後悔・24
おい、と、咥えた煙草に火を点けながら。
「運転代わる。どっかに入りやがれ」
アッシュグレーの美形は何度目かそう言った。
「……」
言われた若い男は返事さえしない。表情と同じく唇も凍り付いて、日頃の快活からは信じられないほど無口。
「ナンにもされてねーぜ?」
分かっているとは思ったが、一応、そう言ってみた。それでも夜の街を疾走する車は止まらない。郊外のバイパスをぐるぐる、無意味に、走り続けている。
「そもそもアレだ。ナンかしよーとして攫われた訳じゃねー。たぶんな。お前の無線貸せ。今日は大事なこと喋るなって、十代目とヒバリたちに言っとかねーと」
ギアの上に身を乗り出すようにして獄寺は運転席の山本の体に触れる。途端、車のタイヤが鳴った。
「ちょ、お……、いてぇ、ってッ!」
郊外のショッピングモール、閉店後数時間を経て人気のない駐車場に車が突っ込んで止まる。エンジンを切ってギアをニュートラルに入れた男の腕に引き寄せられて。
「ハンブレ当たっていてぇんだよッ、シート引けッ」
抱きしめられることに文句はなかったが姿勢に無理がありすぎて苦情を告げる。男はシートを一番奥へ引き、ついでに背もたれを倒してカラダの、位置を入れ替える。
「……、ン……」
抱くというより押さえつけに来る腕は嫌ではない。固い指先に顎を捉えられる。ぞくぞく、しながら目を閉じ、奪いつくす乱暴な口付けを受けた。
「……、は」
唇の肉付きが山本は薄い。あの銀色も薄かったなぁと思い出す。自噴自身もかなり薄っぺらい。ふっと、さっきまで間近で眺めた別の男のことを思った。イタリアの色男らしい扇情的な口元をしている、顔に傷のアルあの男のことを。
思い出してつい、笑った。
「獄寺」
「あンだ?」
「……愛してる」
「知ってるぜー」
肩に額を押し付けてくる男を抱き返してやりながら獄寺隼人は言った。悠々と、自身たっぷりに。その愛情をうまく抱き返してやれなくて苦しんだことなどあったか、という様子で。
「だから落ち着け。屋敷に帰ろう。帰ったら俺の部屋来ていいからよ」
自分がそう言った途端、ひどく思いつめた様子で強張っていた男の肩から緊張が抜けるのを、獄寺隼人は肌で目で指先で、全身で感じた。
目を閉じる。気持ちがいい。この目の前の立派な男を自身が支配しているという実感。口先だけ、言葉だけで男の気持ちをくすぐれる自負は自惚れの甘さに舌の奥で変換され、喉を通って、胸の奥に沁みた。
「一緒に」
「寝てやっぜー。大サービスだ、条件は保留しといてやる」
あの銀色を俺にも食わせろよ、という要求を、叶えてくれるまでは自分にも食いつかせないと拒んできたけれど。
「ザンザスにゃなんにもされてねぇ。キスどころか手も握られてねぇ。十代目と一緒にちっと失礼なこと言っちまって、怒らせちまっただけだ」
普通なら殴られるところを『美女』だったので引き寄せられた。それだけのことだと思えるようになった自分自身の変化に獄寺隼人は感心している。人間、飼われるもんだなぁと思っている。一皮剥けてとみに魅力的だと、極上の銀色に評されるほどの変貌の、自覚はあった。
「ごく、でら」
「……車ン中はイヤだ」
「頼む」
「狭っくるしーのキレーなんだよ、……、おい、擦りつけンな」
既に膨らみ猛々しさを増した大蛇を、山本武は恋人の腿に押し付ける。性欲の表れであるそれを、汚物のように、禍々しい呪いのように、吐き気を催す醜悪な劣情だと、思っていたのは、ほんの少し前まで。
「抱きたい。どれだけ、お預け食わされてたと、思ってんだ。もたない」
率直な物言いはいっそ清清しい。そして正直で可愛いと思った。自分に向かって喘ぎだす男をそんな風に、思える日が来るなんて思わなかった。奇跡だ。
「獄寺、ごく……、はやと……、ぉ……」
男の声がめろめろに溶ける。こんな場所で抱かれる気にはなれなくて、獄寺隼人は自身のベルトを押さえる。指を掛け引き下そうとする男は軽い諍いになった。が。
「舐めてやるからそれで我慢しろ」
攻防の決着は一瞬。やや劣勢に立っていた美形のたった一言で、形勢は圧倒的かつ一方的に決着。
