蹂躙・7

 

 

 そっと、そぉっと、指先で軽く頬を、まるで歳若い処女に触れるみたいな、撫で方をされて。

「……」

 なんとなく笑った。目は閉じたままで。

「俺が誰だか分かってる?」

 多分右手の、中指と人差し指で、肉の落ちた頬に触れていた男は少し、キツイ口調で問いかける。

「この世で二番目に」

 長い睫は閉じられたまま開かれない。唇だけがゆっくりと動く。まぶたが青白い。前夜、打たれたクスリに翻弄された肉体は疲労しきっている。朝からずっと、食事も摂らずに眠り続けて、もう日暮れ近い。

「オレに優しいヤツだろう……?」

「一番目ダレですか」

「故郷の、義兄」

「その人から手紙が届いてましたよ、局長に。特別仕立ての速達書留で、昨日の夜遅く」

「……」

 一般隊士の中には同郷の縁者も居る。副長が『私行上の憚り』のために隊から除名され、謹慎処分を受けていることが故郷にも聞こえたのだろう。内容は多分、何があったかの問い合わせと義弟の不始末を詫びる口上と、多分、赦してくれないかという懇願。

「……近藤さんどうしてる」

「今日は机に向ってられます。朝からずっと」

 未決拘留中の容疑者の義兄は、近藤勲の貧乏道場の後援者だった。義理ある相手からの書状に困っている背中が見える気がしてずきんと、胸の奥が痛む。

「目が覚めたなら、メシ食ってください」

「食いたくない」

「テロ容疑者にハンストの自由なんかありませんよ」

「気持ちわりぃんだ。食ったら吐く」

「あんたがクスリやったことないの、ちょっと意外でした」

 遊び人だからてっきり、そっちにも手を出したことの一度や二度、あって当たり前な気がするけれど。

「咳止めでラリれる男だぜ俺は」

「そういやアンタ、風邪引いても薬のみませんね。過敏症?」

「みたいだな」

「酒はそこそこ飲むのにね」

 頬に触れていた指先が喉へ下り、頚動脈をごく軽く押さえる。

「六十八。脈は正常値ですね。そういうことは、早く言って下さい。水のめますか?ダメなら点滴します」

「一口だけくれ。点滴してくれ」

「了解です」

 看護士の資格を持つ山崎は監察の詰め所からリンゲル液と器材をとってきた。仰向けになった容疑者の腕を布団から畳の上に出させ、肘の内側をアルコール綿で拭う。薄い布団の上には隊のコートが掛けられていて、それは幹部用の上等な羅紗だったから、冷え込む座敷牢に留置されている容疑者も凍えて居なかった。

「射します」

 声を掛けてから針先を静脈に沈めた。器用な指はチクリというかすかな痛みだけで、輸液の管と繋がった針を皮膚の内側へ沈める。高い位置につるされたバッグから各種電解質を含む水分が流れ込んでいく。

「沖田は?」

「市内の巡察です。外、雪だっていうのにコートなしで出て行かれましたよ」

「車だろ?」

「まあそうですけどね」

 監察の男の指先が針の周囲を抑える。繊細な指先はそこが少し膨れているのを感じ取って、輸液の速度を落とした。

「俺のコトは聞いてくれないんですか?」

「……ここに居るじゃねぇか」

「そうじゃなくって、どうしていたか、とか」

「俺をヤったって?」

「抱きましたよ」

 点滴をしている左手の、指先を握りながら答える。手を握るというその行為は性的な意味よりも相手を暖めるという目的が強かった。三十五度六分の体液が流れている中へ室温の液体を注ぐのだから当然、体温は下る。血管も細くなる。末端の指先を温めて血の流れを確保しようとしている。

「なら、ナンか言うべきなのはお前の、方だ」

 そこまで喋って辛くなったらしい。目蓋の青白い容疑者は言葉を切って、苦しそうに息を吐いた。

「一生、忘れられないと思います」

「俺は覚えてない」

「甘かった。意外でした。あんたと旦那のことだからもっと、サバサバしたセックスしてると思っていましたよ」

「俺は何を喋った?」

「怖い夢を見たって。どんな夢なのかは話さなかったけど、ぎゅうってしろよ、って口走ってましたよ」

「……お前にか?」

「いいえ。局長に」

「……」

 やつれて色男の、点滴を受けていない右腕が目蓋に当てられて、目を閉じた上からさらに表情を隠した。

「甘えてダッコしろって言ってる、あんたえらく可愛かった。目ぇ開けて笑ってたけど、あれは旦那に笑いかけてたんてすよね。局長が抱きしめて暫くしてから、あんた催促するみたいに腰を擦り付けてた。あんな真似されたら男はたまりませんよ、ホント。俺なら降参です」

