「おい」
そう言ったのは、きっかけをやったつもり。
「俺はもう行くぞ」
え、と振り向いた黒い瞳が、信じられないと言う風に、咎めるような色を一瞬だが浮かべた。
ボンゴレ本部に居たのは偶然だ。忌々しい養父を見舞い、馬鹿馬鹿しい自分の身代わりに頭を下げる。月のついたちには必ずしなければならない義務として課せられている『仕事』。不快だが、最近は慣れてきた。
九対目は意識がないことが多い。痩せて弱って、いつ行ってもベッドの上で管で繋がれている。殺したいほど憎んだこともあったジジイのそんな姿に時々、切なさを感じる。
半植物状態にされ延命されているのは、次がまだ権力の掌握を終えていないから。その前にヘタに動き回って混乱することがないよう、このジジイはボンゴレの奥まった一室で管に繋がれている。『影』の活動を邪魔しないように。
そんなジジイ相手に長居をしても仕方がない。枕元にレヴィに手配させた花束を置いて、さっさと引き揚げる。病室の前の廊下でジジイの次のガキの側近に待ち構えられているのもいつものこと。十代目がお話をしたい、と、仰っています。頭を下げられての略式だが正式な招待。断れば裏切り者になる。行かない訳にはいかない。
ジャポーネのガキは最近また歳をとった。誕生日の話じゃなく諦めを覚えた様子で。案内してきた側近が壁に立ってるのを手を取るようにして隣に座らせる。そんな態度に最初は愛人兼務なのかと思った。どうやら違うらしい。愛人は別に黒髪の小奇麗なのが居て、そっちは多分、こっちより強い。一番強いのを一番近くに置いてるのはいい趣味だとほんの少し思う。
「ボンゴレの本邸でオレに何が起こるっていうのさ。起こったときはもう手遅れだから覚悟を決めればいいだけじゃない。獄寺君も飲みなよ。美味しいよ、カプチーノ」
側近たちを、愛人もだが、殆ど猫可愛がり、膝の上に座らせて撫でんばかりの態度はいつものこと。そっちは悪ぃクセだと思ってる。口に出したことはない筈だが気づかれた。超直感同士は困り者だ。困り者だが楽でいい事もある。どうせ何もかもバレんだから隠さなくていい。そういう気楽先に最近は馴れて、このガキを昔ほどキライではなくなった。
「可哀想じゃないか、みんな」
それが側近を甘やかしている理由らしい。
「十四歳とか十五歳とかで、ノリで集まってオレをボスとかにしちゃって、その精で一生、死ぬまで縛られる。オレの奴隷だよ」
それがどうした。マフィアと関わったんだから当たり前のことだ。ボンゴレのトップともなりゃカラダ張る側近の十や二十、いつでも侍らせて当然だ。いや二十は多いか。目が届かなくなる。十でも、多いな。六というのは妥当な数字かもしれない。
「みんな可哀想だよ。他の夢もあったのに。オレは彼らに、代わりの夢を、せめてあげたいけど、多分、ムリだ」
ガキの嘆きを鼻先で笑う。なんでこのガキがこんなことを話すかも分かってる。この世で一番こいつに同情しないからだ。俺が欲しかった地位を手に挿れてオレが座りたかった椅子に座ってるこのガキに同情なんてする訳がなかったから。
「ザンザス、君にもすまないと思ってる」
肩を竦める。それだけ。長い台詞を喋るのは女相手でも面倒。ましてや男、それもこいつに、声を出すのも面倒で、意思の疎通は視線や仕草で済ませることが多い。
「その、うまくいっているの、……奥方とは?」
呼び方が面白かった。笑ったついでに。
「昨夜も寝た」
声を出す。本邸の門をくぐってはじめての声を。
「うん。ごめんね」
見る見るうちに未来のボンゴレ十代目の表情が沈む。
