様子がおかしかった。ぼんやりしてんた。いつもスタスタ歩いてんのにその日はゆっくりだった。ふらふらっていうよりユラユラしてて背中が薄かった。だから声をかけた。

「よーぉ、おーひさーぁ」

振り向いたそいつの顔を見た途端、うわすっげぇストレス溜まってそー、って思った。別におかしな顔をしてたんじゃないが、目線に安定感がなかった。時分でいうのもナンだけど、俺はそういうことにはよく気づく。

「なんだてめぇか、万事屋」

「はい、あなたの街の万事屋です。お仕事お疲れ様ぁ。なぁちょっとサボんねぇ?ちょーど昼時だしさぁ、奢られてやるぜ?」

 勝手なことを言っても二枚目は言い返してこなかった。代りに肘を曲げて手首を返して腕時計で時刻を確認する。あれ、って思った。こいつなんか痩せてねぇ?

「手首」

「だな。ちょっと早いが、寄ってくか」

「なんか細くなってない?」

 肩パット入った制服の上からは分からないけど手首が明らかに違う。腕時計は見覚えがあるすかしたブランドのだけど、回さないと文字盤読めないくらいスカスカじゃなかった。

「マヨ禁でもされてたの?」

「そんなとこだ」

「なぁ、じゃー定食屋じゃなくて駅前の茶店にしよーや。パフェ食わせてやるよ。フクチョーさんの奢りで」

「素直に食べさせてくださいって言えたら奢ってやる」

「はい。お願いします。食べさせてください」

 へこっと小腰を屈めてついて行く。駅前だけど大通りから一本入った茶店の奥、入り口がみえる席にテーブルを挟んで座る。メニューを眺めるツラはそれほどやつれたように見えない。けど、目元にちょっと、ケンがあるだろうか。

「なにジロジロ見てンだてめぇ」

 茶店っていっても昼のランチを二十種類ぐらい用意してるこの店は、女主人が四十過ぎだけど美人で、料理の味もいいから俺のお気に入りだった。昼時には顔がよく似た娘が手伝ってる。そのコはまだママみたいな色香はないけど、元気いっぱいで愛嬌があって可愛い。

「トッシーはパフェ食べたのになぁって。最近出てこないね。元気にしてんの?」

「寝てンだろ」

 興味なさそうにメニューを閉じて顔を上げると、引っ込んだ席なのにウェイトレスしてる娘がすっ飛んできた。こいつと一緒だといつもこんな風だ。便利だけど妬ける。

「サンドイッチ。コーヒーは料理と一緒でいい」

「えーと、チキンカツ定食とアイスソーダとぉ、食後にフルーツパフェ」

「はい。あ、どうぞ」

「ああ、どうも」

 伝票に書き込んで引っ込む。可愛いなあと思いながら眺める横顔が紅潮してんのは、大テーブル用のおっきい灰皿を渡した時にこの二枚目と指が触れたからか。憎い。

「暫く見なかったけど忙しかったの?」

 武装警察・新撰組のトップが替わったのは知ってた。ジミー君に団子たかった時に聞いた。

 ゴリさんが警視庁の本庁勤務になったのは悪いことじゃない。お歴々のご子孫じゃない現場叩き上げでも中枢に食い込める前例は、もとが武士階級じゃない連中の夢を刺激して、士気は揚がるだろう。ジミー君も寂しそうだったけど喜んでた。

 後任人事は、ちょっとした騒ぎだった。一番隊の隊長、まだ二十歳そこそこの沖田クンが抜擢された。副長がそのまま持ち上がるのが順当だってみんな思っていただろう。俺も思ってた。

「ちょとな」

 さすがにジミー君より口が固い二枚目は、煙草を吸う合間に昼食を口に運ぶ。ライ麦パンに生ハムに卵、レタスとツナ、海老なんかが挟まれた素敵なサンドイッチなのに別皿にこんもり盛り付けられたマヨネーズで可哀想な姿になってから食べられてる。

 俺のチキンカツは薄めだけど掌くらいのが二枚、アーモンド混じりのカリッとした衣をつけて揚げられて、上には和風ネギソース。隠し味の生姜と醤油が美味い。

 小洒落た茶店のランチにしちゃあボリュームがあって、昼時はサラリーマンたちで混雑する。幸い、時刻はまだ正午前。真面目な会社員はビルの中に身柄を拘束されてる。

「うちの神楽がさぁ」

 二枚目がメシを食い終わっての一服に火を点けた、機嫌のいい瞬間を狙って尋ねてみる。

「最近、機嫌わりぃんだ。沖田クンが町に滅多に出て来なくなったから寂しいみたい」

 俺がせっかく遠まわしに聞いてやったのに。

「局長職、継いだばっかしだからな。暫く巡回にゃ出て来れないと思うぜ」

 あっさりストレートに愛煙家の二枚目は答える。

「オタクが継ぐと思ってたよ。なんで沖田クンなの?」

 応じてストレートに尋ねると。

「俺が故郷に帰るからだ」

 あっさりこぼされる、思いがけない返答。

「え、なに。オタクの故郷って、ああ、武州だったっけ。実家に帰ってナニすんの、畑仕事?」

「いや。親戚の家に養子に行く」

「……婿養子?」

「ちがう」

 ちょっとだけ、そこで二枚目の色男は笑った。

「娘はついてねぇ」

「花のお江戸の花形の幕臣さまが、なんで、また」

「飽きたんだ、もう」

「ウソだろ?」

 なにこいつ、なんかおかしくねぇ?

