寄生生物・6

 

 

 最初の夜、痛みはほとんどなかった。

 若かったせいもあるだろう。酔っててカラダが緩んでいたし、何もかも全部、ヒューズに任せきっていたせいもあるだろう。

 士官学校の入学式から、多分、二ヶ月かそこら。同級生たちと学校の柵を乗り越えて遊びに行った夜の街で、殆ど生まれて初めて酒を飲んだ。二十人近い人間が居たが、ヒューズは俺の隣から離れなかった。酒を呑むのが初めてだって言うと、両親の酒量を尋ねられたのを覚えている。

 母親は知らない。父親は、アル中で死んだよ、と。

 俺は答えた。そんなことを、他人に話したのは初めてだった。俺の父親は国家資格こそとらなかったけれど、世間に少しは知られた錬金術師だった。けど、いつからかなんでだか、酒に溺れ出した。

 そうなるまでの父親は社会的に信用される立派な男だった。専門は鉱物の精錬で、軽量かつ強靭な重金属の開発には何度も成功していた。その成果は今も各方面で利用されている。水道管やガス管という微笑ましいものから、重火器の砲門まで。

 その特許料はかなり多額で、開発権利の期限切れまでの二十年間、一人息子だった俺の懐に入り続ける。おかげで天涯孤独になった今も、基本的に生活の心配はない。父の葬儀の時、保護者を失った俺を心配した参列者の一人が、当時、十四だった俺に士官学校の受験を勧めてくれて、詳しい話を聞くためにその人の家を訪れたら。

 思い掛けない人数が俺を待ち構えていた。殆どが、父を知っている人だった。私服だったけど明らかに軍人とおぼしき立居振舞の男が俺に、嘘臭い微笑で話し掛けた。父親を何度も国家錬金術師に勧誘したが断られたこと、そして『病死』していた母親が、本当は父の実験に巻き込まれた事故死だったという、こと。

それはよく起こる事故だ。錬金術は化学実験の要素を多分に含み、水銀や硫黄、硝酸、そういう危険な薬品をごまんと使用する。事故は、起こりがちだ。

『事故』死は、当初、意図的な『殺人』を疑われていたが。

武器開発に協力するという条件で捜査は打ち切られたのだ、と。

そんなことを俺に話す、男の意図は、最初から分かっていた。

錬金術の心得は、君にもあるのかねと、尋ねられ。

イエスと答えた時点で、俺の将来も。

 

そこまでの事情はヒューズには言わなかった。だからその時、あいつが知ったのは、俺に近親が居なくて寂しいということだけ。ヒューズは瞬間、表情を眩ませた。ヘタに同情や共感を見せない用心深さは、十代の頃からだった。

代わりに俺は笑い掛けた。それは媚びだったかもしれない。寂しいから優しくしてくれと、女の子が好きな男に身の上話をして同情を惹こうとするように。

俺が笑ったらヒューズも笑った。ぐいっと俺の、肩を抱くみたいに引き寄せた。俺は大人しくしていた。嫌じゃなかった。少しも。

じゃあ、優しい酒にしておくか、って、ヒューズは言って俺にワインクーラーを。自分も同じものを飲んだ。出会ったはじめ、士官学校の入学式から、ヒューズは俺に笑いかけて優しかった。入学年齢を二年、飛び級したというより、軍人の国家錬金術師を養成するためにムリに突っ込まれた士官学校で、周囲は体格のいい年上の奴等ばかりで怯みを感じていた。周囲もなんだか、俺を胡散臭く、見ている気がして馴染めなかった。多分、俺の背中は緊張に強張っていただろう。そんな俺の、肩を叩いて。

『よぉ、ドコの生まれだ?』

 尋ねられた。軽い口調だった。中央の西地区、と、俺は戸惑いながら答えた。なんだと、ヒューズはさらに軽く笑って。

『この髪だから、おんなじかと思ったぜ』

 そう言うヒューズの髪はブルネットで、金髪碧眼の多い中央では珍しかった。深い碧色の瞳が印象的で、俺は曖昧に笑った。

 あのとき、入学式の場で。

 お前、注目の的だったんだぜ、と。

 そんなことをヒューズの口から聞いたのは随分あとになって。士官学校には軍幼年学校からの持ち上がりも多く、そこには軍隊特有の悪癖も蔓延してる。歳の若い、『美形』の俺をみんなで、袖ひきあって注目していたんだ、なんて。

