供物

 藩主が急死した時、すぐにその跡を継いだのは正妻腹の次男。そして新藩主ははじめてのお国入りで、異母の兄妹と対面した。
 と、いっても、母親が京の没落公家だった二人は連枝(藩主一族)ではなく家臣として、それでも親しみをみせて、二人揃って啓介に笑いかける。
 居るとは、前から知っていた。
 大名の正妻と跡取は江戸藩邸で暮らすことが定められている。一年ごとに国許に戻る父親に、いわゆる御国御前と呼ばれる女が居ること、その女に子供が二人居る事、そして死んだ父親が二人を溺愛していることを、知ってはいたのだが……。
 二人の美貌は啓介の想像を絶していた。特に異母兄の、透き通った水晶のような美貌は啓介の視線を掴んで離さなかった。父親はなくなったが身内には違いない、今後、一年ごとに留守をする自分を補佐して藩政にきょうりょをくして欲しい、などと用意していた台詞を言い終えると、兄はもう一度、うすく笑った。
 その夜、家臣から選ばれた娘が夜伽を勤めた。健康そうな、朗らかな娘だった。悪い感じではなかったし、そのまま城にとどめたが、あくる夜、彼女は城主の臥所には呼ばれなかった。
 江戸藩邸から付き添った側近たちの手によって、そこへ導きいれられたのは。
 「……殿?」
 昨日、会ったばかりの義兄。女たちが起居する奥御殿ではなく表の寝室だったから、逃げられないよう屈強な男たちに囲まれて、それでも義弟に、遠慮深そうに笑った。
 「なにか、お話でも?」
 警戒と脅えを必死に押し殺す表情。
 「……うん、そう」
 若い藩主は凶悪に、笑う。
 「こっちに」
 義兄の腕を掴んで引き摺った。側近が隣室への襖が開く。そこには分厚い真綿の褥が敷かれ、枕行灯が金襴の縫い取りを豪奢に輝かせていた。
 「……、ッ」
 咄嗟に逃げようとする兄を、
 「、っと」
 意外なほど力強い弟の腕が、捉える。
 「嫌がらなくてもいいだろ。娘を大名の妾に売って食いつなぐのが公家の習慣だ。あんたもその血統だろ」
 「……離して、下さい」
 「寝ろよ。愉しませろ」
 その台詞が義兄の怒りを誘ったらしい。礼儀の仮面を脱ぎ捨てて、彼は掴まれた腕を引くと見せかけて弟を、つきとばした。
 不意打ちに逆の力を加えられた啓介が布団の上にこける間に部屋をとびだす。もっとも廊下に出た途端、控えていた側近たちに捕らえられ押し戻され、うつ伏せに褥の上に押さえつけられる。
 「若にしちゃ不手際だな」
 「どうする?自分で剥くか、それとも俺らがやっちまおうか?」
 時は元禄。爛熟した文化が退廃の度合いを増し、もうひと吹きで腐臭に変質しそうな甘い香りが漂う、そんな時代。
 江戸藩邸の下屋敷に遊女や陰間、時にはだまして連れてきた町娘を囲んで散々、罰当たりで淫蕩な遊びを散々、一緒にしてきた側近たちは慣れたものだった。
 「俺がする。押さえてろ。兄上様だ。無礼な真似はするなよ」
 ぶつけた腕を撫でながら立ち上がる弟を、兄は睫の長い瞳を見開いて見つめた。それはたいそう美しい瞳だった。けれど義兄にとっての救いにはならなかった。
 美しい蝶ほど捕らえて羽を毟ってみたい、そんな子供の残虐が弟の顔に浮かんだだけ。衣紋の襟を左右に広げると、うす暗闇の部屋に真っ白な肌が浮かぶ。側近たちの口からこぼれる感嘆の声。京女の血統は違うぜ。なぁ、若、今度は京都に遊びに行こうぜ、などと。
 「馬鹿。大名の京都滞在は重罪だ」
 胸元に吸い付きながら啓介は、落ち着いた声で仲間にそう告げる。
 「つまんねーの。じゃあさ、京女、買って来ようぜ」
 「俺、公家娘、いっぺんやってみてぇ」
 「俺も。なぁなぁ、金弾めば宮腹も手に入るって聞いたぜ」
 「誰が出すんだそんな金。女のほとにンな大金、積んでどーするよ」
 違いない、と笑いあう仲間から気分的にはやや離れた場所で、啓介は兄の反応を眺めていた。絶望、口惜しさ、軽侮、反発。そして……。
 「おっと」
 舌を噛みかけた顎を捉える。あいかわらずニヤついた顔のまま。
 「あんたが逃げたら、妹を迎えにやるぜ。十五だったっけ?食い時じゃん」