「オタクが喧嘩に飽きるなんざ信じらんねーよ。あれかやっぱし、沖田クンに出世越されてヨをハカナんでんの?警視総監のオンナ寝取って睨まれたってホント?」

「んなドジ俺が踏むか。ってーか、なんでてめぇがうちの人事に興味持つんだ?関係ねーだろーが」

「いやあるよ。フクチョーさは内調に引き抜かれるって評判じゃない。出世して偉くなったら俺に千疋屋のフルーツパフェ奢ってくれる約束だったじゃない」

「そんな約束した覚えはねぇ」

「トッシーとしたもーん」

「じゃ、そいつに奢ってもらうこった」

「トッシーが奢れるわけねーから本体に言ってんじゃねーか」

「ネタ、何処に流す?」

 冷めたコーヒーの残りを平気で飲みながら、目を伏せたまま二枚目が不意に視線を投げて寄越す。切れ長の目尻で切りつけられたような気がした。光り方が鋭い。

「そんなんじゃねーよ。オタクんちがどーなるか、ただ気になるんだよ。因縁考えりゃ当たり前だろ。関係ないとか、ちょっと白々しいンじゃねぇ?」

「ザキはてめぇに、ペラペラ喋りすぎだな」

「おたくらが歌舞伎町に居ないと寂しいよ」

 本気で言ったのが分かったらしい。二枚目がちょっと笑う。イヤミに整った顔立ちのヤローだけど、笑うと可愛かった。

「時間が」

「はい?」

「たちゃあ色々変わってく。当たり前のことだろ」

「まぁそーだけど、俺はあんたら、ずーっとあのまんまと思ってたよ」

「まさか」

「俺、あんたらがバカやってんのを見てんのさぁ、すげぇ好きだったんだけど」

「バカは余計だ」

「ゴリさん滅多に見れなくなって寂しいし。フクチョーさんもそんな田舎に帰るんじゃ、沖田クン独りで寂しいんじゃないの?」

「一人前の男が一人なのは当たり前のことだ」

「おいおい、男に居るのは手下と敵だけとか言い出す?格好つけやがって。仲間もダチも居ないそんな寂しいので人間がながもちする訳ーじゃん」

 俺がそう言うと二枚目はまた目を伏せた。なんか心に引っかかったらしい。こういう会話じゃこいつに一目置かれてることを俺は分かってて、だから時々、喋りの代償にメシをたかる。

「俺らだってもたねーのに、沖田クン俺らより、ずーっと若いんだしさぁ。あのコが一番、カワイソーなんじゃねぇ?」

「……まぁ、なんだ」

 灰皿で吸っていた煙草をもみ消して。

「俺ぁ今日明日、居なくなるんじゃねぇが、よろしく頼むぜ、総悟のこと」

「なんで俺によろしく頼むの」

「総悟と仲良しだろ?」

「頼まれるより頼む側の方が本人と近いモンなんだよねぇ。ゴリさんみたいに他所に引き抜かれるってンならともかくさぁ、なんで田舎に引っ込むのさ、そのワカサで」

 一番聞きたかったことは。

「切った張ったに、もー飽きちまったんだよ」

 嘘で誤魔化された。

 

 

 

 

 

 なんかもやもやひっかかったままで一日を過ごして、翌朝。早い時間にかかってきた電話は珍しく仕事の依頼だった。依頼主がちょっと、イヤァなカンジはしたけど引き受けた。呼び出された場所に向かう。特殊武装警察・真撰組の屯所に。

「おはようございます。朝から呼び出してすいません」

 裏門を訪ねたらずいぶん奥に通される。昔、赤い着物の女の騒ぎのとき吊るされた木が見える中庭の池を越えた向こう側。

 出入りしたことないくらい門から遠いその建物は、どーやら幹部の居住用らしい。証拠に沖田クンが着替えてた。

 朝日の中で天使の輪をのっけたツヤツヤ直毛が憎らしい。シャツの襟を留めて首にスカーフを巻きつけてベストを羽織る。きれぇな顔した若いコのきびきびした動きは見ていても楽しかった。思わず顔がにやける。

