目覚めたとき、思わぬものを腕に抱いていた。

「……、くー」

 安らかな寝息とともに裸の肩がかすかに上下する、アッシュグレーの髪の美青年を。

「くー、くー」

 安眠している。本当に深く眠っている。腕枕をしていた訳ではないが横向きになった懐の中に抱いてやっていた。その、体勢というか姿勢はよく、自分がされていたものだった。知っている男に。まだ愛している最初の男に。オトコが機嫌がいいときに、そうやって抱きしめられて横になると雲に包まれたようで、幸福すぎてふわふわカラダが宙に浮き上がる気がした。

「くー、くー。……、んー、」

 胸の中で眠る美青年が形のいい眉を寄せる。抱いていた銀色が身動きしたせいで毛布に隙間が出来、冷たい空気が素肌に触れたからだろう。眉を寄せ目は閉じたまま、手を伸ばしまるで枕をそうするような無造作な仕草で、見えていない筈の銀色の肩を正確に掴んでシーツに引き戻した。喧嘩慣れした人を撲りなれた拳とは裏腹に、育ちのよさそうなきれいな爪をしている。

「おい」

「……まだ眠い」

「離せ。俺は起きる」

「……さみぃ……」

「おい、……ッ!」

 廻された腕を引き剥がして起きようとした銀色が息を呑み手の動きを止める。思いがけないことをされたから。その薄く平たい胸元に獄寺は鼻面を押し付け、頬を摺り寄せ、懐く仕草をみせた。

「……酔ってンのか?」

 思わず真面目に尋ねてしまう。くすくす、獄寺が喉の奥で笑う。

「抱いててくれよ」

「おいぃ……」

 銀色の鮫がはっきりと、びびる。この気位の高い、珍しいアッシュグレーの毛並みの猫がまさか、そんなことを自分に向かって口走るとは思わなかった。

「さみーんだ、ねみーし。……昨夜あんたが余計な知恵つけたせいでバカモトが盛り上がりやがって、ひでぇメにあったんだぜ。ザーメン止まんなくなってヒィヒィ泣きついたら、あんたさっさと先に寝てやがるし。信じらんねー……」

 ぼやく獄寺の顔色は少し青白い。昨夜疲れ果てたのも睡眠がまだ足りていないのも嘘ではないだろう。けれど表情は穏やかで、気分は悪くなさそう。

「ケツの中にまだなんか入ってる気がするぜ。バカモトに変なクセついたらあんたのせーだかんな。責任とってこれからも一緒に寝てくれよ?」

 獄寺の言葉に返事もせず銀色の鮫は室内を見回した。時刻を確認しようと思ったのだ。

昨夜、ボンゴレ十代目は雲の守護者であり情人でもある雲雀恭弥と一緒に帰ってきた。その翌朝は昼近くまで部屋から出てこないので、警備責任者としての仕事はまあないに等しいが、それでも習慣で枕もとの表示を探す。自室でもないのに枕もとのメッセージランプに目をやって、そして顔色を変えた。

「バカモトが引き千切って出て行きやがった」

 タヌキ寝入りの薄目で見ていたらしい獄寺がくすくすと笑い出す。暖かな懐をようやく諦め、シーツの上でカラダを起こした。その肩にも左右の上腕にも、はっきりとした歯型が鬱血の形で残されていて。

「だから何があったって俺らのせーじゃねえ。に、してもよお、噛み癖あるヤローって最悪と思わねぇか?」

 罵りながら、サイドテーブルの煙草を手に取るために伸ばした自分の腕を獄寺は、まんざらでもなく見つめる。

「あんたを噛んでねーのはバカモトにしちゃ必死の自制だぜ。やっぱアコガレのアイドルは扱いが違うなー」

「……山本どこ行った?」

「知んねーよ。呼び出し鳴って、出て行った」

 はっとした表情で、ばっ、と起き上がった銀色の鮫を。

「やめとけよー」

 獄寺はシーツの上から言葉だけで止める。

「あんたよく動けるな。経験値の差か?」

 自分はまだベッドの上で、だるくてたまらない、という風に獄寺が手足を身体に引き寄せて、毛布の下でもう一度、ころんと丸くなった。

「あいつにさせとこーぜ。俺ら並べてゆうべあんだけ、いいメみやがったんだ。俺らの朝寝の夢ぐらい守らせたってバチ当たんねーよ」

 確かにこの二人を並べて愉しんだと、聞けば彼らを知るマフィアの男たちはその贅沢ぶりに驚愕するだろう。片方はボンゴレ御曹司の側近として中枢に君臨する筈だった美形、現在はドン・キャバッローネがファミリーの本拠地を移すほど執着している愛人。そうしてもう片方は現在、ボンゴレ次期ボスの右腕として組織に花を添える美貌の持ち主。

「あんたが行っても興奮させるだけだと思うけどな」

 獄寺の言葉は自分が動きたくない言い訳だったけれど正論でもあった。女を寝取った寝取られたの騒ぎの最中、肝心のその『オンナ』が姿を現せば男は逆上するだけ。それが美しければ美しいほど頭に血が上って、オス同士の噛み合いは激しくなる。

