後悔・20

 

 

 

 鉄格子ごしのキスはバニラアイスの味。

「……」

 甘さに獄寺は少し笑う。山本は目を閉じていたが、その気配を察して、上機嫌そうなのに乗じて、そっと腕をさし伸ばし、背中を撫で下ろし腰から尻に掌を当てようとした、が。

「ほが、ッ」

「調子にのんじゃねぇ」

 引き締まった膨らみに指先が触れる前に、顎先を下から拳で突き上げられて沈没。辛うじてしゃがみはしなかったが鉄格子にしがみ付き姿勢を保つ。

「俺ぁまだてめーに腹たててんだぜバカモト。ただアレを先になんとかしてーから休戦だ」

「すくあーろのこと好きになったのか?」

「……」

 懐から取り出した煙草に火を点け、煙を吸い込む時間、獄寺隼人は自分自身に向き合う。

「知んねーよ」

「好きになったのな?俺と、どっち?」

「だから、わかんねーって、そーゆーの。ただてめーとは、随分違うカンジだぜ」

「抱きたいってことか?」

「……」

 煙ともに自分自身の気分を獄寺は、舌の上で味わい考え込む。

「……かな」

 女を好きになったことがない。本当に一度もない。だからこれが、まともな男の好きというキモチと同じかどうかは分からない。

「触りてぇな。そばに置いときてぇ」

「獄寺ぁ、お前すっげーエロイ顔してるぜ?」

「そーか?大してエロイこと考えてねぇけどな」

 剥いて披いて扱いて犯して、とかを想像しているのではない。今はいない。細いのによくしなる、あの手ごたえを思い出しているだけ。今日は一日、アレのシャツを着込んで過ごした。身動きのたびに違和感のある脇の下や肘が面白かった。

「最初のオンナ、あれがいい」

「えー。お前チェリーじゃないだろ?筆おろし俺よか早かったじゃん」

 日本に来る前、まだガキの頃、イタリアで。その時は子供だったから、たいして面白くもねーな、程度にしか思っていなかった。

「そのおねだりは通じねーよ」

「シロート童貞だ」

「いまさらじゃね?」

「ンだよ、バカモト。てめー跳ね馬に譲るツモリかよ」

「それはイヤだけど、お前とスクアーロが仲良しになり過ぎると俺が寂しいのなー」

「バカモトのクセに細かいこと気にすんな、らしくねぇ。後で、並べて、ヤりゃいいじゃねーか」

 ひどくアブノーマルなセックスの提案を、なんでもないことのように獄寺隼人は口にした。まるでコース料理のメイン、セコンドビアットをバラバラに頼んで分け合おうぜ、という程度の、ごく軽いノリで。

