序幕・馴れ初めの頃

 

 

 もう一言で、こいつマジに、怒る。

「オマエなぁ、いい加減にしてろよオイっ」

 分かってンのに言わずにおれなかった。心のモヤモヤが気持ち悪くって憂鬱な気分をさっきから持てあましてた。モヤモヤしてる原因を正視すりゃろくでもないい事は分かってたが、それこそいい加減、向き合わなきゃならねぇってことは自覚してた。

「怒るの分かってわざとやってっだろ。喧嘩売られてもこっちが買えねーの知ってて調子に乗ってんじゃねーぞチクショウ。陰険に絡みやがって、文句あんならまっすぐ言えよッ」

 文句というか、まぁ、言いたいってぇか、聞きたいことはある。

「ナン、だよ。……訊けよ」

 布団の中、裸のまんま寝付けない気晴らしに天パをぐしゃぐしゃにしてた。眠ろうか帰ろうか考えるのも決めるのも面倒で、煙草とって来いとか水取って来いとかって絡んでたオレが正面から向き直ると、男はいきなり、語尾が弱くなる。

 なんでだ?

 俺がこんだけ性質悪く絡んでンのに、オマエどーして、喧嘩買わねーんだ?

「そりゃあ……、買えねぇ、だろ……」

 じっと眺める俺の視線から目をそらし、男は頭を掻く。ぐちゃぐちゃになった天パの癖毛はさらに救いようがなくなる。

「こっちは無茶苦茶、立場よぇーんだ。対等じゃねぇ。それぐらい分かってる」

 そうだな。ナンかてめぇは俺にらしくなく丁寧で、それが違和感アリアリで気持ち悪くなる。

酔っ払った俺を、酔い紛れで手篭めにしちまったのを、まだ気にしてンのか。

「気に、ってーか、そりゃ忘れちゃダメだろヒトとしてよ……。オトコの風上にもおけない卑怯な真似をイタシマシタとも」

 イタされたな。突然の悪夢だった。初めてじゃなかったがずいぶん久しぶりで、そういう遊びはとっくに卒業してたつもりが簡単に転がされて、途中で怖くなって止めてくれって、マジで頼んだのに何もかも全部、一通り以上のことをキッチリ最後までヤりやがった。

「オスにマテの機能はついてねーよ。あぁもー分かった、ワカリマシタ。買ってくりゃいーんだろブルマン。コンビニのドリップオンでいいな?」

 冷蔵庫には俺が好きな缶コーヒーが入ってる。けど缶じゃないレギュラーが飲みたくて絡んでた。

吸わない煙草を引き出しに用意して飲まない無糖のコーヒーを買い込んで、ちゃんと『気遣い』されているのは分かってる。

「んっとにオタク、お坊ちゃんだねぇ。ヤニだけじゃなくてコーヒーにもウルサイんだから……」

まぁな、でも、いい。

「んー?」

買いに行かなくていい。

「ンだよ、じゃーナニがいーの」

 ナンにもいらねーよ。

「嘘つきやがれ。オマエがホントはコーヒー飲みたいんじゃなくって、オレをパシらせたいだけだってことぐらい、オレだって分かってンだ」

 そうだな。見通されてることぐらいは俺だって知ってる。それはいいんだ、大したことじゃねぇ。てめぇに見通されてるのは知ったこっちゃねぇが、問題は俺の動機。

 ナンでこんなに、てめぇに絡みたいのか、を。

「思い出すと腹が立つからなんじゃありませんかー?復讐してぇンだろ。あーいいよ、しろよ、する権利がある、ありますよオタクには。……怒鳴って悪かった」

 腹が立ってンなら、こんなにモヤモヤしてねぇ。

「お気に召さねぇんだろオレが」

 てめぇそれ本気で言ってンのか?