 聞いても俺には、実感がわかなかったが。

 多分あの時期、俺は庇護者を求めていた。『学校』というものに通うのはそれが初めてだった。初めてなのに、全寮制で、しかも成績順が卒業後の出世を左右する士官学校。過酷な状況だった。不安で、たまらなかった。

 だから俺に優しく笑いかけてくる男が、妙な意味あいの好意をもってることを承知で笑い返した。それは愛情じゃなかったと思う。少なくとも、最初のうちは、打算というほどの計算はなかったが、好意の基調は寂しさと不安、だった。

 酒と俺は、相性が良かった。あいつの選択が良かったのかもしれない。ライム・ジュースで割った白ワインは美味く、それと一緒に味わうと食事も美味くて、俺は二度、酒をお代わりした。

 気持ちよく酔っていい気分だった。俺とヒューズは仲間と別に二人で寄宿舎に帰った。その頃は中央にもタクシーは少なくて、代わりに馬車が数多く、夜の繁華街を流して酔客を家に送り届けていた。揺られながら、振動が心地よくて、ずるっと俺は、崩れた。ヒューズの方へ。膝の上に頭を乗せて、髪を撫でられて、とても気持ちが良かった。

 カボチャの馬車に乗っている気分だ、とか。

 そういう、馬鹿げたことを、口走った記憶がある。

 苦笑して、ヒューズは脚を組んだ。膝に角度がついて、寝心地はさらに良くなった。うとうとしかけたときに、屈み込んだ男が唇を重ねてきて。

 俺は拒まなかった。なんとなく予感はあった。それまでも、身体はよく触られていた。肩を抱かれたり、背中を合わせたり。そういう、体温の伝わって来るスキンシップに、俺は慣れていなかった。だからされるたび、びくっとしてた。それでもさすがに、その頃には慣れて、多分、俺があいつの体温に馴染んだのを。あいつは気がついていたんだと思う。

 優しくされて、触れ合って抱き合って、唇を重ねる、それは友情ではなくて、セックスに繋がる行為だと勿論、知っていたけれど。

 ヒューズが俺の、身体を使いたがってることは分かってた。使われても構わなかった。若くて、俺は、何も知らなかった。

 身体は心と、不可分に結びついていて。

 肉体の接触はそのまま、気持ちまで引き摺っていくことを知らなかった。

 セックスに対する興味や好奇心より、どうでもいいやそんなモノ、というのが正直な気持ちで、ヒューズがしたいならすればいい、そんな風に思ってカラダを、あいつの前に投げ出した。俺の部屋の、俺のベッドの上で、初めてのセックス。

 あいつは上手で、優しかったと思う。最初のその夜は。俺は長く撫でられて、気持ちよくなって、ふわふわした気分で。脚を担がれて披かれて、犯された瞬間だけは苦しかった。でもまぁ、我慢できないほどじゃなかった。

『……ロイ』

 あいつが俺の、名前を呼んだ。何かを乞うような声音で。悪い気分じゃなかった。教官からさえ一目置かれてる、こいつにそんな風に、愛しがられるのは、気持ちが、良かった。

 俺の同室は別の男だった。でも次の日には、ヒューズは俺の隣に越してきた。そういう事はもちろん、本当は禁じられている。だが入学時、主席だったヒューズは俺たちの学年の寮長を、自動的に命じられていて、寮内は何もかもあいつの思い通り、だった。

 俺とヒューズの『関係』は公認になって、俺はヒューズの特権の、恩恵を随分と浴びた。それはカラダを使われるかわりだと思っていた。オスばかりの集団で、小柄で若く、はっきり女顔の俺が、女の子の代わりに擬似の対象にされて、欲望の処理に使われるのは、アリだと思ってた。

