後悔・19
悲惨な思い出だ。場所は山本の部屋。獄寺は緊張と嫌悪感で、布団の上で何度も吐いた。セックスがキモチいいとか悪いとか以前に、服を脱いで他人と粘膜を擦りつけること自体が気味が悪かった。自分に向かって鱗を膨らます蛇が醜悪な悪魔にしか見えくて総毛だった。自分が本当はオスの自分もセックスも嫌いで怖いのだと自覚した、まだ十六の夜。
普通ならあれでお仕舞いになる。けれどいざという時の山本武の度胸のよさと押しの強さでその夜のうちに、なんとかするべきことはした。おかげで付き合い自体はそれからも続いたが、セックスはそれからも齟齬が激しくてうまくいかないままだった。
ごめんと謝ったことが何度もある。らしくなくしおらしく、うまく出来なくってごめん、と。
捨てられても仕方がないと思っていた。止めてもいいぜと何度も言った。自分から別れることは出来なかった。この相棒を好きだったから。
普段は傲慢で態度のでない獄寺に謝られるたびに山本は苦しそうに、明らかにムリをして笑った。俺がヘタククソなのかもしれねーじゃん。そのうち慣れるさ、あんま気にすんなよ、と。気休めの慰めだと獄寺には分かっていた。身体を使ってすることで山本が人に劣ったことはなく、自分の問題が身体的なものではなく精神的なものということは分かっていた。
山本が諦め混じりに、性欲を玄人で解消しだしたのは二十歳を過ぎた頃から。売春婦は病気が恐いぜ決まった女を作れよと獄寺は一度だけ言った。いやそれはしない、と、山本は獄寺の忠告を拒んだ。
同じ女を二度は抱かないことにしてるから、と。
それは山本なりの貞操。我慢できずに裏切ってしまう恋人に対するせめてもの操立て。その券に関しての会話はそれきりだったけど、お互いの心にわりと洒落にならない傷になって残った。
明るかったお前を愛しているんだ、と。
荒んでいく男のことを悲しく眺めながらずっと思っていた。
でも。
それはもしかしたら、お互いにだったかも、しれない。
楽しそうに嬉しそうに、銀色を抱き終えた男に。
「……ゴクデラ」
名前を呼ばれて、獄寺隼人は回想を止めた。なンだよ、と答えながら男を見る。男は少し照れたような、でもひどく明るい表情をしていて。
「カライキ」
「あ?」
「見ねぇ?かわいーのな」
手招きされてベッドに近づき男の腕の中の銀色を覗き込む。眠ってしまった子犬や子猫を見せるようにそっと、長い髪を払って現れた表情は目を閉じ唇を薄く開いて。
「いまイってんの。最中」
男が言うとおりだった。全身を桜色に染めてビクビク、性感に浸ってうっとり、耽溺している、甘い表情を浮かべている。蕊はもう膨らみかけ程度で、蜜を吐き出す力は持っていないけれど。
「これがアレだろ?ドライなんとか、って」
「……ああ」
そうか、と、獄寺隼人は思いついて納得。はじめて見る、というよりも、ホントにあるんだなぁ、と感心しながらひらかれた唇に指先で触れる。
「うわ……」
銀色の鮫は正気ではない。指先はごく自然な動きで唇の中に含まれてしまった。柔らかな舌が指先に心地よい。くちゅ、っと舌を絡められて吸われる。
「抱いてみっか?」
腕の中の子猫を譲るように山本がカラダを引いた。@ー、と、獄寺の指を咥えたままの唇から声が漏れる。離れた山本の代わりに獄寺はバスローブを脱いでベッドの上で重なって抱きしめる。骨がないようなしなやかさで銀色の鮫の死体が腕の中に納まる。体中の関節から力が抜けて全身が甘く弛緩している。
「伝説だと思ってたぜ。ホントにあんだなぁ、こーゆーの」
浅い呼吸を繰り返しながら、甘く痺れるオンナを抱きしめる。暖かくて柔らかい。大人しく従順に腕の中に納まる。なんだかすごく、可愛い。
「さいのー、あるヤツはチガウな……」
凄くいいオンナだなと再認識。山本はにこにこ、獄寺が銀色の美形を撫でるのを無邪気に眺めている。可愛らしさを一緒に堪能しようぜというのは愛情だった。常軌を逸していて、かつ、バチアタリでは会ったが。
「すげー」
獄寺の感嘆にほんの少し、羨ましさが混じる。同じ男に抱かれても自分はこんな風にはなれないという事実が悲しかった。こんな風に反応できれば男を愉しませてやることが出来るのにと思うと切なかった。でも。
「よかったな」
