隠れ家、という呼び方はあまり相応しくないと思う。

「悪かったな」

 コタツの中で新聞を読む人の膝には隊の制服を着たままの。

「いえ。沖田さん、風邪をひきますよ」

 起こしたのは心配とほんの少しの嫉妬。膝に頭を載せて、コタツには入らないでホットカーペットの上に転がり、肩に半纏を掛けられ無心に眠る『副長代行』を起こす。

「メシ買って来ました。鍋です」

 コタツの横には帳簿や報告書が積み上げられ、付箋が幾つかはみだしている。久々のチエックも迅速に済ませたらしい。

「局長は何時にお越しですか?」

「十時過ぎるって言ってた」

「なら夕食は済ませてこられますね」

 そんな会話をするうちに、ようやく沖田は目をこすりながら起きて。

「……メシ?」

「あぁ。顔と手ぇ洗って来い」

「へーい。 よぉ、山崎。ご苦労さん」

「いいえ」

 台所と居間を何度も往復し、大きな鍋をカセットコンロとともにコタツの上に載せる。鍋の底に昆布を敷いてポットの湯を張り、チキンスープの素を放り込んで出汁の用意。スープが沸騰する前に、鍋用に切り分けられた野菜、ネギや白菜、ニンジンの薄切りなどを放り込む。沸騰したらお玉でアクを掬い、スープに塩を足し、豚肉を茹でるという、水炊きなのか豚しゃぶなのか、よく分からない鍋だ。ただし豚肉はブランド豚のもので、下手な牛よりはるかに値段は張る。焼肉用の三枚肉、いわゆるバラを五ミリほどの厚めに切ってあるが、脂身は真っ白で臭みがなく、茹でればぷるんと身が反り返って弾力があって。

「うまーい」

 ポン酢ではなく醤油をスープで好みに割って七味を振れば左党の好みになる。もちろん、三人のうちの一人はマヨネーズのチューブの底をぎゅっと押した。残る二人は見てみぬ素振り。それが好きなら、今は文句をつけるまい。

もっとも沖田は夕方から泊まり勤務で、酒は飲まなかった。車の山崎も同様。まぁ、車はいざとなったらここに停めて、屯所へは徒歩で五分もかからない。

「手間かけなくても弁当でよかったんだぜ」

「それほど手間じゃありません。土方さんは、少し御酒を召し上がりませんか?温まりますよ」

「……また今度な」

 『ここ』は真撰組の局長の妾宅。現在もそうなのかどうかはビミョウなところだ。囲われていた女は手切れ金つきで暇を出されたが、『もと』と呼んでいいものかどうか。こぢんまりとした瀟洒な屋敷には現在、『もと』真撰組の鬼の副長が。

「まだ具合わりぃんですかィ?」

 住んでいる。囲われているのか匿われているのか、それとも軟禁されているのかは本人も周囲もよく分からない。ただ、屋敷の主人にこの新しい住人を手離す気が無いことだけは確かだ。

「いや。もう元気だぜ」

「ならいいんだけど……」

 あまり信じていない表情で、それでも沖田はばくばくと鍋を食べた。若者の食欲につられてのこる二人も箸を動かし、大きな鍋の中身はスープで作ったシメのおじやとともに、ネギの欠片も残さず三人の腹に収まる。

「あー、食った食った。八時になったら起こしてくだせぇ」

 沖田はまだ眠るつもりらしい。囚われ人の対面から隣に場所を移り、座布団を枕に半纏を羽織って横になる。今度は膝枕ではない。が、背中をぴったり相手に押し付けて、丸くなって眠る様は、まるで懐いている飼い猫。

 そんなタマでないことは重々承知だが、見目が良すぎるせいでどうしてもカワイイ。そっと髪を撫でてやる。と、若者は嬉しそうに、ねぼけながらも、喉の奥で鳴く。

さっさっと片付けを終えた山崎が茶を煎れるのも待たず寝息をたてはじめた。

「伊庭さんが土方さんのことを」

 香りのいい緑茶の茶碗をコトリと目の前に据えながら。

「心配していました。無事なら教えて欲しい、って。どうします?」

「近藤さんに聞いてくれ」

「分かりました。……俺を恨んでる?」

「お前を?なんでだ?」

 コタツの上の菓子盆からオレンジを手に取り剥きながら、黒髪の艶な色男は本気で分からないようだった。

「土方さんのことを拉致したから」

 夜明け前の救急病院で。

「そのまま繋いでるから」

 誰にも知らせず合わせずに、ここに。

「逃げたい、ですか?」

「何所に?」

 剥いた果肉を色男はまず、膝の横に転がる若者の口元に差し出した。寝ぼけながらも口をあけて若者は、節高だが間接のきれいに伸びた指先に吸い付く。いや、そのまま指を暖かな舌でちゅう、っと、舐め続けるから、狸寝入りだったらしい。