 ……愚か、だった。

 俺とあいつの間に愛情なんて厄介な代物がどの時点でうまれたか、俺にははっきりは分からない。休日の外出をお互い、面倒臭がるようになった頃かもしれない。閉じ込められた日常の中で外出日は楽しみのはずで、時には点呼の後に申し合わせて脱出さえていたのに、公認の外出日にさえ、外に出なくなって。

 週末はいつも一緒に居た。

 セックスもしていたけど、セックス以外も。俺が本を読んでると、あいつは机からベッドに俺を呼んだ。それはセックスするためじゃなくて、背中あわせにもたれあいながら、俺は読書を続け、あいつは課題を片付ける。そういう日々が、何年も続いて。

 気付いた時には、もう泥沼だった。

 背中の皮膚がもう、俺たちは癒着してしまっていた。離れようとすれば骨まで軋むほど。俺は戸惑ったがあいつは平気だった。自分の望む方向へ、俺を平気で、引き摺っていこうとした。

 ……それでも、いい、って。

 ……本当に、思ってた時期があった。

 あいつと会ったとき、俺は庇護者と愛情に飢えた不安定な、多分、子供だった。あいつの強さと優しさに縋りついた。あいつのそばに居ると安心で、そうして楽だった。あれは何事につけて俺を庇って、優しくしてくれた。

 痛み、を。

 あいつが俺に、もたらし始めたのは、きっと。

 俺が子供でなくなった時期からだ。あいつの庇護の下から、少しでも俺がはみだすとあれは、物凄く怒った。裏切りと思ったのかもしれない。俺たちはいつからか、そういう風になってた。殆ど、あれだ。支配したがる男と、されたがる女みたいな。

 ……いっそ、俺が女の子なら。

 ……幸せだったのかも、しれない、なんて。

 馬鹿な事を考えたこともあった。馬鹿なことだった。俺たちの葛藤は性別じゃなかった。セックスの役割は最初からはっきりしてた。お前がオスで俺がメス。それには、欠片も、異議はなかった。

なぁ、ヒューズ。

 俺が、切なくて苦しくて、悲しかったのは。

 お前が俺を、心から。

 ……馬鹿にしてた、ことだ……。

 大事にはされてた。膝の上で撫でていくように。でもそれを愛情だとは、思えなくなった。『子供』じゃなくなった頃から。愛玩されるだけの、ペットに向けるみたいな、一方的な優しさが息苦しくてたまらなかった、わけは、多分。

 俺が、お前を、愛してしまったからだ。

 お前の愛情と存在に寄生して生きてた時期があった。だからお前が俺を、懐にいつまでも、入れておこうとしたのは分からないことじゃない。嘘をついて、騙して裏切ったのは俺だとお前は糾弾するけど、じゃあ、どうすれば良かった。……俺は。

 お前と愛し合いたかった。

 出来ないのが辛くて、そのままそばに居るのが我慢できないくらい、お前とそうしたかった。

 出来なくて離れた。心に悔いが、ずっと、あった。

 憲兵隊に配属されて、ストレスのかかる任務に就いて、お前が始めて、苦しんでいたのを、隣で見ていたのに、俺はお前に、なんにも出来なかった。慰めたかったよお前を。掌で言葉で、いっそカラダでも良かった。

 でも。

 お前は俺に、そうさせてくれなかった。

 俺に『優しく』されるのがイヤだったんだろう。お前はそういう男だよ。男らしくて強靭で、酷薄なほどに潔癖。仕事の重圧に耐えかねてることを俺にさえ隠そうとした。抱くのには熱心なのに、俺に抱かれてはくれなかった。

お前は本当にひどい男だ。自分は俺にしたいほうだいに振舞ったくせに。俺を抱き締めて撫でて懐かせて、こんなに好きに、させておいて、自分は……。

俺は……。

お前を撫でたかった。愛してみたかった。そうして感謝、されてみたかった。そうすれば愛し合えるような気が、ずっとしてたから。

なぁ、ヒューズ。俺に礼を言えよ。ありがとう、って、感謝しろ。してくれ。

お前に俺に人生と身体をやる。愛した妻と、『再婚』させてやる。嬉しいだろう?喜べ。

俺にありがとうって、言えよ。