いいオンナを上手に抱けた恋人を獄寺は祝福した。そうして腕の中のカラダをシーツに横たえる。こてん、と、しなやかなカラダは素直にシーツの上で伸びる。まじまじと眺め下す抜群の肌に見惚れて、そして。
「……おい」
膝に手を掛け、披かせようとした、ら。
「ダメ……」
その手を、山本に掴まれてしまう。狭間を暴こうとしたのを阻まれて獄寺は眉を寄せる。
「なンだよ、邪魔すんな」
「ダメ」
「あぁ?」
「なんか、ヤダ。だめ」
「ふざけんな、てめーは好き放題しといて」
「オマエは俺がヨくしてやるからさ」
「いらねーよ。手ぇ離せ」
「やだ」
「その図体で可愛いフリしたってムダだぜ」
「お前とスクアーロが仲良くすんのヤだ。いま俺、すっげー寂しいキモチになった」
「はあー?」
心から馬鹿にした声を上げつつ獄寺隼人の内心はけっこう、嬉しくないことはなかった。獄寺の手を握る山本の視線はマジで、強くて、必死だった。
「オレがなんでも、するからヤメテくれよ……」
一途に乞われる。本当に心から一生懸命な様子で。そんな風にされたのはずいぶん久しぶりだった。まだ少年の頃、自分がセックスの相手としてヤクタタズだと知られる前、欲しいと繰り返し乞われて以来、だった。
「お前が抱きたがるのなんか珍しいから、させてやりたいけどさ、でも……、やっぱヤだ。ごめん、ダメ……」
「おぉーい」
手を引かれる。抱き寄せられる。腕の中にぎゅうっとされて、獄寺隼人は目を閉じる。いい、気分だった。
「……、ろよ」
「頼むから。ホント、俺がナンでもすっから、な、な」
「離せよ。着せなきゃ寒いだろ」
「……え?」
「てめぇはほんっと、オンナの扱い方なってねーな。ヤるだけヤって放り出すツモリかてめー。ジョーダンじゃねーぜ」
「え、っと?」
「毛布、被せろ」
視線で、裸のままシーツに横たわる銀色の鮫を示す。ドライオーガズムは納まったのか、さっきよりは色味が冷めつつある、けれどまだ上気した美しい顔と身体を。ぶるっ、とそれが震える。興奮が冷めて人肌が離れて寒くなったらしい。
「あ、ああ」
山本は素直だった。足元に蹴りやられていた肌触りのいい綿毛布を手にして広げ、素肌にふわりと掛けてやる。きれいなハダカが隠されてしまうのは残念だったけれど、毛布の下で手足を身体に引き寄せ、丸くなる銀色の鮫は相変わらず可愛らしい。
「獄寺」
オンナの扱いがなっていないと叱咤された山本は気遣いを見せる。脱いだバスローブを拾われ肩に掛けられて、ちょっといい気分で、獄寺隼人は袖を通す。そのまま、抱き寄せられ導かれるまま、ベッドに腰掛ける姿勢をとらされる。
「……、はぁ……」
床に座り込んだ山本に膝を割られ、狭間に唇を寄せられて。
「ん……」
見た目より柔らかな黒髪を撫でながら息を吐く。舐めてくれるのは珍しいことではないがキモチよくなれるのは少ない。セックスの本番同様、こちらも苦手。射精はするけれど時間がかかり、気持ちがいいというより苦しんだ挙句のことが多い。
「は……、なんか……」
でも今日はなんだかいつもと違っていた。ちゅ、ちゅっとキスを繰り返され、舌先でチロチロと舐められて、それが、なんだか、素直にキモチがいい。
「……イけっかも……」
呟くと、自分を含む男の口の中がカッと熱くなる。興奮しやがったこいつと、獄寺は内心で嬉しい。偶然のフリで膝を閉じ気味にして山本の頭を挟み込んでやる。ちゅーっと、吸われた。ため息をついて、そのまま、ぱったりと、背中をベッドに倒す。
気持ちがいい、と、目を閉じ喘いでいた。
ら。
す、っと。
「……、ッ!」
思いがけない角度から頭を掴まれて。
「あ」
悲鳴に近い声を獄寺があげる。逆さまの視界の中に映ったのは禍々しいほど冴えた美貌の、切れ長の目尻。
何事か、と、目線を上げた山本は、ニッと笑って。ちゅーっと、また獄寺を吸い上げてやった後で。
「起きたのな、すくあーろ。おは……、ぶはッ」
一旦吐き出し掌で包んでやりながら、とぼけた挨拶をしかけた山本は銀色に横面を殴られてしまう。
「……、い、ってぇ……」
ベッドの上に腹ばい、義手の左手で獄寺の髪をわし掴みにした不自然な姿勢だったが、勢いののった拳は痛かった。
「ちょ、おい。髪、いてぇ、離せ」