「獄寺ぁ、お前それマジで言ってんの?」

 山本武が笑おうとして、しきれず頬を引きつらせる。

 怒っているのではない。

「俺は、アトな。終わりかけのふにゃふにゃぐれーでいいや俺は。ノコリモンでジューブンだ」

「おーい、その言い方はねーよ。何回目だってそんなにフニャじゃないぜー」

 山本武の態度はスクアーロに対してのときと微妙に違っている。あのビジンには子犬のフリをして懐いてみせたが獄寺に向かっては同じ姿勢をとらない。

「あれぐれーだと、あんま恐くねーし、殆ど痛くねーし」

「んなこーと、ねーって。オマエがあんだけやわらかーくなってりゃ、大丈夫だって」

「そーかぁ?」

 美しい指に煙草を挟み、疑い深く山本を見た獄寺に。

「そーだぜッ!」

 山本武は気合を込めて請合う。

「かもしんねーけどよ、とにかく、アレと一緒がいい」

「いや、それは、俺だって、そんなのお花畑だし、腎虚になっても本望だけどよ、とりあえず、なぁ……。開けね?」

 懲罰室の鉄格子の鍵を外して、抱きあおうぜと、目をキラキラさせながら訴える。

「てめーが反省文100枚書き終わるまで開けねーよ。あと、それが、次の条件だかんな」

「次、って、おい獄寺」

「アレと一緒じゃなきゃもーてめーとはヤんねーって言ってんだよ」

「……ハードル高すぎね?」

「愛の力で乗り越えて見せろ」

「バルコニーってレベルじゃねーよ。万里の長城だぜッ」

「ま、その前に反省文100枚だな。おやすみ」

「獄寺ぁ。オマエそれ口実にして、もしかして俺と別れよーとしてねー?」

 空になったトレーを手に、部屋を出て行こうとした獄寺隼人の背中を山本の低い声が追う。

「冗談じゃねーぜ。ゼッタイ別れねーからなぁ!俺を捨ててみろ、一生ストーカーしてやる!」

「飛躍しすぎだ、ばぁか」

「俺と手ぇ切れると思うなよッ」

「そりゃこっちにの台詞だぜ。ヒトを……」

 言いかけて獄寺は黙る。興奮しかけていた山本が深呼吸して、落ち着こうと努めているのが分かった。

「ヒトを?」

 そして、笑う。

「オマエを、なんだ?」

「うるせー」

「なんだよ、言いかけて止めるなよ。言えって。オマエがどうしたって?」

「おやすみ」

 踵を返した獄寺を。

「あの、よ。怒鳴って、ごめんな?」

 強気になりきれない山本の声が追った。

 

 

 

 

 久しぶりに見かけた姿は、何処のモデルかと思うくらいで。

「……うわー」

 連れていたベルフェゴールの嘆声を聞きながら、思わず見惚れてしまう。

「なんか、なにあれ。すごくね?」

「すごいわねぇ」

 ナイフ使いの王子様に同意を求められたルッスーリアが答える。

 二人の視線の先にはなじみの銀色。ボンゴレの本邸で行われる復活祭のパーティー会場、そこに面した中庭の片隅でインターコムをつけた警備主任が、広間に出入りする人間をさりげなく目配りながら、口元のマイクに向かって何かを話している。

 春たけて四月も半ばを過ぎた宵の一刻、満月がほんの少し欠けた月齢は十六。かすかな薄雲に隠れつつ、それかうっすらと浮かぶ夜空を背景に、銀の美貌は光り輝いて見えた。

「ちょっと痩せたかしら。でもなんだか、お色気に磨きがかかっているわねぇ?」

「センパイ幾つだよ。バケモノォ」

「後でイースターエッグを届けに行きましょうね」

「しし。爆発するやつ作ってきた?」

「さすがにそれは自粛したわ」

 マフィアというものは年中行事に忠実なものだ。ヴァリアーでも復活祭は行われている。本部の古城のあちこちに隠された99個のイースターエッグを、今頃は下っ端たちが必死の形相で探しているだろう。時限式で、午前零時になると爆発するよう設定されたそれを探し出した数が一番少なかった隊は一年間、非番時の清掃奉仕が強制されるのだから。

「ドン・キャバッローネからの干渉が激しくて、ボンゴレ本邸の人間が困っているっていう話も聞いたけど」

「ああ、跳ね馬ね。あいつワルイ奴じゃないけどさ、いかにもうぜぇ彼氏とか旦那とかになる系だよなぁ。ししっ」

「放し飼いですものね、わたしたち、基本的に」

 暗殺部隊という性質上、あまり外に出ることもない。当然、式典や礼儀作法とは関わりなく過ごしてきた。ボスが九代目の息子と言う特殊な立場で、そのせいでお供たちだけはこうやって表舞台をうろつくが、それも顔を合わせるのは殆どがボンゴレの身内、幹部クラスの面々に限られている。

 そんな風にして長年生きてきたのに急に奇麗なお洋服を着せられて、お行儀よくしていなさいと鎖に繋がれるのは辛いだろう。

「似合っているし、健気に頑張っているけど」

「痩せたよな」

「そうね、少し」

 やつれたわねとルッスーリアが繰り返す。姿を見つけて足を止めたボスの背後で交わされる会話はほんの少しだけ自分たちのボスを責めている。どうして捨てたの手離したの外に出したの、と。あんなにあなたを愛していた、今でも愛しているあれをどうして、べつの男に渡してしまったの、と。

「……」

 長い銀髪の背後にすっと、別の人影が近づいた。ボンゴレ十代目の右腕、側近の第一と目される獄寺隼人が。アッシュグレーの珍しい髪の色に均整のとれた長身、少し崩したイタリアンスタイルのスーツがよく似合う、こちらも相当の美形。

今日は主賓の補佐としていつもよりきちんと髪を整え固いシルエットのスーツを着込んでいるが、まだ悪童の面影を若々しく残す、生き生きとした表情を浮かべて、銀色の肩に肘をのせ、耳元に唇を寄せて耳打ち。

「……」

 ザンザスだぜと、銀色は指摘されたのだろう。やや離れた位置から中庭に通じる回廊、来賓のうちでも数組にしか許されない内苑を通る通路に顔を向ける、気づいていなかったとは思えない。わざと目をそらしていたに違いないのに、指摘されそうし続けることも出来ず。

