メシを喰って一服して、『昼寝』しながら男に絡んで、言いたくないだろう昔の恥を白状させて、たいそういい気分だった。喋らされた男がむっつりすればするほど楽しくて、厳寒までみも見送りに来ないで拗ねてんのにも笑って部屋を出た。

夕焼けの中、山崎が迎えに来るファミレスに入る。入り口のドアを押すとすぐ手前に、見慣れたヤツが座ってた。

「お帰り、なせぇー」

 挨拶がおかしい。ここに帰ってた訳じゃねぇ。けど言いたいことは分かる。夕べ麻雀の席を抜けてから今まで、何してやがったという非難の視線を、俺は頷きで受け止めた。

 わざわざ禁煙席に座ってパフェ食ってやがる嫌がらせにも耐えて向かいに座る。注文を聞きに来た給仕にコーヒーをオーダー。そして目の前の相手と向き合う。

 ザキは、どうした?

「医務室で唸ってやがります。巡回に出ようとしたところで暴漢に襲われたらしいでさぁ」

 そりゃ唸ってるだろうぜ。ウシロからテメーに襲われりゃ熊でも倒れて唸るだろ。

「すんげーつまんねーコトでも、ザキごときに拒否られっと腹が立ちやすねぇー」

 連れて行けって言って断られたのか。どんなつまんねーコトの為にわざわざ、ザキを殴り倒して俺を迎えに来た?

「一番先に嫌味いってやろーと思って」

 そうか。

 つまらねぇ用件だ。オレが付き合ってる相手に時々甘くって、仕事以外じゃそっちを優先することもあるぐらい、お前も知らない訳じゃないし初めてでもねぇ。そうしてお前も意外とガキじゃなくって、鈍い近藤さんが察してくけなくて俺が困ってると、横から助けてくれることもある。

 仲良しとは言えない関係だが家族みたいに過ごしてきた時間は長い。接待抜けた程度でお前が俺に、アーモンド形の目を半月に細める、得意の威嚇ヅラをしたことは一度もない。

「ナンか言いたいことあるなら聞きやすぜ?」

 言いたいこと、ってぇか、確認したいことはある。

「どうぞ」

 けどちょっと待てカクゴを決めるから。深呼吸して、声が震えねーよーに、気持ちを固めてからだ。

「大げさだねィ。結婚するとか仰いますかぃ?」

 意地悪そうに笑う総悟の小奇麗なツラは、俺の相手が結婚とか逆立ちしても出来ねぇアイツだって察してる顔だった。

 息を吸って、、吐いて。

 総悟の目を見ながら切り込むように尋ねる。

 オマエ、万事屋、狙っていたか?

「……へい?」

 虚偽なく小首を傾げられて、俺は心からほっとした。

 おもわずソファから、ずるっといきかけちまったくらい。

「突然なに言い出すンですかぃ。気でも触れやしたか」

 違ったか。よかったぜ。オマエこそムダにビビらせんな。常識的な人間の発想じゃそーゆーコトになるんだよ。あーもう、マジで縮み上がった。けど良かったぜ、ほっとした。

 ダチが狙ってんの横から寝取ったことにならなくて。

「……アンタね……」

 心の底から呆れ果てた、ってツラで総悟に眺められても腹は立たなかった。安堵の方が強い。よかった。

「そんなにほっとするコトなんですかい?」

 色恋を含む世間に疎い総悟が不思議そうに尋ねる。疎いって事を自覚してて意見を求める素直さは悪くねぇ。すっげぇ重大なことなんだぜ。たぶん、ザキも、それを心配して、オマエに一緒に来るなって言ったんだろ。

「……ふーん」

 てめぇがおかしーのが万事屋を俺に盗られたからじゃなくって良かった。単に機嫌が悪ぃだけで本当によかった。

「機嫌は、わりぃですぜ。夕べ俺だけ、一人負けしたんでぃ」

 オマエがか。珍しいな。勝負事にはわりと強くって、麻雀も将棋もけっこう巧者なのに。なにせ俺がガキの頃から仕込んでる。世間でカモられないよーに。

「テメーの代打ちでザキが勝ちまくったからだろ。責任とりやがれ、ヒジカタぁ」

 理不尽に凄まれても俺は不機嫌にならなかった。責任はとれねぇがここは奢ってやる、って恩に着せながら言った。当たり前だろぉがって答えた総悟は、俺にコーヒーを持ってきた給仕にプリンアラモードとやらを追加オーダーする。

 こんな時間にそんなに甘いもの食ってるとメシが食えなくなるぞ。

「うるせぇ。俺のお袋かアンタ」

 せめてアニキにしといてくれ。

「……うるせぇよ」

 禁煙席をじいっと耐えて、俺は総悟が食い終わるまで待った。

 食べ終わって店を出る。夕焼けは沈んで薄暮の中、裏の駐車場に停めてあった車に乗り込む。

「多少、妬いてる、かもしれやせん」

ハンドルを握りながら総悟はそんなことを言った。

「あんたが旦那と、こんなふーになるとは、思いもしませんでしたからねェ」

 ああ、まぁ、確かに。

 意外ではあっただろう。おれ自身、思ってもいなかった事態だ。男同士のアレコレは郷里にいた若衆時代でお仕舞、江戸に出てからこっちの遊びは辞めてずいぶんご無沙汰だった。

