後悔・17

 

 

 

 

 

 結局。

 跳ね馬の帰宅を、待ち受けていた山本が出迎えて、なるようになって。

 立ち回りの騒ぎを聞きつけた銀色の鮫が、跳ね馬のムチを左手に巻きつけたまま山本の鮫衝撃を、峰打ちだったが頭に受けて失神。問題はそこからさらにこじれた。医師の手当てを受け意識を失ったままの恋人を金の跳ね馬は連れて帰ると言い出して、一時休戦していた山本を再び激昂させ、そして。

 銀色の鮫は安全地帯に保護された。すなわち、ボンゴレ本邸からやや離れたヴァリアーの本拠地へ。そこへ踏み込むことはいくら跳ね馬でも出来ない。ボンゴレ本邸でドン・キャバッローネにケガでもさせたらファミリー間の抗争に発展しかねない責任問題だが、ヴァリアーに乗り込んでいってどうなったとしても、毒蛇の巣穴に足を踏み入れた本人の自己責任。

「結論から言うと持ち出し厳禁です」

 そして結局、ボンゴレ十代目沢田綱吉が出てくる。

「うちにとっても貴重品ですから、お持ち帰りはご遠慮ください。山本とのことは、うーん。乱暴したなら、俺も一緒にスクアーロさんに謝るし、山本のことを処罰もするけど、そうなの?」

 沢田綱吉が山本の方を向く。その背後には獄寺隼人が側近として控えている。山本は立ち回りの興奮とスクアーロに刀を当ててしまったショックで表情が固いが、それでもニッと笑って肩を竦める。

「被害者本人からの訴えがない限り、セックスしたことを咎めるのは無理ですよ。面識のない他人とかならともかく、うちの山本とスクアーロさんはそもそも、けっこう仲良しなんだし」

 ねぇ山本、と、沢田綱吉に水を向けられて、おおよと山本武は嬉しそうに答えた。

「すっげぇ仲良しだぜ。俺はスクアーロに無茶苦茶かわいがられてる直弟子だかんな。リング戦の後から日本に来たりイタリア行ったり、ガキの頃から構われてしごかれてでかくなったんだ」

 嘘ではない。

「スクアーロがこっち来て暮らしだしてからも、うぜぇヤローが絡みつくの避けて、俺の部屋でよく、獄寺入れて三人で、一緒にメシ食ってたし」

「……」

 金の跳ね馬が顔色を変える。拳を握り締め立ち上がろうとする。立たれる前に獄寺が動いた。しゅ、っと、上等の革靴が空を切る音がして、次の瞬間、横面を蹴り抜かれた山本武の身体は椅子ごと飛ばされ壁にあたって、派手な音を立てた。

「い……、ってぇ……」

「同盟ファミリーのボスに無礼な口を利くんじゃねー」

 ぶつけた頭を抱えてうめく山本に、獄寺は冷たい声を掛けた。それでいて歩み寄り、椅子を退けて手を貸して立たせてやる。仕草には愛情があった。

「メシはよく、一緒に食ってたけどな、確かに」

 そして、かなり露骨な援護射撃。

「あの別嬪は食い終わった後もぼーっとしてカフェ何倍も飲んで、部屋に帰りたくなさそーなこともあったな、よく」

 聞かされる事実に金の跳ね馬は凍りつく。あーあ、と、沢田綱吉は兄貴分のために悼んだ。頭のいいオンナの前で男は無力な生き物だ。この場合、それは獄寺隼人のことを意味する。

「……山本、お前は」

「はい、なンすか?」

 椅子に座りなおしながら山本武はしゃあしゃあと答え。

「悪いことをしたと思っていないのか。俺のオンナを寝とって、自分の恋人を裏切って」

「寝取れたら嬉しいンすけど、エッチしたからって靡いてくれっかどーかはスクアーロ次第なんで、まだ分かりません。遊びで済まされそーでヒヤヒヤしてます」

 山本の口調が丁寧なのは、獄寺隼人が真横に立って、指をポキポキ鳴らしているからだ。

「獄寺に関しては……。おまえ怒ってっか?」

「全然」

 その会話は猿芝居。銀色に手を出したのは獄寺であって山本は巻き込まれただけ。もっとも『混ざった』あとでノリにノリ、素晴らしい目にあったのは事実で、だから獄寺の分まで責任を押し付けられても平然と受け取っている。

