毎年、その日の数日後から、糖尿病予備軍の万事屋はチョコに不自由しない。

「おおっと、ピエール・エルメ、アルッ」

「すごいね神楽ちゃん読めるんだ。こっちは何て書いてあるか分かる?」

 英語ではない外国語の筆記体は寺子屋教育しか受けていない新八の手に余った。

「ジャン=ポール・エヴァン、アルな。こっちはピエール・マルコリーニ、こっちはロイズ」

「ロイズは僕もなんとなく知ってるけど」

「ゴディバーや、ゴディバー」

「それなんの替え歌?」

 少年少女がわくわくしながら包装を剥がしていく。部屋の中にカカオの甘い香りが漂う。

「すごいなぁ、本命チョコばかりだ」

2粒の小箱は義理アルよ。告白できない立場からの心の篭りまくった義理アルね」

「女の人のそういうランクづけって容赦ないよね。銀さん、食べないんですか?」

 紅茶を淹れながら気配りをされた家主は、ソファからゆらりと起き上がった。

「食べますよー、いただきますともー、ありがたくー」

 高級チョコレートばかりを『お裾分け』された割には嬉しそうでない理由を、少年少女は追及しないでおいた。家主は今日、朝帰りだった。

「あー美味しいねー、すごいねー。幾らだろうねー、これってねー」

「一粒でボクの時給くらいでしょう」

「全部で家賃くらいにはなるアルな」

「もてるって凄いことだね。どうなの、神楽ちゃんから見てもやっぱり、素敵なの?」

「あのヤニはステキってガラじゃないアル」

「そうなの?でもハンサムじゃない」

「目つきの悪さで何もかも台無しアル」

「ハンサムだとは、神楽ちゃんも思ってるんだね」

「うるさいある、メガネハチ」

「8じゃないメガネはないよ」

「白制服の頭はゼロだったある」

「ああ、佐々木さんは片眼鏡だったね。片方だけ目が悪い人も居るから」

「じゃねーな、ありゃ左右で別のモン見てんだ」

 貝の形をしたピエール・エルメのキャラメルフレーバーを口の中で転がしながら、チョコレートをくれた情婦の容姿への批評は黙殺した男が少年少女の会話に口を挟む。

「銀さん?」

「ナニソレ。どういうことアルか?」

「右で射撃、左で刀の間合い見てやがんだろ。利き目によっちゃ逆かもしんねーが、どっちにしろ並の修練じゃねぇ」

 同じ『二刀流』でも間合いの違う武器を連動させて操るには別々に標準を合わせる必要がある。相手も自分も動いている状態で瞬時に角膜と水晶体の焦点を切り替えることは難しい。

「こえー奴だぜ」

それを補うための装備だろうと、見抜いていた万事屋も同じく怖い男。

「ああ、じゃあ銀さんは有利ですね」

「目元狙うの得意アルからな。喧嘩剣術アル」

「ばぁか。目元狙える間合いに飛び込むのがすんげぇシンドイだろ」

 それが出来ればどんな相手でも間違いなく有利だ。

「チョコ、ホントに美味しいアル」

「銀さん、ボクももう一ついただいていいですか?」

「好きなだけ頂きなさい。真撰組のモテオさんからのお下がりです」

「銀ちゃん、アタシは銀ちゃんを好きアルヨ」

「ボクも銀さんを好きですよ」

「ありがとよ。オレのほーがいいオトコだよねぇ」

 オトコのその問いかけに。

「銀ちゃんのほーを好きアル」

「銀さんのほうを好きです」

 ストレートなイエスは返らなかった。

 

 

 

 さらにその、翌日。

「ダンナ、いらっしゃいやすか。もらってくだせぇー」

 大きな紙袋を二つ提げて、万事屋へやって来たのは真撰組一番隊の指揮官にしてサドが星の王子様。雑にその中に突っ込まれた紙包みの中身が何かなんていうことは分かりきっている。

