日が暮れる頃。

「代わるぜ」

 小屋の戸が開いて、防寒具を着込んだ美形が姿を表す。外に居た山崎はコートを脱いで、額にはうっすら汗を浮かべていた。手元にはスコップ。ぐい、っと、袖で額の汗を拭いながら。

「道、以外には踏み込まないでください。危ないです」

「わかった」

 小屋の背面は殆ど垂直の崖になっていて、ヒグマも人も上ることも下りることも不可能。そして側面にはこのもと監察の腕利きが細工をしたのなら、正面だけを見ていればいい。

「沖田さんは?」

「寝てる。目が覚めるまで寝かしとけ。あぁ、待った、山崎」

「へい、何か」

「交換だ」

 美形は自分のコートを脱ぎながら言った。なんだろう、と思いながらも、逆らわない癖のついている部下は手にしたコートを差し出して、交換。身丈は殆ど変わらない。肩幅や身幅は少し違うから仕立ての和服だと違和感があっただろうが、既製品の洋装は同じサイズ。

「汗を拭いてから寝ろよ」

「そうします。ありがとうごさいます」

 気遣いに礼を言って小屋の中へ入る。ライフルを肩に掛けてタバコを咥え火をつける横顔は端正で表情に乱れはない。日暮れまでの数時間を小屋の中でどう過ごしたのか、伺わせる要素は目を凝らしても見えない。

 セックスしたのかどうか、したとしたらどんな風に、どこまでしたのかな。

 そんなことを考えているとはことらも悟らせず、山崎は小屋の中へ入る。

 

 暖かい。それが最初の感想だった。小屋の中央には炉があって、そこで細々とだが火が燃えている。さっきまで零下の中で体を動かしていた山崎には、一瞬、暑いと感じられるほど。

 案外広い小屋の中は、土間と板の間があった。窓から遠い板の間は暗くてよく見えない。土間の隅には水の入った桶。周囲は少し濡れていて、誰かがそれを使った後だと分かる。自分も汗を流させてもらおうと、山崎はぱっぱっと福を脱いで桶と、その横に絞っておいてあった手ぬぐいを使った。軍隊育ちだからこういう事には慣れている。

 皮膚を清潔にしてから服を着込む頃、ちょうどよく熱が冷めてくる。目が慣れて板の間の奥に、ムシロとワラの寝床がとってあることに気づく。手前に空間が空いているのは土方が寝ていた跡だろう。奥には蓑を被った盛り上がりがある。枕元のビニール袋には空の弁当箱。

「……失礼しまーす」

 一応は声を掛けて、眠る沖田の隣へ転がった。猛獣の隣で眠るようなもので恐ろしいことこの上ないが、初春とはいえ夜は冷える。体温を守るためにはくっついている方がいい。コートを布団代わりに肩から被って山崎がムシロに横たわった、途端。

「……ッ!」

 必死で悲鳴をかみ殺す。

「ッ……、ッ、ツーッ」

 助けて、と、意識ではなく魂が叫んだ。なに、なになになに、これはナニゴト?

 拗ねたように背中を向けて寝ていた沖田が、ごろん、とこっちへ寝返りを打った。

 それだけならまだしも。

 す、っと、体を、綿入りレザーのコートの下へ、つまりは山崎と密着する場所へ、滑り込ませてきて。

 まぁ、それも、なんとかギリギリ、衝撃の許容範囲だった。寒いのだろう、と思った。これほど長丁場の狩になると思って居なかった沖田は軽装で、防寒着も動きやすい皮のハーフコートだから、それは藁では寒いのだろう、と思った。

 後発の二人が着てきたコートは裾長の、下に着込むために幅もたっぷりとしたもので、拡げれば二人分の掛け布団として不自由はない。沖田が凍えているのなら、一緒にそれにくるまって眠るまでは、なんとか許容範囲だった。

 が。

「……、ぅ、……っ」

 たすけて。

 心の中で絶叫しながら土間の先の戸を見て、その向こう側に立っている筈の人に訴える。無論、返事はない。

 なにこれ、これなに、なんなのいったい、ねぇっ!

 顎の下に当る、柔らかでふわふわの髪の毛。そっと見下ろす視界の中に、素晴らしく長い睫が見える。うっすら開いた唇はチェリーというより桜色。肌は艶々。静かで落ち着いた息が胸にかかる。ちょっともう、勘弁してください。

 なんで、このヒグマより怖い人が、俺に抱きついて来るんですか。背中に両腕を廻して胸に顔を埋めてきたりするんですか?うっとりした安心しきった表情で頬を押し当ててくるんですかッ? 

寒いから?いやそんなワケないでしょ?寒いなら俺からコート剥ぎ取って柏餅みたいに包まる人だよこの人はッ。

 身じろいでみる。凶暴な野獣は微動もせず眠り続ける。……疲れているのかな?

