最後の夜。
セックスはした。けれど二人とも気がそぞろというか上の空で、なんとなくしっくりこなかった。それよりもカラダの繋がりを解いた後、抱き合って、匂いをかぎ会うように顔を寄せ合った時間の方をよく覚えている。
結局、それが関係の本質だったのだろう。セックスもたくさんしてきたけれどそれ以上に、つがいというより、自分自身だった。手足を絡めながら相手の喉や髪や脇の下に顔を突っ込んで鼻先を押し付けた。子犬が自分の匂いのついた寝床を恋しがるように、相手の気配に安らぎを抱き合っていた。
「……、ったな」
いつまでも眠る気配のない銀色を抱きながら男が口を開く。
「んな、こたぁ、一つも、ねぇ」
男の腕の中で銀色の鮫は抗議。詫びられる覚えは一つもない。全部が幸せだった。一つ残らず、全て。
悪かった、なんて冗談でも言われたくなかった。
「やるか?」
男は抱きしめた相手の髪を、指らに絡めて持ち上げる。銀色の長い髪。この髪も、髪が生えている頭も、その中身も首で繋がった体もぜんぶ、ずっと自分のものにしておくつもりだった。
「あ?」
「殺すか、いっそ」
「九代目を?」
「いまさらジジイを殺してなんになる」
「沢田綱吉かぁ?」
「できねぇだろ」
リング戦で負け、恐ろしい実力を知っている男が事実を淡々と告げる。確かにそうだ。あれは強い。そうしてアレを殺したところでこの状況が好転するとは限らない。政略結婚の義務は消えないどころか強くなる。ジッリョネロファミリー側の結婚の条件も、変わりはしないだろう。
「いいぞ、殺って」
男が片手を解いて枕の下へ伸ばす。そこには愛用の銃が納められている。大きな掌に掴まれた銃を、無造作に手渡されて、銀色の鮫は困った表情。
「オレに撃てってかぁ?」
「指先一つでカタはつく」
「撃って、オレにどうしろって?」
「好きにしろ。だが自分も撃っちまう方が手軽だと思うが」
「だよなぁ」
ヴァリアーの本拠地でそのボスを撃ち殺して、まさか逃げ延びることは出来ないだろう。
「命くれるって言ってんのかぁ?」
「てめぇがそうしたいなら」
「しおらしぃじゃねぇかよ。らしくねぇなぁ」
笑いながら銀色の鮫は紋章つきの銃を持ち上げ、Xの刻印に口付ける。
「さすがのオマエもこれだけ長く、飼ってた犬捨てんのは罪悪感あんのかぁ?」
「てめぇのことなんざ知るか」
「ひでぇ」
「オレがうんざりしてんのはオレのことだ」
「あぁ……、そだなぁ……」
銀色は笑う。分かっている、という表情で。
「ボンゴレ愛してんだろぉ」
「……」
「そのキモチよぉ、ちょっと分かるぜぇ。俺も、ドメバで俺に全然優しくねぇのロクデナシのことすげぇ愛してっから」
自分を後継者に選ばなかったボンゴレという組織を、それでも愛している男の気持ちが銀色には理解できた。
「いいぜぇザンザス。棄てられても恨まないでやる。やるからよぉ、なぁ、引き金、オマエがひけぇ」
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
「簡単じゃねぇか。人差し指ひとつで済む。死体はそのへんの山に棄てさせりゃいい。恨まねぇぜぇ」
「んな手間かけてまでボンゴレを守ってやる義理はねぇ」
「すっげぇ愛してるぜ、ザンザス」
「俺もだ。たぶん」
「たぶんが余計だぁ」
「てめぇはずっと置いとくつもりだった。動かなくなるまで」
「ホントは俺を手放したくないって言えよぉ」
「不自由するだろう。いっそ終わっちまうか、一緒に」
「……一緒に?」
銀色がまた、笑う。
「マジかよ」
「もう面倒だ。オレはもう、オレにうんざりだ」
「ボンゴレ捨てられねぇからかぁ?しょーがねぇよ、オマエはよぉ、ガキの頃から、ずっと……」