「老いらくの恋ってのは、ムダに盛り上がるらしぃですねぃ」

 おい、なに失礼なことほざいてやがる。誰が老いだよ、吊るすぞてめぇ。

「チョーシに乗って俺やら組やら近藤さんやらにメーワクかけるんじゃねぇぜ、ヒジカタぁ」

 調子に乗ってやがるのは誰だ。闘るんなら車停めて降りろ、って、俺は言わないでおいた。売られた喧嘩を買わなかったのは負い目があるからだ。確かに夕べ、俺は万事屋に会うために近藤さんとこいつを置き去りにした。それで寂しがらせたかもしれないと、ちょっと考えたからだ。

 そして迷惑をかけたことが、全然ないって訳でもなかったから。長い付き合いだと知られてるアレコレがある。俺だって若い頃はバカだったから毒入りの据え膳も食った。食ったら当然、腹を壊す。壊して櫓いわくかけたことがない訳じゃない。

未亡人の誘いに乗って昼下がりの情事キメこんだらそのアマが実は土地の顔役の情婦だった。ならず者ども雇って道場に乗り込ませたのをことごとく返り討ちにしてくれたのはまだほんのガキだったこいつだった。でかい口をきける立場じゃない。

 分かった気をつける、って、俺は殊勝に頷いた。おれ自身の認識としては殊勝なつもりだった。なのに総悟は鼻の頭に横皺を寄せて、回復しかけてた機嫌をまた悪くして、俺を物凄く軽蔑したみたいに流し目でちらりと見た。

 

 

 

 それが最後の、記憶。

「暴れるな、ってるだろ。手間かけさせんな」

 覚えてる男の態度と目の前の奴の言動の、落差にどうしても慣れない。

「たいして痛かねぇだろーが。被害者ヅラすんじゃねぇ」

 いいや、痛い。死にそうだ。

 生きてることに絶望しそうなぐらい、痛ぇ。

「平手でかよ。オマエどこのお嬢?どんだけ甘やかされてんだ」

 どこのお嬢でもねぇが、甘やかされてるってんならオマエに、懐柔されて馴らされて、いい気にさせられて笑わされて、いいよーにされてた。

「うるせぇ」

 赤くなったり慌てたり、オマエ妙に可愛げがあったけどありゃ全部ウソか。惚れてるフリで騙してやっぱり、腹の中じゃ俺のちょろさを笑ってやがったのか。

「黙れ。手間かけさせんなってんだろ、聞こえねぇか」

 凄まれる。脅される。怖いんじゃなくて悲しくて泣けた。そのまま暴れずじっとしていたけど、固まった気持ちはほぐれなくて、カラダも当然、潤みも緩みもしない。

「……チッ」

 散々梃子摺った挙句に男が、俺を放り投げた先は。

「あげる。好きなよーにしなよ」

 さっきから、背後から、慰めるみたいに裸の俺の背中を撫でていやがった若い男。

「好きにしろって、言われやしても、こんなに固くなってんのをいったいどーすりゃ、どーにか出来るンですか」

 口で苦情を言いながら、でも、俺を抱きとめて今度は髪を、撫でる手つきはおそろしく優しい。

「やっぱこのヒト、旦那のことホントに好きなんじゃないでしょーかねぇ。冷たくされてこんなに悲しそうなのは、そーゆーコトでやんしょ?」

「知らないよ」

「そんなに震えないで土方さん。突っ込みゃしませんから」

「またスマタ?好きだね、総悟クン」

 万事屋が笑う。顔は見えないが声は病的で空虚に響く。

「別に好きじゃあないですが、俺がしよーとすると泣き出すし、ヤったら旦那がこのヒトに優しくしてくれなくなるし」

 抱きしめた俺を仰向けにシーツに組み伏せる、若い男の口調は落ち着いて空虚さがない。

「優しくなんか、総悟クンにされてても、されてなくても、どーやったってムリだよ」

「そいつがちょっと、分かんねーんでさぁ。この人と、うまくやり直せるよーに、俺が触る前のを呼び寄せたんでしょうに」

 俺の前に熱を擦り付ける若い男が、沖田総悟だってことが、俺はまだ信じられない。ちょっとだけ大人びた声も、頬に触れるさらさらの髪も、知っている昔馴染みにとてもよく似ているけど。

「まぁそーだけど、無駄な努力だったよ」

 万事屋が、それを黙認、どころか笑っていやがる事実も。

「優しくってどーやってするんだっけ。随分そーしてなくって、やり方わすれて、出来なくなっちゃった」

 自嘲する声には嘆きと悲しみがこもってる。