知らないよりは知った方がよかった。でもいいことばかりじゃない。離れているのが寂しくて辛くて、身代わりの別のを抱いても、違和感が鼻についてしまう。

「……、っ、……ッ」

「はぁ、は……」

 滴まで注ぎ込んで、本当に底の、滓まで絞り出して。

「……、はぁ……」

 オンナの胸元に男が崩れる。肘を張る力までオンナの中に放った。湿った肌がぴったり重なって息まで同化して境界線が分からなくなる幸福。

「……れ、ろよ」

 やがてオンナが、だるそうに腕を上げる。胸の上でまだ息が荒い若い男の髪を撫でながら。

「家やって金やって、別れろ……」

 懐かれている胸元の、白い肌の中に詰まっていた本心を、零す。

「……女?」

 男の反問にそうだと頷いて。

「デリバリーまでにしろ。……しといてくれ」

「なに、どったの、素直になっちゃって。デリってユえば、あんたにそれ喋ったの、時々呼んでたうちの、ヤローの方でマチガイねぇ?」

「カンケーねぇだろ、そっちは」

「あるよ。業者ごと、今、引き摺ってきてる。あんたの返事次第じゃ函館湾で鱶のエサだ。……切り刻んでやる」

「自業自得の不始末棚に上げて、余所に八つ当たりすんな。みっともねぇ」

「アンタのそーゆー口の利き方、すっげぇスキ。ザキの言い方真似すっと、アレだ、ゾクる」

 挑発的な声とは裏腹に、若い男も手を上げてオンナの前髪を梳き上げてやった。形のいい額が視界の端に映る。

「俺の頭ごし、あんたに直に、クチきくこと自体、許せねぇ」

「玄人だから妬かないと、思ってンなら、お前が物知らずだ」

「ホントのことなんか知んねぇしキョーミねぇよ。金で売ってンなら決まりを守れってだけで」

「玄人だって惚れるさ。お前みたいな上玉相手じゃあな」

「オレのナンに惚れんの。顔?カラダ?若いから?組のアタマで函館の港しきってるトコ?そんなの全部、自分の欲じゃねぇか。くだらねぇ」

 若い男は喋りながら姿勢を変える。オンナの上に倒れこんでいたカラダを引いて隣に転がる。腕を伸ばして、肢体を引き寄せた。

「あいつが自分の欲以外、俺に惚れる理由がねぇよ。優しくしてやったことなんか一遍もねぇから。アンタと同じ煙草吸ってンのだけがとりえだった」

 残酷なことをしらっと、若い男は口にしながら、枕元から煙草をとってやる。応じて姿勢をうつ伏せにしたオンナの、唇に咥えさせ火を点けてやった。部屋に常備している煙草を吸わせてやったことだって一回もなかった。

「三回呼んだらしまでだって馴染みだ。気に入られてる、って相手が思っても仕方ねぇ。まー、とにかく、ヤった相手に」

「ヤってねぇ。弄って暇潰しただけだ」

「部屋に呼んだらヤったと世間は思うンだよ。とにかく、そういう相手にひでぇ真似はすんな。捨ててやりゃそれで十分だ。それ以上はするな。評判が落ちる」

「あんた、ちっとは嫉妬とかしてみねぇ?可愛くねぇなぁ、俺より組の評判が落ちんのがヤなんだろ」

「してるぜ。だから言ってっだろ。水揚げしたのとは別れろ」

「デリには優しいくせに」

「そんなにそいつ、気に入ってんのか?」

「いってるってゆーか、他に居ないってゆーか」

「総悟」

「二号許さないとか俺に言える立場だっけ、あんた」

「俺のことは関係ねぇ。お前が、俺とそいつと、どっち欲しいのか、だ」

「うぉ、すげぇ勝手な言い分。清々しいなぁ」

「返事しろ。どっち選ぶ」

「分かってるクセに聞くなィ。家やって金やって別れる。アンタの言う通りにする。だからもー、雲隠れしねぇで。……すっげぇ、会いたかった」

 真っ直ぐ答えた若い男の返事こそ、凛々しく清々しかった。

「総悟」

「はいよ」

「信じるぜ。……裏切るな」

「アンタに凄まれンのキモチいいなぁ。返事すんの早すぎたかなぁ、もっと引っ張れば良かった。俺をナンだと思ってるって言ってたっけ?」

「自分のものだと思ってた」

「お人形みたいに?俺にキモチとか性欲とかあるのは知ってる?」

「知ってる」

「ホントに?」

「……、つもりだ」

「あんた正直で大好き」

 若い男はくすくす笑いながらオンナの首筋を舐める。

「知ってるんなら、聞いて。俺さぁ、柳生の若様が、すっげぇ羨ましくて。いいよなぁガキ産めるって。アンタの血があそこンちに溶けちまってんの、子々孫々まで永遠じゃん。とか、思ってたら、ああだからケッコンのこと契りっていうのか、とか思ったら、たまんなくなった」

「ガキ、欲しいのか?」

「うん。多分あんたより切実にね。俺、身内少ないってーか、居ないし。あんたが羨ましいよ。近藤さんのことも」

「……」

 黙ってオンナは掌を背中に廻し、後ろ髪に鼻面を埋めて懐く若い男の頭を撫でてやった。

本音の寂しさが伝わってきたから。これは昔から姉と二人きりので、今では一人ぼっち。父方母方あわせて従姉妹が二十人を越えるオンナだが、その寂しさはジンジン伝わってくる。長い付き合いだ。

