むかし。

まだ、身の上にそんな結婚の運命が待っているとは知らなかった頃。

 オマエのせいだと糾弾されて最初、意味がよく分からなかった。

 トボけんなこの腐れ××、と、黙って澄ましていれば北欧の貴族で通る高雅な顔立ちを獰猛に歪めて、淑女には聞かせられない過激猥褻な単語で罵られても聞き流してやったのは場所がヴァリアーの会議室ではなく私室のそれも寝室だったから。

制服どころか下着も身に着けない素っ裸のまま、事後の倦怠の後味に満足してろくに身動き出来ない様子の『相手』の背中をなでてやっている、そんな時だったからだ。頭の出来はともかくカラダの味には満足しきっている相手にヒステリックに罵られ、なんだよと思いつつ不満があるなら聞くだけは聞いてやってもいいような、いい気分だった。

とぼけるつもりは本当になかった。とぼけるもなにも、その変化を指摘したのは男自身だった。そしてその変化が男のせいなのは当たり前だ。そうでなければ大問題だ。恋人と言うには奇妙な関係だが、それでもこれだけ頻繁に寝ている相手が他のオスと関係することを許すほど男は心が広い訳ではなかった。

「テメェが散々、無茶しやがるからじゃねぇか……ッ」

 なんでそう辛そうな声を出す。無茶をしていないとは言わないが、無茶をしても昔のように泣きじゃくって痛がらないのはその変化のおかげだろうが。人間のカラダは適応能力が高い。肉体は案外と簡単に変形する。

男の掌と指が愛用の銃にあわせて皮膚が硬化し指先が湾曲しているように、男に抱かれてメスとしての快楽を与えられることに慣れた相手の肉体が、男の大蛇を貪りやすいよう粘膜を変形させるのは、当然の変化だった。

「ヒトのカラダだと思ってッ」

 それがどうして、吼えるほど不満なんだ。造作は悪くない顔の、細い顎に手を掛けてぐいっと引き寄せた。びっくりして見開いた銀灰色の目を見つめながら。

「オレのにオレのクセつけて何がわりぃ」

 ごく生真面目に尋ねる。ガキの頃からこれだけ繰り返しヤってりゃ、カラダがオレに合わせて歪むのなんざ当たり前だろう。それが嫌なら理由を言ってみろ。

「オレ以外に見るヤツが居るのか?」

 まさかと思いつつ尋ねる。まさか、と、銀色の相手は強張った声で答えた。そうだ、まさかだ。てめぇがどれだけ上玉でも、オレのオンナに手ぇ出す命知らずがそうそう居るとは思えねぇ。オレとこれだけ繁雑にヤってるてめぇがオレ以外のオスを腹に乗せるとも思ってねぇ。体力性欲能力の問題じゃなく、そんな真似したら無事じゃすまねぇことを、オマエは分かってる筈。

「い、ねぇ、けどよ……」

 そりゃそうだ。オスはオレが許さねぇ。気晴らしに他所で女を抱くのには目を瞑ってやらないでもないが、買った女にケツを舐めさせるほどアブノーマルでもないだろう。

 オレのがオレにあわせたカタチになってくのを、オレが満足してるんだ。何の不満がある。

「……笑ったじゃねぇか」

 あ?

「見て笑ったじゃねぇか」

 ああ。

 気に入ったからだ。オレのがオレにカスタマイズされてくのはいい気分だ。どんどん具合がヨくなってくのが満足で笑った。それがわりぃのか。

「……、なら、いい……」

 バカにされたと思って噛み付いたらしい銀色が剥きかけた牙をしまう。しばらく広いベッドで並んで寝転がって、そして。

「……、くく」

 耐え切れなくなった、オレが先に笑った。

「るっせぇな……」

 気の強い銀色は、しまったと思っているのがミエミエの悪態をつく。それがまた更に愉快で喉の奥から笑いがこみ上げてくる。シーツの上で腹を抱えてゲラゲラ笑う。うるせぇんだよとまた吼えられて腹を抱えていた腕を伸ばすと、一度はふり解かれてたが二度目には大人しく腕の中に入った。

 ちょろい。

「馬鹿にして笑われたと思ったのか?」

 それであんなに怒ったのかと、喉をゴロゴロ鳴らしながら尋ねてやる。腕の中で銀色は大人しく、手足を引き寄せて丸くなろうとする。させずに脚を絡める。細くて白くてしなやかで、胴に巻きつけ締め上げられると絶妙な気分になる膝を開かせて。

