万事屋だから、金で雇われれば大抵のことはする。例えばそれが、夜逃げの後片付けの手伝いでも。

「こんにちは。連絡させていただいていた山崎です」

 からりと空は晴れ上がった午前十時。

江戸城近く、幕府の要人らの公邸が立ち並ぶ一角。区画自体が城の外郭を形成している高台の屋敷の勝手口に立つ。引越し用の中くらいのダンボールを二つ抱えて。

「荷物を引き取りに来ました」

 行方不明になった私設秘書は、公的には真撰組から遊撃隊へ出向見習い中、だった。だからその私物を真撰組の幹部が 引き取りに来るのはおかしくはなかった。

 勝手口で名乗って暫く待たされて、やがて扉が、内側から開かれる。引き戸の奥に立っているのは背が高い青年。遊撃隊のエース、伊庭八介。

「このたびは、うちの土方がご迷惑おかけしました。申し訳ございません」

 山崎が『もと副長』の失踪を詫びながら菓子折りを差し出す。万事屋の『旦那』は背後でそれを眺めている。黒髪の艶な美形の逃亡を身内の不始末としてわびる山崎のことを、なぜか少し、羨ましいような気がした。

「佐々木さまには穏便にお計らいいただいて感謝しています。そちらにはうちの局長からご挨拶に上がらせていただきますが、伊庭さまのお口添えにも、深くお礼を申し上げます」

 真撰組・もと副長が身柄を佐々木四三郎の手元へ移されたことは一種の保護観察。なのに行方をくらましたのは悪意に解釈すれば謀反敵通の証拠と、いえないことはなかった。

「今後なにごとか、ご恩返し出来ることがございましたら、どうかお申しつけくださいますように」

 公式な口上を述べ、そして。

「……ホントに感謝してます」

 私的な本心を付け加える。

「俺らに出来ることあったら、何でもします。マジで」

 真撰組と遊撃隊は職務上、ライバル関係にある。敵対というほどではないが反目の気配はあった。けれどもまさにこの瞬間、若手幹部の間では極秘に和解、協力体制が成り立った。

 降格処分を受け、さらに謹慎中の遊撃隊のエースは菓子折りを受け取り、遠慮なく包装紙をはぎながら、

「部屋はこっちだ」

 先に立って案内する。山崎の背後に立つ男に、気づかぬはずはないのにきれいに無視して。

「あんたさぁ、名前なんてぇの?」

「申し遅れました。監察の山崎退と申します」

「土方さんのお気に入りだったヒトだよな。私物片付けに来るくらいだもんな?」

「……」

 返事の代わりに山崎は少し笑う。そうだと答えることを遠慮してみたところで、懐刀でした、という自信満々の表情は誤魔化せない。

「元気、なのか?」

 行く先を問うのではなく、それだけを知りたがる、若者は健気だ。

「分かりません。連絡がありませんから。……まだ」

 最後の一言は小さい。

「金もってんの?」

「分かりませんが、我々が心配することはないと思いますよ」

 山崎の柔らかな口調は、心配そうな若者を宥めている。

「ホントか?」

「えぇ、だって土方ですから」

「コレ」

 菓子折りの包装紙の下、のしの上にテープ留めされていた白封筒。厚みはなかなか迫力があった。

「いつかでいいから、渡してくれないか」

「困ります」

「いつかでいい。返すんじゃない。入門料だから。弟子入りしたから」

「……伊庭さまが?」

 山崎は不思議そうな表情。土方十四郎の剣は強いことは強いが我流で、こんな名門道場の跡取り息子を指導する筋目のよさはない。

「剣術じゃない、駆け引きの。門下にしてもらった」

「あぁ、では我々は同門となりますね」

「先輩か。じゃあ山崎さん」

「はい、なんでしょう」

「持ちます」

 山崎が手にしたダンボールを伊庭八介は奪い、それと入れ替わりに封筒をさりげなく手渡した。山崎は受け取り、かすかに押し頂く仕草をして、懐に収める。

「ここに来て、最初はそんなに辛そうでもなかった。おじさんのお供で城に行くたびにさよ姫とお茶して、姫様のお話しが終わるのをおじさんが待ってたりしてた。松平片栗虎さまのご登城と行き会った時はさすがに顔面蒼白だったそうだけど、片栗虎さまに元気かってお尋ねいただいて、まぁ、それなりに。保護観察中には違いないけど謀反の嫌疑はほぼ晴れて、ロクデナシと遊んでた不品行を強制反省中、みたいな」