「アンタがメスなら、切れ目なく孕ませて、何処にも行けなくして、ずーっと俺のそばに置いとくんだけど」

「……」

「怒った?」

「いや」

 オンナは穏やかに答える。どちらかというと戸惑った。そうしてやりたい気がした自分自身に。

「オマエが、一番、オレを」

「なに?」

「……、本当に」

 本気でオンナと思っている、

 言い方を替えれば、母性を求められている。

 だからか、と、オンナは自分自身の感覚に納得した。コレを自分のものだと、だからこっちも、心から思ってる。お互い様だ。仕方ないじゃないか。

「アンタを女の人にする手術、実は予約、してた……」

 優しく撫でられてうっとり、若い男は怖いことを言い出す。

「露西亜にね、船で連れて行って。術後のニセモノ抱いたけど、けっこういい線いってた見た目は。でも粘膜が自然では濡れなくってさ、ヒィヒィ鳴いて悦ばねぇンなら今の方がいいし、手術したって孕むわけじゃないって言われて、がっかりして、やめた」

 オンナは苦笑する。若い男の失望が切実だったから。

「まぁだから、次の手でさ」

「女、囲ったのか」

「そう。やっぱガキ欲しいし。自分でもみょーなことに執着するなぁって思うけど、そんなこと、前は考えたことなかったんだけど、でもさ……」

 姉に死なれて、戦争になって、自分もいつ、死ぬか分からない、そんな戦場を経験して。

「欲しい」

 短く呟かれて、オンナは物思う風情。王子様のように整った若い男の顔をじっと見つめる。

「……なぁ、総悟」

「子供、欲しい」

「いま囲ってる女じゃなきゃいいぜ」

「なにが。子供?」

「別の女とならいい。俺も一緒に育ててやる」

「こだわるね。オレが手付かずを水揚げしたのがそんなにショックだったワケ?」

「みたい、だな」

「だなってナンだよ。自分のことだろうが」

「自分のことだって殴られるまではどこがいてぇのかなんざ分かんねぇよ」

「……擦られるまではどこがイイのかって言い直しな」

「黙れ、ヘンタイ」

「ヘンなことこだわるンだねぇアンタ。水揚げってトクベツ?」

「なんじゃ、ねぇか、やっぱ」

「俺が破瓜した女を俺のそばに置いときたくないワケ?なんで?自分が負けるから?」

「……縁の深さでな」

「ふぅん。俺よく分かんねーけど、アンタにとって特別なら良かった」

「オマエの、本妻云々の戯言は別にして」

「アケタからっていつまでも残るモンでもねぇと思うけど。あー、でも確か犬猫の血統ってハジメテの相手が重要なんだっけ」

「マジメに、ガキ作ったら、一緒に育ててやる。てめぇ一人がチチオヤじゃこえぇからな」

「アンタガキ扱うの得意だもんねぇ。柳生の跡取りも可愛がってきた?」

「あんまり、触らせちゃもらえなかった。仕方ねぇな、ろくに養育費も払っちゃいねぇんだから」

「写真とかねぇの?見てぇ。ザキに聞いたけど、カオ、あんたにうり二つだって?」

「俊に似てる。ちょっとだけだけどな」

 甥っ子の名前を出すオンナの表情が優しくて、若い男はうっとりと見惚れる。そして、口元の煙草を取り上げ、火を消して。

「……、おい?」

 床に落ちていたシャツを拾って、オンナの、力の抜けた腕を。

「ちょ、なに、おい、総悟……?」

 若い男は拘束した。仰向けにして、手首を背後で交差させて、うなじの後ろに、喉から縛り付ける。ヘタに暴れれば息が詰まってしまう、素晴らしく隙のないやり方で。

「ちょっと、待て。なんで縛るンだ?」

 セックスは終わって話もカタがついて、風呂に入ってから寝るかこのまま寝てしまうか、考えていた時に。

「暴れられると、困るから」

 きれいな筋肉のノった腰に跨りながら、もとS星の王子様は答えた。

「おいおい、まだするってのか。ヤリ過ぎはカラダに、おいッ」

「あー、もしもし。俺だ。ザキ、居るか?代われ」

 暴れることは出来ないが叫ぶオンナをにやりと見下ろしながら、若い男は枕元の内線電話を手に取る。

「こっち連れて来い。いや、そっちじゃねぇ。ソッチは二度と俺の目につかねぇとこに行けって言っとけ。『本妻』が許してやれって言うから見逃してやっけど二度目はない、ってな」

「そっちって、ドッチだ、おい」

「もう気づいたんじゃねぇの?」

 血の気が引いたオンナを男は愛しそうに撫でる。

「あんたにしちゃ鈍かったね。俺は産ませたアンタが羨ましいなんて言ってねぇだろ。羨ましかったのは、産んだ柳生の若さまだ」

「……総、悟」

「恥ずかしいなら目隠ししてやるよ」

 見開かれた切れ長の目尻に男が、ちゅっと唇を落とす。

「でも、顔、一目だけ見といて。俺がナンで選んだか、分かる筈だからさ」

「……総悟ッ」

「ナンだよ」

 なんの文句があるんだよ、と。

 見下ろす視線だけで嘯く、王子様は久しぶりに本領発揮の生き生きとした表情を、見せた。