「気に入ってるから抱いてんだ。いちいちカリカリすんな」

「してねぇ」

「ならいい」

 あっさりひいてやるとそれが意外だったらしい。瞬きを繰り返す。あどけない表情が妙に可愛くて目尻に唇を押し付けてやった。

「……、ザンザス」

「なんだ」

「キャラ変わったんじゃねぇか?」

 優しくされて緊張してるのを誤魔化すそんな台詞を鼻先で笑ってやりながら、変わったかもなと心の中で呟く。腕の中のカラダを気に入っているのはもともと、ほんのガキの頃から。

気ィつえぇくせにセックスの快楽に弱くて、可愛がってやるとヒンヒン啼きながらすがり付いてくる正直さを愛してきた。八年、凍りついたオレを待っていた馬鹿さかげんも愛嬌だ。そうして、なぁ、おい。

オレがオマエを信じると言ったらどうする?

 ボンゴレの血を引いていないことを知っていたオマエの小癪さを、それでもオレに一途についてきた忠誠を、オレが信じると言ったらどうする。オレに愛情があるなんざ欠片も思わずに、手近だから惰性でヤられてると思ってるオマエがどんな顔をするか見てみたくもある。

「寝るぞ」

 このまま、という予告で声をかけた。このまま、抱いたままで寝かせろと言ったつもり。

「……おぉ」

 よく分かっていない様子で、だが逆らう気もなく大人しく、カラダを委ねるこのバカは年をとった。セックスの相手としては価値を失っていくはずのそのことが、何故かこれに関してだけは違う。オレに合わせて変化していくカラダの先が楽しみでならない。オレとだけ寝ているオンナがどうなっていくのか、本当に、楽しみでならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 俺はどうすりゃいいんだと尋ねられて。

「どうしてそれをボクに聞くの?」

 逆に問い返した沢田綱吉は正直だった。

「てめぇが一番、余計なことを考えなさそうだからだ」

「うーん。つまりバカって言われてるのかな」

「おい」

 ボンゴレ本邸の応接室で、珍客の為にワインのコルク栓をソムリエナイフで器用に抜いていた獄寺隼人が眉を寄せる。

「もう少し口の利き方に気をつけろ」

「いいんだよ獄寺君。昔からの縁だし、それに可愛いじゃない。俺の意見を聞きに来るなんてさ」

「はぁ、まぁ」

 沢田綱吉の言葉を獄寺隼人は否定しなかった。この銀色の鮫の好きな赤ワインを地下のカーブから取ってきて、光に透かしながら慎重にデキャンタに移す手つきは骨ばっているが美しい指先と流れるような動きとともに、茶道の手前を眺めているようだ。未来のボンゴレ十代目の腹心、ナンバーツー自身での接待は内心で相当に歓迎している証拠。

「誰にとっていいって聞いてるのか、分かってるけど一応確認するよ。ザンザスに、だよね?」

「おぅ」

「凛々しいなあ」

「十代目」

「あ、うん」

 開けたワインを来客に出す前に、試し飲みをするのは主人の義務。ティスティング用の大きなグラスを受け取った沢田綱吉は、一応、香りを嗅いで口に含んでみた。が。

「すっぱい」

 正直すぎる、それが感想。

「酸化してんのかぁ?」

 銘柄のラベルがけなされたのを見て、愛国心というほどではないが身贔屓の強い傾向がある銀色は眉を寄せる。ご贔屓のヴェネト州産、のアマローネの傑作。『苦み(アマローネ)』という意味の名を持つだけあって赤ワインを飲み慣れない人間にとって飲みづらいものだが、慣れてしまえば他の酒が喉を通らなくなるくらい美味い、濃い口のフルボディ。

固定の銘柄ではなく、ヴェネト州の醸造業者が各社それぞれの『アマローネ』を出してはいる。各種様々、ピンキリがあってもそれを名乗るからには銘酒の部類に入る。流通の過程で、酸くなるような扱いを受ける筈はない。

「ごめんなさい。オレには赤ワインって全部酸っぱいんだ。獄寺君、お願い」

「失礼します」

 横から手が伸びる。普段は悪童の気配をまだ濃く残しているボンゴレ十代目嵐の守護者だが、スーツを着せて来客の応対をさせれば素晴らしく見栄えがする。底の広がった、口の狭いチューリップ形のグラスを揺らし、鼻先をその窄んだ口に寄せ香りを嗅いで、それからそっと淵に唇を当てて口に含む。

