蹂躙・3
局長が、一番偉い。だから当然その男が『取り調べ』中は誰も、獄には近づかない。非番の沖田と当直の山崎が幹部用の詰め所で、やる気なさそうにカードを引いていた。他に人影は無く、石油ストーブの上でヤカンがしゅんしゅんと沸いている。
「沖田さ……、副長代行」
「二枚、チェンジだ」
「オレも一枚。どうしますか今年は」
「何を。ツーペア」
「スリーカードです。……年末年始の準備ですよ」
壁のカレンダーは今年がもう残り少ないことを示している。例年ならばむさ苦しい男所帯なりに、大掃除だ餅つきだ門松だおせち料理だ屠蘇だ、と、一応の準備はしていたが。
「めでたく新年迎えられるよーな場合かよ」
真撰組には最近、不名誉なことがあった。そのせいで現在は寒中の警備や深夜の見回りには他の隊より遥かに出番を割り当てられて、キツイ思いをしている。でもそれはまだしもだ。隊務を止められ、何もさせてもらえないよりは、遥かに。
「隊士たちは可哀想だが、今年は自主謹慎だ。門松も飾るな。せめて美味いモン食わせてやれ」
「了解しました。忌中みたいですね」
「似たようなモンだろ」
「えぇ、まぁ」
内部で、不幸なことがあった。
カードをコタツの天板にやる気なく投げ出して、次の勝負をする気もなくぼんやり。申し合わせたように二人で時計を見た。じきに日付が変わろうとする時刻。
「……、終わったか?」
「みたいですね」
宿直室のキーボーックスに鍵が収められる音がした。オートロックの、幹部の指紋照合でしか開かないその箱は廊下の突き当たりにあるが、しんとした夜だから聞こえた。
「沖田副長代行、行かれますか」
「一緒に来るだろ、山崎?」
「オレは、どうしましょうかね。遠慮します」
「一緒に来い。一人じゃ足りねぇ寒さだ」
「……へい」
促され素直に立ち上がる。照合のためのガラス板は冷たく、まだ局長の指の跡が残っていた。重ねるように沖田が指を押し付ける。もう何日も、隊の誰とも口をきかないでいる。
指揮官の孤独は組織の中では当然。それをうまく、補っていくのが副官の役目。それをこなさなければならないのは自分だと、分かっているけれど、今はどうしたらいいのか分からない。大きすぎる嘆きをどう慰めればいいか見当もつかない。自分自身、地獄のような気持ちのただ中に居る。
カードキーを取り出し、拘置エリアへ。数人居た他の未決囚は余所へ引き取ってもらったから、今、そこに居るのは一人だけ。お忍び中の将軍狙撃に『便宜を図った』容疑者。
「……」
常夜灯の点いたそこにのべられているのは、規定どおりの、薄い夜具。隊服のままごろんと、副長代行の若者が転がる。
「明日っから、ゲストおみえになりますよ。近藤さんから聞きましたかィ?」
返事はない。疲れ果てて、動けないで居る。
「外していいですか、沖田代行」
「あぁ」
布団の反対側に膝をついた山崎が、拘束された手鎖を解いた。テロ容疑者には警視庁の内規で拘束が義務づけられているが、独房の中までではない。
「頭から水かけられたり殴られたり、自白剤撃たれてぼろぼろになったりするんですかねィ」
「するんじゃないですか。俺らもやって来ましたから」
「辛いなぁ。他のヤロウにそんなことされんの見るくれぇなら、いま絞め殺して楽にしてやりたいよ」
「沖田さん」
「……しねーよ」
手首に巻かれた鎖が外れて、うっすら黒い瞳が開く。濡れた艶の、それは少しやつれてはいたが、大して濁って居なかった。
「あんたの名札、オレが預かったよ。真撰組じゃなくって田舎の、道場の方のですが」
真撰組副長の、屯所の玄関掛けられた名札はとぉに、縦に割られて幕府に返納されている。
「いつかさ、名札だけでも、帰してあげれるといいけど。ムリかもしれやせんね」
武門に掲げられた名札は、その名の主が門下の一員であるという存在の証明。警察組織も田舎の道場も本質は変わらない。
