『寄生生物・書下ろし抜粋』
食事に誘われたのは、戦後処理が終わって落ち着いた頃。
逆らわず、招待を受けた。ホテルのダイニングで、たいへん美味しくかつ高価なコースをいただいた。東部は中央と違って魚が美味しくて、それで私は白ワインを三本、あけた。うち、二本分は私が呑んでいた筈だけど、千鳥足なのはエスコートしてくれる筈の、ロイ・マスタング、昇進して中佐、で。
支えて歩かせて、なんとかタクシーに乗り込んだ。シートに座るなり前後不覚の寝息をたてはじめた男の、荷物をかってに漁って自宅の鍵を探した。住まいは捜すまでもなく知っていた。副官だったのだから。
「いやぁ、いかんねぇ、おねぇさんみたいな美人を残して酔って眠っちまうなんて、男の風上にも置けないよ」
中佐の財布から勝手にチップをあげたおかげでタクシーの運転手は愛想が良くて、中佐を家に運び込むのも手伝ってくれた。寝室の、多分、ハウスキーパーが整えたベッドにどさりと、横たえたとき。
私服のシャツの胸元が見えてどきっと、した。
「酔っ払った男なんか放っておきなよって言いたいけど、これだけハンサムだと、別の誰かに拾われちまいそうだしねぇ」
はっはっと明るく笑って運転手は出て行く。さあこのヨッパライをどうしようかと、考えてふと気付く。酔って寝ている男をどうしようもない。問題は、私がこれをどうするか、なのだ。
とりあえずシャツを脱がせようとした。いけないイタズラをしてる気分だった。だって本当に色が白くって肌が薄くって、いい男だった。でも触れた頬がやけに熱くって、とりあえず、起こして水でも飲ませた方がいいかしら、と。
思い直して立ち上がった、時。
出来なかった。浮かした腰を、すとんとまたおろす。引き寄せられた目の前に彼の顔があった。女の子みたいに優しく整った、涼しげな目鼻立ちに私は一瞬、正直に見惚れた。
『……、か……?』
でも状況は、それほどロマンチックじゃなくて。
『俺が、悪かったのか……?』
何を、言われているのか、最初は分からなくて。
『間違っていたか?受け入れて、やるべきだったのか?』
は?
『あれも戦争後遺症みたいなものだ……。出来なかった、俺が悪かったのか……?』
掴まれた腕が痛かった。彼は泣きそうに必死だった。半分泣いていた。私は、噂を、知っていた。
この国家錬金術市が、仲良くしてたあの秀才と、関係を『清算』したって、こと。
『俺が……』
酔っ払いの激高は、長くは続かなくて。
『……俺は……』
そのまま、また、シーツに崩れ落ちる。
それからは静かに眠ってた。ろくに使われた様子もないキッチンから汲んできたグラスの水を、背中をうんしょと支えて口元に寄せてやると、こくこくって、素直に飲み干した。
そうしてまた、大人しく眠る。ベルトを抜いて前を外して、楽にしてやった。そのままベッドに腰掛けて、飽きずに寝顔を見てた。きれいな顔の若い男が、悲しそうな寂しそうそうな、苦しそうな表情で一人、枕を抱いて寝てるのは見ごたえのある眺めだった。
私が、男の子だったら。
あそこで多分、抱いて慰めていたと、思う。
女だったから、罪は犯さずに済んだ。けれど。
翌朝。
『……大佐』
目覚める気配のない人を揺り起こして。
『すこしズレて下さい。私の服を、敷き込んでおられます』
そのくらいの、意趣返しは。
『……、ホークアイ……』
寝ぼけた若い男が、少尉、と、呼びかけて硬直するのをそっと、盗み見ながら髪を上げ、上着を羽織る。
外はまだ暗い夜明け前。
『早番ですので、これで失礼します』
適当な敬礼をして、部屋を出た。
その日一日、中番で出勤してきた中佐は、横顔を硬直させたままも珍しく真面目に仕事をしてくれた。はかどっていいわぁと、私は気楽に考えていた。退勤時間寸前に、夕日を浴びながら。
『少尉、話が……、その……』
背中には冷や汗を滲ませているに違いない口調で、彼に呼び止められるまで。
『はい。なんでしょう』
『その……、昨夜のことだが……、その……』
『タクシー代は、中佐のお財布からお支払いさせていただきました』
『いや、そんなことではなくて』
『何も覚えておられないんですね?』
私に縋って、泣き顔で訴えたことも。
『……、すまな……』
『無理には、なさいませんでした。中佐のご自宅へ、中佐を支えるためでしたが、入ったのは私からです。中佐をレイプで告訴するつもりはありません』
私はわざと微妙な言い回しを、した。苛めてみたいような色気がある人だった。酔って記憶がない男が朝、前日一緒に呑んでいた女が隣に居るのを見て震え上がる、そういう面白いシュチエーションを、楽しまないのも、もったいない話。まして相手が、こんないい男じゃ。
『ご安心ください。それでは』
敬礼して、退勤しようとした私の手を、執務机を回り込んできた中佐が掴んで、
『待ってくれ。そういう意味じゃない』
必死な顔でひきとめる。……カワイイんだから……。
『実は、私は、女性はその……』
初めてだったんだ、なんて。
そんなかわいいことを言っていいの。
『奇遇ですね。私も、初めてでした』
にっこり笑って告げてやると、白い肌がますます、血の気が引いて蒼白に。
『でもご安心を。責任をとれ、とか申し上げるつもりはありません』
では、と言って、男の手を振り解こうとしたけど。
『待て。待ってくれ』
いい男に、追ってこられて縋りつかれる心地よさ。
『ホークアイ少尉、その……、君に怒られるかもしれないことは承知で、頼みというか、お願いが』
『はい?』
『……もう一度、君ときちんと寝たい。……覚えていないから』
……。
ちょっと、待ってよ。
こういうパターンは、予想していなかった。
こういうのもアリなの?男って、体面をつくろいながら、必死に逃げようと、するもんじゃなかったの?
どうしよう、という意識の困惑を差し置いて、私の手は私の腰の、内ポケットを探って。
『わたくしの自宅はご存知ですか?』
『いや』
『調べてください』
緊急連絡簿を捲れば書いてあること。
『先に眠っているかもしれませんが、どうぞ』
腕から剥がした上司の手に、自室の鍵を、渡して部屋を出た。呆然とする男を置いて、司令部を出た後で、私も、呆然としてしまった。呆然としながらも商店街の、寝具の店に行って、一番高いシーツを買って、それを抱えて、ふらふら、自分の部屋に帰る。
中番の上司の、退勤は午後十時。
少し片付けなきゃ。食事はどうしよう。あぁそれよりも何よりも、先にシーツを替えておかなきゃ。何日か敷きっぱなしのそれを引き剥がしてランドリーボックスに詰め込んで、勝ってきた新品の、明るいオレンジ色のタオル生地を敷き詰める。いっそ深紅を買って来ればよかった。たとえ彼に、なんと思われても。
『……大丈夫、よね……』
自分自身に言い聞かせるように呟く。瓢箪から駒ってこんなこと?
『私もう二十歳だもの。出血は、きっとしないわ。……大丈夫』
苛めるつもりが追い詰められて、嫌ならドアに、チェーンを掛けておけばいいのに、そんなことはせずに。
『バレないわよ。……きっと』
不安な自分に、何度も言い聞かせた。