序章・揉め事の始まり
鬼副長の呼び名を冠された真撰組のサブは、同時に顔がいいことでも知られている。もっともその、魅力は見た目だけではない。
顔立ちは整っているし背は高い。手足が長くて、肌の肌理は男には惜しいほど。
けれどその二枚目の一番の魅力は外形ではない。形ではなく、もっと奥から滲み出してくる、なんともいえない色艶の根源は、うごき。
手足の動きであり、肩の動きであり、指先の動きであり、視線の動きでもある。しなやかで鋭く、存在感はあるのにどこかふわりとしてもいる。クールで知性派、なのに情熱的という、相反する要素が絶妙のバランスで、ひとつの中に纏まっているからこその、魅惑。
煙草を吸っていても書類を読んでいても巡察という名の散歩をしていても卑怯なほど格好いい二枚目は、金曜日の歌舞伎町で、パトカーの助手席からぼんやり、歩道を眺めていても雰囲気があって、赤信号で停車中、ちらりとそちらを見た山崎を愉しませる。
「……なんだぁ?」
色のついた視線を感じた副長が疑問の声を上げて。
「最近、何か、お悩みのように見えますが」
あなたの美貌に見惚れていました、とは、頭のいい監察は口にしない。
「なにかオレに出来ることはありませんか?」
「……」
悩んでいない、という嘘は、頭のいい副長も口にしなくて。
「プライベートだ」
「いいですよ、それでも使っていただいて。とうぞ」
あなたを好きです、と顔に書いた若い男にあっさり答えられ、二枚目は少し、何かを考えた。
「こういう『業界』じゃ幹部の私生活は仕事に直結しますから、そっちをおさめるのも監察の仕事の一環ですし」
そんな風に言われて副長は嫌な顔をする。自身を含む幹部の私用にこの腕利きを便利使いする都度、口にしてきた屁理屈を投げ返されては否定も出来はしない。
「てめぇ、ザキ」
「はい」
「分かってて聞いてやがるだろ」
「……うふふ」
ナニがうふふだ、と、二枚目の副長は苦い表情。隣でハンドルを握る真撰組監察部の責任者・山崎退は、外見の柔和さとは裏腹に、なかなか食えない、したたかぁーなところがある。
「まぁなんとなく」
分かっています、と、上司の指摘を認める。
「だったら黙ってろ」
「だって気になるから」
「なにが、だってだ」
「どうしたいのか教えてくだされば然るべく処理しますよ?」
さりげなく、けれども自信満々に、山崎は言った。
「オレの生家のことはご存知でしょう?」
大阪の大きな妓楼の三男で、そっち方面の業界の習慣には詳しい。歌舞伎町のスジ者たちにも一目置かれているほどに。
「オレは土方さんのことを好きだから」
「言ってろ」
「私生活でも、タダでこき使われて差し上げます。どうぞ?」
望みを言えと促す、若い悪魔の誘惑に。
「助けてもらう、ほどのことでもねぇ」
二枚目の副長は乗らない。けれど好意の返礼に、きちんと自分の状態を伝えた。
「悩んでるって訳でもなくってな」
「嘘ばっかり」
「ただ、軽く自己嫌悪中だ。かるーく」
「男が二度くりかえす言葉は嘘です」
「……」
きめつけられて、二枚目の副長は微苦笑。
確かに、それは嘘だった。苦悩しているのでなく自己嫌悪中なのは本当だが、かなり深々、どっぶりと憂鬱の中に漬かっている。
「まあ、そう、仰るんでしたら、手出ししませんけど」
「おぅ。そうしとけ。オマエが思ってるよーなことじゃねぇ」
「オレがナニを思っているかご存知なんですか?」
従順なだけの部下でない維持を見せて、山崎が言う。
「……」
二枚目は黙り込んでしまう。誤解をされているのではなさそうなことに気づいて。どうやら、バレて、悟られているらしい、と。
ここ数日の憂鬱の原因を。
「別に、だから、どうこうは思っていませんよ」
「……」
「成人男子ですからね」
色々あります、あって当然です、という口調で山崎は物分りのいいことを言う、内容と声音は柔和だが指摘は鋭くて、二枚目の副長は、色々と悟った。
最初から分かっていたらしい、ということ。それを今頃言い出したのは、自分の憂鬱というか落ち込みが黙って見ていられないレベルになったからだろう、ということ。部下に気配りをさせてしまった情けなさと、そして。
いい加減、カタをつけるべきかという、覚悟というより、妙な開き直り。
「何かあったら、いつでもどうぞ」
上司思いの部下はそんな風に矛先を納めて。
「おー」
二枚目の副長は、短く礼を言った。
数日前。
真撰組の二枚目副長は、休日の夕食を馴染みの店で、とった。
歌舞伎町に通いつけの店がある、という程度では、何の醜聞にもならない。たとえ職業が警察官であっても。そもそも警察組織の頂点に立つ松平片栗虎が粋人の遊び人で歌舞伎町には足繁く出入りして浮名を流している。
その派手な遊びぷりと比べれば、真撰組副長は地味なものである。局長である近藤勲と比べても実に大人しい。部下を大勢引き連れての豪遊や大騒ぎは、しない。
そもそも『店』が、そんな遊びには向かない。流行のキャバクラでも古風なスナックでもなく、繁華な通りから二筋ほど町家に入り込んだ場所に位置する料亭。高い練塀に隔てられ建物は屋根の端しか見えないが、伝統的な数寄屋造りと庭が広いことはそのたたずまいからなんとなく伝わる。日が落ちれば黒塗りの高級車が門扉に吸い込まれ、裏口には芸妓を乗せた人力車が出入りする。歌舞伎町の古い路地には車の入れない細い道が多くて、速度が出て小回りのきく人力車は今でも実用的な乗り物。
