立候補、とやらは何人も居た。ジッリョネロファミリーとボンゴレファミリーの婚姻による同盟はマフィア全体の注目の的で、ジッリョネロが出した結婚の条件も噂が広まっていた。

正妻を娶る前に長年気に入ってそばに置いていた愛人を遠ざけること。それも復縁できないように別の男のモノにすること、というのは、政略結婚ではありがちな条件。これが本物の女なら主人の媒酌で別の男へ嫁がされるところだ。

「リストに一応、目を通す?ジッリョネロの幻騎士とかも居るよ。あとは同盟ファミリーとか、国外からも何件か。百番勝負で顔が知れたからねぇ。女の人も居るけどこれは除外だね」

 沢田綱吉が差し出したリストを、見ねぇと言って銀色の鮫は受け取らなかった。こんな見た目をしていれば誘いは多かったし、中には強引にモノにしてしまおうという男も居た。特に主人が眠っていた八年間は実力行使を仕掛けられることもあった。無論、全員、腹に乗せる代わりに地面に這わせてきたが。

 自分が誰にどうメス扱いされているのかをいまさら知りたくはなかった。

「この面子、全部ホモってことですか。ったく、なに考えてんだか。マフィアーソは一応、信仰はカトリックだってのに」

「スクアーロさん綺麗だからもてるのは仕方ないよ。あとやっぱり、来歴がいいから。あのザンザスの、ずうっとお気に入りだったって言うのは凄いハクじゃない?どんな味だろう、って、オレだって全然思わない訳じゃないもの」

「ンだぁ?味見してみっかぁ?」

 からかったつもりの軽口に。

「んー」

 真剣に考え込まれて、銀色の鮫は内心で少しだけ怯む。

「してみたい、けどちょっと、さすがに、色々、義理が悪いよ。勿体無いけど我慢する。勿体無いけどね」

「オレは喋りませんよ、十代目。こいつもマフィアーソとして服従の義務は果たすでしょう」

「兄貴分が恋しがってる人を玩具には出来ないし」

 その言葉に銀色は、ああやっぱりあいつになるのかと思った。ガキの頃から知っているへなちょこ、リング戦では最初に偽物でひっすけ、最後には命を助けてくれた、恩人。

「まだ分かんないよ?」

 銀色の顔色を読んで、沢田綱吉がそっと訂正する。ヴァリアーを抜けてボンゴレ本邸の警備責任者になった銀色の鮫は毎日、十五時のお茶の時間に、十代目の執務室に招かれて色々な打ち合わせをすることになっている。

「ディーノさんはそれはそれは熱心だ。第一候補だよ。あなたをヘタなところにはやりたくない。ザンザスの顔を潰しちゅうから。ただ問題は、『お嫁に出す』ことは出来ないから」

 ボンゴレでも指折りの戦闘力を誇る銀色の鮫はこれからボンゴレ本邸の警備責任者になる。外には、出せない。

「オレの愛人になってもらえればそれが一番なんだけど、俺にはヒバリさんも京子ちゃんもハルも居るし。ザンザスが大事にしてた人を、四番目の愛人には、さすがに出来ない」

 と、見た目を裏切って性悪な未来のボンゴレ十代目が笑う。

「ディーノさんはあなたを娶れれば貞操を誓うって。他の男に渡されたら生きていられないって。直筆の手紙が毎日、キャバッローネの紋付で来るよ。読む?」

「読まねぇ」

 頭が痛くなりそうだ。

「そう。ディーノさんはあなたが読んでくれることを期待しているみたいなんだけど。とりあえず今、オレから色々条件出してるから、それをディーノさんが呑んでくれたら新しい恋人はあの人でいい?ダメなら次点で山本になるけど、多分ディーノさんは呑むよ。半狂乱だもん、今」