 銀色は頭からヘッドホンを取った。そうして恭しい仕草で腰を折り、『旧主』に対して礼儀正しく一礼。

 男は頷きも返礼もしなかった。黙って歩き出す。けれど銀色が自分に『気づく』まで立ち止まっていたことで内心はバレている。隠す努力もあまりしていない。政略結婚で娶った妻のことは意外なほど大切にしているけれど、それでも、まだあの銀色を心から愛している。

 

 

 

「ジッリョネロの連中もさぁ、ココロ狭いと俺思うんだよね」

 復活祭は家庭内の静かな行事。だからパーティーには他のファミリーが来ない。ティアラの王子様が本音を呟き、それが周囲に聞こえてしまっても大事にはならない。

「愛人もってないマフィアのボスなんか存在するわけないじゃん。センパイがガキ産むけでもないんだし、見えない振りして見逃してやれよって、俺は思うんだけどぉ」

 お供の控え室で出された料理を何の警戒もなく食べながらティアラの王子様はまだぼやいている。

「だいたいさ、やり方がえげつないし。別れさせるだけならともかく別の恋人作れとか、そんなのてめーらの知ったこっちゃねーよ、とかさ。ルッスも思うよね?」

「過ぎたのよねぇ、スクちゃんは色々」

 彼らのボスとの付き合いが長すぎた。仲が良すぎた。そしてお気に入り過ぎた。

「ボスとスクちゃんが納得しているなら、仕方がないことよ?」

「でもさー、なんで、センパイの恋人候補に、ウチからたてなかったんだよ」

 結局のところそれが言いたかったらしい王子様は、最近のボンゴレ本邸の騒ぎというか、盛り上がりが気に入らない。一度はふられた山本武が敗者復活を狙って、それにドン・キャバッローネが過激に反発し沢田綱吉が頭を抱えている、という情報は、ヴァリアーにも漏れてきた。

「偽装防止でしょう。仕方がないことよ。……はい」

 内線の呼び出しが鳴って、ルッスーリアが受話器を取り上げる。盗聴防止のためにボンゴレ本邸の通信機は全てが有線だ。

「はい、はい。ええ、分かったわ。すぐ行きます。……え、そうなの?ええ、それならいいけれど。……はい」

 ルッスーリアが電話を切って、デザートのティラミスをスプーンで掬っている王子様に。

「九代目が広間で会食中、倒れられたそうよ。自室に引き取られて、ボスはそっちに行ったって」

「ふーん」

 内容を伝える。聞かされた王子様の反応は薄い。

「あいつ最近、よく倒れるな。そろそろ殺すつもりなんじゃねーの?」

 実際に倒れたのは九代目の身代わりの影。本当に具合が悪いのではなく体調を崩しているというアピールの為だろう。いつ何が起こってもおかしくないと内外の関係者に思わせておくための演出だ。起こるべきことが起こったときに暗殺や陰謀を疑わせないための根回し。

 言いながら王子様はスプーンを大きく動かし、更に残ったティラミスをあんぐり一口で片付けて立ち上がった。ボスが移動した『九代目』の部屋にお供の自分たちも呼ばれると思ったのだ。しかし。

「私たちはこのままここで待機よ」

「えー、なにそれ。なんで俺らだけハブかれるワケ?」

「スクちゃんが行くからいい、ですって」

「……へーぇ」

 ティアラの王子様も察しは悪くない。意味はすぐに分かった。でも意外だった。

「誰から?」

「今の電話は、了平からだったわ」

「センパイとボス会わせてやって、あっちの守護者になんか得になんの?」

「面白いでしょうね」

「けけ、そーだね」

 王子様が笑う。維持の悪そうな口元に、でも少し、隠し切れない嬉しさが浮かんでいた。

 

 

 

 

 九代目が倒れた、付き添いと看護をと言われて通った奥の部屋には、色んな思い出が堆積している。

 運び込まれた筈の影はそこに居らず、本物の九代目はさらに奥まった医務室で半植物状態。それでもザンザスが導かれるまま部屋に入ったのは、何か話があるのだろうと思ったから。次期ドンに内定した沢田綱吉は、自分がその地位を奪い政略結婚を押し付けてしまったザンザスに対して相当の気遣いを見せている。

 気配り、という言葉だけでは表現が足りないほど。ボス気をつけてねとルッスーリアが妙な表情で口走るほど。けれどザンザスは沢田綱吉に対して殆どいつも無反応、何を言われても聞き流し、必要があれば頷くだけ。

