クラッカーにサラミを載せワインをあおって、そのまま暫く、眠ってしまった夜更け。

「なぁ」

 耳元で囁かれる男らしい低い声。

「起きてるだろ。ナンで寝たフリしてんの?」

 ベッドの隣に滑り込んできた若い、雨の守護者に問われる。

「……ガキィ」

 思わずついてしまった悪態に。

「うん」

 真面目に返事をされて、実はそうでない事を悟る。

「遠まわしなイエスかなって思ったけど、遠まわしじゃないイエスが欲しいのな」

 すり、っと、銀色の右手をとって頬を擦り付ける。懐いている飼い犬の仕草だった。あなたを好きですオレを可愛がってくださいという懇願がこもっていた。

「オレは獄寺とは別れない」

 はっきり断言する若い男が妙に可愛くて銀色は笑ってしまう。自分にもそう言っていた時期があった。別れたくなくても別れさせられるということが人生にはあると知らなかった頃。ゆりかごの眠りは時間と空間の隔絶と言う意味において死別に近かった。復活を信じてはいたが、それは信仰であって可能性は低かった。苦しかった。

「でもあんたが二番目って訳じゃない勿論。二人とも大事にすっから。腹と胸と満腹にさせるって約束するから。ってーか、あれだよな。あんたと獄寺、妙に仲いいし。獄寺ってよぉ、あんなトゲドゲしてんのに、けっこー、好かれるんだよなぁ。ヒバリとも、仲良しって訳じゃねーけどそれなりで、ヒバリとツナが喧嘩してっと獄寺のヤツはミョーにヒバリ寄りで、ツナその度に苦労してんだ」

 くす、っと、若い雨の守護者は笑った。二人がかりで非難された挙句に絨毯に座り込んでの謝罪と懇願、最後にはわぁわぁ泣き出す自分たちのボスを思い出して。

その様はいつも必死で可哀想。でも案外、あれがストレス解消なのかもしれないと思う。人間、いつも周囲に君臨しているだけでは気持ちのバランスが取れなくなる。偉い男ほど愛人には甘いというのと根本の心理は同じ。

そうして床にぺたんと土下座、四つ這い、最終的には五体倒地になる沢田綱吉は妙に可愛い。なにやってんのと口では冷たく言い放ち、ツナの体がテーブルより高く浮くほどつま先で下腹を蹴り上げる雲雀恭弥が、実は撫でたいのを我慢していることに、いつもおろおろしながら山本は気づいている。

「いいぜ。あんたも獄寺とつるんでオレを苛めろよ。うん、それでいこう。そしたらツナも贅沢とか言われないし、ディーノさんはそうはなれねぇだろーし。あー、俺にも勝てるトコあったなぁ。オレはディーノさんよりずーっと小物だから、掌の中でポンポン、投げてくれていいよ」

 何処が、と思いながら銀色の鮫は若い男の口説き文句を聞いている。あまり感動した表情でもなかったが、黙って聞いてやっているのはこの鮫にしては好意だ。

「オレをあんたと獄寺の奴隷にしてください」

「するかぁ。でもセックスはしてもいいぜぇ」

「なんで?」

「度胸つけてぇからだぁ」

 多分もうすぐやってくる『本番』の前に。

「なんの度胸?」

「男とヤる度胸」

「……、ザンザス以外の?」

「おぅ」

 リング戦から六年と少し。その間、同じファミリーの剣士として先達として随分と可愛がられてきた『ガキ』は銀色の鮫の気持ちを正確に察する。

「気弱なのらしくないのな。けど、抱かれる方ってそんなもんなのかな。あんたもディーノさんが本命と思ってんだ。あのヒトといきなりすんの怖い?」

「怖いってーか不安だぁ」

「それが怖いってことじゃね?」

「かもなぁ。俺がなぁ」

「あんたが、なに?」

 すり、っと、ガキだった男が頬を擦り付けて来る。

「ガキの頃から一人しか知らなくってなぁ。他のの相手、うまく出来る自信がねぇんだぁ」

「ディーノさんあんたにベタボレじゃん。そんな心配するのおかしーのな」

「おかしかぁねぇ。案外マジィとって、思われたくねぇんだ」

「……気に入られたいってコト?」

「軽く思われたかあねぇな。俺らの世界じゃ舐められたら終わりだ。第一、契約はジッリョネロファミリーとの結婚が成立して落ち着くまで続ける必要があらぁ」

「……ふぅん」

 ボンゴレの若い雨の守護者は銀色の言葉を聞いて。

「あんた、そういう気持ちなんだ……」

 残念そうに呟く。

「あ?」

「気持ちよくなるためだけにすっこと?」

「オイオイオイ、てめぇ幾つだぁ。イマサラオレに、うぜぇ話題フルなぁ」

 セックスの意味、粘膜の快楽より気持ちが大切じゃないのか、とかいう話をしたくはなかった。思い知ったばかりだったから。長い仲だったたった一人だけを好きで好きで、他のとそうしなければならない現状が辛くて、この『小僧』を使って『なんでもないこと』にしたくて寝たふりをしていた。