その料亭に、真撰組副長は私服の着流しで出入りする。非番や休みの日に、一応は表から入るけれどまだ客の来ない早い時刻か、客が送り出された遅い時刻かに。
そうして出て行く時は裏から。そういう行動はつまり、その料亭の女将の、ヒモではないがワケアリ、ということを連想させる。本人たちは何も言わないけれど、昔の馴染みなんだろうなと、時々その料亭へ朝、裏口へ迎えに行くことのある腹心の山崎は思っている。いかにも江戸前らしい洗練された女将だが、一皮剥けば地方出身者、というのが花のお江戸のお約束である。女の前身を考察するのは野暮だけれど、女将が府中か八王子あたりの遊郭の出身かもしれない。江戸郊外の盛り場に勤めていた女が、器量の良さを見込まれて引き抜かれ吉原や歌舞伎町に移る、というのは、実にありがちなことだ。
今では江戸でも知られた強面の二枚目・真撰組の副長も、かつては多摩の石田村の豪農のドラ息子だった。まだ江戸へ出てくる以前、実家の部屋住み時代の『知り合い』というのはいかにもありそうなこと。
ともあれ、二枚目の副長は月に二・三度、その料亭に出かけていく。大抵は料亭に客の少ない火曜日か水曜日。部下を大勢連れて騒ぎはしないけれど、実家の親戚や仕事上の付き合いのある人間をほんの数人、伴うことはないでもない。
数日前のように。
とある要人に関する調査で、表立って真撰組が動けない案件があった。真撰組の職務は攘夷志士の取締りを主目的とした市中見回り、つまりは治安維持であって、幕臣身分を有する者に対しての捜査権限はない。けれどもその『幕臣』が攘夷志士たちと通じているという疑惑があれば、看過しておくことは出来なくて。
組織と直接の関わりがない万事屋に調査は依頼された。結果はシロ、ただし別件の密貿易の証拠を報告され、さすがにやると、二枚目は感嘆した。
約束の報酬にイロをつけ、更に夕食をたかられ馴染みの料亭へ連れて行ったのは人目を忍ぶという意味もないではない。が、それよりも少しは美味いものを食わせてやるかという好意がやや勝っていた。出迎えて小座敷に通してくれた女将を褒められ、料理をばくばくと食べられていい気分だった。
いい気分のまま杯を重ね。同じくかなり酔っ払った万事屋に、ここは泊まれるのかと尋ねられ好きにしろと答えた。今は料亭での宴会が営業の主体になっているがもとは割烹旅館で、二枚目の地元の代議士が東京に出てきた時には一週間から十日の長期滞在をする定宿でもある。
いいぜと二枚目は鷹揚に答えた。泊まっていけよと勧めた内心では、自分も久しぶりに『お泊り』しようかなと、そんなことを考えていた。水曜日で、料亭の客は他に会合の客が二組だけ。女将が私室に引き揚げてくるのも早いだろう、と。
そんなことを思いながら女中を呼んで、隣室に床をとってもらった自分の態度が万事屋を誤解させたのかもしれないと、二枚目はぼんやりと思う。確かに期待をさせて当然のシュチエーションだった。そっちの経験もないではなかったのに、酔った二枚目は、少しぼんやりとしていた。
ふんわりとした客用の布団に押し倒されてもまだ、おい一人で寝ろよとか、そんな暢気なことを言っていた気がする。男の手が着流しの襟元からすっと差し入れられて、素肌をまさぐられてその意図に気づくまで。
気づいてからは、さすがに抵抗した。ヤメロとも言ったし逃れようともした。けれど姿勢が、既に組み敷かれた後で、もう、どう仕様もなかった。意外なほど手馴れた的確なやり方で、脱がされて拡げられてヤられた。
「……」
そのセックス自体のことも、思い出せば薄く自己嫌悪。いろんな意味で、自分はチョロ過ぎた。うつかり押し倒されてあっさり犯された。もーちょっとナンとかならなかったのかよと我ながら思うほど。酔っていた、というのは言い訳にもならない。
けれどもまぁ、そこまでならば、まぁ。
世間によくある『失敗』の一つ。夜の繁華街には信号ごとに転がっている出来事。酔い紛れにつまらない女に手をつけ、さめた後で結婚を迫られるよりはマシ。自分が『被害者』の立場だから、どうこうする権利が自分にあるだけマシだ。
どう、するか。
いっそ何もしない、か。
決めなければならないことを、二枚目は先延ばししていた。考えたくなかったから。意識がソレを拒否する理由は苦いヒトコトが耳に蘇ってくるから。
ぐちゃぐちゃにされて夢中で、男の肩に腕を廻してすがりつき、快楽を貪っている最中に囁かれた、言葉が。
『……タノシイ?』
尋ねられて答えなかったのはそれどころではなかったから。
『なぁ。ノライヌに、エサ、やんのは、オモシロイ?』
生々しいほど明瞭に、あの男の声が耳元で聞こえる。
「……」
そんなつもりではなかった。自分の馴染みの女将を自慢したい気持ちはないでもなかったかもしれないが、それも無邪気なものだった。でも無邪気さはヒトを傷つけるということを、聡明な二枚目はよくよく知っていた。
「……」
そんなつもりでは、なかった。