「オレがまだそういうコト出来なくて、君に代わって貰ったようなもので、本当にごめん」
笑う。それしか反応のしようがない。本物の跡取りに廻っていく毒杯を、まわる手前で偽物が飲まされる。よくあることだった。
「君の人生も一度きりなのに。ごめんなさい」
詫びられる。返事はしなかった。そんなものは何の役にも立たない。そこへ聞こえてきた、騒動。
「……、クアーロ……!」
「から……、ろって、おい……!」
「……、なせ……ッ」
げっ、という表情になるガキ。ぱっと部屋を飛び出していく側近。ガキが恐る恐る俺の表情を覗き込む。よく知って居る名前と覚えのある声が耳には飛び込んできたが、聞こえなかったふりをして出されたカップを持ち上げる。
「ざ、ザンザス、あのさ」
ガキの声は震えていたが、俺がここで乗り物に口をつけたのも初めてだ。じっと耳を澄ます。騒ぎは一瞬だけ、それからはシンとしてた。ただし、飛び出して行った側近は戻らなかった。
おろおろとするガキを尻目に。
「おい」
そう言ったのは、きっかけをやったつもり。
「俺はもう行くぞ」
え、と振り向いた黒い瞳が、信じられないと言う風に、咎めるような色を一瞬だが浮かべた。うん、と、呼吸一つ置いてから頷く。カフェ一杯飲んで帰った。その、日暮れ時。
『すぐ来て。頼むよ。大変なんだ』
ボンゴレ次期総帥直々の電話。
『スクアーロさんが大変なんだ。急いで来て!』
電話が切れる。タメイキをつく。あのガキは何時になったら自分の命令の価値を認識するだろう。十代目は自分がやった方がよかったんじゃないかと考えるのはこんな時。車を出させる。急げ、と一言。それだけで運転手と助手席のルッスーリアが席を替え、本邸までのドライブは時速100マイルを下ることがなかった。
急がせてたどり着いた本邸で奥の部屋へ導かれる。なんとなく屋敷中がざわざわとしている。客がいるらしい。それもボンゴレの身内ではない客が。物心ついた時からゆりかごまで暮らした本邸の雰囲気を正確に読む。導かれたのはガキ、沢田綱吉の部屋というか私的な空間の居間で。
「ザンザス、よかった来てくれたんだ」
でかいソファに人が寝かされている。床にこぼれてる銀髪を見るまでもなく、それが昔、俺の愛人と側近を兼ねていた剣豪だということは分かった。ソファに仰向けに寝せられ、頭を預けたクッションから下は蜂蜜色の毛布で覆われている。
「ありがとう。あのね、頼みがあるんだ。ちょっと、この人についてやってくれる?」
なんでここにとか、どうして意識がないんだとか、疑問は沢山あったがとりあえず命令に従った。ガキは小走りに部屋を出て行く。ここまで案内したアッシュグレーが会釈して出て行く。屋敷の奥のざわざわはまだ納まらない。音でなく気配で察した。誰の気配かまではわからないが、これがここに居るのだからもう一人は決まりきっている。金の跳ね馬、銀色の今の主人。
騒ぎはなかなか収まらない。やがて足音がして、いつもガキの隣に居るアッシュグレーが戻ってくる。小奇麗な顔の真ん中で、眦の切れ上がった目を細めて。
「……十代目からの依頼だ。それちょっと、もって帰って匿ってくれねぇか、ヴァリアーで」
言葉は依頼でも内容は命令。ルッスはガキの私室のまでは連れて入れないから俺は一人で居た。『これ』を連れてかえるべく毛布ごと肩に担ぐ。幸い、毛布の下は素裸ではなかった。外されたベルトのバックルが肩甲骨のあたりに当たる。
「マジ、ワリィ」
アッシュグレーの爆弾使いが先に立ってドアを開ける。通り過ぎると閉め、のしのしと歩く後ろについて来る。
「跳ね馬が迎えに来ても、十代目と一緒じゃない限り渡さないでくれ」
