禁句 (海峡の東・番外編)
酔っ払いは、嫌いだ。
……重いし、力加減がきかないし。
役に立たなくなるから、一方的に嬲られるばっかりで……、長くて、辛い。
「……ン」
鼻にかかった、甘い吐息を漏らす。少しでも早く楽になりたくて。でも演技はそこまで。それ以上、すると嘘だと気づかれる。若い頃から男も女も、目につくイイのはみんな好きにして来た男だ。歳をとっても泥酔しても、色事に関してはなめられない。
「……あ、ぁ」
だから俺が悶えて震えて、背中を反らしたのは演技ではなかった。悪達者な男の手が胸と狭間に這う。自分のモノを突っ込む以外にもこんな手立てを、よく知っている男が……、疎ましい。
耳元で尋ねられる。イイキモチか、と。口調には労わりと自責が含まれてる。飲みすぎて役に立たない、悪かったなと。
遠征に行っていて一月あまり、一人寝をさせていたのに、可哀相に。代わりにせいぜい、よがらせてくれる、これはこの男にしてみれば親切。俺には、怖気だつほど、イヤナコト。
けれど。
拒むことは出来ない。それは死ぬのと同じコト。身体は俺の者じゃない。意志も、時には感覚も。気持ちの悪い腕を指で、快感を感じなければならない。でないと、許されない。
「ッ、ハ……」
顎を上げ咽喉を震わせて欲望を、こぼした。しこった袋を揉みしだかれてすぐにまた欲望が芽吹く。実際それは久しぶりだった。そこを慰められる、ことは。
この男が居ない間は、かえって愛しい相手とも触れ合うことが出来ない。絶対ばれて、しまうから。毎日のように抱かれているカラダが一人寝していたらどうなるか、男はよぉく知っている。その通りでないと、マズイ。
早いなと、囁かれる。だってと呟く。久しぶりなんです。自分でもするなってあなたが言っていったから。
くすくす、男は耳元で笑った。気に障る息が耳朶に掛かる。酒臭くって、嫌いだ、こいつ。
守っていたのか、律儀だな。だって……、そうしろって、あなたが仰ったから。よしよし、責任をとってやろうなと、男の手に一層の力が、篭った。こもった。痛いだけでは、なかった。
悲鳴を上げる。シーツの上でのたうつ。男は宦官を呼んで香油と、それ用の道具を持ってこさせる。好きなのだ、この男は最近、アレを使うのが。壮年の頃のようにはいかない自分の、老いに逆らうような気持ちで俺に、使う。俺が悲鳴を上げて泣いて許しを請うまで。演技ではなく、絶頂に意識をとぎらすまで。
宦官がそれを持ってくる。塗れと男は宦官に命じる。
「します。……、自分で」
手を伸ばし香油を奪おうとする。雄の機能を持たないとはいえ宦官たちに、されるのは俺は嫌だった。男は笑って俺の手を阻む。面白がっている。
恥かしがる必要はない、と。これらは家畜だからと、男は言う。男にとってはそうだろう。生死与奪の全権を持っている奴隷。俺も、結局は、性奴。俺にとって宦官たちは敵に廻せば厄介な存在で、充分な脅威。だから。
その手で身体を弄られるのには……、慣れない。
「イヤ……、自分で、します。サセテ、お願い……」
願いは叶えられない。どころか男は面白がって、宦官に俺を押さえつけさせる。それはまだ見習い期間中らしく、顔を隠す布をたらしていた。見習を終えて一人前になるまで宦官は顔を隠し、影と呼ばれる。仲間が死んで欠員が出来て、それでようやく、名を得て実態をえる。
嫌な男が嫌なものを、俺の中に入れる。
「……、ッ、ヒッ」
苦しみながら、それでもこれで、あの弟に会えると思った。
痕の残った、こんな身体で、会うのは辛いけど。
それでも久しぶりに顔を見れる。声が聞ける。
それが嬉しかった。
夜明け前、中庭の、社。
そこが俺と弟の、密会の場所。
黒い大きな布を互いに持ち寄って。
くるまって、隠れて、夜明けを待つ。
待ち合わせはしない。連絡をとりあえば露見する可能性が高くなるから。
互いに来れる時だけそこへ行く。
相手がくるかどうかもわからないまま、死んだ俺の母親が信仰していた異教の神の社。
敬虔な宦官や信仰の擁護者であるあの男が、決して近づこうとはしない場所。