「そこらの娼婦やらまだ田舎クセー煙草屋の看板娘とかならともかくよぉ、美貌実力ともに轟いた天下のスペルビ・スクアーロと並べられんなぁ、わりぃ気しねぇぜ、さすがに」

 驕慢な物言い。それが通じるのは母親に譲られた奇麗な顔のおかげ。

「マフィアのヤロー同士、どーせお遊びだけどよぉ、てめーにしちゃ大物モノにしたじゃねぇか」

 狡猾な台詞だった。ドマジのディーノを鼻先でせせら笑うような。妻に密通された訳でもないのに大袈裟に騒ぐなと暗に伝えている。

「一人でてめーの相手すんの疲れるし。俺は構わないぜ、トライアングルでも」

「俺も、ぜったい、そーなったとしてもお前を寂しがらせねぇよ。誓う。二人ともちゃんと腹いっぱいにしてやる」

「ってゆーことで、まぁ」

 沢田綱吉が自体を総括した。

「全てはスクアーロさん次第ってことで。俺はスクアーロさんから訴えが出たら山本を処罰します。出なかったら合意の上だったってことで、後は当人同士で話し合ってください。結論が出たら教えてね。ジッリョネロファミリーの方に一応、それとなーく伝えなきゃならないから」

「ツナ」

「個人的に、俺はスクアーロさんがディーノさんと仲良くしてくれればいいと思ってますよ。山本は贅沢しすぎ。しめたい。でも本人たちがそれでいいなら俺が口をだすことじゃないし」

「まだ足りないのか。俺から散々搾り取っておいて、まだ」

「えーと、それはもしかして、スクアーロさんの恋人募集してた頃の話ですか?」

 跳ね馬は確かに搾取された。利権も人脈も権益も。

「愛情の証明を色々いただきましたね。ありがとうございます。でも結局、俺は媒酌していませんよ。俺がディーノさんを推薦する前に、勝手に二人で仲良くなって、出来上がっちゃったじゃないですか」

 もともと本命だったので、さして問題にはならなかったけれど。

「だから、ディーノさんに貞操を守るように言えとか、浮気相手の山本を叱れとか、俺が要求されるのはおかしいと思います。俺は俺なりに応援してるし便宜も図ってるつもりです。でも恋人間の愛情は他人が口を出すことじゃない。そうでしょ?」

「……建前はな」

「本音は違うんですか?買いたくても売りませんよ。あの人は非売品です。欲しいなら自分の魅力で何とかしてください」

「スクアーロと、連絡は?」

「明日、俺が迎えに行くつもりでいます。そこで本人の意思を聞いて、ご連絡しますよ」

「……待っている」

 悄然としてボンゴレ本邸を辞去した金の跳ね馬は本当にかわいそうだった。

「なぁ、俺、遊びで済まされんのかなぁー」

 見送りに参加しなかった山本も、戻ってきた二人に向かって悲しそうに相談をしたが、あまり同情はされなくて。

「知らないよ。だとしても、十分いい思いしたんじゃない?大体さ、山本は贅沢だよ。トモダチだから俺は山本の味方だけどさ、心情的にはディーノさんのことをすっごく可哀想にって思っているんだからねっ!」

 ぷんぷん怒って沢田綱吉は出て行く。浮気したのに死ななくていいなんておかしい、と、小声で呟きながら。確かに沢田綱吉の恋人は恐ろしい。雲雀恭弥なら浮気の処罰が処刑というのは突飛な設定ではない。

「獄寺ぁ、どー思うー?」

「知らねーよ、アイツのつものなんざ。ただ、俺は遊びで済ませる気はねーよ」

 煙草を口に咥え、その先端に火を点けながら獄寺隼人は婀娜っぽく笑う。オスにもメスにも変貌可能なしたたかさを宿す唇には今回、独りで決めさっさと実行するという男らしさが漂う。

「おーっ、さすが獄寺!凛々しいぜ、頼りになるのなーッ!」

「けどま、そりゃまた今度の話だ。部屋帰って着替えとってこい。てめーは今、この場から懲罰室行きだ」

「お?」

「敷地内での乱闘の罰は反省文百枚」

「は?」

「誤字脱字ヌキでな。仕上げるまで食い物はパンと水だけだ。さっさと行け」

「は、え、ちょ、ご、……、そりゃね、おい、獄寺ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 閉じ込められた懲罰室で、筆圧の高そうな音をさせながらカリカリ、山本武は真面目に反省文を書いている。

 しかし。

「やっと二十三枚目かよ。先はなげーぞー、がんばれー」

 努力はなかなか、形として結晶しない。

「ごーぐーでーらー」

 昨夜から懲罰室に謹慎させられた山本武には本当に水とパンしか与えられていない。自分の顔を見るなり情けなく泣きを入れる男に、獄寺隼人はフンと鼻を鳴らした。

「ンなツラしたってまけてやんねーぜ。おら、書き直したなら見せろ。二十四枚目いけたか?」

 誤字三箇所の付箋をつけて突っ返したレポート用紙を獄寺は格子ごしに受け取る。懲罰室は十五センチほどの間隔の仮設鉄格子で半分に仕切られていて、手前には監督者用のソファとテーブル。

その上に獄寺は持ってきたトレーを置いた。

「獄寺ぁ、ありがとう!腹へってたんだ!」

 山本武は嬉しそうに椅子から立ち上がり、見えない尾をブンブンと振りながら鉄格子に近づいた。夕食のパンと水は既に差し入れられていたが、皿もコップもとおに空になっている。水はまぁ、トイレと洗面台はついているから、脱水症状になることはないだろうが。

