梔子の人

御伽草子じゃないが、竹林の奥の屋敷に竹取姫が居ると、自分の家が噂になっているのは子供の頃から知っていた。
遊び友達と街へ出ると、大概そんな話を耳にした。
女達が辻に集まって、やれ何処ぞの側室だの、さる高貴なお方の落とし種だのと。
実際、自分の父親はそれなりに止ん事無い血筋の人物であったらしい。
当世一番の小町と謳われていた母親は、この地へ休養にやってきた男に見初められ、俺達を産んだ。
男はいずれ都へ呼ぶと母親に言い残し去っていったが、それっきりになった。
母親はこの地ではそれなりに身分のある家の娘だったが、都へ行けば帝に連なる藤原や源の子女が腐るほどいる。
都の男が、田舎の娘を自分の元へ本気で呼ぶなど、あるはずがなかった。
母親は元よりそれを覚悟していたのか、俺達の前で男を恨む言葉を吐いたことはない。
周りは、相当に五月蠅かったけれど。
特に、祖父の嘆きは激しかった。
それは彼の娘を捨てた男に対してではなく、男を引き留めようとしなかった娘の態度に対して。
都へ上ってそれなりの地位を得るという、規模の小さい野望を抱いていたらしい祖父は、母親に対してはつらく、俺達に対しては不気味に優しく接した。
俺達という証拠を突きつけて、去った男に取り入るつもりだったのだろう。
正直、死んでくれたときにはほっとした。
そして、残していった下らない遺言に腹を立てもした。

俺とアニキは、遺言に縛られて、竹の檻の中で暮らしている。





用事を済ませて家に戻ると、結構身なりの良い男達が連れ立って出ていくところに出くわした。
庭先には、彼等が運び込んだらしい真新しい調度品が置かれている。
それはどう見てもこの辺の田舎貴族の成金趣味ではなく、都の洗練されたもので、堪らなくなってアニキの局に駆け込んだ。
アニキは、やはり新しい趣味の良い几帳の影で、物忌みが明けて洗ったばかりの髪を梳いているところだった。
俺の勢いに驚くでもなく、アニキは笑ってお帰りと言った。
「これ、どういうこと」
「何が」
「新しい調度、増えてるじゃん。また、誰かあんたのところに通ってるのかよ」
「さあ」
「この前あったやつと、全然趣味が違う」
「どうだって良いさ、そんなこと」
「良くねえよ」
問いつめても、アニキは笑ってするりと交わす。
使い終わった櫛を化粧箱に仕舞った拍子に、未だ水分を含んでいるような白い胸元が単の袷から覗けて、思わず目を逸らす。
しどけない様子のその人の元にいることは今は苦痛ですらあったが、それでもまた変わったらしい相手のことは知りたかった。
「そいつ、あんたのこと知ってるの」
「何のことを?」
「文の遣り取りだけじゃ、あんたの性別なんて分かりゃしねえじゃん」
「……」
「死んだ奴の言いなりになるの、もう止めろよ」
「でも、御祖父様の遺言だから」
「だから、だろ」
「出仕しても、この家とお前を養っていけるかどうか分からないから。だったら、こっちの方が確実だし手っ取り早い」
艶やかに笑う人に反論もできず、握りしめた掌に爪が食い込むのを感じた。
死んだ祖父は、今際の際にも己の野望が捨てられなかったらしい。
母親譲りの容貌を受け継いだアニキに、「女」になれと言い残して事切れた。
それはつまり、「女」としてアニキが都の男に伝手を作り、それを使って俺が宮中の地位を掴めということ。
強突張り爺め地獄へ堕ちろと俺は毒づいたが、アニキは何も言わずそれに従った。
元服前でまだ落としていなかった髪を更に伸ばし、元服式の代わりに裳着の儀式を行った。
元から勉強していた漢文の他に仮名も使い始め、屋敷の女房達の噂に乗せられた男からの文が屋敷に山ほど舞い込んだ。
アニキが文の返事を出すたびに、荒れ気味だった屋敷の修繕が進み、調度品が増えていく。
最近は、時折夜が更けてから網代車が屋敷に着けられて、アニキの局に別の人間の気配がするようになった。
それが何を意味するかもう知らない年ではなかった俺は、酷く悲しい気持ちになった。
「これ、この前来てた奴がくれたの」
「……」
「オヤジだったじゃねえかよ。あんなの、アニキには釣り合わねえ」
「でも、いい人だから」
「いい人だからって、何されても良いのかよ!?」
「啓介」
伸ばされた腕に逆らえず、俺はそれの中に収まる。
顔を埋めた項からは、母親が使っていたものと同じだという、アニキの香の薫りがした。
背を撫でる手に胸が苦しくなり、強く抱きしめると耳元で笑う気配がした。
「俺、早く大人になりてえよ」
「そうか」
「そしたら、アニキにこんなことさせねえから。調度も衣も、全部俺が揃えてあげるから」
「お前が大きくなって抱き締めてくれたら、俺はお前だけのものだよ」
嬉しいことをさらりと言われて、図らずも涙が滲んでしまった。
それを気取られるのはやはり恥ずかしく、押しつけた目元を擦りつけると笑う気配が濃くなる。
「だったら、待ってて。俺がアニキを抱き締められるようになるまで」
「うん」
「直ぐに、大きくなるから」
「…うん」
俺の元服は、明後日に迫っていた。