月明かりの中で弟は、俺の体の痕跡を見咎めた。見られていることを承知で俺は、弟に抱かれた。中では出させなかった。それは、されてはいないから。
「……つまんねーよ。いっつもあいつが、食いついた痕じゃねぇか」
うん。
俺も辛いよ。お前にそう言われるのは。
「まっさらなあんたに食いつきたい……」
肩をなめられる。熱い息を吐きながら、
「……いいぜ」
弟の、顔を押し当てるように、した。
「ホント?」
意外な言葉を疑うように、弟は俺を伺い見る。本気だよ。俺だってもう本当は……、楽になりたい。
辛いんだ、とても。いや、お前がじゃないけど。
歯が当てられて俺の本心を誘うように、痣になるギリギリの強さで肌に、食い込んだ。
……キモチイイ。
そのまま食いちぎって。俺の肉を、お前の形の通りに。
うっとり、しているだけの俺に、
「ホントに本気?ヤバイんじゃねーの」
やばいさ。だけど、いいよ。
「なぁ、誰が、邪魔?」
弟の頭を肩に抱いて撫でながら、尋ねた。そいつを道連れにするつもりで、尋ねた。
後宮のオンナの、密通は大罪。
犯した男も犯された女も、そろって残酷な罰を公開で、受ける。
溺死、投石されての死、牛車による八つ裂き。女は口に羽根を詰められて窒息死させられることが多い。遺体は広場に晒されて、一定額の喜捨を行えばそのオンナノ遺体を死姦することも、出来る。美しい布や宝石を身体の外にどんなに纏ってみても、所詮俺は、家畜……。
「イスマイル・ベック将軍」
領地が隣り合っていて、境界を侵犯したとかされたとか、騒ぎの尽きない男の名前を弟は、あげる。
「分かった」
答えてゆっくり、俺は目を閉じて弟の歯が肩に食い込むのを待った。
お前がそうしたいなら、すればいい。お前の歯形と死んでやる。ついでにお前の、仇を道連れに。
どうせなら消えないくらい、キツイ痕跡が欲しい。死骸になって広場に晒されて、衆目に見られてみたい気もするよ。本当はあの男など少しも愛していない証拠を。ホントは俺は、お前のものだったことを。
静かに、待って、でも。
弟は結局、歯形をつけはしなかった。抱き合い、触れ合い、慰めあい舐めあって愛し合いながら、俺は安堵もしたけれど、弟を意気地なしだとも、思った。
「あんた俺を、愛してるって言ったよな」
そうさ、もちろん。心の底から、お前だけ。
「それで、なんでヘーキなんだよ。あんな男に好き放題にされて」
嫌な話題だった。
何度も繰り返され、そのたびに弟の機嫌を悪くすることしか出来なかった。
「……慣れてるから」
「慣れるとか慣れないとか、そんな問題じゃねぇだろ」
「でも慣れてるんだ。子供の頃からだから」
「キモチ悪いとかヤとか思わねぇのかよ。俺を好きなのに他の男にサれてさ」
「……慣れている、から」
同じ言葉を繰り返すしかしない俺に、やがて弟は呆れて諦める。夜明けとともに交わした別れのくちづけに熱意がなくて、あぁ、また暫くは来てくれないなぁと思った。この話をした後は、いつもだった。
悲しかった。
男は暫く、後宮の花々をとびまわるのに忙しかった。
俺は一番のお気に入りだが、俺だけが気に入りという訳じゃない。戦場から戻った男は思い出したように俺のもとを訪れ、わ翌日からは別の女や男のもとへ行く。だから、弟との密会は今が一番、都合がいい。でも、向こうにその気がなけりゃ、どうしようもない。俺は何日も虚しく夜明けを見た。こんな時期だから、俺がまめに来ていることは察しているはずなのに、弟は姿を見せなかった。……、意地悪。
ヨーロッパを荒らしてきた海賊船が入港したのは、そんな時期。欧州全土の海で捕らえた貴婦人や生娘のうち。美しいのが二十数人も宗主に買い上げられた。全員の『味見』がすむまで宗主は他所には目もくれない。新しいのがきたときは、いつもだ。
いつもだから、俺は慣れきっていたのだが。
「お寂しいでしょう」
宦官の一人に言われて、そいつの暗い瞳の光り方にも気づかずに、少しと答えてしまったのは俺らしくない失態。少し寂しかった。それは本当のことだった。弟があんまり来ないから、飽きられて捨てられたのかもしれないと思うととても寂しかった。