軽く頷いた時にはルッスーリアを待たせていた部屋の前まで来ていた。連絡を受けていたらしいお供は廊下で主人を待ってた。が、主人が持った『荷物』を見て、それを受け取ろうという仕草をしなかった。
「どちらへ?」
本部に戻ると言ったら驚いた顔をしやがった。メシを喰いに行くとでも言うと思ったのか。車が廻されてくる。ルッスがドアを開く。肩に担いだ昔馴染みをシートに放り込む。ナリはでかいが手足を畳むとちんまくなるコレはけっこう扱いやすくって、簡単にシートに転がすことが出来た。
「待て、ザンザス!」
こいつほどじゃないが、昔から知っている声が追いかけてくる。同盟ファミリーのボスを無視も出来ずに、乗り込みかけた姿勢で動きを止める。ドアを閉めるため横についていたルッスの筋肉が緊張して締まるのが服の上からでも分かった。
「スクアーロは置いていけ。オレの許可なしに、なんで車に乗せようとしているんだ!」
跳ね馬の抗議は正しい。これの所有権は現在、金髪のドン・キャバッローネにある。もっともそれは、ここがボンゴレ本邸でなければの話。そして。
「行ってくれ、ザンザス!ツナから指示が出てる!」
まぁそいうことだ。同盟だの協力だの綺麗ごとを言ってみたところで結局大は小を呑む。ここでは沢田綱吉、あのジャポーネのガキに逆らえる人間は居ない。
「山本、お前、ヒトのオンナに無礼をしておいて」
「だからそれもーヤメてくれって言ってるだろ。なんでディーノさんスクアーロにそんなに酷いのさッ。大事にしないんならオレにくれよ。オレだってずっと欲しかったんだから」
聞き覚えのある台詞だった。昔から同じ言葉を、今では言われている金色の口から繰り返し訴えられていた。スクアーロに優しくしてくれ、大事にしてくれ、愛してやってくれ。出来ないのならいっそオレにくれ、と。昔は言っていたヤツが今では言われている。
揉めている二人の揉め事の内容を聞くべく、不自然なほどゆっくり車に腰を下ろす。ルッスも大層時間をかけて、バタンとドアを閉めた。
「まだザンザスの方がマシだ。ドメバってんの同じでもあっちはラブかったぜ!」
聞いた瞬間、ルッスが笑いを堪えているのが分かった。
意識をなくしていたというより、途中からすやすやと眠ってたバカは。
「……、え?」
目覚めた時に、奇妙な声を上げる。上体を起こす。タオルケットが胸元から滑り落ちる。部屋を見回す。少し離れた机で報告書の束を読んでいる男に気づいて。
「あ……?」
ますます謎の声を出す。
「沢田綱吉から預かった」
男はそっちを見ないまま疑問に答えてやる。
「跳ね馬と雨の守護者がエキサイトしてやがった」
「……ああ」
現実を思い出した。そんな声を上げて、バカは頭から枕にばふんと、もう一度倒れる。
「悪かった、なぁ」
「何やらかしやがった」
「んー」
「喋れ」
昔の口調で命令すると。
「ヤっちったぁ、ヤマモトとぉ」
つられた銀色の鮫も昔の口調で答えた。
「いい度胸してやがる」
嫌味ではなかった。本心から感嘆した。キャバッローネのボス、金の跳ね馬があれだけ執着している『情婦』によく、触る度胸があったものだ。これが自分のものだった頃、そうしたヤツは一人も居なかった。居なかったと思う。
「ツラの飾りはそのせいか?」
目の下にうっすら青い痣。皮膚が薄いせいでちょっと叩いた程度でも何日も色が残ることを、むかしよく殴っていた男は知っている。
「あー、んー。まぁ、前後、逆だけどなぁ」
「ふん」
