寄生生物・4

 

 

 上機嫌で帰り、上機嫌で夜勤の仮眠室へ。服を着たままベッドに横になる。頬が緩んでいくのを止められない。幸福で満足。

 気になることはあった。知らせないままのつもりだった可愛い二人に、俺の裏切りを知られた。明日になれば、さぞ責められるだろう。許してくれないかもしれない。

 けれど危惧より、満足が上回る。俺の狙いは間違っていなかった。

 ……なぁ、ヒューズ。

 お前は本当に、奥方と娘を愛して、いたな。

 あんなに拒んでいた俺の、意識の表面に出てくるほど。

 なぁ。悪い条件じゃないだろう?大人しくここに居てくれれば、ずっと一緒にいられるぜ、お前の妻子と、あの広い屋敷で。何もかも昔どおりだ。嬉しいだろう?

 嬉しいはずだ。悦べよ。俺に礼を言えよ。お前を死から引き戻して、お前に妻子を取り戻してやったんだ。

 俺に、ありがとおって、言え。

「お前が」

 小さな声がする。俺の唇が動いて発した音だが俺の声じゃない。声帯が同じでも発声の癖が違うと声紋は異なってくる。音程こそ少しおかしいけれど、それは『ヒューズの』声だった。

 唇に指を当てる。これは俺の意志で動かした指。なぁ、もっと、何か喋れよ声が聞きたいから。俺の錬成が成功した証拠を俺に、しっかり聞かせてくれ。忘れないように。

「なにを考えているのか、分からん」

 そう、か。でも、じきに、分かる。

今は俺に、うっとりさせてくれ。そうしてそうだ、明日は花束を持って、また彼女たちに会いに行こう。それが俺にはとても苦痛だった。でもお前を招き寄せるのに、一番美味い餌と思ったから耐えてた。お前は俺に掴まって、もう俺の身体の中だ。明日からはお前が、未亡人の相手をしてくれるだろう?

「ロイ。……こんなことは」

 禁忌か?その通りだ。でも俺はしたかった。するつもりだった。俺は今まで、意志を枉げた事は一度もない。いつでも俺は、俺のやりたいように、する。

「不自然だ。お前なに考えて、こんな真似をしてる」

 分からないか、ヒューズ。

 お前が欲しかった。お前を俺に隷属させて、繋いで、自由にしたかった。ずっとそうしたかったんだ。されるばかりだったから。

「そんな覚えはない」

 そうか。おかしいな。俺にはそんな覚えばかりなのに。

「ロイ。復讐なら、あの二人は関係ないだろう」

 二人?お前の、妻と娘のことか?

 無関係なはずがない。あれは俺の、切り札。お前に対しての。不幸にされたくなかったら俺に逆らうな。したくないだろう?

 傷つけられたくなけりゃ大人しく、俺に従えよ。いい子にしていれば、悪いようには、しない。

「……信じられるか……」

 まったくだ。その通りだ。自分でも今、少し笑えた。なんだかお前になったような気分。お前が俺をだますとき、よく、こんな風なことを言っていたな。そして、ろくでもなくなかったことが、なかった。

「……ロイ」

 いい声だ。うっとりする。もっと呼べ、俺を切なく。なにを言ったところでお前はもう、俺からは逃れられない。真理に定められた混沌から妻子に惹かれて俺が繋げたチャンネルに、俺の身体に自分から出て来た、お前はもう、俺のものなんだ。

 真理と、俺はそう約束した。我ながらいい読みだった。お前は、俺には、出てこない。

 自然の流れに逆らう強さで、想うならあの二人のことだと、俺は考えた。考えは当たった。狙い通りだ。通り過ぎて……、笑える。

 お前は本当に、心から。

 妻と娘を、愛していたんだな。

 ……俺よりも。俺なんか、目に入りさえ、しないほど。

「ロイ」

 なんだ。

 何か話が、あるなら明日にしてくれ。今日はもう眠る。少し、疲れた。霊媒師が降霊による憑依で体力を使い果たすように、俺もお前に身体を使われてぐったり。お前は心底、俺を疲れさせるオトコだ。お昔も今も。

「復讐なら俺だけにしろ。……してくれ。……頼む」

 願うのなら、もっと上手に、可愛らしく、強請れ。

 俺から妻子を庇おうと、俺に哀願してる、お前を、俺は。

 俺は、それでも、心から。

 たぶん、ずっと。……ずっと。

「ロイッ」

 ヒューズ。お前は結局、俺のナンだったんだろう。

 俺はお前にとってなんだろう。

 教えてくれ。俺を納得、させてくれ。出来たら、許してやる。

 今、俺の、掌の中に握った、お前とお前の愛した女たちを、無傷で手放して、やる。

「妻、だ。俺には。ずっとそう思ってた」

 なにが。

「お前が、俺には。失敗して不幸にして後悔してる、俺の最初の、大切な」

 ……いくら、咄嗟だからって、出来の悪い嘘だ。

「一人分の男の精一杯で、お前を愛してた」

 おやすみ。もう喋るな。嘘は聞きたくない。

 俺は、俺がやりたいことをする。

 おやすみ。もう朝は来ないかもしれないけど。

 おやすみ。

 

 

 

 静かな夜だった。事故もなく、通報もなく。

 安らかに眠る大佐は夜半、目覚めて起き上がった。いや。

 『大佐』は寝ている。深く静かに。起き上がったのは身体だけ。暗闇の中で、目を開いたのは。

「……、ロイ」

 淡い常夜灯に、窓はぼんやりとした鏡になって。

「……お前は……」

 少し痩せて、でも相変わらず、白い肌と整った顔立ちが印象的な。

「何を考えてる……ッ」

 握り締める掌は、昔、何度も、何夜も、指を絡めて。

 くちづけを繰り返した、忘れられない、爪の一つ一つの形まで。

「……ロイッ」

 殆ど必死で、名前を呼んでも、相手は静かに、安らかに。

 疲れ果てて、深く。