金曜日、夜の十時。歌舞伎町が一番賑やかになる時刻。

「きょうはまた、ヒトが多いですねぇ」

事件が起こりがちな夜の巡回は連絡がくればすぐ駆けつけられるパトカーで回ることが多い。

「そうだな」

腹心の山崎にハンドルを握らせて、赤信号の手前から横断歩道を行き来する酔客を眺めながら、真撰組の副長は、ややいい気分で居た。しばらく気になっていた案件を処理することが出来たから。あの男のあんな態度はやや意外だったけれど、さほどグズられもたかられもせずに事態が収まって良かったと、その時までは思っていた。

「土方さん、明日はお休みでしょう。何か予定はありますか?」

 山崎にそう尋ねられ、別にと二枚目は答えた。仕事が生活と重なっている日常を過ごしているから休みといっても特にすることはない。

「浅草の参道横のホテルって温泉があるそうで、平日の昼間は立ち寄り湯が出来るらしいですよ」

「ほぉ」

「一緒に行ってみませんか?」

「温泉か。悪くねぇな」

 風呂好きの二枚目は表情を緩める。その横で山崎もにこにことしている。さぁもう一押しだ、と、山崎が口を開きかけたタイミングで信号が青に変わる。さらに間の悪いことに、その懐では携帯がピピピと可憐な呼び出し音をたてた。

「ちょっと、失礼します」

 縦列注射の隙間へパトカーを割り込ませて山崎は携帯を取り出す。はいもしもし、と、通話ボタンを押したとたん、この男にしては珍しいほど露骨に表情を曇らせた。

「え?キャバクラの払いが出来なくなった?いったいどういうことですか、旦那?」

 真撰組の若手幹部から旦那と呼ばれている男は一人しか居ない。

「いや、そう言われましても、オレも勤務中でして。え、犯罪に巻き込まれた?道を聞かれた男に連れ込まれて逃げられた?ああ、そういう詐欺が、近頃は流行ってるらしいですね」

 ウチの組にも被害者が出ました、とは、山崎は言わない。ちらり、助手席の上司の意向を伺う。

「行くぞ」

 二枚目の副長は仕事熱心だった。白髪頭の万事屋に会いたくない私情より職務を優先した。最近の歌舞伎町にはその詐欺が横行している。田舎紳士の服装と物腰で困り果てた様子で通行人に声を掛け、親切にしてもらったお礼がしたいからと飲み屋に誘って豪遊して途中でドロン、というのがお決まりのパターン。

 連れ込まれた店はバラバラで、そっちとつるんだ悪質なキャッチという訳では無さそうだった。見せ側が被害者を疑って申し立てを素直に信じない生で発覚から通報までに時間がかかることが多く、今のところ手がかりはひとつもない。

 あの白髪頭が被害にあったのなら、それを手掛かりに捜査が出来る。いっそヤツを使って探索してもいいと、腕利きの二枚目は考えたのだった。

「分かりました。今から行きます。お店のヒトに、電話を代わってもらえますか?」

 真撰組の山崎退は地味な男だが監察という立場上、歌舞伎町の街はよく巡回している。只者でないしたたかさを、嗅覚のいい玄人には気づかれる時もある。お店のヒト、と言っても、電話口に出たのは飲食費の取り立てもする地回りらしい。山崎の挨拶に、これはこれはと言っているのが聞こえた。

「ご迷惑おかけして申し訳ありません。その人、オレの個人的な知り合いです。今から立替に行きますから、あまり酷いことはしないでおいて下さい」

 丁寧な物言いがかえって曲者で、うそ寒くさえある。電話を切ってギアを入れなおす山崎の隣で黒髪の二枚目は、ほんの少しの憂鬱を抱えつつ仕事モードだった。

 

 

 

 

 万事屋と真撰組の関わりは出入り業者の一つ。納入されるモノが食品や事務用品ではなく、調査依頼の報告書というだけ。今回は被害届を出させて、そのまま捜査協力をさせるつもりだった。一度きりの間違いは水に流してなかったことにして、いままでも同じように腕のいい外注業者として。

「はい」

 そんな風に、都合よく使える相手ではなかったことを、二枚目の副長は思い知る。山崎に迎えに行かせ、飲食代を支払わせて解放された万事屋を裏路地に停めたパトカーの中に座らせて話をしうとする、機先を制されて。

「こーゆーの表に出ると、オマエ困るンだろ?」

 真撰組の副長は切れ者だが意外と正直だ。顔色を真っ青に変えた。写っていたのは局長・近藤の酔った姿。それだけならいいが、一緒に写っているのは、過激派テロリストとして指名手配中の、高杉晋助。

「本人じゃないと思うよ」

 二枚目の衝撃があまりにも激しかったから、白髪頭の万事屋はそんな危険な言葉を添えた。本物の高杉をよく知っている。アイツはもっと華奢で線が細い。首の細さも、何もかもが違う。