「ナンか返事しろよ、ヒジカタぁ」
「……近藤さんの」
「へぇ、気がつきましたかぃ。アンタ鼻が利くからね。血の匂いがした?」
「……、か……?」
「他にねぇよ、理由が」
身内から裏切り者を出したケジメをつけるために。
「結婚式は洋式じゃ出来なくなりやしたね」
左手の薬指。
「泣くなよ。泣きたいのこっちなんだから。……、今日はナンにもしねーから寝な。明日から、アンタえぐいことになるよ」
冷たい独房。左右から、二人で挟んで、包み込む。
「内部調査課の課長サンがおんみずからから、乗り込んできやがる。あんたも大物にのし上がったモンだね。佐々木さんじゃ、ナンにも出来ねぇや」
名家出身の実力者。頭もよければ腕もいい、幕閣首脳陣の覚えもめでたい、筋目だったエリート。まだ三十前後の若さだが、次期警視総監の呼び声も高い。
時として強引なやり口が顰蹙を買うことがあっても、公平無私のやり手を正面から非難できる者は居ない。ひがみと受け取られることがせいぜいだから。
その率いる遊撃隊は、浪人たちの寄せ集めである真撰組とは対照的に、幕臣の筋目だったご子息たちで構成されている。旗本御家人は腰抜けと罵られることも多いが、底までさらえば八百万近くも居る。その上澄みを百人、身分が低い蔵米取りでも抱え席でも構わず腕利きを集めればレベルは相当のものになる。
連中は江戸城警護の任につき、市中警備が業務の真撰組と顔をあわせることはあまりない、が。
「悪いお人じゃ、なさそうですけどね」
前もって先触れが、明日の訪問を通達してきたところからして、礼儀正しいとさえ言える。そもそも佐々木四三郎は、松平片栗虎が拾った浪人の集まりに比較的好意的だった。自身は家禄八百石、役料千五百石を受け取る譜代旗本の『お殿様』だが、家格や身分をうるさく言う連中とは一線を画していて。
この幕閣に一種威勢を持つ男が、役に立つならそれで結構、という姿勢で居てくれたから、真撰組も随分と助かっていた。
「弁当も茶菓も持参するから用意するなってさ。賄賂は大嫌いで知られたお人だし、供応も釘さされてさぁ、あんたが虐められんのを、オレ見てるだけしかできねぇよ」
「……さて、どうでしょうね」
「なンだ山崎。なんか手立てあるのか」
「いえ、まさか。ただ佐々木様のお屋敷には、お邪魔したことがありまして」
「あ?」
「その人のお供で」
「……食ったのか?」
「一時、あぁいうの見逃さなかった時期がありやしたからね」
「そーいや好みだったっけな、あぁいうピッとした利け者。そんなのばっかりにしてりゃ良かったのに」
「手加減していただけますかね、少しは」
「さぁ。オレにはあぁいう、エリートさんの考えはわかんねぇよ。あんたどう思う?」
若者の手指がさらさらの黒髪に触れながら尋ねる。
「……さぁな」
眠りかけていた男は苦笑交じりに答えた。
「ホントのこと、包み隠さず、はきはき喋りなよ」
「あぁ。分かってる」
「どんなムチャな調書作られたって署名するんだよ?」
「あぁ」
「いつものへらず口たたくんじゃねぇよ?」
「あぁ。……そう心配、するな総悟」
長いこと縛られていたせいで動きのぎこちない手が、自分の肩を抱く若者の手に重ねられる。
「隊にこれ以上の迷惑はかけねぇ」
「心配してんのはそんなことじゃねぇよ。……、っくしょ……、ナンにもしないツモリだったのに……」
自分の若さを持て余し罵る。黒髪が艶な咎人はごく大人しくしている。簡単に始末をして、そして。
「あんなエリートまでひっかけといてアンタ、なんであんな、ろくでなし気に入ったの」
言ってももう、どうにもならないけれど。
「オレがもちっと早く生まれてたら、近藤さんがあんた拾って来たときにモノにして、こんな目にはあわせなかったのに」
「総悟、あのな」
「口惜しい。……くやしいよ……」
噛み締めた歯の隙間から、血がにじみそうな、告白。