そして、その日の、日暮れ時。
「ヤメ、や……、」
俺は悲鳴をあげて寝台に貼り付けられる。あの男じゃない、もちろん、弟からでもない。この館に仕える宦官たち、あの男が言うところの『家畜』たちに。
「ヤメロ、イヤ……」
初めてじゃ、なかった。
こいつらに『躾』られることは。
子供の頃はよく、された。あの男を満足させる方法を教えられた。そのときの宦官たちの顔は欲情にまみれていて、だから俺は『雄』ではないというそれだけの理由で、こいつらの前で羞恥を捨てる事ができない。意思に反して押さえつけられれば、尚更。
「お寂しいと、仰ったではないですか」
「慰めて差し上げようとしているのに、我々は」
宦官は、後宮のオンナ与えられた遊び相手。建前上は、確かにそうだ。けれど若さと美貌を失えば下働きにおとされ館を追放されるオンナより、館づきの宦官たちの方が実力を持つこともある。主人の耳に愛妾の評判や素行を告げるのもこいつらだ。だから、時には、後宮のオンナの方がこいつらの、遊び道具になる。
勃起するモノのない連中の遊びは執念深くて、残酷で、俺は苦しめられる。身体に痕をつけないよう、柔らかな布ごとに与えられる苦悶が、辛い。
歯噛みして、泣きながらそれでも、耐えていたとき。
「……ウソツキ」
耳元に、信じられない声。
顔を隠した見習宦官のうちの一人が、囁いた言葉。
弟の、声で。
弟が。
謀反の兵を起したと、聞いたのは翌日。
俺は頭を抱え、座り込みたかった。でもそうしても何も解決しないから、耐えた。
……、どうして。
どうして気づかなかったんだろう。紛れ込んだ人影に。体臭を消すために宦官たちは独特の香料を使っているが、それでも。
俺のせいだと、俺には分かっていた。
弟が『化けた』見習宦官に、俺はすがりついた。口走った。決して言わないと心に決めていた、言葉。
言ってはいけない言葉だった。言えば弟を破滅させてしまう言葉。俺をそうしようとすることは宗主に反逆することを意味する。そして弟の破滅をも。
「……させない」
呟く。心に決める。破滅はさせない。こんなに愛しているのにそんなこと、させてたまるものか。
討伐でごたついた宮廷。俺も事務処理のために後宮を出て、『父親』のために奔走した。するふりをした。しながら『父親』の、幕僚の一人をたらしこんだ。簡単なことだった。
そいつの膝の上で踊り。
抱こうとして痕に気づいた『父親』に、殴られる。
処罰のように犯されながら願う。復讐をしてくれと。合意ではなく強制だったのだと。後宮ではなく表宮に居たから、俺の言葉には説得力があった。『父親』は相手の名を尋ね、俺は答えた。イスマイル・ベック将軍、と。
明日にも弟を討伐するために、領地へ旅立とうとしていた男。
企みは成功した。将軍は呼び出され暗殺された。理由は、公にされなかった。代わりの討伐隊はすぐに組織されたが、。弟の陣営は軍備を整えるための貴重な時間を得た。
『父親』の陣営は混乱した。唐突な粛清に、疑心暗鬼が芽生えた。それをひそかに懸命に育てた。難しいことではなかった。俺は『父親』の幕僚、俺を膝に乗せた男の弱みを、握った。
何をしても、どんなことがあっても。
お前を殺させはしないと、日に何回も、心で語りかける。
愛しい、優しい、愚かで残酷なお前。
俺は手段を選ばない。お前にどう思われたとしても。
例えお前に軽蔑されて、嫌われることになっても。
仲間割れを誘うために、情報をえるために大勢と、寝た。母親譲りの容姿に初めて感謝した。疎ましいだけと思っていた白い肌を、さらに磨いて、男を誘い込む。
これは、おれの、せいだから。
禁忌を語ってしまった俺の。
お前に絶対、告げちゃいけない言葉を告げてしまった。
苦しい、辛いと。そして。
……タスケテ。
告げたとたんに抱き寄せてくれた腕は優しかった。力強くて、とても素敵だった。
なんでもするよ、お前のためになるなら。
その腕に、自分自身を永遠に、埋めて後悔は、ないから。
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