「十代目が焦らしておられるからですよ」

 給仕をしながら腹心の獄寺は少し笑った。自分の恋人が別間の愛人を迎える話だというのに少しも動揺を見せないで。

「今にも山本に食われるんじゃねぇかって、すっげぇ足掻いてる。実は楽しんでおられるでしょう」

「うふふ」

 沢田綱吉が笑う。銀色の鮫自身は笑わなかったが、深刻ぶられているよりは笑い話にされる方がよかった。

「ディーノさんとさ、ホントに何にもしたことなかったの?」

 好奇心丸出しで尋ねてくる沢田綱吉の無邪気さには、銀色の鮫は少しだけ笑った。笑ったついでに口を開く。

「むかし」

「むかっしッ!?」

「ヒュー♪」

 側近にまで口笛を吹かれ興味深々に見つめられて。

「食いつくな。ガキの遊びで、ほんのちょっとだけだ」

「ど、どれくらいの遊び?」

「……キスから三センチ先まで」

「へーっ、そうだったんだぁ!」

「男の純情じゃなくって逃がした魚の執着かぁ」

「や、純情だと思うよディーノさんは。でもそっかぁ、なるほどねぇ。そりゃ募るよねぇ。交渉は強気で押せるね」

「弱気だったことがあんのかてめぇ」

 その口のきき方を側近が咎めるより先。

「うふふ」

 沢田綱吉が肩を竦めて笑った。

「あるよ、たくさん。だからボクはザンザスに憧れてる。あんな風にするのかってお手本にしてる。彼が居ないとどんな風に振舞えばいいか分からなくなる。だから手放せない。一緒に逃がしてあげられなかったんだ。ごめんね」

 イマサラのワビの言葉に銀色の鮫は返事をしなかった。

「近々、ディーノさんがこっちに出てくるから、そこで条件を詰めてそれから食事して。まぁお見合いだね」

 それも。

「いまさらだなぁ」

 ガキの頃から知っている相手だ。

「まあそうだけど、一応。ディーノさんがあなたをどんな風に口説くかすごく興味、あるし」

「悪趣味だぜぇ」

「いい趣味してるつもりだどなぁ。あ、明日はお休みをあげる。部屋は用意してるから足りないものとか欲しいものとかあったら言って」

「十代目」

 側近が渡した封筒を。

「はい」

 沢田綱吉が差し出す。

「支度金。気持ちだから受け取って。あのね、色々あったけど、あなたみたいな腕利きをお迎えできて嬉しいです。ほんとに」

 柔和な表情に嘘の気配はない。

「ここでに来るのは不本意だったかもしれないけど、オレたちと仲良くしてください」

 仲良くというのがどんな意味なのか銀色の鮫にはよく分からなかったが。

「力いっぱい、仕えさせてもらう」

 それが主人の望みだから。

「ありがとう。本格的な勤務は来月からにするから、暫くゆっくりしておいて下さい。ディーノさんが来たらそんなこと言っていられなくなるかもしれないけど」

「いつ来るんだぁ、あいつはぁ?」

「ええと」

 沢田綱吉は獄寺隼人を振り向く。

「何処かの買収が揉めていてはっきりしませんが、終わり次第、来ると言っていました。二・三日後でしょう」

「っていうことだそうです」

 ふぅん、と、銀色の鮫は思った。ディーノのことではない。兄貴分の予定を側近に把握させている沢田綱吉の大物ぶりを。順調に育っているらしい。

「今日は一緒に食事を、って言いたいけど、そんな気分じゃないかな?」

「あんまりよぉ、ヒトとメシ食うの好きじゃねぇんだ。片手がコレだろ?」

 左手をひらひらさせる。義手なのでマナーがよろしくない。気心の知れたボンゴレ未来のボスの食卓に招待されるのは気が重い。「気にしなくていいのに。オレより酷くはないでしょ?まぁでも、スクアーロさんが好きなように。獄寺君、案内してあげて?」

 

 案内された部屋は正面玄関から前庭へ抜ける回廊を見下ろす二階にあった。代々のボンゴレ本邸警備責任者が起居してきた場所だ。以前には剣帝テュールも居たし、若い頃の沢田家光が頑張っていた時期もある。ボンゴレファミリーを代表する腕利きだという名誉とともに与えられる居場所。

