蹂躙・4

 

 

 

 賓客の為に隊の玄関は拭き清められ、埃も落ちていない。黒塗りの公用車に送られてやって来た治安維持部隊の隊長は、その名が知られている割に顔は売れていない。将軍側近として城内に勤務していることが多いから。

 門外から一列に並んだ隊士の出迎えを受け奥へ通るエリートは、最後の局長・近藤勲にだけは声をかけた。

「のちほど」

 それだけの短い言葉。素っ気ないが感じは悪くない。渡り廊下を歩いていく後姿を、隊士たちはそっと見送って。

「わっかいなぁ、まだ。あれで三十五だっけ、六か?」

「お供のハンサム、あれ伊庭八介だろ?俺、前に大寄せ試合で見たことある。神道無念流道場の跡取り息子だ」

「すげー、エリートにはエリートのお供がつくんだなぁ」

「……でもなんでうちに?」

「あれだろ、副長の不始末、だろ」

 一般隊士たちに詳しい事情は知らされていなかった。ただ、警視総監の襲撃事件に前後して、鬼副長の役職が削られ謹慎処分になった、としか。『私行上憚りあり』という発表だけがなされて、オンナでコケたんじゃないか、というのが彼らの、精一杯の想像。仕事には誰にも劣らず熱心な人だから。

「これでなんとか、副長、帰ってきてくれませんかねぇ」

「あんな怖い人でも、居ないと寂しいよな」

 勝手なことを囀りながら、隊士たちは散った。

 

 

 

 

 もう何年も前の話になるが。

『トシ』

 幕府の偉いサンらと、親密になりまくってた時期が。

『まさかと思うがお前、売春しているんじゃないだろうな?』

 あった。一緒に田舎から出てきたボスにそう、心配されるくらい、無茶やっていたことがあった。

『ちげーよ』

 朝帰りの玄関で、式台に立った旧友の疑惑を否定する。まだ真撰組は幕府お預かり、市中警備で人手か足りなくなった時の外注先という程度の立場で、独立した屯所もなければ正式な名称もなかった。

『ならいいが、いい加減にしておけ。目に余るぞ』

 豪商の離れを松平片栗虎の口利きで借りて、当時、隊員は五十人そこそこだっただろう。今と違って幹部用居住区や専用の門は無く、朝帰りすれば全員にもろばれ。のしのし奥へ歩いていくボスの背中を見ながら煙草に火をつけ、ちょっとだけ反省したことを覚えている。

 若かった。そうして江戸が、都会が珍しかった。そこには偉い男たちが沢山居た。田舎では見かけることもない長い肩書きと上等のスーツを纏って。

 そんな男たちが、でも自分を見ると、おやという顔をするのが面白かった。田舎出だというのコンプレックスと二枚目の自惚れが微妙に作用して、いいカンジのに眉を上げられると、反射でつい、笑い返していてた時期が、あった。

 幕閣にコネのあるのをひっかけりゃ色々便利だ、という、打算がまったくなかったとは言わない。けれど売春と評されるほどの真似をした覚えはない。寝床の中で『話』、若しくは『噂』を聞かせてもらったことは何度かあったかもしれないけれど、それくらい。

情事を利害や金銭に換算する癖はなくって、そこが妙に、偉い連中に珍しがられ気に入られ、優しく親切にされたから、連中の印象は総じて悪くない。警視庁の正式な一部隊として採用され、名前が売れていく中で多忙になり、縁はなんとなく薄くなっていったが。

「やぁ、久しぶりだ。わたしを覚えているかね?」

 頷く。セックスそのものは記憶がごっちゃになってどれか分からないが、脱いだら凄くてこいつ只者じゃねぇよ、と、連れ込まれた豪壮だけど人気のない広い屋敷の奥の部屋で思ったことは、よく覚えていた。

 治安維持部隊の隊長代行、という肩書きは知っていた。でも個人的な経歴、少年時代から知られた文武の秀才で幕臣では指折りの剣客、側小姓として仕えた前将軍からは『麒麟児』と呼ばれ愛されていた、とかなんとかは、後で知った。

 優秀なだけのエリートではない。幕府が天人と降伏に等しい和平を為すに際しては反対運動をやり過ぎて投獄、親類縁者の哀訴を以って二ヶ月で出獄、半年に及ぶ閉門謹慎処分、という経歴も持っている。前将軍が死去に当って特にその罪を赦し、次代の将軍から親書をもって再出仕の命を賜り、その恩義に感じて攘夷思想は捨てたが、腹の中にまだ、気概は飼っているヤバイやり手。

 そう、歴々の幕臣の支持が厚い、若手武官筆頭のこの男の前歴にその傷があったから、攘夷取締りの役目が新規召抱えの真撰組にかかってきて、それを突破口に組織の拡大と予算の充実を図った側面があった。

「そうか。わたしも覚えている。さて、仕事を始めるか。昨日届けさせたメモは見ているか?」

 頷く。来訪の前に前もって聞きたいことを通達し、能率的に聴取を進めようという、やり手らしい振る舞いだ。そのメモは走り書きとはいえ自筆で、このエリートのこの件に関する関心の高さを表していた。