その夜も訪れた男は、都で「竹取姫」と噂の人物を腕に睦言とはほど遠い会話を交わしていた。
傍目には絵物語の如き情景も、彼等にとっては数少ない密談の場でしかなかった。
「弟は、納得してくれたのかい」
「…はい」
「後で刃物片手に乗り込まれるのは、俺ぁ御免だぜ」
「あれは、俺の言うことなら聞きますから」
単も着けていない胸元を緩くまさぐられ、涼介は猫のように喉を鳴らして笑う。
酷く残酷なことを口にしながら、しかしそれは実に楽しげであった。
額髪を掻き上げられたところに接吻けを受け、眼を伏せると年相応に幼さを残した貌が浮き上がる。
弟と家を守るために、年頃らしさというものを何処かへ忘れてしまってきた腕の中の子供を、男は表情の伺えない細目で眺めた。
それに気付いた涼介は、未だ体内に収まったままの男を焦らすように煽り、次の行為を促す。
「あれだけやっておいて、まだ足りないのかい」
「…この家で会うのは、最後ですから」
「何処でやったって、同じだろうがよ」
「弟と同じ屋根の下だと、燃えるんです」
とろりと甘い唇を湿らせるように、男は無骨な接吻けで言葉を塞ぐ。
それと同時に下肢は強く突き上げられ、一際高い声が上がった。
唇が解かれれば、動きに合わせて嬌声が漏れる。
男の首にしがみついて腰を捩った瞬間、何処かで物音がした。
「…文太、さん」
「鼠だよ」
「……」
「気にすんじゃねえ」
「……はい」
僅かに興が削がれた様子の涼介を、男は更に責め立てる。
絶頂が訪れたその時、涼介は耐え切れぬように男の名を呼んだが、その後声もなく呟かれた別の名を男は見逃してはいなかった。





アニキが、親子ほども年の離れた男の元へ行ったのは、早朝のことだった。
都へ着くまでに時間がかかるからと、アニキが望んだらしい。
その時には男も共にいたということを知って、俺は荒れた。
髪を洗って、衣に香を焚きしめて。
滅多にしたりしない約束までした時点で、俺は気付くべきだった。
アニキが、俺から離れるつもりだということを。
直ぐにでもアニキを取り戻そうと動こうとした俺を、周りは必死になって止めた。
男は、俗に言う「帝」という奴なのだとその時に初めて知った。
爺の思惑通り、アニキは俺に都へ上る強力な伝手を作った。
俺達の出自はともかく、アニキが「帝」のお手つきである以上、宮中での俺の出世は確実なものだ。
アニキが奴の腕の中で一言囁けば、周りの人間は如何様にも動くだろう。

アニキは、竹の檻から別の上等な檻へと入れられた。
それで俺だけを自由にするつもりだったろうが、そうはいかない。
アニキのために、俺はその檻を壊してやる。
アニキが入る檻は、俺だけで良い。

大学では、権力に流されることのない、頭の良い奴と知り合うことも出来た。
藤原や源の名を持たない俺を、周囲は好きなように噂したが、そんなことはどうだって良い。
武官の束帯に身を包み、弓を携えて地下に控える俺を、あの人が御簾の奥から見ているのを確信する。
俺が何処にいようと、「帝」がすぐ側にいようと、あの人は俺だけを見ている。
だから俺も、御簾に遮られたあの人の姿だけを見る。

何時か俺が、必ずそっちに行くから。
だから、待ってろよ、アニキ。



end




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