『烏瓜・3』より。

 

 

 

 むかし、むかし。

 偉い男の寝室に、自分が何をしているのか、よく分からないままで連れ込まれた。

 もちろんちゃんと頭では理解してた。長い恋人に諭されて男の招待を受け、外で夕食を摂ってから自宅に招かれ、ホームバーと呼ぶには豪勢過ぎる場所で軽く飲んだ。国軍の偉いサンたちの公舎には娯楽設備が整っている。それは地位に応じた贅沢でもあるが警備の関係上、外をうろうろされると迷惑だから、でもある。

 籠の鳥なのだよ、なんて男が笑ったのを覚えてる。まるで俺の、同情をひこうとするように。どんな反応を期待されているのか分からなくて、俺は注がれた酒を飲みほすしか出来なかった。酒の味も、なにを注がれたのかも、少しも覚えてない。

 やがて男が、泊まっていけるかねと俺に尋ね、俺はこくりと頷いた。最初から覚悟はしていた。なのに今更、どうしてそんなことを尋ねられるのか分からなかった。

 距離感が、うまくとれなくて。

 なんだか、その期に及んでもまだ、それが現実とは思えなかった。大総統閣下が俺に、妙な関心を持ってる事は分かってた。でもまさか、こんなことが現実に起こるなんて。偉い男が気に入った女を金や権力で無理強いする話しはよく聞くが、そういう場合の『女』は水商売の玄人か、出世にパトロンを必要とする女優や歌手であって、まさか。

 自分にこんなことが起こるなんて思わなかった。

 積極的な嫌悪さえ浮かばない、ぼんやりしていた俺に男が手を伸ばし、ふかふかのソファから立たせる。手をつながれてひかれるまま、公舎の奥へ向かう。館、と呼ぶのに相応しい奥行きの途中で、俺は護衛部の制服を着た女性に引き渡された。

 大総統直轄の、大総統の警護と秘書を兼ねたエリート部隊。その中には女性が二割を占め、彼女らの職務には閣下の寝室に侍る職務もある、とか、そういう噂も、世間では囁かれる。

 

 

『そんなのはデマよ』

 ずいぶん後になって、彼女は俺にそう教えてくれた。閣下の目を盗んで、閣下の寝室とは別の俺の部屋で、裸で寄り添いあいながら。年若くてあの男の『愛人』にされた俺を慰めてくれた彼女は多分、今でも知らないだろう。あのスリリングな密会が本当は、あの男に黙認されていた俺の『息抜き』だったという事実は。

 世の中には、知らない方が幸せなこともある。

『私たちの仕事は閣下の恋人たちのお世話よ。出世する男は色事に筋を通すもの。あなたそのへんは、見習った方がいいんじゃないの?』

 笑いながら彼女が俺くれた忠告は予言のようになった。