朝、九時。

 久々に開いた薬局の、中にはだるまストーブが燃えている。旧式の石油ストーブだが暖かい。天板の上には夜間が載せられてシュンシュン、冷え込みは厳しいが明るい晴天の朝によく似合う音をたてている。

「二階に戻られていいですよ、土方さん」

 冬の間中、板戸を打ち付けられていた屋内は真撰組もと隊士たちの手によって清掃された。主が快感の奥や湯の川温泉の露天風呂つき座敷に軟禁されている間に。

「まだ眠そうですし。お疲れでしょう?」

 山崎は女姿のまま。前掛けをつけて袖を捲くり、脚立に乗って薬品棚の在庫の使用期限をチェック中。半年を切っているものには外箱にマジックで大きく日付を書き、カゴに纏めて、特売する予定。

 こんな僻地では医薬品の仕入れは現金払いの買い取りで、売れ残ってもメーカーへの返品はできない。書籍も同じ扱いだから新開地の生活はなかなか大変だ。

「……いや、いい」

 答えるもと真撰組副長の前には新聞と茶が、まるで供えるように置いてある。カウンターの内側で椅子に腰かけているが、うまく座れずに浅座になっている。カラダに力がうまく入らなくて姿勢も定まらず、さっきからガラスケースに肘をついたり足を組んだり解いたりで落ち着かない。

「俺で応対できないお客が来たらお呼びしますよ?」

 かつて特殊警察の監察責任者だった山崎は衛生兵の資格を持っていて採血や点滴の処置も出来る。医薬品に関しても家主より知識があるかもしれない。しかしあくまでももと上司をたてる。

「まこっちゃんが居てくれるから寂しくないですし」

 その名の犬はストーブの近くでお座りしていたが、呼ばれて少し尾を振った。山崎にはわりと懐いている。

「コーヒー煎れましょうか?」

 湯飲みの中の茶が空になったのを見て山崎が尋ねる。黒髪二枚目の家主は頷いた。ついでに、気だるさの余り吸うのを忘れていた煙草に手を伸ばす。店舗裏の台所からペーパードリップのコーヒー豆を持ってきた山崎はヤカンの湯でコーヒーを入れていく。 

江戸から持ってきた豆だ。香りが冴えて、高い。

 煙草とコーヒーを交互に摂取するうちに二枚目はカラダに芯が通ってきたらしい。背もたれに手をかけ座りなおして新聞を読む頃にはいつもどおりだった。

 横目でその姿を盗み見る山崎は嬉しいけれど残念な気持ちになる。さっきまでの、自分の身体を持て余しているようなぐったりぶりがとてもイロっぽかったから。昨夜はどんな風に苛められたんだろう、そんなことを想像しないではいられないほど。

「お昼には函太郎に行きましょう。久しぶりに北の寿司食べれます。まわる寿司だけど」

 生まれ育ちと地位のわりに庶民的な味覚の二枚目はそう聞いて表情を緩める。

「いいな」

「沖田さんに誘われてます」

「……そーか……」

 新聞に視線をもどす横顔は嫌そうではない。でも少しうんざり、食傷、そんな風にも見える。片時も離されずそばに侍らされた数日で、少しやつれた目元がセクシーだ。

 食べてしまいたいくらい。

 

 

 荒淫、という言葉が似合う数日を過ごした、函館港と市内の繁華街に睨みをきかせる集団の若い頭領は。

「沖田代行、事件です。北路銀行に強盗、客を人質にして立て篭もってます」

「……あ?」

 眠っていた。辛うじて奥の私室ではなく執務室でだったがソファに転がり堂々と。

「わ、そのアイマスク、久しぶりっスね」

 起き上がった副長『代行』のアイマスクを見て、呼びに来た男が懐かしさに思わず声を上げる。この北の土地に来る前に失くしたはずの、ふざけたアイマスク。

「おぅ。ザキが買ってきてくれたんだぜぃ」

「懐かしいっス。代行、やっぱそれ、すっげーお似合いっス」

「そうか?」

 お世辞とも聞こえない熱の篭もった口調で賞賛され、寝入りばなを起された不機嫌を忘れたらしい若者が珍しく笑った。

雪山から帰って来たばかりの頃は痩せてやつれていた頬も、抱いて眠って食べて抱いて、抱いて食べて抱いて眠って抱いて抱いて抱いてという数日で回復し、今は満ち足りてつやつや。ばさ、っとタオルケットを蹴り上げ勢いよく起き上がる。

「面倒くせぇが、行ってやるか。車廻せ」

 江戸に居た頃はまだ少年だった。今も横顔にはその時代の俤が残っている。ただ、二十歳を迎えて体躯は大人び、背丈も伸びた。脚を揃えて首の後ろをもみながら歩き出す後姿は、亜成獣のしなやかさに満ちている。

「玄関先で、お待ちしています」

「よし」

 

 

 日本と露西亜との境、新政権に追われた旧幕府の残党が逃げ込んだ蝦夷地。政治的空白地帯は関税のない自由貿易港という側面を同時に持ち、ために商取引が盛んで揉め事も多い。

 地理的に近接した日本と露西亜ばかりではなく仏蘭西、英吉利、米国、和蘭、葡萄牙、その他の国の商人たちが往来し租界を形成し、その代表が合議制で治めている自治国、というのが現在の函館。租界の治安は各々の自衛団が雇われて受け持つ。が、港や繁華街、証券取引所や銀行の並ぶ商館通りという『公』的な場所の治安は、別の組織が請け負っている。