「変装だよ。どうも、それが得意みたい。銀さんもさぁ、声、かけたのは、なーんかおかしかったからだし」

「……忍びの者か?」

「分かんないけど、忍者って、江戸じゃ珍しくないよねー。コッチをナメてくれてたせいで懐狙えたけど、そうじゃなきゃ店を出てから殴り倒すしかなかったねー」

 そう、珍しくない。江戸幕府の開祖・徳川家康は積極的に伊賀・甲賀の忍者を採用して、その束ね役を士分として召抱えた。現状で『忍者』の殆どは徳川幕府との関わりがあると言ってもいい。それが真撰組の局長を陥れようとして動いたとすると、事態は深刻。

「それ、あげる。代わりにジミー君が払ったお金、真撰組の経費でおとしておいてよ」

 万事屋のたかりは労わりだった。衝撃に口もきけなくなっている二枚目の気持ちをほぐしてやろうとした。何の効果もなかったけれど。

「まぁ、うるさいこと言う奴っていうのは、煙たがられるモンだけどねぇー」

 真撰組はアウトローの集団、ヤクザ警官と呼ばれることも多い。けれども意外と士気は高くて職務には忠実。対テロリスト特殊部隊、治安維持を以って使命とする自意識のもとで、時として幕府の上層部や天人支配にさえ喧嘩を仕掛けてきた。

「これだけ」

「ん?」

「だったのか、写真は?」

「ツラ、真っ青にしてるくせに、言うじゃん」

 衝撃の強さとは別に頭脳が冴えていることを、ろくでなしの万事屋は賞賛した。

「あったよ、他にも」

「寄越せ」

「えー。やだー」

「いいから、寄越せ」

「だぁめー」

 心の中で黒髪の二枚目はチッと舌打ち。世間に向かって斜に構えたこの男には頑固で強情なところがある。だめだと口にした以上、その意思を翻す可能性は少ない。

「じゃあ見せろ」

「んー」

 少し、男は考えて。

「遊びに来てくれたら見せてあげる。明日おいでよ。お茶菓子用意しとくから」

 にこにこ、嬉しそうにそんなことを言われて。

「今日だ」

 真撰組の二枚目副長は強い口調で答えた。

「えー。今、お部屋が散らかってるしぃー」

「今から、行くぞ」

「待ってぇ、ココロの準備がまだなのよぉー」

「余所でもいぜ、オレは」

 と、言った二枚目は、深いことを考えては居なかった。万事屋のヤサへ連れ込まれてもいいとか、そこで好きなようにされてもいいとか、いっそ今から余所でとか、考えていたわけではない。ただ他の写真を見たかった。

「……」

 なのに白髪頭の万事屋に、ひどく傷ついた顔をされて。

「なんだ?」

 あんまり露骨な悲しみを見せられたから、無視も出来なくて尋ねる。

「あげる」

 片方の肩を外した着物の袂から封筒を取り出して、渡す。

「じゃあね」

 そのままパトカーから降りようとするけれどドアにはロックが掛かっていて開かない。

「おい、待て」

「おやすみ。あけて」

「まだ寝ねぇ。って、ナンだそりゃ、おいっ!」

 ガチャガチャ、ドアを開けようとする万事屋の肩を掴んで、二枚目は無理に振り向かせた。狭い車内だ。かなり接近する。間近で眺める万事屋は見たことのない顔をしていた。いつでも飄々、憎らしいほど掴みどころのない奴なのに、かなり露骨に傷ついた、泣きそうにさえ見える表情で俯いている。

「なに考えてんだ、てめぇ」

 責めるというより訳が分からなくて詰問。見たいなら遊びにおいでとさっきまでニコニコしていたくせに、突然こんなに変貌されて、訳が分からない。

「……」

 男は答えないままで顔を上げる。目の下が青く翳って人相が変わってしまっている。

「なんだ、どうした?」

 凶相に怯むタイプでもない二枚目は落ち着いて理由を尋ねた。

「モトカレ?」

「は?」

「ゴリが、モトカレ?」

「……お?」

 眉をしかめた二枚目はしらばっくれた訳ではない。本当に意味が分からなかった。

 ガチャ、と、パトカーのドアロックがおりて。

「おやすみ」

 言い捨て、万事屋は外へ出る。追いかける間もなく路地を曲がり、金曜日の繁華な雑踏へ消えるのを二枚目は呆然と眺めた。

「……おい、ザキ」

 正気になって最初にしたのはドアロックを解除した腹心を責めること。

「すみません。手が当たりました」

 白々しい嘘をしらっと口にする、監察の腕利きは悪党。

「土方さん」

「なんだ」

「ダンナに、あまり深入りしないで下さい」

 その悪党が、こんなにはっきりとした口をきくことは珍しい。

「ダンナは怖いヒトです。酷い目にあうと思います」

 そんなこたぁテメエに関係ないだろう、と。

 二枚目の副長は言わなかった。この切れ者の下心を、自分に対する好意を承知でプライベートまでこき使っている。山崎退には発言権がある。

「あなたが酷い事になるのは見たくないです。……出します」

 車のエンジンが掛けられて、すーっと路地から車体は動き出す。大通りを行き来する週末の酔客はパトカーの出現など気にもとめずに、浮かれた様子でネオンの街を歩いていく。

 その人波をフロントガラスごしに眺めながら。

「……」

 怖い、ひと。

 という言葉の意味をぼんやり、二枚目は考えていた。