「耳だけどな」
言いながら摺り寄せられた男の頬の端、間近の耳朶に舌を這わせて唇を押し付ける。それはこの男がしていたことだ。あの銀色に、ずいぶん熱心に。尖らせた舌を耳の穴に突っ込んでいるのを見て驚いた。自分にはそんな真似をしたことがなかったから。
もっと驚いたのはされた銀色の反応。細い悲鳴を上げて嫌がって逃れようと身を捩ったが押さえつけられて叶わず、湿った水音がするほど熱心にしゃぶられて、すすり泣きながらやがて腰を浮かした。男の掌がその背中に廻って、うっすら肌を上気させながら、リズムを合わせて揺れ始める二つのカラダは、悪い見ものではなかった。
音をたてて耳を唇に含み、耳朶や渦巻状の骨を舐めしゃぶってやるうちに、男の呼吸が荒く大きくなる。どーすっかなぁと思っていたら掌をぎゅっと握りこまれた。何を願われているかは分かった。ベルトを外した男の前に掌を滑り込ませてやる。なんか、甘やかしてねーかオレ、と、自分を咎めながら。
いや違う、これは譲歩だ。
自分を欲しがる男が可愛いのではない。愛しさに負けて甘やかしているのではない。女王様を目指す決意に揺るぎはない。ただほんの少しだけ、今だけ、ちょっとだけ撫でてやるだけだ。
別の男に『攫われた』自分を追いかけて、世界中と決闘するような形相で駆けつけてきた男の、凄みを帯びた表情がほんの少しだけ好みだった、からだ。
昂ぶる男を抱きしめながら、うっとりしたのは自惚れ。愛しているとか可愛いからではない。
ない。
「……は……、ッ」
自分を抱きしめながら熱を吐き出す男に、キスをしたいという衝動を獄寺は、必死に押し殺した。
「でら……、ぁ……。ゴクデラ……」
「んー?」
「……ケッコンして?」
頬を寄せられながら乞われて、げらげら笑い出す美形を。
「マジ。本気。しよーぜなぁ。なぁなぁなぁ。オレやっぱお前のことすっげー好きなんだ。ザンザスにお前がナンかされてたら、ヴァリアーだろうが乗り込んでたぜ、絶対」
「いいぜ」
「マジか?」
「結納は、銀色な」
「お前ぇ、どーしてもハナシをそこに持って行きたいのな?」
「てめーはどーなんだよ。あんだけヤりまくって、跳ね馬と果し合いまでしたんだ。欲しいンだろ?」
「ディーノさんからなら欲しい。ザンザスからは、かわいそーだから、やめとく」
「……どっちが?」
「いつでもかわいそーなのはオトコだ」
「そっ、かぁ?」
くすくす笑いあって、軽いキスを繰り返して、それからボンゴレ本邸へと、戻った。
そして。
深夜と言うより、夜明け前。
ビーッと、獄寺隼人の無線が音をたてる。
もちろん、本人の懐で、ではない。
「……」
ボンゴレ本邸からヴフリアーの本拠地までは直線距離で二十キロと少々。距離はけっこうあるものの、障害物がないせいで電波は通りやすい。枕元でけたたましく鳴ったそれを、私邸ではなく本部の執務室わきで眠っていた顔に傷のある男は不機嫌に掴んだ。
『ザンザス、だよね?オレ』
聞こえてきたのはボンゴレ次期十代目の声。オトコはますます形のいい眉を寄せたが回線は切らない。今度はなんだ、またキャバッローネのボスがボンゴレ本邸で暴れたのか?
『ごめん、急いで来て。九代目の容態が急変した』
「……!」
事態を理解したザンザスがベッドから跳ね起きる。当直の幹部を呼び出すべく枕もとのボタンを押す。急変したのが本物の『九代目』だろうということを察して。長く半ば植物状態にあったあのジジイに、やっと本物の死が訪れようとしているのか。影を今日、倒れさせておいてよかったと、マフィアらしく冷酷に考えた。
「君にどうしても会いたいって。急いで!」
言われなくとも男は急いでいた。裸で眠っている男はスラックスを履きシャツを羽織るだけで部屋を出る。専用の三階から降りると二階ではルッスーリアが部屋着のまま、着替えと整髪料その他か入った袋とともに待っていた。
「お車は表に」
頷く。シャツのボタンを留めながら階段を降りる。外へ出ると春長けた夜の、華やぎに満ちた風が男の頬を撫でて去っていく。新緑が萌える季節に、逝く命も、ある。