「なに寝言いってやがる。これは俺んだ。てめぇのメシじゃねぇ。あの銀色誘ったらふられたんだよ」

 トレーの上には幹部用の食事が並んでいる。野菜たっぷりの豆とベーコン入りトマトの真っ赤なミネストローネスープ、マグロの赤身のヅケのとろろ添え、すりおろした玉葱に漬けてさっと焼いたシャリアピンステーキにニンジンとインゲン豆のソテーを添えたもの。パスタはグリーンアスパラガスとソフトサラミのカルボナーラ、とどめのドルチェは抹茶をきかせ粒あんを挟んだパウントケーキのスライスにバニラアイスを添えたもの。

 もちろん、毎日こんなメニューなのではない。雲雀恭弥が滞在しているがゆえの特別メニューだ。実にいい匂いを、空腹の山本の鼻先に漂わせながら。

「まったく、何カロリーあんだよこれ。ブタになっちまう」

 わざとらしい文句を言いつつ獄寺は箸を手に取りいただきますと両手を合わせる。沢田綱吉の家庭に世話になることが多いうちに身についた習慣。山本武は獄寺のその仕草をひどく可愛いと思っている。思っているが、今は『いただきます』をする獄寺よりもステーキの一切れが食べたい。

「ごぐでらぁ〜」

「あぐあぐ、むしゃむしゃ。ごくん。今度のシェフ、煮込み料理が得意だな。スープうめー」

「ごくでら、ごくでら〜」

「んー、マグロもうめー。てめーの親父が送ってくれたのだかんなぁー。でもそろそろ終わるなぁー。カマは、ヒバリと銀色に食わせとくかぁー」

 獄寺の手元にあるのは竹寿司の湯のみ。おおぶりのそれにはぬるい番茶がたっぷりと煎れられている。

「ひでぇよ、ゴーモンだ、チクショウ……。訴えてやる……」

 鉄格子の手前で崩れおち、床板を爪で引っ掻きながら山本武が身も世もなく嘆く。鉄格子のこちらには絨毯が敷いてあるのだが、懲罰を受ける人間の側は板床。

「欲しいかー?」

 獄寺は意地悪に笑う。そうしてスープ皿とともにソファから立ち上がった。大き目のスプーンに掬ったミネストローネスープを鉄格子ごしに、床に崩れた山本の鼻先につきつける。

「んー」

 山本武はひどく素直だった。大人しく顔をあげ口を開く。その素直さに獄寺は笑い、スプーンを傾けて液体を流し込んでやる。レンズ豆とみじん切りのベーコン、炒めた玉葱、微量のセロリのスライス、そしてトマトたっぷりのスープは慣れない粗食に丸一日耐えた山本の舌と胃にしみわたるほど効いた。

「……、うめー」

 目を閉じ、感極まったように舌鼓を打つ。

「ははは」

 その様子が面白くて獄寺は、またスープを掬って与えてしまう。深いスープ皿が空になるまで。その後でテーブルを鉄格子の手前まで引っ張ってきた。

「おらよ」

 自分で食えと、食べかけた箸を差し出す。

「え、お前は?」

「先に食った。意地悪しただけだ」

「ホントか?」

 鉄格子ごとに山本は腕を伸ばした。獄寺の腹に触れて、胃の手触りで食後ということを納得してから箸を手にする。湯飲みの番茶は山本に譲って、獄寺は保温ポットからコーヒーを継ぎ、湯気を吹きながら。

「あの銀色、ディーノさんに送られて帰ってきたぜ」

 言った瞬間、山本の箸がぴたりと止まる。

「……復縁したって言うことか?」

「そーゆーこったろーな」

「チッ……」

 柄悪く舌打ちをする男の、普段あまり自分には見せない凶暴さに獄寺は内心で見惚れる。これは自分に向かってはいつも腰が引け気味だがあの銀色の美形には押しが強い。獄寺自身はどちらかというと、いやはっきりと、優しい山本武より銀色と鮫に向き合った時の強引で余裕のない山本の方が好きだ。

「イタッ。なんだよッ!」

 鉄格子ごしに頭をはたいてみたのは、感じてしまった照れ隠し。

「とってこい」

「あー、チクショウ、イテ……、あ?何を?」

「あの銀色、俺にとって来いよ。今度こそヤリてぇ」

「ちょっ、タイム」

 なんの話か理解した山本は手を上げて獄寺の話を阻み、ガツガツと鉄格子ごしに食事を取る。パスタは少し食べにくそうだったが顔を格子に突っ込むようにして、パウントケーキまでなんとか完食した。 

その間に獄寺は煙草を吸う。

 煙の向こうに昨夜の記憶が、蜃気楼のように見えた。