「別にいいよ。お仕事なら何時でも何処へでも行きますよぉ。で、今度は何?どっかにお供すんの?」

 違法賭博の闘技場に連れて行かれたこともあるから言ってみた。

「いえ。そんな面白い仕事じゃないんですよ。すいません」

「面白くなくてもいいけど、なに?」

「看病ってゆーか、ついててやってくだせぇ。俺が今日、昼過ぎまで、どーしても抜けらんねーんで」

「は?」

「奥に居ます」

「えっと。……誰が?」

 とぼけた訳じゃない。本当に分からなかった。

「どうぞ」

 制服を着終わった沖田君に、奥の襖を開けられる。そこには手確かに人が居た。敷かれた布団の中に横たわって。

「……あれ?」

 これまたツヤツヤさらさらの黒髪に見覚えがあった。掛け布団の中に埋もれるみたいにして寝てるから頭頂部しか見えないけど間違いない。

「お願いします」

「いや、えーっと、だから」

 病人の看護、って言われても。

「……病人?」

 なんの病気だか、と思いながら、沖田クンの後について奥の座敷に入る。いい部屋だった。鴨居の彫刻は富士と鷹と茄子の浮き彫りでなんとなく目出度い。けど部屋の中はぜんぜん、目出度くないカンジ。

 二枚目の副長は布団の中で寝巻きを着て目を閉じてる。意識はあるらしく、俺らが部屋に入ると身動きしてそっと背中を向けた。ふかふかの掛け布団とキモチよさそうな綿毛布の上から沖田くんがその背中に掌を当てる。

「病気なら病院連れて行った方がいいんじゃない?」

 なんかミョーな雰囲気を感じつつ、一応は常識的な意見を言ってみる。老老介護や共働きの家庭と違ってここは準軍隊、幹部の病院の付き添いを万事屋に頼む必要があるとは、さすがに能天気な俺も思っちゃいなかったけど。

「旦那がいいんですよ。なぁ、呼んでやったぜ。嬉しい?」

「えーと、意味がわかんないんだけど」

「なんかね。落ち込んでるから、気晴らし、させてやってくだせぇ。この人、旦那が好きなんだそうです。旦那と喋ると元気出るみたいだから」

「……は?」

 ワケがわからず眉を寄せる。もっとも分かっていることも少しはあった。目の前で寝てる二枚目と絡んでる可愛い子が、深い仲そうなのは分かった。ついでに昨夜、多分喧嘩してんだってことも。可愛い子はちょっとぐれてて、傷ついて見える。

「慰めてやってください。よろしく」

 立ち上がって可愛い子は出て行く。呼び止めて説明を求める事はちょっと憚られた。だって泣きそうな顔をしてたから。悲しいとか情けないとか辛いとか自己嫌悪とかがぐちゃぐちゃに混ざった顔をしてた。これ以上つついたら泣き出しそうだった。

「行ってらっしゃい」

仕方なく見送る。お布団の中の二枚目と一緒に残されて、俺は正直、どうしていいか分からない。

「おーい、副長さーん」

とりあえず事情を聞こうとして、狸寝入りしてる人に声を掛ける。こっちは大人だ。沖田クンよりゃ話になるだろう。

「沖田クン行っちゃったよ。あれナンか誤解してんじゃない?おっかけて連れ戻してこ……」

 ようか、と、言葉を続けることが出来なかったのは。

「……」

 覗きこんだ毛布の下で黒髪の副長サンが静かに、目を開いたから。

 なんて言ったらいいんだろう。その衝撃を、どう、表現したら分かってもらえるだろう。目が開いた。事象としてはそれだけ。でもそれたけで部屋の中の空気の色が変わった。湿度も。

「……、ひじかた、クン?」

 つまりそういうこと。

二人の関係は分かってた。部屋に入ったときから。武門じゃ珍しくもない習慣。朝なのに寝せられてるのが鬼副長さんなのは、つまりそっちが女役ってことで、それだけ意外だったけど、男色自体は異質でも珍しくもない。

 でも。

 ダチ、とまでは行かないけど知り合い。そんな二人がなんだか揉めて、ミョーな雰囲気なのはびっくりだった。しかも強面でふてぶてしい、普段は三白眼のこの男が。

「わり、ぃな」

 こっちを向いて俺を見上げる切れ長の目は別に潤んでない。充血もしていないし、涙の後もない。でも色が深い。吸い込まれそうに。

「総悟が、なんか、誤解しちまって、わりぃ……」

「おれと浮気したって思われてんの?」

 率直に尋ねる。二枚目の副長は口元だけでほんの少し笑って目を閉じた。睫が長い。目蓋が青白い。

「隣に、テレビとか食い物とか、あるから」

「はい?」

「好きにしといて、くれ」

「もしもーし。……寝るの?」

 返事はなかった。すーっとそのまま意識を失ってしまった。票的な感じはしないけど、随分疲れて見える。そんなに苛められたのかな、昨夜。

「ねぇ土方クン。セックスしてんの?沖田クンと」

 返事はない。でも聞かなくても分かる。毛布の隙間から覗く指先が思いのほか白い。

「……、ふーん」

 オンナ、なのかぁ。

そんな新しい認識とともにまじまじ見つめる。お人形みたいな顔してる沖田クンを観賞用の上物だなぁと思うことはあったけど、コッチはノーチェックだった。女にもてるハンサムなのは知ってたけど、抱けるオンナだとは思わなかった。

「あんた、おいしーの?」

 尋ねてみる。寝てる相手からはもちろん返事がない。