それで大体の見当はついた。何かあって殴られたこのバカを見て、バカに以前から惚れてる若い雨の守護者が興奮したんだろう。どっちがどう誘惑したかつけこんだか知らないが、起こりがちなことが起こって情夫の金色が頭にきてる。そういう次第だ。
「乗り換えんのか?」
「決めてねぇ」
「あんまりガキどもからかって遊ぶなよ」
「もう、ガキでもなかった」
銀色の鮫が枕に頭を預けたまま男を眺めつつ笑う。若い雨の守護者との情事を思い出しているのかもしれない。
「じゃなきゃ、余計にやべぇだろ」
オス同士の噛みあいが思いがけない殺し合いにまでエキサイトしないよう、二匹が挟んで睨みあうメスをひとまず、ここへ隠されたのだ。下手な場所に移せばその場所ごと潰しかねない強い獣たちから。
「はは。……ごめん。悪かったなぁ」
最後の言葉だけは少しだけ殊勝に言う、これが騒ぎの原因になるのは初めてじゃない。キャバッローネの金髪は自分のものにして以来、殆どコレにストーカーしてる。
これはヴァリアーから抜けて本邸の警護責任者になった。ボンゴレの本邸にジャポーネのガキが移って来て、九代目とその次が同じ地点に滞在する以上、本邸に厳重な警護が必要になるのは当然。ただ強いだけではダメで、敵対者が名前を聞いただけで襲撃を諦めるような、オドアケルの生まれ変わりみたいな傭兵隊長がそいつぁヤバイと依頼をパスするようにな、ネームバリューが必要。そう、十四で剣帝を倒しやがったこの規格外のような。
名前だけじゃなく見目もよくて、ボンゴレ本部の警備責任者をやらせるのにこれ以上の適材はなかった。だから『譲った』。殆ど同時にヴァリアーのボスはボンゴレ十代目の身代わりのような形で政略結婚。長かった仲の男と離れた途端、後釜を狙う連中で一番の大物が順当に、主を失った銀色の鮫を手に入れた。
以来、キャバッローネはボンゴレの門番の番犬になったと陰口を叩かれるほど、熱心にその寝室に通っている。色々なことがあった。キャバッローネ内部で銀色の鮫との情事に反対した側近が更迭されたことなどは些事だが、銀色の鮫の肩に触れたか尻を撫でたかのファミリーのボスが資金源を絶たれ破産寸前まで追い詰められたことはちょっとした騒ぎになった。
最終的にそのどこやらのボスはボンゴレ本邸のたかが門番に土下座せんばかりの勢いで侘びを入れキャバッローネにとりなしを頼んだという。暗殺部隊にいる頃は一目にあまりつくことのなかった美貌が、ボンゴレ本邸所属に変わってからはパーティーの警備も務めるせいで人目につくようになった。
「何時だぁ?帰る……」
「もう真夜中だ。泊まってけ」
「迷惑だろ。車貸してくれぇ」
「ガキどもから俺が預かったんだ。責任がある。そこで朝まで寝てろ」
「ごめんなぁ。ザンザス」
性悪な美形だが、いつもこの男にだけは殊勝な態度をとる。
「ごめん……」
「居間に、ルッスが食い物を用意してる。腹減っているなら喰って来い」
「お前は?」
「夕食はもちろん済んでる」
「酒だけでいいから付き合えよ。一杯だけ」
「やめておく。間違いを犯しそうだ」
「ひでぇ男」
そうでもない。今でも愛している。魅力的だと思っている。アルコールで理性が緩めば自分が何をするか分からない。そう告白しているのだから。
「時々、どうしようもなく」
「なんだ」
「黒髪に触りたくなって」
「……」
「怒らせちまうんだ、跳ね馬を」
眼鏡の側近のことも気になって、何度もヤメロと言われたけれど我慢できなくて会うたびに髪に触っていたら、最近は姿を見なくなった。
「イヌだからよぉ。今のもすげぇ優しいんだけど、最初の主人だけ恋しい」
告白に返事が与えられることはなかった。