崩壊後夜

 

 遠くから聞こえるざわめき。薄い布で隔てられた固いベッドに、あいた窓からの風が届く。

 少し暑い。でも湿度がないから風は気持ちよかった。おきてるような寝ているようなまどろみを、

「やっぱりここか」

遠慮なく仕切りのカーテンを開かれ中断される。目を開けると、居たのは、

「三村センパイ……」

三年の男。仲がいい訳じゃない。けど、同級のダチが上級生に囲まれてた時に義理が出来て、いらい、ちょっと親しくしてる。

「探したぜ。今夜、ちょっと集まるんだけどよ、オトコが足りねーんだ。お前、暇だろ。来い」

「俺、パス。暇じゃねーから」

「荒れてるって聞いたぜ。一年なんかビビって東校舎にゃ寄り付いてねーそーじゃねぇか」

笑う先輩は、わりといい男だ。上級生ヅラしねぇし敬語を使えとも言わない。

「六時半に駅前のマクドな」

 けど絶対に逆らわせない。

「へいへい。女ッすか」

「男の数、揃えなきゃならねぇ集まりが他にあるかよ。あ、クスリは持ち込み禁止だぜ」

「俺、そんなのしたことないです」

「分かってるけど一応。最近、ヤクザが学生に近づこう近づこうってしてるからな」

「センパイ、本職に誘われてるって聞きましたよ」

起き上がりながら言った。冗談じゃねぇ、ヤクザに上納金納めるために遊んでんじゃねぇと、先輩は言い捨てる。素行は悪いけど成績は良くって、多分どっかの国立に引っかかるだろうって人だ。切れ長の目尻と言葉に切れがあるのがちょっとだけ、アニキに似てて、逆らう気が起きない。

「キツそーだな。ナンかあったか?」

「別に」

 いつもなら、そうかと言って引く人が、ふぅんと頷いたまま立ってる。俺はよっぽど聞いてほしそうな顔をしてたらしい。

「あわねーんですよ」

「オンナか」

「あわないってったら、他にナンかありますか」

「色々あるけど高橋がそこまでイラつくネタはねぇ。押し倒せねぇのかよ。珍しいな」

「俺が押し倒せないオンナなんか居ませんよ。その後がしっくりこなくって」

 生意気な台詞を、肩を竦めただけでいなされる。

「合わない相手とは別れろって、お前、前に誰かに言ってなかったか」

「……人事と自分は違うから」

「無理強いしてるとオンナが鈍くなるからつまんなくなるっても」

「言いましたか、そんなこと」

「いつだったかな、お前がダチらと話してんのが聞こえたんだ。こいつとんでもねぇって思ったから覚えてる」

「感心した?」

「呆れた。女がさ、たまに言うだろ。いつか大事なヒトと会うまで、とかナンとか」

「直では聞いたことないですね。今時そんなアッタマ悪いの、テレビの中にしか居ないよ。バージンなんざ喰っても、うまくもなんともな、」

「ありゃ一理あるんだぜ。ウブい奴には迫力がある。海千山千には絶対、出せない凄みがな」

「先輩なんか、ぜったい出せないでしょ」

「お前は本命でコケるタイプだ」

 キッパリ言われて絶句したのは、俺らしくない失敗。

「誠意が足りなくってな」

 にやっと、先輩は笑う。

「それに知ってるぜ。お前が実はバージンが大好きだって」

「ンな、わけ、ねぇよ」

「美味くないとか愉しくないとか言いながら、バージン来たらキチンとお相手してるじゃねぇか。食って捨てた後もお前、区別してるぜ。バージンだったのとなかったのと。見てるとよく分かる」

「勘違いですよ、先輩の」

「だったらいいがな。押し倒したのもそうだったんか?」

 問われて答えに詰まる。先輩はますます、意地悪く笑う。

「図星か。良かったじゃねぇか」

反論を、しようとした。でも出来なかった。図星だったし、それに。

「どしたら、いいっスかね」

俺は本当に困ってた。イラついてたし、ムカついた。頭抱えて、逃げたいくらいだった。

「俺、今度はポカしたくねーんすよ」

「もうしちまった後じゃねーのか?それで後悔してんだろ?」

「……見てたのかよ」

勘のいい人ってのはこれだから。それとも俺が分かりやすいのか?

だったらどうして、世界で一番勘が良くって、俺を分かってる人が理解してくれない。俺はあの人のことを、本当に。

「なんか、もう、なにしたってダメな気して落ち込みますよ」

「天下のタラシ男、タカハシケイスケにしちゃ弱気だな」

「一生懸命、可愛がってんのに、なんか苛めてるみたいにしかならなくってさ」

「無理強いしたって無駄なんじゃねぇか、そういうのは」

「だって離したら逃げるから」

 そこでふと、先輩の眉がよる。からかうみたいだった表情が改まる。

「高橋、お前」

「マジっすよ」

 いっそ堂々と、俺は宣言した。

「一世一度の恋です」

「相手に言ったか、それ」

「利く耳もたねぇの。全然、聞いてねぇよ」

「信用されてねぇ訳か。ま、俺がオンナでもお前の口説きは絶対に信用しねぇ」

「ひでぇ」

「誠意がねぇよ、お前には」

「こんなにあるよ」

「海千山千した後の絞り滓だろ」

 何の価値も無い、みたいに言われて気分が落ち込む。

 あの人にもそんな風に、思われてるのかもしれない。

「ま、もてすぎた罰だと思って諦めるんだな」

「諦められるもんか」

「とにかく今日は、お前、来なくていいから」

「え、なんで?」

 本当に不思議だったから尋ねる。俺を探して誘うほどなのに。この先輩が誘ってくる女はたいていが年上の綺麗なのばっかりで、男もそれに合わせていいのを揃えておかないと次が無いと、いつも言っているのに。