 そのロクデナシは何も言わず、黙って二人の後ろからついて歩いている。今の立場は山崎の雇った便利屋、下働き。発言の権利はない。

「俺はちょっと気になってて、ちょっかい出したこともあった。……指先で弾かれたけど」

「ははは」

 若者のいい方がおかしかったらしい。使用人の住む一角へ向う廊下を歩きながら、山崎は場に似合わない明るい声を出す。主人の起居する表ちかくに部屋をもらっていたせいで、勝手口からは遠い。

「こんな風に、自分を消さなきゃならないほど、ここがイヤだったようには見なかった。……最初の頃は」

「土方さん、に」

 山崎がようやくいつもの呼び方で、艶な目尻のもと上司の名前を口にした。

「親切にしていただいていたようで、感謝します」

「どうだろう。仲良くなりたかったんだけど結局、俺も追い出した一人かもしれない。聞いてくれてありがとう。誰かに話したかったんだ」

 自分のせいではないということ、自分のせいもあったかもしれないということ。

「オレの感じでは、たぶんあなたのせいではない」

「……やっぱり?」

 言われて若者は少し嬉しそう。

「だよなー。オレみたいなワカゾー、土方さんがマトモに相手にするなるワケないよなー」

 言いながら、ようやく着いた部屋の鍵をポケットから取り出して開ける。カシャン、という軽い音とともに、ドアが開いた瞬間に一瞬だけ中から。

 気配がしたような気がした。

 たぶん、気のせいだ。

「ざっと片付けたけど紙切れ一枚、減らしてない。私物は服と刀ぐらい」

 刀は油紙に包まれ皮ひもでくくられて、羅紗の布の上に大小揃えてきちんと並べてあった。その隣には実家からのものらしい書簡が数通。布を結べばすぐに運び出せる。

「本当は、もう一人、隊から手伝いに来るはずだったんです」

「土方さんの弟子?」

「えぇ。オレよりだいぶ先輩の人が」

「もしかして一番隊の隊長?」

「よくご存知で」

「そりゃご存知だよ。俺より若い指折りって、真撰組のあいつぐらいだし」

 喋りながら刀や書簡を丁寧に包む二人。黙ったまま、衣服をどかどか、箱に詰め込んでいく男。服は殆どがスーツで、色をそろえたシャツが全てにセットになっている。あとはパジャマに兼用できそうな部屋着が数着。ちら、っと、山崎はそっちを見た。

「いい服、着せてもらってたんですね」

「いや、殆どは本人に送ってきた荷物で」

「あぁ、沖田さんが転送してた荷物の中身これでしたか」

 江戸城防衛の外殻を形成するこの屋敷には直接、荷を送る事はできない。一旦は真撰組屯所に送られ、開封・検査を経て、そっと本人のもとへ届けられた。

「ご両親には、このことは、どう……?」

「ご両親じゃなくて姉上夫婦ですが、本当のことは言いませんよ。その前の件もぼかしてるんで。ヤバそうなのには、気づかれていると思いますが」

 ただの田舎夫婦ではない。地方行政の一角を担う兄婿の耳には、江戸の情報も入りやすいだろう。

「ふぅん。まぁ、見た感じと違って育ちよさそうだったな」

「嘘はつけませんが嘆かれることは知らせたくない。狭間で頭を抱えるのはうちの局長ですんで、どうなるか俺ははっきりわかりません」

「ふぅん」

 二人が丁寧に刀と手紙を羅紗布で包んで、上から麻紐を巻き終えた頃、白髪頭の男は衣類を、乱雑に箱に入れた。箱は二つで、余った。

 包みを伊庭が持ち、箱を一つずつ、山崎と万事屋が運ぶ。箱は車のトランクに、刀の包みは後ろのシートに転がして。

「無事なの分かったら知らせてくれよ。ナンか合図でいいから。分かりやすいやつで。おれバカだから」

「一応、希望は聞いておきます」

「……そいつどーすんの?」

 そこで、ようやく、若者が白髪の男を見る。助手席で男は無反応。

「別に、どうも」

「無罪放免かぁ。腹立つナァ」

「世間じゃよくあることですよ。持ってない奴からはとりようがない。もっとも俺は、その人が何もなくしていないとは思いませんけど」

「ナンかなくしたのかそいつ」

「ちょっと怖いけどすっげぇイイオンナヒトリ」

「……ふぅん」

 若者は片手をひらひらさせて山崎を見送った。挨拶代わりに裏門の前でブレーキランプを三度、点滅させて山崎は車を出す。

 車は静かに休日の江戸の町を走る。下町へ向っていた。