「隠すほど悪いことでもねぇだろ」
男同士は武門にゃ普通の習慣。武門じゃねぇ江戸の町人も遊び人なら一通り経験する。
かの好色一代男・世之介も『色の両道』に丹精した結果、女は3742人、男は725人と寝てる。東海道中膝栗毛の二人も、男同士の駆け落ちみたいなことをして江戸で暮してた。両方フィクションじゃああるが、まぁよーするに、この侍の国はそーゆー国だ。
「……ホントに、いーの?」
「悪い理由は思いつかねぇな」
独り身の男同士、合意の上でナニして遊ぼうが非難される筋合はない。健康な成人男子なのに悪い遊びの一つもしないほーが気味悪ぃだろう。やや悪趣味でないこともないかもしれねぇが、素人の女に手ぇ出すより百万倍くらいマシだ。
「マジでそれ言ってンのか?ホントに一緒に行くぞ?ジミー君にバレたら組の仲良しみんなにバレるんじゃない?」
山崎には既に悟られてる。近藤さんや沖田にも知られてるかもしれない。ザキはオレのプライバシーを口外するヤツじゃねぇが、オレが隠してねぇ以上、行方を問われれば答えるだろう。
「もぉ一本、吸うから服、着ろ」
畳に座り込んで枕元に置かれてた灰皿を引き寄せる。男はバタバタ、洗面場を行ったり来たりする。オレが吸い終わる頃にはいつものスタイルで指先に原付の鍵まで持ってやがった。
警察官として原付の2ケツはどーかとも思うが、歌舞伎町でオレをパクるヤツはいねぇだろう。真撰組の屯所が近いこの町はウチの縄張りの内側。歩いても10分かからない距離だが、送ってやりたそーなヤローの顔をたてて逆らわないでおいた。
一緒に階段を下りる。停めてた原付のエンジンをかけた男の後ろに跨って、笑っちまうほど固い腹に腕を廻す。いーカラダしてんのに改めてうっとりした。夜の遅いこの街では路地に人気がなくて、まだ暗いのをいいことに背中に頬を当てる。
「ダイジョーブ?」
オレがうっとりしたのに気づいた男の声が気持ち悪ぃぐらい柔らかくなる。心配される身体は、気だるくないこたなかったが体調は悪くない。
醸造用糖類とかソルビン酸とかの不純物が混ざってない酒なら多少呑みすぎても二日酔いにならないよーに、上手いセックスは多少やり過ぎても身体がガタつかない。気のせいかもしれねーが精神は肉体を支配してる。気分が血肉に与える影響は絶対的だ。
「出発、するよー」
アクセルが開いて原付は動き出す。運転がこれまた細心の丁寧さで、それが愉快で、また心から笑った。
喫煙席の一番奥に陣取る。和朝食セット二つ頼むと、水より先に大きな灰皿が出てくる。
「ナンでお馴染みなんですかコノヤロー」
てめぇんちに泊まるたびにここで朝メシ食ってるからだ。週イチペースで平日の早朝、二ヶ月も通ってりゃツラぐらい覚えられちまうさ。
「知らなかったぜ。オタクの屯所、三食付きなんじゃないの?」
朝昼晩におやつと夜食つきだ。ウチに限らず、宿直がある警察の職場は江戸城ふくんで賄つきが原則。休憩で外に出してちゃ規律がとれねぇし、腹を減らしちゃ戦の役に立たねぇ。
「お家に帰ってごはん食べてると思ってたよ。オタクうちで朝ごはん食べたことなかったから」
男はぶつぶつ、やけにしつこい。
「なんで?」
「朝帰りしといて食堂の朝メシなんざ食えるか」
「だから、なんで?」
「挨拶に困るだろーが」
住み込みの屯所で幹部の私生活は筒抜け。緊急時連絡先のホワイトボードに『監察に取次依頼のこと』って書いてた朝帰りの俺と顔を合わせれば宿直の一般隊士たちは言葉に困るだろう。俺だって遊んで帰った朝に夜勤明けのヤツラからお疲れ様ですとかお早うございますとか言われて平静に返事が出来るほど面の皮が厚くはない。
「そうじゃなくてさ、なんで俺を誘ってくれなかったのかって聞いてンの」
ああ、うぜぇ。
うんざりしながら煙草を吸いつける。華奢な女が拗ねるのと違って、でかくて強ぇ男が目の前で不機嫌になっていくのは笑えない危機感がある。
「オタク、朝、すっげーさっさと出て行くよな。ジミー君に迎えに来させてたとか、今日まで知らなかったし」
「寝起きのオマエ不機嫌で、すんげぇ怖ぇんだよ」
