昼食を、食べない、とは銀色は言わなかった。言えば跳ね馬が心配することを知っていたから。自分も食事をしようとせずに撫でられるから。

 でも。

「気分が悪いのか?」

 街を見下ろすテラスに用意されたランチは殆ど手をつけられないまま、銀色は銀色のフォークを弄んでいるだけ。

「いいやぁ、別にぃ」

 答える顔色は確かに悪くない。けれど視線を合わせようとしないで皿の上のリゾットをつついている。本当につつくだけ。跳ね馬の視線に負けてフォークの先でエビを掬って口元に運ぶけれど、唇に入れることはどうしても出来ず戻す。

「相変わらずここの食事が気に入らないみたいだな」

「そんなんじゃ、ねぇ」

「じゃあ、オレが目の前に居るからか?」

「ヤったばっかでメシ食ぅ気がしねぇだけだぁ」

「山本のベッドの中ではジェラードを食べ散らかしたのに?」

「仲直りしたんじゃなかったかぁ?」

「セックスしたことは許してやるよ」

 何回したかは知らないが。自分がするほど骨の髄から蕩かせはしなかっただろう。痴呆のように涎と涙できれいな顔をぐちゃぐちゃに汚して、体液を底なしに分泌させることも出来なかっただろう。

「なぁスクアーロ。本当のことを教えてくれ。お前、オレのせいで今、食事をしたくないんじゃないか?」

 真摯な瞳でじっと見つめられて。

「ヤクやってる最中ってよぉ、モノ食わねぇえだろぉ?」

 銀色の鮫は正直に答える。

「あーゆー時のカンジに似てっかもなぁ」

 この男の前だと食べ物が喉を通らない。全身の神経が別の快楽を貪ることに向いていてしまって食欲が湧かない。食べ物を並べられても唾液も胃液も分泌されなくて、ムリに口に押し込んでも味がしないし、異物のようで、ムリに咀嚼しても喉が押し戻そうとする。そこを更にムリすれば今度は胃が痛み出す。

痩せぎすだが健啖家、さほど贅沢ではないがサラミとトマトを挟んだバゲットを一本、ぺろりと食べつくす日常からは信じられないことだがそれが身体の正直な反応。

「困るな」

 金の跳ね馬は静かに言った。口調は静かだったけれど指先が震えて、フォークが皿のへりに当たってカツンと固い音をたてる。

「お前は正妻なのに一緒にメシを食ってくれないのは困る」

 マフィアのファミリーでは食卓を囲むという行為には特別な意味がある。妻にするつもりの昔馴染みは告白をして気が楽になったのか、義理で手にしていたフォークを手離した。グラスに注がれた好物のアマローネ、濃い赤ワインにさえ口をつけようとせずに、コップの水で唇を潤すだけ。

「胸がいっぱいでメシが食えねぇ、ってことに、しといてやってもいいぜぇ」

「ああ、それはよく言われる」

 女優や政治家、そしてその秘書たち。必要があって誑しこんでいる女たちとセックスはもうしないが食事は一緒にすることが、仕事の一環としてある。そういう時の女たちも皆、シャンパンをほんの一口ていどしか口をつけない。料理人たちの面子を失わせるほど、食べ物は飾られるだけ。

「俺の前で小食のフリをしたくって別に食べてくるんだと思ってた。ブッてんなぁって」

 食事を気に入らないのかと気遣うといいえと答えられ、ただ、あなたを見ていると胸がいっぱいで、と、潤んだ瞳と声で告げられることはよくある。

「お前がそうなのは困るな、スクアーロ」

「発情期のドーブツも食わなくなるじゃねーか。神経の反射だぁ。お前のことを、イヤなんじゃねぇんだぁ」

「朝はヴァリアーで食べて来たんだな?」

「おぉよ。そっちで食いすきで入んねーってのもあるぜぇ。久々、ルッスのオムレツ……、ッ」

 銀色の鮫が言葉をとめる。ガシャンガシャンという派手な音がテラスに響く。グラスが床に転がって赤い雫が石畳に広がる。食欲がない恋人の為に柔らかくて食べやすいものをと、オーナーが直々に厨房に注文をつけて運ばれてきた皿に乗っていた食べ物は、そのオーナーの手によって無茶苦茶にされてしまう。