「あーあー、犯人に告ぐー。今ならケツバット100発で許してやるから人質を解放して出てきなさーい。犯人に告ぐー」

 強盗が立て篭もった銀行の正面に車を乗りつけ拡声器でそう告げる若者の口調は場面に似合わないほど普段どおりだった。それもその筈、十五・六の頃からこんな騒ぎには慣れている。危険が伴う捕り物には真っ先に駆り出される集団に居たから。

「だいたいてめぇー、俺のシマで強盗なんざふざけんじゃねぇよー。タダで札束つかみ取り出来るんなら俺だってやれたいぞー」

 語尾を伸ばすのは拡声器で聞き取りやすく話すコツだが、この若者がやるとふざけているようにしか聞こえない。

「出て来いー、来ないとこっちから行くぞー。屋内で刀振り回すとあぶないぞー。短く持つから感じが違って、寸止めで手加減すんの難しいんだぞー、だからしないぞー、切り棄てるぞー、痛いんだぞー」

 と。

 ふざけた口調で若者がやる気のない説得を続けるうちに、駆けつけた当番隊と予備隊、そして非番のうち駆け付けられた者たちの手配りが終わる。店内からは死角の、建物の屋根によじ登った隊士からの合図を受け、若者の拡拡声器で隠された口元が笑う。

 喧嘩は好きだ。修羅場も嫌いじゃない。実戦の硝煙と血に彩られた敗戦と言う試練を経ても尚、戦いというものを楽しめる、したたか、かつ、好戦的な気分は、江戸でテロリストたちと渡り合っていた時代と少しも違わない。

「あー、犯人―、おとなしく出て来いー。そもそも立て篭もりなんざ要領わるくって逃走出来なくなってやるこったろーがー。かっこわりーィ。そんな間抜けが俺のわき抜けると思ってんのかーぁ。ばかやろー。」

 拡声器での言動が言いたい放題になった瞬間、曇りガラスの自動ドアがすっと両開きで開いて。

「構え……、って、……あり?」

 立っていたのは見覚えのあり過ぎる二枚目。長刀を差していたせいで半身に構える癖のある腰つきがふるいつきたくなるほどに艶な。

「……土方さん?あんた、金なかったんですかい?」

 二枚目はバズーカを構えつつ尋ねる若者に答えるより喫煙を優先した。店内は禁煙だったから。懐から取り出した煙草に火を点け吸い込んで吐き出す。節高な指が動くさまさえ、何かの映画のようにきまって見える。

「言ってくれたら、俺がやったのに」

 二枚目の右手の指の付け根が赤い。人を殴った直後の充血だ。目のいい者はそれに気づいて自分たちの出番がなくなったことを悟った。

「金をか?強盗をか?」

「どっちも」

 笑う若者の表情はうっとり。バズーカを持っていない方の手で前髪を掻き上げながら細めた目の奥が凶暴に光っているのは、敵意ではなく欲情から。

「てめぇは相変らず、説得と挑発の区別もついてねぇな、総悟」

 答える二枚目が唇から煙草を外す。はっと気づいた喫煙者の隊士が駆け寄って、懐から携帯灰皿を恭しく、といっていい風情で差し出す。

「そんな丸腰で、ブランクありありで、のこのここんなトコに出てきちゃあ危ないですぜ?」

 沖田が前を向いたまま背後に合図する。散開していた隊士たちが建物内に踏み込む。遠巻きに見つめていた野次馬がざわめく。人質になっていたらしい商人や一般市民たちが出てくる。緊張からか顔色が悪く、隊士の手を借りている者も居たが怪我をしてはいない。

「てめぇに任せてちゃATM壊されて、俺の貯金がおろせなくなるだろーが」

 皆が見ている、商業地の目抜き通り。

「沖田代行、犯人と思しき男の身柄を確保しました」

「おい、しっかりしろ、おいって」

「こりゃ取り調べの前に病院連れて行った方がいいかぁ?」

「てか、こいつ喋れんのか?顎、砕けてんじゃねぇか?」

「砕いてねぇ。外しただけだ」

 振り向いたもと副長は淡々と事実を告げた。

「金的と腎臓に入れてる。手加減はしなかったが死にゃあしない。多分な」

 顎を外したのは自殺予防だろう。テロリストには逮捕されたら自殺する者が多くて、必要な予防措置だった。

「土方さん」

「おぅ」

「とりあえず、まぁ……。お疲れサマっした」

 若者がバズーカをおろして小腰を屈め、軽く会釈する。隊士たちはきびきびと動き続けたが周囲の見物人たちは驚愕。

坂の下の会館に巣食う強面たちの若い首領、顔は可愛く整っているが気性のキツイ強面。それが下目に控える態度をとる姿を、この街の市民たちは初めてみた。

「おぅ。とりあえず、まー、メシでも食いに行こうぜ。寿司だろ?」

 まだ背は二枚目の方が高い。くしゃ、っと下げられた頭の茶色い猫ッ毛を指先で梳いて、二枚目は歩き出す。隊士の一人がさっと車のドアを開けた。

「……ゆび」

 半歩遅れて後ろを歩きながら、沖田が少し俯きながら呟く。

「あ?」

「舐めてやろうか。喉に噛み付いてやろうか」

「なに言ってんだてめぇ」

「あんたにゾクッてンだよ」

「真昼間の往来でなに口走ってやがる」

「かんけーねーよ。あンたの……」

 カッコよさに痺れた。

「真撰組もとフクチョー、土方トーシロー見参?」

「メシ喰い行くぞ。腹減った」

 構わず二枚目は先に車の後部座席に乗り込む。

「おかえり、なせぇ」

 若者の細い呟きを聞いた者はなく。

「おい、行かねぇのかよ」

 顔に似合わず短気な二枚目に促され、二人並んで海沿いの寿司屋へ、向かう途中の海岸線は空も海も明るかった。