モトカレ、という言葉には、軽い親しみと淡白な優しさがある。あるような、気がする。

 別れたけれどドロドロの修羅場の結果ではなくて自然消滅というか性格の不一致で、好きなんだけどなんとなく合わなくなって別れたという風な、穏やかな別離だったことを連想させる。

「ちょ……、おま……、おいっ!」

 泊まり番あけで疲れ果て布団に潜り込んだ寝入りばな、身動きの鈍いところを狙って来た相手を、二枚目の副長は、そんな風には呼べない。

「ヤメ、ろ。出てけ……、っ、おいっ!テメェ、夜勤だろッ!」

 カラダを知り合った相手には違いないけれど。

「ふざけん、な……、総悟……ッ」

 寝巻きのあわせから腕を差し入れようとする侵入者を阻みつつ、布団から這い出そうと二枚目は暴れた。が。

「ザキと、寝たろ」

 噛みそうな近さで耳元でそう囁かれ、ぴたりと動きを止める。止めた後でしまったと思った。これではイエスと答えたに等しい。馬鹿正直に事実を認めてしまった。

 じっと自分を見つめるガキの視線を暗闇の中で感じる。寝起きの自分にはぼんやりとした顔の輪郭しか分からないが、夜目の利く沖田総悟には自分の表情が見えているのかもしれないと、思ったとたんに、奇妙な覚悟が決まった。

「山崎じゃねぇ」

 バレる嘘ならつかない方がマシだ。それならもう堂々と、事実を伝えた方がいい。

「じゃ、ダレ?」

「言えねぇ」

「庇う、ツモリ?」

 尋ねながら沖田がうっすらと笑うのが二枚目にも分かった。肉食獣のように冷酷に。自惚れンなよバーカ、という生意気な雰囲気で。けれど素肌に触れている指先は冷えて、どうやらショックを受けてもいるらしい。その内心が一様でないことを聡明な二枚目に悟らせる。

「酔い紛れの事故だったからな」

「だった、からなに」

「吹聴すんのは、アッチに迷惑だ」

 二枚目は落ち着いて答える。独身男にはありがちな間違い、うっかり、悪ふざけ。武士は合い身互いという習慣に則れば、喋れないぜという二枚目の主張も尤もだった。

「万事屋のダンナだろ」

 けれどあっさり、看破されてしまう。

「あんた前からダンナのこと気にしてたし」

 このガキめ、カマかけやがった、と、二枚目はそこで気がつく。山崎とセックスをしただろうと最初に決めつめたのはブラフだったのかもしれない。

「答えられねぇな」

あっさりカマにかかった自分が腹立たしい。真撰組の土方十四朗は頭脳明晰な切れ者として知られているが『身内』に対する警戒感は低くて『うっかり』したところがあった。

生意気になったものだと目の前のガキは忌々しい。けれど同時にその成長を喜ぶキモチも、確かに胸の中にある。一本木といえば聞こえはいいが、他人の心の微妙なあやを理解しない性質がこのガキにはあって、そりせいで同世代のガキの仲間には入れなかった。ちゃんと大人になれるのかなと、近藤勲と心配したこともあった。