 今日もそのつもりだった。ただ、呼び出された場所がやや不愉快でかすかに眉を寄せる。養父が長く暮らしていた部屋だ。幼い頃、学校から帰るたびにただいま戻りましたとここへ『ご挨拶』に来た。背伸びをしてかさついた老人の頬にキスをした。

 その記憶が蘇る。むかむか、する。部屋の奥へ歩いてザンザスはカーテンをあけて窓を開く。むかむかは換気されていない埃っぽい空気のせい。だということに、してしまおうと思った。

 ガチャ、っと。

 ノックもなしに部屋のドアが開く。きれのある動きで男が振り向いた。訓練された体は無意識に動く。ボンゴレ九代目の居間にノックもなしで入ってくるのがマトモな来客であるとは思えなかった。敵襲か。暗殺者か。

「……あ?」

視界の端にドアが映った途端、男は体の緊張を解いた。そこにはびっくりした表情の銀色。目を少し見開いているのが幼く見える。忌々しいほど、男にはそれが美しく見える。

「なんでお前が居るンだぁ?」

「こっちの台詞だ。ノックぐらいしろ」

「居るとは思わなかったんだよ。お前とツナヨシがここで会うって言うから、部屋チェックしに来たんだぁ」

 来客、それも賓客を通す部屋の点検は警備責任者としては当然の職務。客が先に来ているとは思わなかったと、いい訳をするその生意気な口調の強さを男は懐かしく聞いた。極上のスーツに包まれた細いカラダが男の前を通り過ぎ、男が開けた窓から外を見下ろす。美しく手入れされた中庭は背の低い花が幾何学模様を描くだけ、暗殺者が隠れる木立や遮蔽物はない。

「終わるまでうろうろすんなぁ、座ってろぉ」

 どっしりとしたソファを窓から死角になる位置に移動させて銀色の鮫は男に言った。男は内心で舌打ち。窓枠に手をついて外を眺める銀色の細腰の誘惑に負けて、掌で触れようとしたところだった。片手で掴み取れる薄い、けれどしたたかでしなやかに指の下でくねる、あの手ごたえを思い出してしまった。

「てめぇが目ぇ光らせてる場所に入り込む命知らずのヒットマンは今時いねぇだろ」

すすめられた椅子にどっかりと座りながら。

「昔と違って骨のある玄人はすくねぇ」

「そりゃ褒めてんのか?嫌味かよ。けどなぁ、お前だから言うけどここすっげーザルだぜぇ。何匹ネズミ捕まえて追い払ったか。始末できねぇネズミだから余計に性質がわるくってよぉ」

 敵対勢力からではなく身内、同盟ファミリーや長老たちの息の掛かった使用人や下っ端が多かった。銀色の鮫はそういう種類の生き物に鼻が利く。だてに長年、ボンゴレ十代目の相続を狙って血で血を洗う抗争を繰り広げていたザンザスのそばに仕えていた訳ではない。視線の動きや物腰、すれ違うときの態度、そんなかすかな違和感に敏感で、本能的に『異物』を嗅ぎ分ける。

「聞いてる」

 その功績は聞いている。沢田綱吉の口から謝辞を呈された。あんなに有能な人を譲ってくれてありがとう、と。

「窓、どーする?」

 窓から外をくまなく見回して、ようやく納得したらしい銀色が尋ねる。あけておけと男は答えた。部屋の空気は入れ替わっていたが、目の前をひらひら動くもと情人と二人、密室に居るのは気が重かった。

「元気」

「あぁー?」

「そうじゃねぇか、今日は」

 暫く前に一晩ひきとった時は殆ど身動きをせず、口もきかなかったのに。

「元気だぜぇ、俺ぁ、いつでもよぉ」

「よく言う。この前はめそめそしてやがったくせに」

「あれは……、色々あった後だったんだぁ。あと、お前だけだったから、だぁ」

 暫くぶりに会えてつい、気弱になって泣いてしまっただけ。

「ルッスとベルはぁ、どーしたぁ?」

「知るか」

「おかしーな、ナンか行き違ったかぁ?オマエを一人でうろうさせるなんざ、ぶっそ……ッ」

 髪を掴んだのではない。手が引っかかっただけ。

「ザ……、ッ!」

 膝の上に引き寄せたのではない。倒れこんできたから抱きとめてやっただけ。

「……おい?」

 不安定な姿勢で腕の中から見上げてくる、切れ長の瞳が不安そうに揺れている。思いがけなく二人きりになって、動揺しているのが自分だけではないことを知って男は、安心して笑った。