「旦那のところ、とかに」

「イテっ」

 色男が短い声を上げ、若者の唇に含まれていた指を引こうとした。許されず歯をたてられて爪が軋む。

「総悟、いた、……おいッ」

「本当は帰りたいんじゃないかなぁ、って」

「ザキ余計なこと言うんじゃねぇ、総悟ッ」

「その時はいつでも言ってください。逃がして差し上げます」

 ぷ、っと、沖田が咥えていた指先を吐き出す。そのままむくりと、山崎を見据えながら起き上がろうとする、のを。

「冗談言うなって山崎。俺はもぉあいつとは何の関係もない、んだ、って……、総悟、落ち着けッ」

 剣呑な雰囲気で起きようとする若者を無理に押さえつける。力ではないちから、両腕の中に若者の頭を抱き込むことでようやく、攻撃に移ろうとする肉食の獣を押さえつけた。

「落ち着け。何所にも行かねぇよ。近藤さんとお前が居ろって言う限りはここに居る。ザキはナンか勘違いしてんだ。誤解してる。俺は、今を嫌がってない」

 抱え込んだ危険な獣に必死に言い聞かせる。

「……ホント?」

「あぁ」

「どーして?」

 頭がいい獣は疑り深い。嫌がっていない理由を知りたがる。

 それは、だって。

「お前と近藤さんがここに居るじゃねぇか」

 昔、故郷で群れから追われた寂しいオス同士、寄り添って巣を作った。擬似のニセモノ、孤独を紛らわすための代用品だったかもしれない。でも愛していた。

「何所にも行かないって」

 優しい声と暖かな掌に宥められ、若者はやっと肩の力を抜く。でも背中からは緊張が抜けない。まだ何かが途中。

「……、旦那とは別れたンですよね」

「あぁ」

「もう未練ないね?」

「ない」

「なんで?」

「……」

「教えて」

「……」

 後ろ髪を撫でられる。

 勘弁しろ、と言われているのだと、聡い若者には分かった。

 言いたくないと告げられて一旦は黙った。が。

 ぐりぐり、抱きしめられた懐に額を押し付ける。ねだる。

 教えて納得させて、安心させて欲しかった。

「佐々木の屋敷に、二回ぐらい来られた」

「へぇ。やるもんですねぇ、山崎でさえナカには入れないって、口惜しがりながら何度か帰ってきましたよ」

「手引きがなきゃムリさ」

「あんたが誘い込んだの?」

「代価がナンだったのかは知らない。攘夷派の情報あたりだろう。佐々木に売られたんだ。買ったあいつも同罪で、もうツラを見たくない」

「ふぅん」

 総悟は暫く懐に懐きながら、その言葉を考えていた、が。

「そんなもんですかねィ。俺だったら、あんたがそういう真似してでも会いにきてくれたら、すっげぇうれしぃけど」

「俺はいやだった」

「勝手な愛情の押し売りだから?今の俺もそうだね」

「お前は別だ。お前と近藤さんと、ザキは」

「どうして別なの」

「特別だから、別だ」

「ふぅん」

 そのへんにナンか隠してるね、と。

 沖田は言わず、代わりにコタツの中で足を蠢かせる。

「ごめんね」

 軽いが頑丈、腐らないチタンの鎖が、足指の先に触れた。

「縛ってごめん。でももーちょっと、させてといて。また居なくなられるの怖いから」

「好きにしろ」

「うん。……一緒に寝て」

 背中に腕をまわされる。横たわれ、という意味らしい。逆らわず二枚目は寝転がり、その懐に若者が顔を突っ込んで懐く。

「何所にも行かないで」

 このままずっと、そばに居て。