精密検査

 

 何の疑いも持たずに受け取った冷たい麦茶を、何の疑いも持たずに飲み干した啓介はそれから暫く、兄や史浩とチームや遠征の話をしていたが、

「……うーん」

 低い唸り声とともにぱったり、ソファーに突っ伏した。深い呼吸を確認した涼介は、

「十四時二十八分七秒」

 静かに時刻を告げる。

「なにか関係があるのか?」

「いや、単なる習慣だ」

「さて、じゃあ運ぶか。……重そうだな」

 自分より身長で十五センチ、体重で十キロは余分にありそうな長身の男に史浩はため息をついた。顔にソバカスちらしていたガキの頃は目だけおっきいコロンとした子供だったのに、いつの間になにを食ってこんなにデカくなりやがったのか。

「頭の側はお前だぞ、涼介。……涼介?」

 反応のない幼馴染に顔を向ければ、彼はさっさと薄いゴムを嵌めている。透明かつぴったりフィットする薄膜のそれに、史浩は眉を寄せた。

「お前……、ここでやる気か?」

「そうだが」

「かわいそうだろ。せめて部屋に運んで」

「こいつをか?この重い物体を?冗談だろう」

「いや、でも、あまりにも気の毒だぞ、ここじゃ」

午後の陽がさんさんと照りつける、真夏の昼下がり。採光充分な高橋家のリビングは眩しいほど明るい。レースのカーテンを涼介が開いてさらに陽光をとりこむ。

「途中、階段でコケでもしたら、大事だ。頭を打ってパーになったら責任とって結婚するか?」

「よしてくれ。お前が言うと冗談に聞こえん」

しかしやっぱり気の毒にと史浩は思った。手入れの行き届いた芝生と中庭が見えるリビングで。

「なぁ、やっぱり本人の自主性に任せた方がいいんじゃないか?倫理的に問題が」

「史浩」

「なんだ」

「啓介の自主性に任せて事態が好転したことがあったか?」

「……」

「ぼーっとしていないで、手伝え」

「……はいはい」

諦めて史浩は啓介のベルトに手をかけ引き抜く。無造作に涼介はズボンの前ボタンを外し、ずるっと下着ごと、膝まで引き下ろした。

「南無……」

意識がないので当たり前だが無抵抗な啓介がやっぱりかわいそうで、史浩は思わず拝んでしまう。

「史浩、そっちの足をもて」

「も、もう充分じゃないか?これだけ出せば出来るだろ」

「ものはついでだ。出来ることは今、全部やっちまう」

「出来ることって……」

 戸惑いながらも史浩は啓介の脚を持ち上げて協力。この幼馴染が本気ですると決めた事を、史浩が制止出来たためしはない。二十年近い付き合いで、ただの一度も。

「……いい色だな」

「遊ぶなよぉー、早く済ませてやれぇ」

「お前がそうまで動揺することはないだろ。いい色と思わないか?」

 さて、と涼介はゴムごしに、実の弟の生殖器周辺を彩る恥毛に、触れる。その毛並みをいとおしむように白い指先が、くさむらを掻き分けて進んだ。

 

 そもそもの発端は昨日の峠。レッドサンズのメンバーの中でも若手が十人ほど集まって、額を寄せて何か話していた。その中にというかずば抜けて高い位置に、金茶の頭も混じっていた。深刻な雰囲気と、

「……、涼介さんに見てもらえば……」

 そんな呟きが聞こえてきて、史浩が何かあったのかと声を掛けようとした途端、

「ンな真似、できっかよ」

 啓介の滅多に聞けないマジ声。何事か、という気持ちで史浩はそ知らぬ顔で、そっぽを向きながら意識は集団の会話を聞いていた、そして。

膿は……、痒くて……、便所に行ったとき……。

 

 史浩も、男である。

 当然ピンと、きた。

 

 あの集団に啓介が居た以上、黙っているわけにもいくまいと思って涼介に告げた。史浩のつもりとしては涼介から話をするなり診察を勧めるなり、という展開を予想していた。まさか聞いた瞬間に軽犯罪を決意され、翌日、それを手伝わされるとは思わなかった。

 