「なに笑ってンでぇ」

 そんなオマエが、ちゃんとしたたかな駆け引きを出来るようになったのが目出度くてな、と。

「たかがそんな用件で、夜這いかけてきやがったのか、テメェ」

 二枚目は言わない。素直ではないから。でも本当は成長が嬉しくてたまらなくて、暗闇に紛れて微笑む目じりがひどく優しくて、押し倒したオスを息苦しくさせる。

「約束を、勝手に破られンのは、酔い紛れでも事故でも腹が立つンでさぁ」

 それが怒りの言い訳になると思っているのならまだまだだなと、二枚目は思った。上手な嘘のつき方はいつかまた、教えてやらなければならない。

「抵抗もーオワリ?つまんねーヨ」

 笑った勢いで腹をくくってそのまま大人しくしていたら、ガキにせせら笑われながら問われる。今度は指先だけでなく語尾も掠れて、動揺は分かりやすかった。

「約束してたな、そういえば」

 二枚目はますます落ち着いてしまう。

「うっかりしてた。悪かった」

「忘れて、たの?」

「思い出さなかった」

「忘れてたってことじゃん」

「それとコレは違うだろ」

 ふわりとまた笑って、そんな手抜きで肉食獣を宥めようとした、報復は。

「てめ……、総悟ッ」

 がぶりと噛み付かれる。耳もと近くのうなじに。髪の毛でも制服の襟でも隠れない場所を狙って。

「おい、ま……、オマ……ッ」

 本気で焦った二枚目がどん、と背中を叩いても顎の力は緩められない。歯並びのいい歯列にがっちりと筋を咥えられて、下手に暴れれば皮膚が裂けてしまう。ぎり、っと、力が、また篭められる。痛い。

「……、っ、てぇ、よ……」

 十数秒も持たずに二枚目は音を上げた。意地っ張りで強情なくせに寝床の中ではすぐに鳴き声をあげる。それが演技なのか本当に弱くなるのか、若い男にはよく分からなかった。分からないままで別れた。

「ハナセ……、いてぇ。オレが悪かった、から。なぁ」

 あんまりあっさりだったから本気とはどうしても思えずに、口先だけでいなされようとしているのだと思うと余計に腹が立った。

「マジ……、っ、て、ぇ……。やめてくれ」

 肩に置かれていた二枚目の手が、ぱたんとシーツに落ちて音をたてる。全面降伏、無抵抗という姿勢。

「……ごめん」

 そんな態度で謝られるとそれ以上、痛めつけることで出来なくなる。食い殺したいくらい憎くてもこれは味方で仲間。本当に痛めつけることは出来ない。

「……、っ、てぇ……」

 そっと、ゆっくり、若い男は顎から力を抜いた。殆ど悲しみを感じながら。歯を外した跡を下で舐めると歯形にそって、ほんの少しだけ塩辛い地の味。強い圧迫を受けていた場所が解放され、擦れた場所から体液が滲み出したらしい。

「吸う、なよ……、バカヤロウ……」

 熱心に舐めていたらそんな風に言われる。痛いのもあるだろうが痕が残るのを怖がられている。どうせ包帯でしょうがと心の中で思いつつ、若い男は、上着を脱いで部屋の隅に投げた。

「アンタが嘘つく、からですぜ」

「……ついてねぇ」

「またウソ?」

「ウソじゃねぇ。忘れたんじゃなくて思い出さなかったんだ」

 二枚目は抵抗の様子を見せない。興奮したオスの怖さを思い知らされてじっと大人しくしている。帯を解かれて素肌に引き剥かれ、シャツを着たままの相手に抱きしめられても文句を言わなかった。

「オマエが覚えてたとは思わなかった……」

 どうやらそれが本音だったらしい。

「覚えてますぜ。ってーかね、オレはね、アンタがまだ、最後のマンマだし」

「はぁ?」

 短い声で二枚目は、なに寝言いってんだと抗議。付き合いや招待で色町へ繰り出し、敵娼と尋常に個室へ引き揚げることは何度もある。

「女ってのはバカでねぇ。ごめんな、とかって謝って、八幡様に誓いをたててるんだとか言ったら、飲んで喋って適当に、話をあわせてくれるんでさぁー」

 若い剣士や職人が、宿願達成の為に童貞の誓いをたてるのはよくあること。そうして若い客には優しくて床裁きに長けた年増が配されることが多い。まだ十代の沖田総悟が女に恥をかかせないよう個室に引き揚げた後でそう言って頭を下げれば、怒り出す女は居なかった。

「……オレのせいか、それは」

 二枚目がそっと尋ねる。女を嫌悪するようになったのは自分のせいなのか、と。怖そうな様子に若い男は安心する。心配されているのを感じて。

「さぁねぇ」

 そうだと言ってやるよりも曖昧に誤魔化した方が効果が高いことを知っている沖田は、目の前の喉へ顔を寄せながら目を閉じる。懐かしい匂いにうっとり。嬉しそうな様子は隠しようがなくて二枚目を戦慄させる。

「そ、うご……」

 膝を割られたことさえどうでもよさそうな、悲しそうな声で何かを、話そうとした二枚目に。

「まだ好きですとか、言われたい?」

 黙れよと、若い男は、ひどく優しく言った。