「酒とか食い物とか、山本のヤローが冷蔵庫の中に詰め込んでたぜ。あいつは仕事で出てるけど夕方にゃ帰ってくる。ナンか買って来させるものあるか?」

 アッシュグレーの髪の青年はぶっきらぼうな表情で、でも親切に言った。これはボンゴレ集代目に忠義な飼い犬で、切れ者が主人の陣営に来ることをこれなりに歓迎している。

「シゴトと関係ねーこと聞いていいか?」

「なんでも」

「お前は山本の恋人なんだろ?俺が来ていいのかよ」

 新品の遮光カーテンを開いて視界を確認しながら聞いてきた銀色の鮫に、ボンゴレ十代目の側近は肩を竦めて答える。

「大歓迎だ。おまえをどうするかは十代目のお気持ち次第だが、オレ個人としては山本のになって欲しいって、心から思って……、願ってる」

「なんでだ。別れてぇのか?」

「いいや。オレはアイツにベタボレなんだ。ガキの頃から、どーしょーもなくな」

「わけ分かんねぇぞぉ」

「好きなんだけど、セックスが苦手で」

「……あ?」

「アイツに不自由かけてっから、あんたが」

 きれいな顔をした青年は銀色の鮫を呼ぶ、呼び方を変えた。

「アイツと仲良くしてくれっと嬉しい」

「んだ、そりゃ?」

「言葉通りだ。当たり前だけどアイツも男だから、あんまりヤレねぇとイラつく。それを見てんのも辛ぇし、外でヤってきたんだなって分かっちまうのも辛ぇ」

「……苦手?」

 銀色の鮫は眉を寄せる。二十歳を超えたばかりの目の前の青年は実に艶やか、肌も髪も形よく潤って甘い果汁が滴りそう。愛想は悪いがそこが扇情的でもあって、男にも女にもよくもてるだろう。

「マジかぁ?」

「セックスして楽しかったことがねぇ。アイツとも、女とも」

「……」

 正直な言葉に銀色の鮫は言葉を失った。そういう人間は男女を問わず一定の割合で居る。しかしこの見目でそうだというのは、信じられないのが正直なところ。目を伏せていると睫の長いのがよく分かる。

「アンタがどう思ってって知んねーけどよ。あいつ結構、真面目でさ。女とキャラキャラ騒ぐのは好きだけど粘膜までの買春はホントはしたがんねー。させちまってんのが、ずーっと辛かった」

「……」

「あんたがアイツに優しくしてくれたら、オレはアンタに感謝するぜ。マジに」

「……」

 銀色の鮫は黙る。用があったら呼んでくれと自室の内線番号をサイドテーブルのメモに書き残して獄寺は出て行く。銀色の鮫はそのメモを見て、覚えてから細かく千切り、ゴミ匣に捨てた。

ガキの集団、だと思っていた。ボンゴレ十代目とその守護者たちのことを。けれどそういえばガキにはガキなりの苦悩があったなと、昔のことを思い出す。金と権謀の渦巻くボンゴレ中枢の近くではガキの悩みさえ大規模になった。それは過去の自分も未来の十代目も同じこと。

疲れたな、と思いながら居室を通り過ぎ小さなキッチンへ。冷蔵庫を開けると中にはいっぱいに食べ物が詰まっている。チーズにクラッカー、スモークサーモン、サラミに季節の栗の菓子まで。棚にはレトルトのスープとワイン。暫くここに篭城しても大丈夫なくらいに。

生意気なほどの才能に満ちたあのガキに、そんな苦悩があったことも知らなかったなぁと、ワインのコルクを開けながら銀色は思った。いつも能天気でにっこり笑っているガキだが、だからといって苦悩がない訳ではないだろう。

 意外な告白を聞いて、それでなんだか気が楽になっている自分を銀色は自覚した。単純なバカだと自分自身のことを思う。不幸せなのが自分だけでないことに心慰められている。だからといって自分の境遇が改善する訳ではなのに。