「跳ね馬のヤローは確かに相当やるけどよ、俺ら背中に置いてちゃバカモトだってゼッタイひかねーだろーし、そこそこ、いー菖蒲すんじゃねーか?カタがつくまで寝てよー……、って、聞いてねーな」

 居間で剥いた椋をバサバサ、素早く銀色の鮫は着ていく。シャツ借りるぞと声を掛けられどれでもやるぜと獄寺は答えた。洒落者の獄寺隼人のシャツは全てオーダー、ボタンはシャツの生地にあわせた特注の天然貝で、メイドにさえ触らせずクリーニングに出すときは12個のそれらを自分で取り外すほど大切に扱っているのに。

 バタバタ服を調えて銀色の鮫が部屋から出て行く。開け放されたままのドアごしに、ベッドの中の獄寺の視界に一瞬だけ、流れていく銀色の見事な髪が見えた。それに触れて梳いて口付けるたびに山本武が感極まって泣き出しそうな顔をしていた、本当にきれいな髪。

 ごそごそ、獄寺は毛布の下で身動く。ベッドの端に蹴りやられていた枕を探し出し、それに肘をかけ枕元から灰皿を取って、煙草に火を点け、ふーっと白い煙をヘッドボードに向かって吐いた。

 そして。

「オレは雲雀恭弥を目指す」

 自分自身に言いきかせるように呟く。

「めざせ女王さまだ。絶対ゼッタイぜったいあの路線で行く。優しいオンナになんかならねぇ。こーるみーくいーんだぜ。選ぶべき道はそれしかねぇ」

 呟く。

「バカモトが跳ね馬にボコられたって知ったこっちゃねぇ。絶対様子を見になんか行かねぇ。心配なんかしねぇぞ。いいかオレ、雲雀を見習うんだオレ。あいつみてーな完璧女王様を目指せ。バカモトになんざ負けんな」

 より正確に表現するならば床に膝まずいて、ベッドで寄り添って眠る自分と銀色の髪にキスを繰り返しながら、眠りにつかずやがてやってくるだろう金の跳ね馬を、『敵』を警戒していた山本の、男の純情、可愛らしさに負けるなほだされるなと獄寺は自分自身を叱咤する。

「可愛いとか優しくしたいとかちっとでも思ったら負けだ。ずぶずぶいっちまう。目の前で見てるじゃねーか、ああはならねーぞ」

 ばん、と枕を叩いた瞬間、身体に力が入ってしまい、腰の奥が疼いた。あぁああぁぁー、と一人でそのぞわぞわとした感覚に耐える。はぁっと、ため息をつきながら。

確かにあれは快楽だった。オンナやるのも悪くないと正気で思ったほど。今も思っている。けれど、でも。

「だからってオレは男を心配とかしねーぞ。バカモトが跳ね馬に負けてボコられたらボコられた時だ。ヒトのカラダと思って無茶しやがって、あのヤロウ……」

 枕に向かって愚痴る。ソレをしろ、と言ったのはあの銀色だったが、銀色の鮫には何故か恨みがましい気持ちにはならなかった。むしろ逆に、新しい扉を、開いたというか掛け金を外した、外して『くれた』というような気分でいる。

 煙草を、揉み消して。

「……バカモトが心配なんじゃねぇ」

 シーツに両手をつく。ぐっと背伸びをする。さっきよりは関節が楽に動く。獄寺隼人にとっては必須栄養素のニコチンが寝起きの身体に供給されてようやく動けるようになりつつある。

「気になるのは、あれだ、あれ……」

 あの銀色の髪の持ち主だと自分自身に言いきかせる。昨夜はオンナのけらくも味わったが、同時にオトコの気持ちも少し、理解した。オンナを抱いたオトコの気分をまさに今朝、味わった。正確に言えば昨夜は山本に阻まれて、あの美味そうな肌に直に食いつくことはできなかったけれど、あれだけペッティングをすれば半分、抱いたようなもの。

「なんーか、貧乏くじひきやがる気がするんだよなー」

 抱いたオンナというのがあんなに可愛く見えるとは思わなかった。長い髪を手櫛で掻きあげる仕草ひとつさえ愛しかった。

自分のものにしたのだという意識は錯覚。それは分かっている。でも精を含ませ(かけ)たカラダには自分の遺伝子が芽吹いているような気がして、カンチガイでも構わないと思った。それも初めて味わった耽溺。色んな男に抱かれている娼婦が相手では味わえない満足感があった。

シャワーを浴びたかったがさすがにそんな余裕はなく、洗面所で髪型をざっと整える。セットする時間も惜しかったのでさらさらのままで寝癖だけ直した。鏡の中でみつけたものに獄寺は笑った。フィッティングルームの壁にハンガーに吊るされたシャツがかけられている。

 山本武の仕業だろう。シャツを大切にしている獄寺の習慣に馴染んで、あの男には剥いた衣服を畳むという癖がついている。手首の拘束に使ったシャツはシワシワだった筈だ。それにアイロンをかけて、生地を伸ばすために湿度の高いここに吊るしていたのだう。