「オレうぜぇ男だよ。だって雨だもん」

「その根拠は訂正しやがれ。こっちまで祟る」

「恋人になってくれねぇなら、しない」

「ふん」

 銀色が鼻を鳴らす。内心の驚嘆を隠して。こんな『小僧』にさえ分かっていることをイマサラ、自分が思い知っている愚かしさを自嘲して歪んだ口元は若い男を悲しませたらしい。ぺろり、と、暖かな舌でその端を舐められる。

「しねぇけど、すっげぇ好きだぜ、スクアーロ」

「うるせぇ」

「うん、知ってる」

 自分がうざい、うるさい男だと言うことは。そう言って笑う『小僧』の横顔には、本当にガキだった頃にはなかった翳が出来ている。

「ここで寝ていい?」

「お断りだぁ。こっちはガキじゃねぇんだぞ。ヤりもしねぇヤツと一緒に眠れっかぁ」

「うん。そーなのな。それが結局、一番、でっかい問題で」

「脱ぐなぁー!」

「ガキの頃は一緒に転がってるだけで楽しかったのに、大人になったらなんでセックスしねーと一緒に居れないんだろーな」

「しねぇんだろ、出て行けぇ」

「あんたにはガキのまんまでいいから」

 シャツを脱いで楽な格好になった『小僧』がすりっと、平らな胸に阿多のを押しつけられて。

「よく分かんねーぞ、その理屈」

 悪態をつきながら、でも、寂しがりの鮫は男を押しのけることが出来なかった。

「大人、ってーか、男になっちまったのを後悔中なのな、オレ」

 銀色は優しかった。言われた言葉の、意味が分からないふりをした。気づいた本当のことにも気づかないふりをしてやった。自分がどうこうではない。好きになった相手を無理に『オンナ』にして、適性がなかったせいで苦しませているのを後悔しているらしい様子を見て見ぬふり。

「なぁ、スクアーロ。あんたディーノさんのこと嫌いなのか?」

「……好き嫌い、ってぇかなぁ……」

 愛されてきたと思う。子供の頃から随分とワガママを通してきた。それでいてザンザスに会った、ほぼ瞬間に投げ捨てた。もう俺のことを好きじゃないのかと問われて、ガキの遊びは仕舞いだと答えたのは剣帝とやる寸前。愛した男に選ばれる為に右腕を捨てて勝った。

 ひどいことをしたのかねしれないと十年以上たった今では思う。でももう一度、あの時に戻っても同じことをする。恋は選ぶものではない。そんな自由や時間は与えられない。なぎ倒される。自分の意思だったかどうかさえ分からない勢いで。

「復讐したいのかもしれねえなぁ、アイツ」

 多分ソレがうっすら感じている恐怖の根源。子供時代に子供だった金髪にほれ込まれて顎で使っていた。そうして結局、殆ど何も与えずに裏切った。ザンザスが眠っていた八年間、時々、どうしているんだと声をかけられたけれど無視していた。強烈過ぎる体験をした後ではあのハンサム面がヤワ過ぎてムカつくほどで、見るに耐えなかった。

リング争奪戦では敵対して、でも命を助けられた。その時に何度か、くちづけをされたことはうっすら記憶にある。管に繋がれたまま朦朧とした意識の中で、死ぬなど切なく耳元で喘がれた、あれも多分、夢ではなかっただろう。

「びびってんのかもなぁ」

「らしくねーの」

 昔どおりの笑顔で『小僧』が笑う。つられて銀色も微笑む。ついでに胸に押し付けられた頭を抱いてやった。『小僧』はびっくりして、そして。

「ヤったことにしちまう?」

 顔とは裏腹に食えないことを言い出す。自分と寝てしまったことにして、既成事実を盾に跳ね馬を拒むか、と。

「それやったら、てめぇのボスの顔が潰れンぞぉ」

 入札受付中の差し押さえ物件を身内に横流ししたことになってしまう。

「んー。ツナにはスライディング土下座で、オレが謝っから」

 マフィアという人種と生き方と流儀、その世界の美学をまったく理解していない日本人の『小僧』はそう言ったが。

「馬鹿野郎」

 マフィアのクラシックな美しさを愛している金色は話に乗らなかった。

 

 

 

 

 数時間後。

 夜は明けたがマフィアの時計ではまだ夜更けか早朝という時刻。

電話が、けたたましく鳴った。

「……プロント?」

 長い腕を伸ばして枕もとの受話器をとる、と。

『よぉ、獄寺だ』

 声を聞いた瞬間、銀色は少し怯む。ベッドの隣で、というよりも胸の上ですやすや、眠っている若い男の恋人。

『悪ぃけど起きててくれ。まだ部屋からは出てこなくていい。跳ね馬がもうすぐ着く』

「……あ?」

『山本が居るだろ、そこに』

 居る。まさに間近に、目覚める様子もなく。

『ウチは昔っからザルでなぁ。跳ね馬の息のかかってんのから話が聞こえちまったらしい。えっれー勢いだ。シカゴから自家用ジェット飛ばしてのご来訪だぜ』

 獄寺隼人自身、就寝中のことろを無理に起こされたらしい。語尾にいつもの切れ味のよさがない。

「オレは寝てる。お前、あのバカか着いたら構わねぇ、まっすぐオレの部屋に案内しろ」

『……あ?』