混沌・4

 

 会館の壁にはスチームパイプが埋められている。厨房や詰め所のストーブの暖気はパイプを通って建物全体を暖めながら天井の煙突へ抜けていく。二十四時間体勢の詰め所には誰かしら居てストーブが焚かれているから、部屋ごとの暖房は真冬でも殆ど必要ない。

「土方さん」

 しとしと、水滴の音がするのは天井に積もった雪が溶けて落ちている音だ。それを聞きながら函館港を縄張りにしているもと真撰組の若い首領は、部屋の置くに声をかけた。

「メシ、届いたよ。ご希望通りのすき焼き」

 若すぎて、最初は少し、侮られないでもなかった。けれど今ではその技量が知れ渡り前歴もそっと漏れて、函館の裏社会全体が威に服している。

幼少時から天才の名を欲しい侭にした実力と、そこらのヤクザが束になっても叶わないもと真撰組の組織力を背景に、最近では函館のみならず江差・松前にまで勢力を伸ばしつつある怖い男。

「起きてよ、そろそろ。起きて遊んでくれないと拗ねますぜ」

 それが今朝はおかしい。飼い主に構って欲しくて鼻を鳴らす子犬のような声を出す。

「土方さん」

 会館の最奥の部屋は広い。そして幾つかの区画に、壁ではなく仕切りで隔てられている。防弾の窓ガラスごし明るい光が降り注ぐリビングの奥には紫檀の透かし彫り。その向こう側には天蓋つきの洋風の寝台。

 それは昔からあった。けれど昨日まで使ったことがなかった。幅が1.4メートルもあるふかふかの、紗と緞子の天幕がかかったベッドに一人で寝ていたら馬鹿みたいではないか。道場育ちの沖田総悟は普段の生活には贅沢を言わない。というより、贅沢の仕方を知らない。だから昨日までは三人がけのソファに転がって毛布をひっかけて眠っていた。

 夜も昼も。

 この若者の眠りは浅い。いつでもうたた寝、仮眠になってしまう。案外、外に対する緊張度が高い。だから常時眠くて、仕事中でもヒマさえあればさぼって寝転がる。そんな睡眠のリズムにはベッドよりソファが向いていた。

 ぐっすり眠ることは滅多にない。が、皆無ではなくて、よっぽど疲労困憊した後で安全な場所で横たわれば熟睡できることもたまにはある。安全な場所、というのは大昔は近藤勳の道場。それから真撰組の屯所内になって、現在はこの会館の奥のこの部屋。

「起きねぇと、イタズラしちまうよ?」

 差し入れの弁当をリビングのテーブルに置いて寝台へ近づく。緞子は揚げてあるが紗はおりて、中で眠る人を守っている。うず、っと頬が疼いて若い男は笑った。紗の重なりを開いて寝台に腰かける。

「キスしてあげたら、起きやすかぃ?」

 ベッドはスプリングではなくふかふかの羽毛。毛布はシルクの軽いが素晴らしく暖かく肌触りのいい代物。その中に頭を埋めて、殆ど頭頂部の髪の毛しか見えない感じで、昨夜一緒に夜半まで寝台を揺らした相手は眠っている。

 毛布の重なりに指を掛けて引いて、眠る相手の顔を見えるようにする。前髪が額にかかっていつもより若く見える。長い睫の影が少し蒼い。疲れている。けれど顔色は悪くない。肌は艶々で眠りは安らかだ。寝息は殆ど聞こえない。

「いただいちまいやすぜ?」

 囁いて、喉を指先で撫でる。眠っていても危機を察したのか単に指先が冷たかったのか、相手がひくっとしたところで唇を重ねた。冷たい指にも使い方はある。喉を撫でてた指を顎にそって這わせ、合わせ目に力を篭めて唇のみならず歯列まで開かせる。

「……、ッ、」

 目覚めたらしい、カラダは若者の下で苦しさに足掻く。動きが刺激になって若者はため息を、相手の唇の中に零した。覆いかぶさる位置で、そうやって呼吸をさせてやる。

「ん……」

 寝起きでうまく反応が出来ない相手の、鼻にかかった甘える声が聞こえてくちづけを解いてやった。こぼれた唾液をもう一度啜って、それから頬を寄せる。

「俺さぁ、おかしーですかねぃ」

「あさから、てめぇ、ゼッコーチョーじゃねぇか、ソーゴ」

「悪くねぇな、と思いやした。あんたをこんな風に包み込んじまうの悪くない」

「……あ?」

 過激な起こされ方をした相手は毛布の下で裸。だるそうに肘を上げれば乳首がちらっと見えて、若い男の目を細めさせる。

「女にチャイナ服だのメイド服だのを着せたがるオトコの気持ちが、ちっと分かりやしたよ」

 天蓋から垂らされた紗とシルクの毛布で包んだ、自分の『オンナ』がいつもより余計に美味そうに見えたから。もっともその錯覚には、昨夜の記憶が作用しているのかもしれない。