顔を洗って居間へ戻り、その奥のウォークインクローゼット、ここに暮らすようになってから居間を狭くしてまで改装させた衣装部屋へ足を踏み込みかけた。が。

「……」

 途中で手を止める。またフィッティングルームに戻って、壁に吊るされた銀色の鮫のシャツを手に取る。着てみたかった。理由はよく分からない。私服のシャツだがもとヴァリアーのサブらしくスュブリム生地の極上品。このクラスのシャツは当然オーダー品の筈。薄いグレーで、ほんの少しだけブルーが混じっている。無地だが、よく見ればななこの織り模様入り。

最高級エジプト綿の中からほんの少しだけとれる200番手の極細の木綿の糸でつくられた、とろけるような肌触りがたまらない。シルクのようにべたつく感じはしない、コットンらしく通気性が高くてさらっとしているのにしなやか、そんな感じは、昨夜さんざん触れた、あの肌に似ていた。

「……」

 袖を通す。予想通り、袖が少し余る。身長差は二センチほどだが手足はあっちの方が目に見えて長い。カフスの位置で獄寺はそれを測る。三センチほども違う。獄寺自身、長身ですらりとしたスタイルの男前であることを自負しているのだが。

「どこのデルモだ、バケモノめ」

 洒落男は他人の格好良さにも賛辞を惜しまずシャツのボタンを留めながら賞賛した。罵り文句のようでも褒め言葉だ。袖丈のあわないシャツには違和感があったが、その着心地の『悪さ』がなんだか、ひどく気持ちがいい。

 肩幅は同じくらい。胸まわりもそれなりにあう。腹は少し苦しい。ほっせーなぁと改めて呟く。腕に抱いたカラダの、片手で掴み取れそうな細い腰を思い出して口元を緩めた。

「……」

 その、笑みは。

 爽やかではない。ややいやらしげな、ほくそ笑みに近い。けれど美形は得だった。ふつうの男ならニヤケ面になる表情さえ扇情的、魅力的に見える。

 クローゼットに吊るされた50本近いスラックスの中から、シャツの色合いにあった一本を取り出して履いた。ベストと上着もそれにあわせ、ネクタイは補色にあたる薄い黄色に白抜きで髑髏が浮かぶ柄。

 鏡に映る自身に満足して『外』へ出る。朝のおめかし、その日の自身の格好に満足した獄寺には怖いモノなど、何一つなかった。

 

 

 

 

 ドン・キャバッローネはその前夜、会議の行われたホテルに宿泊した。翌朝、沢田綱吉が夜半に本邸へ戻ったことを知ったが特に気にかけなかった。雲雀恭弥がホテルのベッドか枕かを気に入らなかったんだろうと思った。実際、その通りだった。

 弟分の情人は自分の弟子だ。二人のことを金の跳ね馬は微笑ましく思っている。そうして時々、ひどく羨ましくなる。惚れた相手に振り回されている沢田綱吉が、嘆く言葉と裏腹に幸福そうなたびに深刻な嫉妬を感じる。自分にもあんな時期がほんの少しあったことを思い出すと、切ない。

 本当に短い時期だ。学生時代のママゴト、本当の性交ではなく、擦り付けあってのペッティング止まりだった。当時の跳ね馬はキラキラの美少年で、その容姿を気に入った銀色の方から手を伸ばしてきた。銀色は当時から牙の鋭い肉食で凶暴な人食い鮫だった。でもベッドの中ではそっちが受身だったのは、当初から快楽に敏感な適性を持っていたから。

 シニアに進学したら本番しようなとヘナチョコだった金色は誘った。てめぇがもちっとマシになったらなぁと、蕩けた表情で銀色は笑った。いずれは抱かせてもらえると思っていた。その日を楽しみにしていた。けれど銀色はシニアに進学することはなく、学校にさえ帰ってこなかった。あの十四の春。

 寝取られた、と、金の跳ね馬は今でも思っている。一瞬の裏切りを恨めしく思う気持ちもある。でもそれ以上に相手の男を、ザンザスを憎んでいる。俺のものだったのに横から手を伸ばして、不法な手段で奪われた、と、そう思っていた。それは俺のだ返せよと、ずっと思っていた。

 やっと取り戻して、十四の頃の続きが出来ると思っていた。でもそうはならなかった。抱くたびに元気を失くしていく愛しい相手をどうすればいいか分からない。最初は笑ってくれていたのに最近は寝床で喋ってもくれないで俯く。寝床ばかりではないのが更に輪をかけて寂しい。

そんなにキツイセックスをしているつもりはない。最中だけは情熱的に応えてくれるのに、それに反比例して他での反応が鈍くなっていく恋人を、どうすれば元気づけてやれるのか分からない。そんな時に弟分と愛弟子が、暴力的にじゃれあっているのを見ると微笑ましいと思いより先に、羨ましすぎて妬ける。雲雀恭弥は沢田綱吉の前ではよく笑う。沢田綱吉に泣きが入るたびに微笑む。意地悪そうにでも、笑顔は笑顔だ。

あんな風でよかった。自分の方が奴隷でまったく構わなかった。愛していると囁いても意味の理解できない異国の歌を聞いているような顔をされてしまう今より。