「いいと思います。待たせたな」

 とくとく、銀色の目の前のグラスに、五年前に収穫されたブドウの果汁から作られた液体が注がれた。

銀色が好きなアマローネは、生産量は希少ではないが値段が高い。てまがかかるからだ。いわゆるDOCワイン(原産地呼称統制法)なので、シャンパン同様、産地や品種や製法に様々な規定がある。

イタリア固有のブドウ品種であるコルヴィーナ・ヴェロネーゼ種、ロンディネッラ種、モリナーラ種の三つのうちのいずれかを使い、「ロミオとジュリエット」の物語で知られたヴェネト州・ヴェローナの町の、ヴァルポリチェッラという地区で作られる。収穫後に陰干しをして貴腐させ糖度を高めた後、2年以上の樽熟成をして、さらに半年以上の瓶熟成を経なければ『アマローネ』のラベルを貼って世に出ることは許されない。

注がれた赤に銀色は口をつける。さっきまでは味わうような心境ではなかったが、どうなんだよという興味でかなり真剣に。

「ちゃんと美味いぜ」

「よかった」

 沢田綱吉がほっとした表情。

「それで、えーと、何だったっけ。そう、ザンザス。縁談があるんだ。政略結婚だけど。ウチの長老たちから、最初はオレにきた話だけど、日本人の血が混じってるヤツにうちのコは嫁がせられないって、向こうにお断りされちゃった」

「度したがたい、馬鹿な奴らです」

 ワインの口をナプキンで拭いながらボンゴレ十代目の腹心は言った。

「千載一遇のチャンスを逃しやがった。十年後、さぞ後悔するでしょう」

「オレが話の邪魔になってんだろ」

「ザンザスから聞いたの?」

「いや」

「ザンザスはキミになんて言ってるの?」

「何も」

「なにも?なにひとつ?」

「なにひとつ」

 聞いていないと答える銀色にボンゴレ十代目と腹心は目を見合わせる。

「ヤバイかもしれませんね」

 獄寺が呟く。この期に及んでこの情人にあの男が、何も聞かせていないというのはヤバイかもしれない。

「逃げるつもりかな、ザンザス」

「逃げられると思ってるほど、甘い考えのヤローとも思えませんが。逃げたところで普通人になれるワケでもない。あいつはマフィアだ。可哀想なくらい」

「そうだね。どう見てもマフィアじゃないのにボンゴレのボスにされちゃったオレと、同じくらいかわいそうだ」

 二人の会話を銀色は珍しく大人しく聞いていた。ボスとしての孤独を抱いた男を腹心がそっと慰めている図には、少し覚えがないでもない気がする。自分の『ボス』はこんな風に、自分に頼ってくれたことはなかったけれど。

「逃げても逃げ切れねぇ。それでもてめぇを連れて逃げるってアイツが言ったら、てめぇはどーすんだ?」

 そりゃあ、もちろん、きまってる。

「命令されたら、従うぜぇ」

「じゃーなんでここ来やがった」

「まだされてねぇからだ」

「命令される前に、予防線を張りに?」

 二人の会話に沢田綱吉が口を挟む。獄寺隼人は声を控えて客のグラスに赤ワインを注ぐ。

「本当は付いていきたくないの?やっぱりキミもザンザスをボスだから好きなの?マフィアのボスじゃなくなったら愛してあげないの?彼の愛情よりヴァリアーが大切?」

「……よく分かんねぇよ」

 知能に問題はないが、意思を長年、ボスという名の男に預けてきた銀色は矢継ぎ早の質問を処理しきれない。

「オレが邪魔になってるって他所から聞いたから、どーすりゃいいのか教えて貰いに来ただけだ」

「ザンザスに黙って?」

「向こうはナンて言ってんだ?」

「花婿候補としては文句がないらしい。ちょっと年齢が離れてるけど彼いい男だから、まぁそれもクリアかな、って」

 その言葉にほんの少し銀色が笑う。自慢に思っていることをさりげなく褒められて無意識に喜ぶ様子は痛々しいほど正直。

「ただほら。花嫁が若すぎて今すぐその、結婚の実行が出来ないって言うか、いや結婚はするけど行為が、その」

「意味は分かる。相手のことは知ってる」

「あ、そうなんだ」

 冷や汗をかきながら、結婚相手が幼すぎてベッドインできないのだということを、説明しようとしていた沢田綱吉が机の上の紅茶を手に取る。

「えぇと、だから。彼の、花婿のそばに、ずうっとついてる綺麗な人のことを向こうは凄く気にしてて。嫁がせる前に追い払って欲しい、って。手を切るだけじゃなくて切った証拠が欲しい、って。つまりあなたに、別の、その、えっと」