自分のものだと思っていたのだから。ボスになる為に相応しく努力してきたのを知っている。最終的にリングに拒まれて十代目の座は日本人のガキのものになった。愛していたのに裏切られて、選んでもらえなくて、それでも。
「ボンゴレにとっちゃ、わりぃ話じゃねぇよなぁ」
この男とジッリョネロファミリーの幼いボスとの婚姻は、悪い話ではない。
「オレはぁ、反対しないぜぇ。ってーか、さすが見る目があると思ってっぞぉ。なぁ、沢田綱吉のこと蹴ってオマエを花婿に選ぶなんざ、さすがに価値を分かってるじゃねぇか、ジッリョネロファミリーは」
自慢の、自分の、男が政略結婚の相手に選ばれたことは銀色にとって誇らしくさえある出来事。
「邪魔になるなら始末されてやるぞぉ。オマエにヤられんなら構わねぇ。俺を片付けて、オマエはオマエの、愛を貫けぇ」
「……、馬鹿馬鹿しい」
男は本気でそう言った。
「てめぇを消してまで、なんでオレが奴らの為にジッリョネロファミリーのガキを娶らなきゃならねぇ」
「他の誰もうまく出来そうにねぇからだろぉ」
政略結婚は諸刃の剣。うまくいけば双方に利益を齎すが、婚姻関係はこじれると後を引く。同盟のタメの結婚が揉めた挙句に仇敵になってしまう、というのは、歴史の中でありがちな皮肉。
「消えてやるぜ、ザンザス。ボンゴレじゃねぇ、オマエのタメなら、居なくなってやるぜぇ」
「……一人でか?」
「うん」
「馬鹿を言うな。一人で楽になるつもりか。逃げるなら一緒だ」
「一緒かぁ」
その言葉が銀色には嬉しいらしい。にこにこしながら何度も反芻した、ちゅ、っと、唇を寄せて男の口の端にキス。
「俺と一緒じゃなきゃイヤかぁ?寂しがりだなぁ、ザンザス」
「うるせぇ」
「いいぜ、分かった。一緒に苦労してやる」
「……」
「オマエがボンゴレに殉じるんなら、お供してやる」
「……」
「なぁ、言えよホントのこと。本当はオマエ、俺にそうして欲しいんだろ?」
「だから、逃げるか、一緒に」
「一緒に?」
くすくす、また嬉しそうに、銀色が繰り返す。
「一緒には、逃がしてくれねぇってさぁ。ジャポーネのガキに言われた」
「なら死ぬか、一緒に」
「それはイヤぁ。死ぬのは一人で死ぬぜぇ」
「それは許さねぇ。オレとの心中は嫌か?」
「イヤだぁ、ゼッタイ。なんでこんなに好きな男を殺さなきゃならねぇんだぁ」
世界中を犠牲にしても生きていて欲しい相手を、死なせることなど、出来るわけがない。
「一緒に苦労してやるから言えよ、ほんとはさせたくない、ってよぉ」
「馬鹿馬鹿しい」
「ホントはずっと俺と一緒に居たいって、言え」
「撃て、カスザメ。本当にもう、オレは自分にうんざりだ」
「そう言うなって、なぁ。わりぃことじゃねぇよ。ボンゴレリングはお前を選ばなかったけどよぉ、マレーリングはオマエを慕って、オマエのものになりたがってるじゃねぇか」
「てめぇを手放す、気なんざ欠片もなかった」
「俺を死ぬほど愛してるって言えよ。そしたら一緒に、ボンゴレ愛してやっからよぉ」
「撃て」
「馬鹿言うんじゃねぇ」
ぎゅ、っと、群色の右手が男の肩を掴む。
「オマエが一番、俺には大事だぁ。でなぁ、オマエが大事なものは俺にも大事だぁ。愛してるからなぁ」
「……馬鹿馬鹿しい」
「なぁ、ホント、馬鹿らしいよなぁ。愛してるほど愛してくれなくっても、愛しちまってんだ、仕方ねぇよ。オマエの為ならおまえ以外の男とセックスしてやるぜぇ。考えたこともなかったけどなぁ」
「それマジで言ってやがんのかてめぇは」
「地獄で一緒に、のたうちまわってやるぜぇ、ザンザス」
揺れのない、真面目な真顔で、銀色は笑いながら。
「クソの役にもたたねぇ愛ってやつだけがよぉ、生きてる意味だったりしてなぁ、俺にはよぉ。オマエに惚れてから、ずっと」
この男への愛情だけが息をする意味だった。