ネチネチしたしつこさに対抗する為の逆切れ。強すぎて扱い要注意のヤローだが、怖い、って言ってやると怯むことに最近、気がついた。
「目ぇ据わってるし口ひらかねぇし。帰るのかって尋ねたの今日が初めてじゃねーか。いつもは俺が帰るって言っても手ぇ振って終わりだろ」
こいつにはひどく冷たいところがある。戦争に行った男によくあるトラウマじゃなくて、もっと深いトコにもっと深い痕が残ってる。ひでぇことされたんじゃなくてした側の、自分が強いってことを知っちまったオトコの怖さがある。
「……低血圧なんだ」
そこを指摘するとヘタるのは自覚があって、自分でもヤバイって思ってる証拠。
「ごめ、」
「謝らなくていい。文句言ってんじゃねぇ」
鬱陶しく絡まれなきゃそれでいい。
「ああ……、うん」
オトコが頷いたところで朝飯の膳が運ばれる。箸を手にとって軽く掌を合わせてから食いはじめる様子を俺は興味深く眺めた。怠惰な生活しちゃいるが、意外と育ちは悪くない。
「まあでも、ちょっと、気ぃつける。しばらく一人だったから、ナンか……、色々忘れてた。悪かったな」
強くて怖い男がオレの言葉に揺れて、しょんぼりと萎れンのを見るのは悪くなかった。
味噌汁に塩鮭に青菜の浸し物に卵焼きに冷奴、っていう、定番の和朝食を食い終わって茶を呑んで、〆にコーヒーを追加でオーダーする。こんなトコでも一応は豆挽き、ブレンドだけど香りがいい。煙草の煙を肺の奥まで吸い込む。
「なに、そわそわしてやがる」
オレに付き合って追加で、朝っぱらからココアなんか啜ってやがる男がさっきから落ち着かない。
「ジミー君、もーすぐ迎えに来るよね」
言われて、腕の時計を見た。
「あと二分」
ザキは時間に正確だ。言いつけピッタリに迎えに来る。時計をオレのによく合わせてるから、その正確さはほぼ秒単位。
「なんて挨拶、しよーかと思って」
「おはようでいいんじゃねぇか」
「練習していい?」
「寝てんのか?」
言ってるうちにファミレスのドアが開く。ちらっと見ると手首の秒針はちょうど12だった。合図をするまでもなく俺を見つけて、すっと店内に入ってくる。
「旦那、お早うございます」
連れが居るのに驚く様子もなく、行儀よく腰を折ってほぼ完璧な朝の挨拶。
「お早うございます土方さん。まだ早いなら車で待っています」
「いや、行く」
煙草を消して立ち上がるとザキはごく自然な手つきでテーブルの上のオーダー票を手にする。こいつには細かい支払い用の財布を預けてある。
「じゃあ、またな」
ザキの物腰に気圧された様子の、またなんとなく面白くなさそうな男に薄く笑いかけて手を振る。
「……つぎ、お早めにねー」
手を振り返す男の台詞は、嫌味のつもりだったかもしれない。
店の前に停められた車に並んで乗り込んだ後で。
「悪い遊びの」
「ん?」
「時ほど上機嫌なんだから」
腹心に苦情を言われてしまう。
「ご機嫌なのはいいけど、調子に乗ってコケないで下さいね」
「俺がコケそうになった時は支えろ」
「脅せば俺が言うこときくと思ってますか?」
「頼めばお前は全力を尽くしてくれるって信じてるぜ」
「アンタって、悪いことしてる時、ほんと生きいきしてますね」
「そんなに褒めるな。照れるだろ」
しらっと言ってやった俺の横っ面に、ザキが見惚れてやがるのは分かってた。
支えてもらう、時はけっこう、早く来た。
「わりぃ、オヤっさん、抜ける」
接待麻雀の途中でかかってきた私用携帯への電話。
「俺の躾が悪くてよ、仕事じゃねーのに来ないなら死ぬって言ってンだ」
待合の座敷でお供のザキに代打ちさせた挙句、戻ってくるなり松平片栗虎のオヤっさんのそばに寄って、片膝ついて、真っ直ぐそう言った。
「と、トシ」
近藤さんは慌て。
「おーい、ヒジカタぁー」
総悟は呆れ。
「じゃあこの勝負、このままいただきます」
大三元をツモる寸前の牌を眺めてた山崎に庇われて。
「くくく」
オヤっさんには笑われる。粋人のこの人なら笑ってくれるだろうっていう甘えは最初からあった。
「行ってやれ。人命第一だ」
「恩にきる」
真面目に礼を言ったら手の甲で額を叩かれた。