「では話してもらおうか。その前に」

 場所は真撰組屯所の取調室ではなく応接室。ふかふかソファから立ち上がって、手錠を掛けられたまま椅子に座った容疑者の背後に回りこんで。

「……ッ」

 容疑者は思わず息を詰める。

「そう怖がるな。絞殺しようというのではない」

 宥めるように前髪を撫でる手付きには、少しの茶目っ気が入っていないでもなかった。

「ウソをつかるのは嫌いでね。これが一番、よく分かる」

 容疑者の座る後ろに立ち、背後から喉に手を廻して、頚動脈に指先で触れる。指は恐ろしくカタイ。

「ではまず、現場の別宅について。何の為に借りた?」

 喉首を、比喩でなく押さえられながら、尋ねる口調は礼儀正しくて、優しい、とさえいえる。

「付き合ってる相手が居ました。そいつと、外で会うのが面倒くさくなってきました。それで」

「ムリに敬語を使わなくていい。君の口調はリズムがあって効率がいいから好きだ。イロと馴染んで、ヤサが欲しくなって、でいい。相手の名前は」

「坂田銀時。本名かどうかは分からない」

「攘夷志士と関連がありそうな気配には?」

「気づいてた。でも大したコトはないと。……昔ちょっとやってた、ってんなら、サムライの殆どがそうだし」

「確かに。私も身に覚えがあるよ」

 幕府が天人に膝を屈するまで、外国を打ち払おうという攘夷運動は『女子供に親切に』というのと同じくらい、侍にとって当たり前の思想。

「そこで逢引を愉しんでいたか。頻度は?」

「俺が行くのは週に二度か三度。夜勤あけの非番と休みの日に。相手は大体、居た」

「勤務シフトを知らせていた訳か。無用心だったな」

「……あぁ」

「シフト表を渡していたのかね?」

「カレンダーの横に張ってた」

「論外だな。無防備にもほどがある。つまりそれは、誰でも見れたということだ。留守宅に入れれば」

「……」

 ちら、っと、容疑者が視線を背後に流す。話の持って行き方が、自分を庇っている方向なのに、敏感に気づいて。

「警備はどうしていた。相手に合鍵を渡していたのか。他に鍵を持っていた者は?監視カメラは設置していたかね?」

「合鍵は渡してた。俺が居ない時にも好きに使わせてた。でも別の奴を連れ込んだことはなかったと思う」

 そこが攘夷派のアジトになっていた、というのは誤解だと、さりげない釈明。そうか、という返事の代わりに、取調べ中の男の指先が頚動脈を撫でる。

 ぞく、っと、そんな場合でもないのに、した。

 そういえば、やたら喉を撫で回す癖のある掌の、記憶が身体にある。これはこの手指だったか。

「あとは、屯所にも出入りしてる清掃業者に、週一で掃除してもらってた。警備の必要は感じてなかった。だからカメラだの警報機だのはつけてねぇ」

「松平公の襲撃前後のシフトは?」

「三日前に分かった。休みの予定になってたから、外回りのついでに寄って、赤文字で書き直した」

「なんと?」

「昼夜間拘束、終了時刻不明、とかだったと思う」

「なるほど」

 調書をさらさら、同行の部下が筆記していく。

「君の別宅が狙撃場所になったことについては、何か考えがあるかね?」

「オヤッサンと上様には申し訳ない。近藤さんと、隊の全員にも」

「攘夷派の紐がついていたとしたら君の情人にだと思うが、それに対しては?」

「庇う気はねぇが多分、あっちもナンか、ハメられたんじゃねえかって思う。ヤツが高杉と繋がってたんなら、こんなんじゃないうまいやり方がいくらでもあった。……俺がまんまと、だまされてんのかもしれねぇが」

「坂田銀時。この写真の男で間違いはないか」

 差し出された写真に何の気なく目を向けた容疑者は、直後に顔をこわばらせた。そこに写っていたのは馴染みの白髪頭。表情を消して、漫画雑誌を持って、雑誌を持つ甲にはマジックで、『ごめん』と大書されていた。

「……、ヤロ……」

 真撰組監察部が総力をあげて行方を捜している、こちらも重要参考人。

「君が分かるかどうかわからないが、その漫画雑誌は週刊で、一昨日、発行されたものだ。本人が持参してうちへ出頭してきた。君の情人はなかなか頭がいい」

 真撰組に身柄を拘束されるより、先に内部調査課へ自首した。

「こいつが、ナンで」

「君がうちに捕らえられていると思ったらしい。仲良しだな」

「真撰組にまだ居ると教えたら、そっちに踏み込めばよかったと残念そうな顔をした。興味深い話も聞いた。信じたくないヤバいネタもあった」

 高杉晋介が宇宙海賊・村雨と手を組んだ件はその最たるもの。

「情報漏えいの経路ははっきりした。君から彼から高杉だ。彼は桂とかかわりが深くて、高杉たちにはつけ狙われているらしい。君と彼との処遇は近藤氏とも話し合って決める。彼からの伝言はそこに写っている通りだが、君から何か、言うコトはあるかね?」

「……ふざけるな、と」

「もう一言が欲しい」

「?」

「彼とは手を切りたまえ。返事は?」