気怠さ。夏。マイラバー。

 

 

 

 

 

     弱いケモノに乾杯。

 

 

「何、アニキ。今日ゼミ休み?」

 昼。外の蝉の声にうんざりしながら階下に降りると、啓介はソファーから零れる白い腕を見つけた。

 驚いた。ベットの中でFCのエキゾーストを聞いた覚えはあったが、片足を夢に突っ込んでいた記憶は曖昧で、少し弱気な声になった。

 リビングはクーラーががんがん効いていて。寝汗がもの凄いスピードで引いていくのを感じる。

「ん……、ちょっと体調悪くてな。途中で帰ってきた。明日大事な研究発表があるから」 細い腕と同じ、か細い声。

 啓介はちょっと迷ってから、涼介の寝転ぶソファーの足元に座り込んだ。モーニングコーヒーは後でいいやと思った。

「夏バテじゃねーの。ただでさえアニキ食が細いのに、最近ろくに食ってなかったじゃん」

 投げ出した手じゃないほうで、額を覆っている。目は遮られて見えなくて、腕の影から見える唇は腐った果物色になっていた。肌が普段にも増して青白い。

 向かいのソファーの上には、涼介がいつも大学にもっていくバックとノートパソコンがほおり投げてあった。テーブルにはFCのキー。家に無理やりたどり着いて、どうやらここで力尽きたらしい。

 啓介は無言で立ち上がると、氷いっぱい入れた麦茶をもってきた。そして、濡らしたタオルと。

「アニキ」

 コップを渡すと、寝転がったまま涼介は不器用そうに口をつけた。ようやく開かれた瞳は隠しようのない疲れが澱んでいて、啓介は肺の奥底が痛くなった。飲み干したコップを受け取り白いタオルで顔上半分を覆ってやると、肩の力が抜けてほうと息をつく。

 形のよい鼻梁と色を失った唇がタオルの下から覗いて、なぜだかそれが妙に艶っぽく見えた。

 啓介はまた、元の位置に座り込んだ。なんとなく傍にいたかった。テレビの音がしない部屋はやけに静かで、蝉の声だけが外部の存在を知らしめていた。

 二人で、どれだけそうしていただろう。

「……けいすけ、予定は?」

 響いた、涼介の小さい声。ようやく見せられた気遣いに嬉しくなって、啓介は声を弾ませた。

「特にナシ。だから安心してよ。今日一日はアニキの看病すっから」

 ケンタと買い物へ行く約束があったが、どうでもよくなっていた。欲しい靴があったけど、また今度探せばいいし。連絡は…後ですりゃいい。今は一番、したいことがある。

 声には出さなかった。けれど、落ちていた涼介の白い手がゆっくり上がって、啓介の頭を撫でた。伝染シタ? 大好きな細い綺麗な指が、色を抜きすぎて金茶になって傷んだ髪を柔らかくあやしていく。

 肘掛に頭を傾げて、全身の力を抜いた。気持ちよくって目を閉じる。

「なんかガキみてぇ。よくこうしてもらったよな」

 小さい体に広すぎる家を与えられて。怖い、と小学校に上がったばかりの頃、泣いたことがあった。

両親がわが子を幼児から子供に成長したと認め、家政婦を雇い職場に復帰した時期だった。夜になると泣きだす啓介に、涼介は困った顔をして小さな手でずっと頭を撫でていた。それでも泣き止まない啓介を、今度はぎゅっと抱きしめて。

 そう、あれも夏だった。幼い涼介が考えた解決方法は酷く簡単なことだった。ぐずる啓介を連れて、数ある部屋の中で一晩ずつ、夜を過ごしていった。まるで自分たちの領域だと秘密のマーキングを施すみたいに。

 小さい啓介はワクワクした。めったに足の踏み入れない部屋は、それだけで啓介の遊び場になった。いつの間にか泣くこともなくなっていた。ソファー、絨毯、フローリング、どこでも二人タオルケットの中で身を寄せた。二つの体温が簡単に混じりあった。あの頃。

 撫で続けていた涼介の手を掴んで、啓介はそれをそのまま口元に運んだ。優しく舌で嬲る。指は、水気を含んだ岩場のようにひんやり冷たかった。タオルの下で色づきを取り戻しつつあった唇が、そっと戦慄した。

「アニキに抵抗されちゃうとオレ、多分乱暴になるから」

 釘をさしながらも、腹の中で自分が笑う。成長してない自分を。そうしていつも彼は愚かな自分を許す。

 涼介は黙ったまま、啓介の愛撫を受けいれた。しっとりと他人の体温を移しとる白い肌。綺麗な綺麗な人。

「好き。大好き」

 なんで、言葉はこんなに少ないんだろう。気持ちを伝える単語は、あまりにも少なすぎて。

 かさついた唇は指を啜り、爪を舐め、腕を辿った。

 愛してる。

 内側の、真っ白い柔らかな肉を食む。

「ねぇ……セックスしてぇ」

 熱意を込めて白い耳に送りこんだ啓介の囁きは、タオルの下から吐き出されたそっけない言葉で破けた。

「あんまり揺するなよ。吐くぞ」

「色気のねぇ台詞」

「そんなの俺に期待するな」

 ゆっくりと啓介の骨ばった指が、うやうやしく涼介の顔をあらわにして。

キス。極上のキス。