寄生生物・9

 

 

「うさぎに剥いたらあんた喜んだりする?」

 軍病院の個室で、見舞いのリンゴに手を伸ばしながら金色の少年が尋ねる。果物ナイフはなく、掌を打ち合わせ、右手の機械鎧に鋭利で小さな突起を生じさせて。

 左手に持ったリンゴの皮を、くるくると剥いていく。

「大佐。……死んだふりすんなよ」

 目を閉じ、答えない相手に声をかける。入院患者らしくパジャマを着て、階級証のついた軍服の上着を毛布の上に置き、枕に頭を預けている人は、どこが悪いとか痛いとかではなかったが、身体と意識がまだ繋がりきっていない。

「ダメージで、いま動けないのだよ」

「さっきの見舞い、誰?」

「君は会った事があるだろう。ハクロ将軍。私を嫌いなんだ」

「ああ、列車で人質になってた人か。ツラ見てなかったから忘れてたよ。わざわざ見舞いに来てくれたのに?」

「イヤミを言いに来たんだ。この他事多忙な時期に、交通事故で入院とは何事か、と、怒られたよ」

 黒髪の大佐には安全な場所での療養が必要だった。だから、そういうことに、なった。おしのびの一人歩き中、右折してきた車に跳ねられ、轢き逃げされた、ということに。軍医は旧知で、大佐の望む診断書を書いた。入院一週間、自宅療養一週間、と。

 今日は入院三日目。『あの』日から、四日。

「お気の毒様。見舞いの果物籠、立派なのになぁ」

「それはどうせ軍の予算からだ」

「ま、一応は見舞いなんだから、素直に感謝しとこーよ」

 誠意のない口調で言って、少年は切り分け皮を剥いたリンゴを、まずは自分の口に放り込んだ。

「しゃりしゃり。美味いよ。毒は入ってないみたい。はい」

 左手の生身の手で持って、枕に顔を埋めている人のそばへ。ベッドに斜めに腰掛けて、支えるように大きな枕の下に脚を差し入れて上体を起こす。佐官用の個室のベッドは普通の医療用寝台ではなく、ふわふわスプリングに羽根布団に羽根枕という贅沢な寝具を備えていた。

「たくさん食べて、元気になれよ?」

「ちょっと、ひっかかる言い方だな」

ぶつくさ言いつつ黒髪の大佐は素直に口を開き、差し出されたリンゴに口を開きかじりつく。食欲はあるらしい。しゃりしゃり、いい音をたてリンゴは咀嚼さえ、消え去った後も少年の右手は差し出されたままで。

「舐めて」

「……」

「ちょっとだけ」

 ちらっと、ほんの一瞬だけ。

指先についた果汁を舐めとるように、赤い舌が見えた。

「……えへへ」

少年は素直だった。喜んで、嬉しさのまま、本格的に寝台に乗り上げてくる。緩く編まれた金髪が昼下がりの陽光を弾いて、ただでさえ日当たりのいい部屋をさらに明るくした。

「大佐、はい、つめて、つめて」

 言いながら、まだ動きの鈍い人を抱えるように、大きな枕の上に位置を直す。枕と自分に凭れさせるいい楽な姿勢をとらせて、サイドチェストに置かれたファイルに手を伸ばす。

 職務の殆どは有能な部下たちが仕切ってくれているが、この大佐でなければならない仕事は入院中の病院に廻されて来る。主に国家錬金術師の統括者としての職務。レポートや査定の評価、資格候補者の推薦、そんなこんなの、厚さ八センチに及ぶ書類を。

「下読みしとくぜ。○・△・×、の三評価でいいだろ?どれか読み上げて欲しいのある?朗読しようか?」

 まだ視神経が完全でなく、字を読むのが辛い大佐に、そんな風に言うと。

「なんだか、病人の疑心暗鬼を理解できそうだよ」

「?」

「君がそんなに優しいと、私は死期が近いのかな、と思ってしまう」

「あんた何日か越えてたじゃん、ソレ」

 死期、どころではなく、本格的な死に近かった、『目覚めない』数日間。

「俺に嫌われたからって、世を儚むこたぁねぇよ」

「……そうだね」

「仲直りしてやるよ。転属願い、撤回しといたから」

「そうか」

「いつものイヤミ、言っていいよ。『また君に苦労させられるのか』とかナンとか、さ」

「そんなことは一度もなかった。君はいつも、有能で役に立っていた」

「らしくねぇこと言っちゃって」

 笑う少年も、けれどらしくないのだ。笑う目の奥が切なくて、真摯な愛情が透けている。目の前のこの人を、知らないうちに失うかもしれなかった。

「暫く、あんたの警護で病院に詰める、って言ったら、アルがさぁ」

「弟君は、寂しがって居ないかね?夜くらいは宿舎に戻っていいんだよ、鋼の」

「言うんだ。あんた俺たちの恩人なんだから、しっかり護って来るんだよ、って。言われて思い出したよ。そーいや、あんたって恩人だったよな」

「等価交換だったよ」

「俺がろくでなしのガキの頃からの縁じゃん」

 あの頃の俺を救ってくれることに、何の得があったんだよと、子供でなくなった少年は笑う。

「損得ではない。私は私の本能に従っただけだ。私としては自分の満足が等価だ。君や弟君が、恩に着る必要はない」

「貸しは百倍にして返せ、って早く言って。元気になって、いつもみたいにさ」

「自分より弱いものを庇おうとするのはただの本能だよ」

「そう?本能ったら、弱肉強食のこと言わない?」

「それは異種生物間での話だ。我々は、同種同族の生き物だからね。子供や女性を庇いたいのは、本能だから、なかなか逆らえない」

「ガキが生意気に反発しだしてもね」

「そうだな」

「女の人が、私はそんな弱くない、って言い出してもね」

「そう、かもな」

「ヒューズさんもさ、優しかったよ。俺とかアルとか、俺の幼なじみとかに。俺はあんたの手駒だから、俺に親切にするのはあんたの利益になる、ってことを差し引いても、凄く優しかった。あれが演技とか、ナンかの代償行為だとかっては、俺は今も思えないんだ」

「君はいったい、誰に何を聞いた?」

「中尉がヒューズさんのこと罵るのを聞いてた」

「……そうか」

「本能が強い男って損するね」

 言いながら、少年の生身の手が大佐の前髪を梳く。そこに隠された傷跡は、戦場で庇護の本能に逆らえず、身体を投げ出してしまった結果で。

「強い大人の男って、損な事ばっかりだ」

「そうだな」

「まだ恨んでんの?」

「……いや」

「よかった」

 金色が、明るく笑う。

「俺、あの人のこと好きだったからさ。あんたに恨まれたまんまじゃ可哀想じゃん」

「……マースは」

「はい?」

「どう、なったんだ?」

「知らない」

 分からない。

「でも最後、笑ってた」

「……そうか」