供物・11
一年間を国許で過ごし、江戸へ戻ってきた藩主は。
「お痩せになりましたね」
落ち着くなり池田屋へやって来た。妻女が離れに案内しつつ、驚きを隠しきれない口調で呟く。
「旅だと、どうしてもな」
そんな言葉で藩主は誤魔化した。
「……で、どうだった。彼は」
「普通にお過ごしでしたよ。だいぶ退屈なさっておいででしたが」
「逃げようとか……、死のうとか」
「そんなことは、一度も」
「そうか」
会わなかった時間、彼が平静に生きていたことは良かった。でも安心は出来ない。問題は自分と向き合った後。もちろん、向き合うだけですませるつもりはなかった。
時刻が遅くて、離れの明りはすでに消えていた。手前まで案内させた妻女が行灯に火を入れて、下がる。春とはいえ夜中にはまだ寒い季節。厚い布団を目深にかぶった人の、表情は見えない。
「よぅ、……帰ってきたぜ」
小さな声でそう言って、掛け布団ごと、抱き締めた。
「ごめんな。帰ってきちまったよ。しかもまだあんたをすげぇ好き。……ごめん」
真綿ごしの感触に痺れが、這い上がってくる。腰から背中を、ゆっくりと。この下に居る。一年、引き離されて思い続けた人。
「ごめんな。まだ、あんたを寺にゃやれねぇよ」
それが一番いいことは分かっているけれど。骨と一緒に寺へ送って、そこで菩提を弔わせることなど、藩主には、できない。
「……ごめ」
さらに何かを、若い藩主が言いかけて、黙る。
褥の狭間から、差し出された……、脚。
足袋だけを履いた、素肌のふくらはぎが、指向性の強い行灯の光を受けて、魔物のように、ゆらめく。白い蛇のように。
足袋に包まれた足先が藩主の、袴の隙間からすっと差し込まれる。膝をついていたから、それから先は容易だった。着物の上から足袋越しに、押さえられる。
既に猛り出した雄を。
「……オイ」
藩主の応じ方は早い。さっさと自分の、帯を解く。
「起きてたのかよ。意地悪ィな」
誘うように蠢いていた足袋の脚が、引かれる。片手で細い足首を掴んで許さず引き寄せる。
「……あ」
初めてもれた、声。
「……わ」
藩主も思わず、息を飲む。素肌なのは、ふくらはぎだけではなかった。うすぐらい部屋で、禍々しいほど艶やかに白い、肌は何処までも続いて。
「……や」
「隠すな、見せろよ。今更じゃん」
「消せ、明り」
「ヤダ。もったいねー」
軽い諍いを制して藩主が、裸の身体を抱き締める。その時には彼自身、前のはだけた小袖一つで、涼介は藩主の素肌の胸元で、そっと目を閉じた。
「ナニ、待ってていれた訳?」
「……退屈だったから」
「骨壷と遊んでたんじゃねぇの」
「……寺に収めたよ」
言われて見ると、違い棚にあの壷はなかった。胸の中の人をまじまじと、見つめる。
「俺のこと誰か分かってる?」
「嘘つきな藩主」
「正気に戻ったのかよ、あんた」
「狂ってたみたいに言うな。ちょっとショックで、混乱してた、だけだ……」
一年もほうっておかれりゃ嫌でも落ち着くさと、他人事のような口調。
「……許してくれんの、俺のこと」
「お前のどのことを?」
「……ウソ、ついたし」
「わざとじゃないんだろ」
「あんたの、弟、犠牲にして生きてるし」
「おまえ自身の画策じゃない」
「無理矢理……、シタし」
「約束は守れよ。母上とともみの後見」
「あ、うん。勿論」
「俺のことも幸せに、しろよ」
きゅっと涼介の方から抱きつかれて、
「……え」
藩主は戸惑いながらも、ぎゅうっと抱き返す。そのまま褥に仰向けに倒して、咄嗟に狭間を隠した手にくちづけてからそっと、外させた。
「……見る、なッ」
「なんで。一年ぶり。ずっと見たかった。見てさ、こうやって」
「……、ヤッ」
「触って撫でて。可愛がって」
「あ、ん、……ンッ」
「いき吹きかけたら震えるの、ずっと見たかった」
そのまま頬を寄せ顔ごとこすりつけるようにしてから、しっとり口に含まれる。
「ひ……ッ」
跳ねて左右に捩れる腰をきつく抱きとめ、動かさない。その分まで深くリアルに、快楽を……、導き出す。
吐き出させた欲望を掌になすりつけ、夢にみそうだった場所へ指をしのばせると、
「ん、はん……、あ、あぁ」
