蹂躙・2
ちらり、と、警察病院の特等室で、松平片栗虎は、差し出された箱に視線を走らせた。
「トシの首にしちゃ、やけにちぃさいんじゃねぇか」
素っ気ない白木の、掌に載る大きさの、それに。
「オヤっさん」
何が入っているか、なんて分かりきった話。
「すまねぇ」
面変わりするほど憔悴した真撰組局長・近藤勲の。
「詫びの言葉も、思いつかねぇ。すまねぇ」
左手は、白布が巻かれていて。
「三下みてぇな真似をすんじゃねぇよ。火ぃ、持ってるか」
「総監」
警護の制服がたしなめる声を出す。病院内は、当然だが禁煙。
「あぁ、分かった、わかった。分かったからちょっとお前ら、外に出てろ」
うんざりした顔で、松平は警護の侍を追い払った。ぱたん、と扉が閉まるなり枕の下から煙草を取り出して、自分で火をつける。
「窓、あけろ。カーテン引いてからな」
片手の使えない真撰組局長に防弾の窓ガラスを細く開かせ、紫煙を天井へ吹き付ける。後部座席に居たこの総監は全身打撲と右足の脱臼の全治一週間、比較的軽症だ。運転手と護衛は肋骨及び大体骨折の重体。
「トシはなぁ、オレもけっこう、気に入ってたんだぜ。頭がよくて話が分かる。貴重なモク仲間だしな」
世の風潮に逆らう愛煙家。
「喫煙所でこれからは独りぼっちになるオジサンも辛いんだがよ。人生は思いがけない、辛いことばかりだ」
「おやっさん。この不始末で、言えた義理じゃねぇが」
「身柄引き渡しを拒んでるってな」
「オレに、カタをつけさせてくれ。頼む」
「諦めろ」
怪我と薬のせいで煙草がまずいらしい。何度か煙を吸い込んだだけで、松平片栗虎は煙草を指先で挟み、火がついたまま近藤勲に渡した。真撰組局長は受け取って窓辺で揉み消し吸殻をポケットに入れる。昔、何度かそんなことを、した。
「トシのことは諦めろ。佐々木に、渡せ」
治安維持部隊を仕切る切れ者、佐々木四三郎。警視庁内部調査課の責任者も兼任している。やり手だが酷薄で、容疑者に対する仮借ない取調べと疑わしきは罰する連座拘引で、警視庁内でも眉をひそめられることの多い、男。
「なぁ勲。オレもトシが自分から攘夷派を自分の別宅に引き入れて裏切ったとは思ってねぇよ。だが今回の件は特別だ。分かるな?」
松平片栗虎が乗った車には、お忍びの要人が同乗していて。
「おやっさん」
「もう一遍だけ言うぜ。トシを、渡せ」
「あいつはオレの女房みたいなモンだった。もう十年」
「七人ガキこさえてもオンナには気を許すなって言ってあるだろうが」
「佐々木さんのことだ。どうせ調書はもう出来上がってて、後は署名をさせるだけなんだろ?」
参考人の事情聴取をするまでもなく、容疑者とその罪名は決まっている。この事件を攘夷派に対する弾圧の根拠とするべく、支援者もとくは同情的と目される商人や政治家、文化人らのリストがもう、出来上がっているはずだ。
「届けてもらえれば署名させる」
「勲よぉ。お前まさか、トシを庇って一戦するつもりか?真撰組潰すかよ?」
「いや。あいつは二度とお天道様の下を歩かせない」
「当然だな」
「ただ。オレには権利があるんだオヤッサン。トシとトシの間夫を、重ねて四つにする権利が」
「ふん。おめぇらかそんな仲とも思わなかったが」
「……」
真撰組局長は声を出さずに笑った。薄く、ほんの少しだけ。
「させてくれたら、一生恩に着る」
「相手の見当はついてんのかお前」
「はっきり分かってる」
「なんでとっ捕まえねぇ」
「逃げられた。だがこのまんまトシ見捨てれるほど、覚悟の決まったヤローじゃない」
「おびき出すのに身柄が必要、ってワケか。……ふん」
痛む体をベッドの上にゆっくりと伸ばしながら、思案。
「内部調査課の調べは受けさせろ。お前んトコの屯所に出向かせる。それがギリギリだ」
「分かった」
「取調べ終わったらとりあえず拘置しとけ」
真撰組も警察機関である以上、取調べの為の拘置所を敷地内に持っている。悪名高い代用監獄だが、有罪判決が出て刑務所に送る前の未決囚は、そこに身柄を拘束される。
「分かった」
「よし。あぁ、勲よぉ、それ持って行けや」
真撰組局長が差し出した、白木の小箱。
「オジサンは受け取れねぇよ。女房に線香でもあげさせな」
「……」
「言っとくがよ、重ねておいて四つにするだけが権利だぜ」
「あぁ、分かってる」
間男だけ殺して女房を生かすことは認められていない。
「逃がすんじゃねぇぞ」
「あぁ」