 啓介の台詞にわっと、周囲は沸いた。京娘、居るじゃないかと。
 今度こそ明らかに啓介の反応は周囲と違っていた。冷たい、といっていいくらい酷薄な瞳で義兄を見据えながら。
 「どうする。あんたが散るか、妹か」
 その目を見た時、兄は理解した。義弟のこの行動が単なる欲情の結果でも、ましてや単なる悪ふざけでもないことに。義弟の瞳の底には張り付いた偽りの笑みでは到底、消せない憎しみが沈んでいた。
 「どうする?」
 再びの質問に、
 「……俺でいい」
 覚悟を決めて答えた。城の表御殿の最奥、城主の寝室、褥の上で。逃れる手段は……、ない。
 「そうこなくっちゃな」
 弟の掌が咽喉を這う。服から裸が、果実の皮を剥ぐようにして、剥かれる。あらわれた白い裸体に義弟は残酷な優しさで手を伸ばす。
 「……」
 言葉は、交わさなかった。初めてだとか、イロが桜色だとか、外野はうるさかったが二人には聞こえなかった。何故と、兄は心の中で問う。昨日、会ったばかりの義弟にどうして、こうも憎まれているかと。
 身体がひらかれる。体験するのは初めて。知識のある事がかえって、彼の身体を竦めて固まらせた。
 「ムリじゃねぇ?」
 「油、持ってくるか?」
 側近たちの言葉に啓介も、もう返事はしなかった。聞こえていなかったのかもしれない。ひろげさせたそこに顔を伏せて、舐めて、緩める。囃し立てていた側近らは最初にわっと喜び、とかと途中から互いに顔を見合わせる。怪我をさせないために、消えない傷をつけないために施される準備の熱心さは、冷やかしや感心を向けられるレベルではなかった。長年の想い人、かけがえのない恋人に対する男の誠意の現れ、以外の何者でも、なかった。
 「……ッ」
 声をそれまで、一度ももらさなかった相手の唇から、細い吐息がこぼれて褥から、畳の上を転がっていく。押されるように、側近たちは退室した。
 二人きりになったことに二人は気づいていない。そのずいぶん前から、二人の意識は互いしか捕らえていなかった。
 「……イれるぜ」
 覚悟させるように、顔をあげ耳元に囁く。何の愛撫も施されていないのに硬く勃起した自身を押し当てる。ひくっと痙攣した義兄が、それでも衝撃に耐えるべく身体の力を抜くのを待って、啓介は、義兄のうちに踏み込んだ。
 「……ッ、ウ」
 ムリな場所での男との、不自然な交わりは彼に、苦痛しか与えていないようだった。深く優しく、繰り返し準備させていても。
 「力、抜け。……ここの」
 腰骨を掴んで腰を、浮くほどきつく抱き寄せる。膝と肩甲骨とで自重を支えなければならなくて、自然、彼のその場所からは緊張がぬけていく。痛みを感じるほどキツかった締め付けがかすかに緩んで、
 「そう……」
 ようやく動かせるように、なった。最初はゆっくり、大きく、上下に。仰け反って揺れる咽喉と細い顎。歪む美貌。差し出された胸元に齧りつく。
 びくっと反応して、オスを捕らえた場所が無惨に震えた。気をよくして二度三度、同じように責める。仰け反った苦悶の表情の中で、唇だけがさらなる苦痛と快楽を欲するように、わなないた。
 
 抱き尽くされて、夜明け前。
 消えかけた行灯の明りを頼りに、身支度を整えようとした裸の素脚をつかまれて、そのまま引き込まれる。
 真綿の布団に、裸の腕の中に。
 「ここで寝ろ」
 命令の口調。
 従って目を閉じながら、やはり不思議で仕方がなかった。……どうして?
 数人がかりで慰み者にされた方がまだ理解はできる気がする。男のそんな劣情を誘う見目だと、言われたことは、何度もあったから。
 腕に抱かれて考える。どうして?
 不意に前髪がすかれた。首をそらせて背後を向くと、自分を覗き込んでいる義弟と視線が絡む。その目は静かに責めていた。裸の肌を委ねながら心を添わせる気配のない彼を。
 どうして、と。尋ねようとした。出来なかった。
 くちづけで、唇を塞がれて。瞳を閉じると同時に問いを、咽喉の奥に飲み込む。それが発せられることは二度と、なかった。