「恥毛確認。肉眼による異物ナシ。毛じらみなし」

「……毛じらみ?」

「立派な性病なんだぞそれも。ま、これだけは病院行かなくても売薬処置で治るがな」

「ふぅん」

「亀頭周辺および包皮にかぶれ、腫れ、赤み、突起物なし。異常所見、なし。カンジダ症、尖圭コンジローム、なし」

「カジ……?」

「カンジダ症は体内に自然に居るカビだ。尖圭コンジロームは最近多い。これは手からも移るし、潜伏期間も長くて感染経路の特定が難しくて、厄介だ」

「ふーん。……うわっ」

「お前が叫ぶな」

 涼介の手指が弟の立派かつ、『いい色』なモノを掴み、扱く。

「ん……」

 痛みかそれ以外でか、啓介がうめいて、

「ヒーッ」

史浩が悲鳴をあげて床から飛び上がる。

「うるさい」

「け、啓介起き、起きるんじゃないかぁ?」

「その時はその時だ」

「お、怒るぞ絶対、起きたら」

「その時のためにお前が居る」

「勘弁してくれ。俺はお前らほど腕っ節に自信が」

「喧嘩でお前をあてにはしていない。……ふむ」

 涼介はそれを揉みこみながらキュッ、と絞った。馴れた仕草だった。

「……は、」

 啓介の腰が浮いた。

「うわ、ひぇ、ヒーッ」

「水泡ナシ、しこりナシ、膿も出ないな。そけい部のリンパ腺異常なし」

「ひぇ、ひえぇえええー」

「うるさいぞ史浩。集中できないだろう」

「南無阿弥陀仏、ナンマイダー」

「とりあえず今のところとくに異常はみあたらないな……」

 呟きながら涼介は診察用の手袋を外す。中表に脱いでごみ箱へ。そして。

「史浩」

「勘弁してくれぇ」

「手伝え。うつ伏せにするんだ」

「何するんだよ今度は」

「直腸検査」

「……はぁっ?」

「明日、ちょうど触診の実習があるんだ」

「ちょうどって、ちょうどってお前、啓介の意思とか尊厳とか」

「ならお前が捜させるか?前立腺。ヘルスでしてもらえば一万はとられるスペシャルだぜ」

「……すまん、啓介」

 ごろんとソファーの上で転がされ、引き締まった尻が燦燦たる陽を浴びて、まぶしい。

「すまん、許してくれ、啓介」

「えーっと、位置からするとこのへん……、これかな」

「ごめんな。俺に涼介を止めることは、できん」

「よく分からん。前は勃ってるかな」

「お前のためなんだぜ。……前半は」

「こりこりしてる。……ふぅん。こんなモノなのか」

「俺は忘れる。きっちり忘れてやるからな」

「あ、膨らんできた。面白い」

「早く済ませてやれぇ、涼介―ッ」

 

 啓介が(強制された)昼寝から目覚めたとき、陽は既に西に傾き、涼介は配達されたばかりの夕刊を読んでいた。キッチンでは既に客扱いを受けない史浩がコーヒーを入れていて、

「……起きたか」

 なんだか憔悴した表情で声をかけてくる。

「あぁ。俺、寝ちまってた?」

「そうだ。コテンってな」

「ゴメンな。起してくれりゃ良かったのに。打ち合わせあったのに」

「飯でも食いながらしようか。好きなもの奢ってやるぞ」

「マジ?史浩が?うわ、ラッキー。俺、なんかすっげぇ腹、減ってるんだ」

「……ガキ」

「あり、アニキ機嫌悪ィ?俺が寝ちまってたから?」

「はは……。お前が涼介のテクに起きずに、腹へって目ぇ覚ましたからだろ」

「あー、やっぱアニキ起してくれたんだ。ごめんな、起きなくて」

「啓介」

「……ハイ」

「血を寄越せ」

「なんか、学校で要るの?」

「そうだ。サンプルが足りない」

「別にいいぜ。メシ、くいに行くついでに病院よって、採血するか?」

「そうしよう」

「じゃ、行こうぜ、ほら早く。史浩も」

「お、おぅ」

「あー、なんか俺へんな姿勢で寝てたかなー。腰と背中が痛ぇよ。ちょっと着替えてくる」

 啓介が二階の自室に行く。史浩はおそるおそる、

「……血って」

 尋ねると、

「勿論、検査だ」

 冷酷無情な言葉が返ってきた。

「エイズ、梅毒、クラジミアのセットで、自費になるから二万ってところか。親父にツケておく」

「……可哀相に」

 本日、何度目かのため息を史浩は漏らしたが、

「かわいそうなのは俺だ」

 本気の滲んだ涼介の言葉だった。

 

 着替えた啓介が降りてくる。なんだか、頭をひねりながら。

「なぁ、アニキ、史浩ぉ」

「なななな、な、ナンだ?」

「……どうした」

「ヘンなんだよ、おかしい」

「ど、ど、どうした?」

「うん……。気のせいかなと思ったんだけどさぁ。……パンツ、前後ろに履いてた」

「……ッ」

 神様、という気分で史浩は卒倒しかけた。

 手伝って履かせたのは史浩だった。

 ちなみに啓介の下着はトランクスではない。ブリーフだ。しかもビキニタイプ。

 前後逆だと、トイレでまず、困る。

 ゆっくりと涼介は夕刊を畳みながら、

「気のせいだ」

 静かに、断言した。

 そんなはずないだろうとか、嘘だとか。

 反論を許さない声で。

「……だよなぁ……」

 納得したのか、兄の言葉に従う習慣からか、はたまた、悪いことは考えまいとする防衛意識が働いたか。

 啓介は操り人形のように頷く。

 

 神様仏様と、史浩は。

 高崎でいちばん、罰当たりな兄弟の住む家で再び、祈る。

 なにをなのかは、彼にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは。凪ちゃんちの通販担当うさぬいぐるみ・ミッフィーでし。

今回は、皆様に代わって凪ちゃんの悪行を裁こうと思います。うさうさ裁判よ。

凪ちゃん、出てきなさい。

 

……なにゆえに、飼いうさぎ、それもぬいぐるみに被告扱いを。

 

先ず質問しまし。凪ちゃんはキリリクをなんだと思っているの。

 

ナニって、読んでくれるっていう、ありがたいご注文。

 

キリリクしてくれる人のことは?

 

読んでくれた上にリクまでしてくれる神様。

 

それで、このていたらくなの?

今までもリクとは随分、趣旨がズレてることはあったわ。

でも、それは腕が悪いんだと思って見逃してきたの。

今度はちがうでしょ。確信犯でしょう。

 

いや、確信犯って言うか。

とんでもないことってったら、ぱっとこれが頭に浮かんで。

調べるの大変だったんだよ。昔、ちょっとだけ遊んでもらった医者に電話したら、

女性は婦人科じゃないと診れないけど、紹介状をとか、

同期の女医の知りあいが居るとか言われて。

 

馬鹿なオイシャサンねぇ。凪ちゃんにそんな甲斐性、あるわけないのに。

 

啓介は危険だと思わないかい、うさ。

私はああいう男は絶対、ヤだね。

 

凪ちゃんはともかく、にぃにぃ……、可哀相。当然の自衛手段よねッ。

 

そう思うだろ?