねぇか。バルブのへんが」
「何処だ」
言われてボンネット下に身体を乗り出す。変則的な改造のせいで目的の場所が見つけにくい。
「もちっと、奥……」
秋山の言葉にさらに、身体を乗り出したときだった。
「……、なに」
背中を押さえられる。項をつかまれる。背後から体重かけて身体を倒された。熱いエンジンに顔を押し付けられそうな勢い。寸前で支えた。ボンネットの凹凸に指をかけて。
「なんのつもりだ、秋山ッ」
「……シーッ」
「離せ、おいッ」
暴れようとして、出来ない。振り向くことさえも。自分を支えた指先の力が抜ければ身体は熱いエンジンの上に落ちる。狡猾な姿勢だった。その容赦のなさにいっそ、笑い出してしまいそうな自分を辛うじて、自制する。
男の欲情は分かっていた。背中に手をあてられたときから、いや、もっとそのその前、引き返してきた男が大丈夫かと声をかけてきた時から。笑っていて絡んだ。挑発は誘惑。
「……、ヤメ……」
ベルトが外される。シャツの裾が引き出される。腰を抱き取られ口で拒む台詞を吐きながら身体は待っていた。陵辱される瞬間を。そして心はほくそ笑む。こんなことがあったと知ったときの弟の、憤怒と後悔を思って。
遠征先へ、着いた時。
ちょっとと史浩に手招きされて、近づく。なぁ、今日の相手は女の子だよな。ああ、でも女の子だからって油断はできないぜ、なかなかやるらしい。そんな会話を交わした後で、
「その子、啓介と、ちょっとあってな」
「ちょっと?」
「コースのビデオとりに来ただろ、俺と啓介で。その時にまぁ、ひっかれたってーか、かけられたってーか」
「……」
そこまで言われてコトの予想がついた。そこまで言われてようやく分かった自分を馬鹿だとも、思った。弟は手癖が、悪い。実の兄さえ例外でなかったほど。
「だから、なんだ。言っておくがドライバーの交代はしないぞ」
「別に、そういう意味で耳に入れたんじゃない」
「じゃ、なんだ」
「最初の二秒のタイムラグ、俺以外の前でするなよ」
言い捨てて史浩は離れていく。俺の不機嫌に当たられるのはごめんだ、という風に。
表情を庇うよう立っていてくれた史浩が居なくなり視界がひらけた途端、こっちを見ている
幾つもの視線に気がついた。何を話していたんだろう、という風な無邪気な。その中には弟の、とび色の目さえ混じっていて、俺は俯くことを必死で耐えた。
史浩に、気づかれているかもしれないと、思ったことはあった。けれどこれほど露骨に、宣告を受けたことはなかった。相手の女に弟が声を掛けられている。弟は返事をして、笑ってる。理不尽すぎると、俺は思った。
俺にだけこんな気分を味合わせて、お前は笑っているんだな。
厄介、面倒、そんなものはすべて俺の身にかかってくる。この関係は弟が、半ば強引に始めたものだった。今となっては合意だし、今更最初のきっかけを持ち出して糾弾するつもりはない。ないけどそれなりの、責任ってものがあるんじゃないか?
そんな言葉を知りもしない顔で弟は笑っている。そんな奴だと、それも人徳と、分かってはいたけれど腹はたった。
……そして。
そして今、こんな危機の中。
「き、山……、頼む」
「ん?」
「せめて車の、中」
「狭っ苦しいの嫌いなんだ、俺」
「だったら……、地面」
踵を浮かして体重を、抱いてくる腕とボンネット裏に掛けた指先だけて支えて楔を打ち込まれるのは、辛すぎる。
無言のまま、秋山は俺に、挿れた。咽喉をひきつらせ悲鳴を上げた俺が落ち着くのを待って、
「動くぜ?」
なかで、という意味かと緊張した背中に、シャツごしに宥めるようなキス。そうして、腹と肩を抱えられるように繋がったままで、身体はゆっくり引き上げられた。ボンネットに縋ってた腕は脱力し、開放されても咄嗟には、動かすことが出来ない。
地面にゆっくり、寝かされる。顔に当たる粗いシャツの感触に秋山が、脱いで頭の下に敷いてくれたのだと気づいた。……おかしな男だ。無理やり人を、犯して、おいて。
俺の内心をよんだかのように、
「レイプじゃないぜ、これで。合意だ。そうだろ?」
厚顔無恥な言い草だった。けど言い方に愛嬌があって、かすかにだったが、笑わされてしまう。笑えば許したことになる。
「こっち、向けよ」
嬉しそうに秋山は抱く体勢を変えてきた。正面から抱き締められて、だるい腕を上げて背中を、抱き返す。
そんなことを、してしまったから。
これはレイプじゃなくなってしまった。行きずりの、情事。
「どっか痛むか」
「……別に」
「間近でみるとあんた、ホントに美形だな」
「……どうも」
適当な会話、曖昧なくちづけ。
裏切りの味がする、唇。