 疲れているのだろう。子供みたいに一生懸命に眠っている。ほっとしたのだろう。表情が柔らかい。幼く見えるほど無心に、すぅすぅ、目を閉じていると虎も猫に見える。器量よしの虎だから尚更。いやでも、これは、凄く怖い人だ。でも。

 あぁ、ハメられた。きっとこのコートのせいだ。あの顔が良くて性格の悪い人にハメられた。さっきまであの人がこうやって抱いてやっていたのだ。代わりを押し付けられたに違いない。ってことはナンですか、オレ朝までこのマンマなんですか?

 このマンマなのだろう。諦めるしかない。新撰組旧一番隊長、サド星の王子様に懐かれるという稀有の経験を愉しむしかない。いやどう転んでもそれはムリだけど。

 諦めてオレも寝るか。姿勢はナンだが、暖かいことはない。背筋はなんだか寒いけど。

 目を閉じる。いつでも何所でも眠れる事は警察官にも軍人にも必須の属性で、睡魔はすぐに、やってきた。

 

 もっとも。

 危機を感じれば、すぐに意識を、取り戻す。

 

 数時間後。

 額に冷や汗を滲ませながら、もと監察は、必死で死んだ、もとい、寝たふりをしている。

 間近に人の気配。いや、ヒトと呼ぶにはあまりにも荒々しい。背中からケダモノのオーラが立ち上っている。悲鳴を上げてすぐにも逃げ出したい禍々しさに耐え、呼吸を乱さず寝息を偽装するのに、腹が攣るほど精神力が要った。

「……」

 隣でケダモノは上体を起こしている。じっとこっちを、座った姿勢で眺め下ろしている。視線が質量を伴って突き刺さるようだ。禍々しい。

 ケダモノは目覚めて、自分が抱きついている相手が、寝入った時とは違うことに気づいて。

 入れ替わったことに気づかず縋り付いていたことに腹立ちを感じている。それが皮膚に、びんびんに伝わってくる。腹立ちの矛先をオレに向けないでくださいオレに罪はありません。沖田さんをハメたのは土方さんです。怒るならあの人にしてください、と。

 心の中で繰り返す。声には出さない。ひたすらに眠ったフリ。自分は沖田さんが勘違いして抱きついてきてたことなんか知りませんよ、気づいてませーん、眠ってるから記憶がありませーん、という必死のアピール。

「……」

 ゆらり、ケダモノが動いた。空気の流れで、顔を覗き込まれているのが分かる。本当に眠っているのか疑われている。呼吸を伺われる。こわいこわいこわい。

「……」

 暫く、そうしていたが、やがて納得したらしい。不意に、本当に突然、ケダモノは自分に興味を失った。すっと立ち上がる。さらさら、衣服を整える。褥のすみに転がっていた蓑を身につけて、そして。

「土方さん、見張り代わりまさぁ」

 声を掛けながら戸口へ。

「おかげでたっぷり寝ましたよ。カラダかりぃや。ナンかゼッコーチョー」

 細く開いた戸口から寒気が流れ込む。もう少し寝て居ろとかもう十分でさぁとか、そんな言葉を交わしている。コートと手袋を交換するぞと二枚目が優しい声で言う。あったかいやと、ケダモノは嬉しそうに笑う。長いキスをする気配があって、入れ替わりに、小屋の中へ入ってきた人は、炉の灰の中に埋めた種火を鉄の火掻き棒で掻き起こしながら。

「起きろよ、山崎。もう怖かないぜ」

 何もかもお見通しだった。

「朝飯食って反撃といこうや。それとも昨夜、喰われて腰が抜けてるか?」

「……あんたね……」

 声が涙声、恨み節なのは仕方がないことだ。

「あんたね……ッ」

「大声出すと、聞こえるぜ?」

 目線で戸を示されて、抗議さえできず黙り込む。小屋に積まれた枯れ枝と薪で火を大きくする人を恨みがましく見ながら、炉のそばに転がるヤカンを手に、いかにも、今さっきたたき起こされました、という風情で。

「……はよ、ございまぁす」

 戸を細く開け、まだ薄暗い外へ出た。戸口から少し離れて立っている若者は、絵に描いたように綺麗な顔をしている。美形だが荒削りなラインがセクシーなもと真撰組副長と違って、こちらは端正、どこまでもキラキラ、王子様然とした気品に満ちている。

鋭すぎる目つき以外は、完璧に。

その目がじろりと、まるで仇敵を眺めるめつきで、もと監察の腕利きを、睨む。

「な、なんですか、沖田さんッ」

 何故そんな目で見られるのか分からない、戸惑う演技は、半ば本心だ。ハメられたのはオレだし間違ったのはアンタだし悪いのはあのヒトだよ、オレを睨まないでよ。

「……いや、なんでもねぇ」

「えっと、とりあえずコーヒー煎れて、すぐ持ってきますね。メシ、多めに炊いて握り飯にして、山狩りしようかって、土方さん仰ってますけど」

「……分かった」

「はい、じゃあっ!」

 深雪をヤカンに詰め込んで、山崎はそそくさと、小屋の中へ戻った。