「カラダだけ気に入ったって言ったのはオタクだろ」

 拗ねるな、気持ち悪ぃから。

「なに、その顔。まさか、忘れた?」

いや。確かに言った。覚えてる。

二度目に寝たとき、自分から誘っといて俺が応じたらオマエ、目玉がこぼれそーなぐらい驚いて、どうしてって俺に尋ねたな。俺は正直に本当のことを答えた。オマエのカラダとセックスがやけにヨくって、後引いてるからだ、って。

「そっちが気に入られたのは素直にうれしーんだけどよ、それだけじゃ……、間が持たねぇよなぁ」

 素直じゃない表現で寂しさを訴えれる。けど、俺はこいつの気持ちに構う余裕はなかった。

「もう、いいぜ」

「はいー?」

「寝込み襲った責任とっての義理寝なら、もういい」

 ごく生真面目に、心から、俺はそう思った。

「……、意味分かんねーよ」

 嘘つきやがれ。やばいってツラしてるぜ。

「別にウソじゃねー。しまった、とかっては、ちょっと思ってっけど」

 コンビニに行くべく布団から抜け出して服を着ようとしていた男が、ちょっと情けなく笑う。その表情は珍しくちょっと気弱で柔らかくて、女々しさにつられて俺も、少し笑っちまった。

「手ぇ抜いてたンじゃ、ねぇ。ホントに」

 着ようとしてたシャツを手放しゆっくり、男が布団に戻ってくる。まだ半分も吸ってない煙草を枕元に置かれた灰皿で消して、さりげにすげぇ裸が近づくのを待つ。

「オレも男同士ってけっこう久しぶりで、いろいろ加減とか、どんぐらいだっけとか、ナンかイマイチ、自信なかったンだよ」

 ……ふん。

「ウソじゃねーってば」

 知ってる。分かってる。

 手ぇつけちまった責任とってるだけの義理寝なら、てめぇここまでオレに甘ねぇだろ、って判断で、今、ろくでもねーことを言い出してンだオレは。

「ぬるかった、かもしんねーのは、手抜きじゃねぇ」

 そーかよ。遠慮だったとしても、こっちにとっちゃ同じことだ。

「まぁそーだけど、ごめんって。ごめん」

 オトコの謝罪が、気持ち悪ぃぐらい真摯になる。

「俺が悪かった。ごめん」

 自惚れに塗れると、オスってのはろくでもねぇくらい誠実だ。手抜きのセックスで寂しがらせた、とても思ってるらしいバカは、煙草を消してうつ伏せに枕を抱えるオレの背中に、そおっと触れて、撫でる。

 その指先の熱に満足して、オレは枕を手放して、自分から仰向けに姿勢を変えた。

「言ってくれて、よかった」

 重なってくるオトコの顔は逆光で見えない。怖いくらいの質量に覆いかぶさられて、肉食獣に捕食される動物の気分を味わう。

「いまさら震えたっておせーよ。ってーか、なぁ。……これ反射なンだな?」

 怖がってみせるお約束なのかって尋ねられる。じゃねぇよ、てめぇが怖いのはマジだ。

「どこが」

 怖がってギュッとなってるオレを持て余してオトコが問う。言葉が短いのは語尾が掠れそうだからって、生唾飲み込む音と共に分かって、怖さは少し薄れた。

「ゆるめて、ワラエ」

 自分から再戦しかけといて怖いはねぇだろ、という、当然の文句をオトコは言わなかった。代わりにぎゅうって容赦なく腕に力を篭められる。苦しい。

 ああ、でも、怖いのは力じゃねぇ。オレより強いのは最初っから分かりきってる相手。

「だから、ナニが」

 夢中になってんのはオレだけで、てめぇに腹ン中で笑われてんじゃねぇか、とか。

 考えると怖くって、気持ちはもやもや、身が竦む。

「……ごめん、って、ってる、だろ。……たたみかけンな」

 喉の奥から絞り出される台詞はかすれ声。もぞ、って身動きする相手の体温が上がっていく。素肌で感じてるうちに、まぁ、なんて、いうか。

 喘ぎながらオレからの合図を待ってる相手が可愛くなってくる。許してやる気で腕を、上げる。抱き返してやった。やろうと、した。そうする間もなく、触れた背中が爆ぜる。

「……、ッ!」

 挑発したのはオレだった。

だから、熱にも固さにも、文句は言わないでおいた。