「結婚前に別れさせるだけじゃ信じられねぇんだとよ。長年のナカヨシだからなぁてめぇら。ウラでまたすぐ仲直りしやがるに決まってる。てめぇをウァリアーから出して、別のオトコの恋人を公にあてがって、ザンザスのヤローと二度と復縁できねぇよーにしてくれってさ、さすが言うことが違うぜ、ジッリョネロファミリーは」

 ボンゴレと同じく輝かしくも長い歴史を誇る、イタリア正当なマフィア。過去にもボンゴレと通婚は数例あって、ジッリョネロファミリー先代とボンゴレ九代目はまた従兄弟の関係。

「そういうこと。実はオレのところに、あなたの新しい恋人になりたいって立候補も来ているんだ、でもとにかく、ザンザスからあなたに話が行くまではって、手元で止めているんだけど」

 沢田綱吉が、言葉に詰まりながら、そんな説明をしているところへ飛び込んできた人影は。

「マグロのカルパッチョ、お待たせッ」

 沈む室内の空気を一気にオレンジ色に変えるほど明るかった。頭にタオルを巻きジーンズにシャツといういつもの格好だが調理用の前掛けをつけて、直径一メートル近い有田焼の白い大皿に、十人前はありそうな大量の料理を盛り付けて、片手で軽々とテーブルに運び込む。

生食用ホーレンソーの緑色にトマトの赤が映え、レモンの黄色がアクセントになって色彩的にも美しい。マグロはサクのまま塩コショウして両面をカツオのたたきのようにさっと炙られてスライスされてバジルの効いたオリーブオイルを掛けられて、赤みが魚肉というよりフルーツ的なナニカのように艶々と輝いている。ぱらぱらと親指の爪ほどに千切られ散らされたモツァレラチーズの純白も鮮やか。

「別に待ってねぇ。メシ食いに来たんじゃねぇよ」

「そう言わないで食べてってくれよ。あんたがコッチに出てくるなんざ珍しいじゃんか。イタリア行ったら会えると思ってたのにずーっとヴァリアーにヒキコモリっぱなしで、すっげぇ寂しかったのなー」

「暗殺部隊の人間がツラぁ晒してホイホイ歩けるかよ」

 言いながら、それでも雨の守護者が勝手に取り分けた皿の上の料理を嵐の守護者に毒見され目の前に置かれて、拒むことも出来ずにフォークを手に取る。片手が義手でマナーが悪いため、あまり人前での食事はしたくないのだが。

「ほい、ツナもな。獄寺も」

 時刻は日暮れ前。ちょうど小腹がすくころ。夕食前のアペリティフタイムには相応しくない時間ではなかった。

「ありがとう、山本」

 受け取って口をつけるボンゴレ十代目はさらにフォーク使いがヘタクソで、おかげで多少は楽な気持ちになる。

「話、何処まで進んだ?」

 自分も椅子に座った山本が自分の分も皿にとって食べ始める。にこにこしながら隣の沢田綱吉に尋ねた。

「はなしをはじめようか、っていうところかな」

「俺にしとけよ、スクアーロ。ザンザスと秘密で時々、会わせてやるからさ」

「……はぁ?」

「だからまだ、話がそこまでは進んでないんだってば山本。スクアーロさんが困っちゃうよ」

「ディーノさんより俺の方がぜったいアンタに甘いし。仲良くしてくれたら細かいことは言わない約束する。んでさ、みんなに内緒でザンザスとデートさせてやるよ」

「ここで言ってりゃ、秘密でもナンでもねぇんじゃねぇか?」

「もしそんなことになったら、本当にほんとうゼッタイばれないように内緒にしておいてね」

 立候補、とやらにこの目の前のガキが入っているんだろうかと、金色の鮫はまじまじと、その才能を可愛がってやった雨の守護者を見つめる。見つめられ、そろそろガキではなくなってしまったが心情的には相変わらず『可愛い』、教え子は。

「逃げたいなら、手伝うし」

 そんなことを言い出す。

「いいよ」

 地中海産の素晴らしいマグロの赤身を美味しく食べながら沢田綱吉が言った。銀色の鮫の三倍目のワインは獄寺ではなく山本が注いでやる。

「スクアーロさんだけなら見逃してあげる」

「……アイツは?」

「ダメ。俺のそばから離さない」