「……ふざけ、やがってぇ、ガキどもぉ……」
起きた、というか、正気に戻った銀色の鮫の、呻き声は地獄の獣の咆哮のように低くて凄みがきいている。
「ぶち殺すぞぉ、てめぇらぁ」
底光りする眼光の、銀色の鮫の怒りは当然かつ正当。
「えっと、あの、その……。ごめん」
とりあえず自分の非を、山本武は率直に認めた。
「けど、あのさ。コロスの、俺だけにしてくんね?」
「離せ、おい、髪いてぇよ、ハゲるッ」
思いがけず早々と正気を取り戻されて山本も獄寺もビビッた。とりあえず獄寺は強がって怒鳴り、山本は率直に非を認め謝る。
「ごめんでぇ、すむと、思ってんのかぁ、ヤマモトぉー」
「思ってねーよ。でも、ごめん」
「髪、かみぃ!オレのこの色珍しいんだぜコンチクショウ。抜けたらテメーのプラチナブロンド引っこ抜いて植毛するぞっ」
「あ、の。とりあえず、離してやって、くんね?」
ぎゅっと髪を掴まれ頭をシーツに押さえ込まれた恋人が痛がるのを、見かねて山本は銀色の鮫に哀願する。ぎろりとそちらを睨んだ銀色の視線は、次に、じたばた暴れる獄寺を見た。そして。
「……胡桃」
「お?」
「テーブルの上にある。取って来い」
「え、なに?スクアーロ、腹減ったのか?なんか作って来てやろっか?」
「オリーブオイルと一緒に持って来い。細い紐も捜せ」
「は?」
「オレだけヤられんのは不公平だろぉがぁ」
意味がよく分からず首を傾げる山本より先に。
「……離し、やがれっ!」
危機を察した獄寺が暴れて逃れようとする。が、そのこめかみを容赦なく、鮫に横ざまに殴られ、とたんに動きを止めた。
「ヴ……」
口元を押さえて吐き気をこらえる。脳震盪を起こしてしまったらしい。ぐらぐら視界がゆれる。
「暴れやがると、オトスぜぇ」
「あの、スクアーロ、ちょ、な、獄寺には乱暴しないでくれよ」
「とか言ってる、テメェの甘さが、諸悪の根源じゃねぇのかぁああぁああぁー?」
「う……」
「え、な、んの?」
「胡桃に油ぁ、たらしてケツに突っ込んで、尻揉みまくれって言ってんだぁ」
「……お?」
ようやく山本は銀色の鮫がしようとしている『報復』を理解した。瞬く。そして。
「えーっと、あの、それ、って、さ。……獄寺、辛くねぇ?」
「ツライに決まってっだろーがぁ!助けろぉーッ!」
「内臓も生殖器もよぉ」
「スクアーロ、経験済み、か?」
「場所ってーかぁ、つきかたぁ、けっこう、個人差が、あんだろーがぁー」
「あ、うん」
山本は頷く。オトコがオンナに向けるものではない。、尊敬する師匠に対する弟子の態度だった。
「それは、分かる。ヒトによって随分違うのな。男は右曲がりとか左曲がりとか膨らみ方とか。女の子は上つきとか下つきとか、ナカの子宮口の位置とか、うん」
はきはきと山本はとんでもないことを答える。
「えっと、それが……?」
「このトボケた坊ちゃんのをぉ、てめぇ、探せぇ」
「離せッ」
「……胡桃で?」
粘膜ごしに刺激できる、前立腺の位置を。
「痛くねぇの?」
山本武は健康な成人男子である。
「スクアーロ、されたことあんだろ?どうだったんだ、苦しくないのか?」
セックスには積極的。特に『恋人』とのセックスには。ただし愛情深くて、相手が苦しがることはしない。
「メスじゃねぇのにヤられるほどぉ、くるしかぁねぇぞぉ」
「あー、やっぱクルシーんだ」
「メスになるまではなぁ」
にやりと、笑う銀色の表情はいやらしげで、何を言いたいのか山本にも分かった。
「して、やれっかなぁ?」
「まかせろぉ。やるぜぇー」
「……うん」
山本が立ち上がる。獄寺と銀色が食べ散らかしたテーブルへ移る。ナッツが好きな獄寺のために、丸ごとのくるみを山本は切らさない。それが皿の端に何個か転がされている。
「……、っ……」
獄寺が静かなのは首をホールドされ気管と血管を絶妙に押さえつけられているせい。暴れたり大声を出したりしたら本当に締め上げられて失神せられそう。
「オレにぃ、あンなふざけた真似しくさりやがっといてぇ、無事で済むとはおもってねぇだろぉ、おぼっちゃん?」
そう、言いながら獄寺の喉を撫でる指先は、愛しげ、優しげでさえあった。自分を見下ろす、銀色の美貌に、かすむ視界ごし。
獄寺隼人はたぶん恋を、した。