「ナニしに来やがった、ドサド野郎」

 沖田総悟はおそらく仕事中。真撰組の制服姿だった。

「せっかくいーもん持ってきてやったのにナンてクチききやがる、メスブタ」

「はっ!ピエール・エルメもジャン=ポール・エヴァンも天下のゴディバも鼻血が出るほど食ったわ!いまさら不二家や森永はいらないアル!」

「ああそーかよ。んじゃ持って帰るぜ。ま、小洒落たナントカカントカじゃなくって、舟屋と鶴屋吉信と虎屋と川端道喜だけどなぁー」

「え……」

 和菓子の全日本選手権代表のような店名をだされて、強気一辺倒だった少女が表情を揺らす。そこへ奥から全力疾走で、駆けつけてきたのは万事屋の主。

「沖田、くーんっ!」

 走ってきた勢いのまま、まだ若い沖田の細い体にとびつく。沖田は揺れず、びくともせずに、突撃と抱擁を受け止めた。

「スキスキ、だいすぎーっ!」

「オレも旦那を好きですぜ」

「ありがと、ありがとう、愛してるーっ!」

「オレも愛していやすとも」

「ウチの神楽が失礼を言ってごめんね。ナマ言ってみたいお年頃なんだ許してやって。お茶飲んでいきなよ、お昼寝もしていけば?」

「お言葉に甘えさせていただきやす」

 ううー、と唸る神楽を尻目に若い沖田は悠々と靴を脱ぐ。お荷物お持ちしますぅと万事屋は気持ちの悪い声を出し、依頼人用の高い茶葉でお茶を淹れた。

「なーにからたーべよーかなぁー。沖田クンはどれが好きなのかなぁー?」

「オレぁ遠慮しやす。どれ食っても砂糖入ってんな、って味しかしねーんですよ。旦那に食われた方が菓子も幸せでしょ」

「あらそなのー?おたくの副長サンはさぁ、和菓子なら食べないことないのにねぇー」

 白髪頭のオトコが言うのに、ニィッと沖田総悟は笑う。万事屋と上司の関係も、苦手なチョコを押し付けられた様子も、そうしてそれを苦く思いつつ美味しさに負けて食べてしまったのを万事屋が悔しく思っていることも、何もかも承知の様子で。

「確かに、あの人は粽とかぼたもちとかは食わないじゃねぇです」

 骨の髄から辛党の若者とは違う。

「チョコなんかくれやがったらオマエごとドブに捨ててやるぜって、ダレかに一言いってやりゃ万事解決なのに、迷惑でもくれるって差し出されりゃ礼を言ってもらっちまうから、アイツはいつまでもこんなふーなんでさぁ」

 ちらりと応接室のゴミ箱を沖田は見た。様々な色合いの高級チョコレートの包装が詰め込まれている。

 万事屋の隣に座っていた神楽に、万事屋は舟和の芋羊羹と鶴屋の蜜豆を箱から出して渡してやる。少女は受け取り、そそくさと居間から台所へ引っ込んだ。

「沖田クンはノーといえる子だよねぇー。あれ、でもなんで、そんなら和菓子なワケ?」

 佃煮、塩辛、カラスミを含む干物、などなどがこの若者の好物なのに。

「昔はねーちゃんがすっげぇ喜んでたんで」

 自分では味のよく分からない高級和菓子を横流しする為に、若者は女たちにチョコ『は』嫌いと言っていたらしい。

「あー、そなの。んでも沖田クンのおねーちゃんって」

「七味の台にしてやした。美味い菓子と一緒に食うと唐辛子の味がひきたつとかで」

「ああ……、そーだったのね……」

 万事屋はなんともいえない表情。ソッチョクにいってついていけないが、味覚を含んだ嗜好というのは人それぞれ。他人が口を出すべきではない。

「そう、旦那がオレじゃなくってアイツを好きなのと、同じよーなモンでさぁ」

 悪食ですねぇと若い沖田は笑う。

「……」

 そういう趣味は、武門では珍しくない。女という存在が貞操を重視される余り、家を繋ぐための血か子を得るための腹かになってしまった武家社会では、『恋愛』を楽しもうとすれば男同士になってしまう。珍しくないが、この場に居ない婀娜な黒髪の二枚目は、そういう対象としてはやや歳を取りすぎている観がないではない。年齢容姿からすれば確かに、この若者の方が万事屋に『お似合い』ではある。

「……」

 万事屋はクチの中の粽を咀嚼し、その後で茶を飲んだ。そして台所との引き戸が閉じられて、向こう側に声が聞こえないことを確認して。

「……だってすんげぇ、美味いん、だもん」

 たいそう素直に、本当のことを言った。