「ザンザスとツナと一緒に朝メシを食って、俺の前ではパンも齧らないで」

癇癪を起こしてテーブルクロスを掴んで引きおろし、皿もグラスもテラスにぶちまけてしまった男は、握り締めた真っ白な布に向かって嘆きの言葉を吐く。

「腹を減らしたまま、帰ったらまた山本の部屋に飛び込むのか。用事があるフリで俺から逃げて、ヌードル啜って、しらっとした顔でまた俺を騙すのか?」

「……」

「どうして、お前が好きな酒が山本の部屋にあるんだ。お前の部屋に俺が居るからか?俺の前では酒も飲みたくないってことか」

「……、たく、ねぇんじゃ、ねぇ」

 ヒステリーを起こして喚き散らす跳ね馬に、銀色の鮫は冷静に答えた。

「オマエの前で飲み食いする気にゃどーしてもなんねぇんだぁ。腹が減らねぇ」

「そんなに嫌いかオレのことを。食事もしたくないくらい?」

「じゃねーこたぁ分かってんだろぉ。オレだけが特別なんじゃねーだろぉ?オマエにヤられたオンナみんな、骨抜きのメロメロで、濡れてメシ食ってる場合じゃねーってなるンだろぉ?」

「お前だけは、それじゃぁ困るんだ……ッ」

「って言われてもオレも困るんだぁ跳ね馬。サオのアナに針さされながらメシ食えって言われたってムリってもんだぁ。想像してみろよ、出来っかテメェがオレだったら」

「今は、ヤってない」

「こっちはジンジンしてるぜぇ」

 銀色の鮫は正直な告白。

「オマエのツラ見て声聞いてるだけでオクで疼いてんだぁ。他のオマエの女たちもそーなんだろ。気持ちがオレは、なんか分かるんだぁ。クリ弄られながらメシ食える筈がねーからなぁ」

「よく言うぜ、ヤったら泣くくせに」

 弄って可愛がっても、辛くて泣き出すくせに。

「だよなぁ。けどなぁ、精液は限界があっけど性欲は無限なんだろーなぁ」

 自分のカラダが発情している事実を認めて淡々と、銀色はそれを語る。実際されたら痛いだけだろうが、されたい疼きが、それでおさまるわけではない。

「愛情って言ってくれせめて」

 悲しいみにうちひしがれながら跳ね馬は懇願。

「性器じゃなくて愛情のせいにしてくれ」

 一緒に食事をしてくれない理由を、せめて。

「お前とだけは、セックスだけじゃ……、困る」

「ってーかよぉ。そもそもこれ、セックスかぁ?」

 銀色の鮫は自分のカラダの『状態』をそうとは思えないでいる。

「……それ以外のなんだっていうんだよ」

「ヤクザにシャブ射たれて言うこときかされる娼婦みたいな気がしてるぜぇ、オレはよぉ」

「……スクアーロ」

「オレが知ってるセックスはこーゆーんじゃねぇぜ少なくとも。お前は絶対的過ぎる」

 空腹を感じる余裕も許されないほど。愛し合う余地も残されていないほど。

「俺が這っても、ヤられても構わないんだぜ、お前にだけは」

「キャバッローネの太陽の紋章ってのは、そーいやそーゆー代物だったっけなぁ」

「お前に何かを要求したことなんか一度もないだろ?俺がお前から欲しいのは愛情だけだ」

 金の跳ね馬の言葉には少しの嘘もない。

「昔みたいに、ペッティングの合間にお前に、食堂の冷蔵庫からレモンのジェラード盗んでこいってベッドからけり落とされても、俺は構わないんだ」

「むかしと違うのはオレよりオマエだろぉ」

 だからそんなに嘆くな責めるなと、銀色の鮫も最後には懇願。