「高橋ィ」

 先輩はあきれ返った声。

「誠意があるとか言っといて、別の女抱きに来る気かよ」

「だって、それとこれは別じゃん」

「お前ふられる。捨てられる。今、決まった。いっぺん泣かされて男やり直せ」

「ジョーダンでもやめてくれませんか、そんなの」

 ふっと、俺は凄んでみる。

「俺はオンナに同情するぜ」

 カーテンを引いて先輩は保健室を出て行った。引き際がうまい。たぶん、喧嘩をしたら俺が勝つ。けどあの先輩は駆け引きがうまい。

 頭がいい人間には、結局、勝てないのかもしれない。

 

 晴天の空が目に染みた。

 

 来るなと釘をさされた集まりにいくのも面倒で。

 でも暇だったからダチのバイクで、海まで流した。

 途中で車の女に声かけられて。

 乗って帰ってきた。車にじゃない。女に。

「運転する?」

 二時間の休憩後、出たとき、女はそう言って指先で鍵をまわす。

「免許、もってないんだ」

「あら、そう。男の子って大学生になったら、すぐさま免許をとるんだと思ってたわ」

 肩を竦めて答える。群馬大学の学生だ、という事にしておいた。高校生なんて知らない方が向こうも幸せだろうから。

「何処まで送ればいい?」

「近くの駅でいい」

「遠くてもいいわよ。君ハンサムだから、眺めながらドライブもいいわ」

「事故らないでくれよ」

 

 結局、家の前まで送らせた。アニキの部屋の明かりがついていたから、わざと女にキスして別れた。

 広大な屋敷ばかりが集まる高級住宅街。中でも目立つ大きな門の高橋家の、素行の悪い次男坊が女の車で帰ってくるのはいつもの事。

 呼び鈴を鳴らす。返事がないから、しつっこく。鍵は持っていたが、中から開けさせたかった。迎え入れさせたかったのだ。

『……はい』

 うんざりしたように聞こえるのは俺の錯覚だろうか。

「開けてくれよ。鍵忘れたんだ」

 答えはないまま、門扉のロックが外れる。ゆっくり自動で、それが開いていく。

鼻歌気分の上機嫌で、俺は自宅に入る。『本妻』が待ってる家に。

 

 三村先輩にも言ったが。

 本当に、俺は一生懸命、このオンナを蕩かそうとしてる。なのに。

 この人にはその気は無い。無いように見える。うなじを撫でて胸を齧って、前を舐める。女だって舐めてやるのは滅多に無い。破瓜の時くらいだ。

 膝をたてさせて開くと顔が横を向いた。無気力な娼婦みたいに俺から顔をそむける。商売女に触ったことはないけど。

「気持ちいい」

 まだいれる前。この人が辛がって泣いて、俺に余裕がなくなる前に褒める。

 内股に頬をなすりつけて。

「すっげー綺麗な肌。吸い付くみてぇ」

 お世辞じゃなかった。実際、世辞を必要とするような人じゃない。綺麗で繊細で細かくて優美に出来てる。何処もかしこも、実の弟が我慢できずに手を出して、無理に抱かずにおれないくらい。

「……なぁ、俺って、そんなに」

 厭な奴?

 顔もみたくないくらい?

 俺のことを好きだって、一度はその唇で言ったくせに。

「あんたの思ってたのと違った?」 

 好きだと、震えながら告げてくれた。

 あの告白を取り消したくなるほど?

 潤んだ瞳がゆっくり開かれる。首をゆるく巡らせてこっちを見る。浅い呼吸を繰り返す唇が開いて、

「いいや」

 細い否定を、俺に告げる。

「だったら、なんで」

 そんなに嫌うの。避けるの。こっちを向こうと、しないの。

 あんたからキスしてくれたこともあったのに。

 うっすらと、彼は笑う。俺に仰向けに押さえられ、食いつかれる寸前の可哀想な姿で。

潤んだ瞳が、一瞬だけ、優しく和む。

何でか俺が泣きそうになった。

「……思い上がっていたのさ、俺が」

 絶望に似た呟き。

「お前のクセが悪いことぐらい知っていたけど、自分だけは特別扱いされるって、思って……」

「特別だよ。あんたが好きなんだよ」

 瞳がゆっくり、閉じられる。否定をされた気がして言い募る。

「あんたを好き。愛してんだ」

 聞き流されているのが分かる。分かってるけど、言わずにはおれない。

 

 好き。

 大好き。

 この夜で一番、好き。

 

 愛して、いるよ。