「女装は勘弁だぜ俺ぁ。似合わねぇからな」

「そう?着物は肩幅で無理だけど、肩パット入れた洋服ならけっこうイケんじゃねぇ?それとも、ナニ?女装したらザキに負けそうだから比べられンのがヤなワケ?」

「確実に俺は負ける」

 枕元の煙草をとって火を点ける『オンナ』は身動きするとき、シルクのシーツをさりげなく手元へ引いた。臍から下は辛うじて見えなかったけれど、若者の視線は毛布の皺だけで何もかもを見通す。

「ザキの女装さぁ、昔っから凄かったけど、なんか突き抜けてねぇ?あんたがずっと、ザキにあの格好させてたの?趣味?」

「夫婦者の方が、あやしまれねぇだろーが」

「ザキと、やった?」

「……そのはなしゃ昨夜おわっただろ」

 紫煙を吸い込みながらうんざりとオンナぱ呟いた。そして俯き、

ぐしゃっと自分の髪を掻いて、勘弁しろという風な仕草。若者は笑いながらそっと近づき、ベッドの横に座りシーツに肘をついてオンナを見上げる。

「ザキの話は終わってない。ヤった?」

 笑顔が、怖い。

「……ああ」

 ウソをつくことが出来ないほど。

「抱いた?」

「……俺が刺したかって意味か?」

「そう」

「してない」

「ふぅん。男同士じゃ、あんたホントにネコなんだね」

「今のトコロはな」

「ザキの美女っぷりに、隊士たちそわそわしてる。無理もないけどさ。俺も、ちょっとぞくっとした」

「手ぇ出すなよ」

「あ、なに。やっぱザキのこと好きなわけ?」

「俺のだからだ」

「妬きやすぜ?」

「ザキじゃねぇ。てめぇがだ」

「……」

 ゆっくり、また若者が笑う。こんどはさして怖くはなく。

「メシ、ザキが買ってきてるよ。着替えもあんたんチからとってきてる。……食える?」

「ああ」

 腹は減っている。煙草の煙に刺激されて胃の腑が鳴りそうだ。昨夜は早い時間に寝室に引き取って、それからもう12時間以上、なにも食べていない。

「お茶?コーヒー?」

「茶。……総悟、俺も実は、聞きたいことがあるんだが」

「どうぞ。ナンですか?」

「誰に習った?」

「プロに」

「……」

「ご不満ですか?言える立場かぃ?」

「……なんにも言ってねぇだろ」

「顔に書いてあんだよ。あんたが余所で好き放題してる間、俺が膝抱えて一人寝してると思ってた?」

「しかたねぇな。おめぇもオトコだからな」

「とか言ってけっこう傷ついてる?」

「……」

 なんとも言えない表情のオンナの、眉間に寄った縦皺に若者は笑い、指先をゆっくり伸ばしてマッサージするように、揉む。

「デリバってた。あんたに似てるプロ。けっこー可愛かった」

「……ふーん」

「聞きたくない?」

「聞きたくない」

「本番はしてない。あんたが居ない間に、ちょっとは練習しとこーと思って弄ってただけ。安心した?」

「……眩暈がする」

「優しい彼氏で嬉しいぐらい言えよ。アンタが辛くないよーに努力してんのに」

「お前は妙なところマジメだな」

「一生懸命だよ。あんたに気に入られたくて」

 オンナの肩に頭を押し付けながら若者は囁く。

「このまんま、この部屋で飼いたいけど」

「あぁン?」

「やっぱり嫌か。薬局、再開するつもりなの?」

「……メシ食ってから話そうぜ」

 ぽんぽん、と、懐いてくる若者の背中を叩いて、オンナは煙草を消す。空腹が耐えがたくなったらしい。

「メシ食ったら温泉行くよ。昨日約束したろ」

 思い切りよく毛布を脱いで、素裸で起き上がるオンナの、全身に視線を当て涎をたらしそうな顔で若者が言った。王子様然とした美貌は露骨な欲情の顔さえ卑しくなく、むしろセクシーに見える。きれいというのは得なことだ。

「湯の川で一番の旅館の露天の家族湯、朝から貸切にさせてる」

「ムダ遣いしやがって」

「ついでに今夜、そこに泊まりだから」

「あぁ?勝手に決めんじゃねぇ。俺は」

「……しばらく、離さねぇから」

 ソファの植えに置かれていた自分の服を着る、腰に後ろから腕を廻しながら、若者は告げる。

「あんたの、カラダ全部に俺の匂いが、つくまで離さねぇから」

「総悟」

「はい?」

「今夜は、無理だ」

「ダメそーだったら刺さないでやるよ。でも一緒に寝るんだ。分かった?」

「わかった」