「……」

「旦那も案外、あんたにゃ甘かったんですね。あんたオトコに服、脱がしてもらいながら、悠々としてた。帯とかれた後に身動きして袖抜いた肩の色っぽさ、目に焼きついてますよ。旦那にも、よく齧られてたみたいで。最初のとき、あと残ってましたね」

 着流しの緩い着付けでも見えない鎖骨の先端に、かすかに。

「摺りつけあってべたべたになってから、繋がった後であんた、ナンて言ったと思う?局長の膝に乗りながら、いつもみたいにしてくれ、って。局長が分からなくて動かなかったら焦れて、手首掴んで、自分の尻に当てて」

「山崎」

「繋がったマンマで、掌で揉ませた。……前かがみになりそうでしたよ俺は。閨でうるさい女キライなんですが、マジでよがって夢中になってくれるのは、イイね」

「……もういい」

「はい」

 山崎退は素直に口を閉じ、冷えていく指先を絡めて暖め続けていた。そして。

「旦那は、遊撃隊の屯所で客分扱いです」

 しらっとした顔のまま、そんなことを漏らす。

「あんたより待遇は随分いいみたいですよ」

「お前、まさか」

「ほんとにほんとにごめんなさい、って、仰ってました」

「潜った、のか。……ムチャな……」

「さすがに脱走の手助けは出来ませんでした。ザンネンです」

「誰の許可でそんな真似したんだ。発覚したら、隊までヤバくになるぞ」

「ハッパ(ダイナマイト)巻いていきましたよ、ちゃんと」

 見つかった場合は身元を眩ます為に、周囲もろとも爆死するつもりで。本当にヤバイヤマを踏むときはいつも、監察の人間はその程度の覚悟はしている。かさばる産業用ではない、ニトロゲルそのものの松ダイナマイト。威力は円筒形の産業用ダイナマイトの数倍も高く、旧幕府お庭番たちも愛用していた。

「旦那と一緒に逃がしてあげますよ。順番としては、あんたより旦那を先になんとかしないと」

「変なこと考えんな、ザキ」

「愛し合ってたなら恋しいでしょう?」

 いいザマに、顔から腕を外した色男は笑ったが、その手を握る監察の腕利きはごく生真面目。

「江戸じゃもう添い遂げられませんよ。あんたの身柄については佐々木様と局長の間で交渉が始まってる。両方、あんたと旦那は別れさせるの前提にしてる。ピンチですよ」

「俺だってもう切れるつもりだぜ」

「強がっちゃって。俺にそういうのご無用ですよ、土方さん」

 冷たい輸液でも血管に直接、流し込まれる水分と養分の効果は絶大だった。青白かった目蓋の翳りが薄くなっている。

「局長は本当に気づいていなくって、あんたに彼女が出来たんだって思いこんでたけど、俺は知ってましたから。あんたと旦那の仲。でもこんなにラブラブだったとは気づいてませんでしてた。セフレのフリして、俺のことまで、お見事にだましてくれてましたね」

「身柄の交渉って、どうなったのか、お前知ってるか」

「いえ。ちょうど、留守にしていたので」

 隊長の佐々木四三郎が真撰組の屯所を訪れた留守を狙って、遊撃隊の屯所へ侵入ていた。

「俺は、もう」

「命まではとらないみたいですよ。局長の指一本、落ちた甲斐がありました」

「ここには、居られなくなるんだろうな」

「今も本当は居ないことになってますからね。名札、幕府に返納しちまったし」

「お前ともさよならだな、山崎」

「しませんよ、そんなの」

 悠々と、腕のきく男は笑った。覚悟の決まった顔。

「あんたを旦那と一緒に逃がしてあげる。遠くで仲良く暮らしなよ。俺は恩人だから、何年かに一回、尋ねてってもいいでしょう?」

「山崎」

「あんたのことを俺が愛してるのはよくご存知ですね。旦那にも義理が出来たんで、あんたらの為なら隊も裏切ります」

「聞き捨てならねぇぞオイ。……の前に、義理って、なんだ」

「話していいですか?あんた抱いた話になっちまうけど」

「……はなせ」