甘い声を上げて鳴く。切なく、体ごと、焦らして。
「すっげぇ、可愛い。俺としたかった?」
「……う、ん」
「俺のこと待ってたの」
「……前、おま、ひど……」
「俺?どこが」
「こんなにしといて……。俺のことこんな風にしといて、一年、も」
「お互い様だって。俺だって、あんたとどんだけ会いたかったか」
「すき放題、してたくせにお前は。……知ってんだから。国許に、女、京都から連れてこさせたって」
「あんたに似てるのが居たから。戻すよ、すぐ。それでいい?」
「……いや」
「他に、なに」
「……しろよ」
足袋を履いたままの脚で藩主の、肩を引き寄せる。
「しろ。……して。はやく」
「幸せに?」
「……ぐちゃぐちゃに。滅茶苦茶に、シテ」
「どんな風に?」
「い、きも出来ない、くらい……」
優しい、殆ど静かといっていい穏やかさで、藩主は指を抜いた。
「……ンッ」
名残惜しげに指先をしめつけてくる、場所に。
「……壊してやるよ」
残酷なほど真剣な情欲にぬれた声で、囁く。
甘い悲鳴が、あがった。
意識が途切れる。
途中、何度も。
自分が泣いているのか叫んでいるか……、分からない。
快楽と苦痛の区別もつかなくて、ただぐちゃぐちゃな衝動に突き動かされて、呼吸を時々、するのを忘れた。本当に。
勢いにのけぞって離れそうになるたび、強く引き寄せられる、その腕の力強さに、うっとりと溺れて。
引き寄せて、ほしくてわざと、逃れる素振りなんか、してみる。
「も……、イヤァ」
嘘。本当はまだもっと、際限なく、強く……。
「ダメ」
哀願を拒絶する言葉さえ短いのがひどく男らしくって、イイ。涙は単なる反射として流れた。舐めとってくれる舌の優しさと裏腹の、下肢を貫き支配する楔の剛直。
もっと強く、押さえつけられたくて、跳ねる。もっと……、キツク。
俺を欲しがれ。俺を貪って。俺の肌に手をかけて痕を残して。二度と消えないくらいに深く。今度もし離れても、お前のこと一目でわかる、ように。
「マダ、ダメ」
弛緩して意識を失おうとする身体を揺らされ、腕に引き戻される。
「マダ……」
舌足らずの声は確かに、聞き覚えが、あった。
母親たちは。
あまりにも、愚か、だった。
女の子を男子と偽って、偽りきれずに結局は、妾の産んだ歳の近い息子と入れ替えた、正妻。
遺骨と引き換えに真実を、話させた。女の子とそのまま寺に入るつもりが、その子は行方不明になった。正妻の実家、紀州藩の後見を失いたくない前藩主の、差し金。
愛した女の子ではなくても、わが子だったろうに。
薄々気づいた正妻は、娘の復讐にゆっくりと、前藩主に砒素を飲ませ。
現藩主は気づきながら、それを告発も止めもしなかった。
遺骨を渡しながら、
『義妹でしたか。……可哀相に』
涼介が言うと正妻は泣き崩れた。泣いてもでも、死んだ者は、戻っては来ない。
……生きてさえ、いれば。
妾の子にはアヘンの煙を吸わせて眠らせて、何度もいいきかせた。お前は江戸で生まれた。お前は正妻腹の嫡子。お前は……。
子供の意識は混乱し、もっとも甘美な記憶の中に、兄との性交に逃げた。そうすることでようやく、過去を刷りかえられることから、逃げた。
『藩主には、言わないで下さい。あれは自分を、あなたの子だと思っています』
嘘をつくのは、涼介は得意だった。弟に彼は、嘘をついてきた。……ずっと。
『そういうことに、しておいてください』
ならばいっそ、最後まで。
夜明け前。
身体は指も動かせないほどつかれきっているのに。
芯の、奥の、中枢の場所が疼いて……、睡魔がやってこない苦しみ。
「ほら」
差し出された冷たい水をごくごくと、喉を鳴らして飲み干した。
「なぁ、……俺さぁ。あんたの弟のつもりになって、イイ?」
罪悪感から仕える、この男が愛しいから。
「あんたもアニキのつもりでいっぱい、わがまま言って」
「……本気か?」
「うん」
「覚悟しろよ?……啓介」
呼ぶと泣きそうに嬉しそうな、この男をずっと、惹き付けておきたいから。
「うん」
黙っておこう。俺が何処もかしこも、そうつま先から髪の毛まで、とおの昔にお前のものであることは。
「大好き。アニキ」
俺もそうだと、いうことは……。