供物・8
その日はあいにく、雨だった。
「ごめん。晴れてリゃ、大人しいんだけど」
駕籠ごと座敷に運び込み、担ぎ込まれた荷物の包みを剥ぐと、中から現れたのは麗人。手首を縛られ猿轡をされて、目隠しまで。相当に暴れたのだろう唇の端は切れて、手首も擦れて傷になっていた。
「ちょ、暴れるなって」
ぐるぐる巻きの布の拘束から開放された彼は再び、暴れ出す。手首を解いてやろうとしていた男は仕方なく、彼をぎゅっと抱き締めて拘束した。疲れるまで、そうしていて、口を塞いでいた布を取る。
「……、れ、てる」
零れたのは細い声。
「濡れてる。啓介が……、ぬれているんだ」
上等の着物もしわくちゃになり、着付けも乱れて裾が開いている。足袋から覗く足首に繋がる脹脛が細く、白く、禍々しい妖しさで見るものの目に映る。
「大丈夫だって。濡れてやしないよ。ちゃんと部屋に居る」
江戸藩邸の下屋敷、この麗人が、今日まで住んでいた部屋に。
「迎えに行ってやらなきゃ。きっと帰れないんだ。きっと泣いてる。あいつは雨、大嫌いだったから」
「泣いてねぇよ。大丈夫、ちゃんと……」
「離せ。離して。……行かなきゃ」
「……行かせねぇよ」
低い声とともに男は麗人の鳩尾に拳を叩き込む。機械仕掛けの人形の螺子が切れるように、ぱたっと止まって、畳に崩れる。その身体を軽々と抱き上げて、
「どっちだ?」
控えていた屋敷の主人に、尋ねる。
「こちらへ」
主人は目を伏せ男の顔を正視しないで案内していゆく。吉原に近い江戸郊外、長い渡り廊下を渡ってようやく、たどり着いた離れ。平屋の、四部屋しかない造りだが茶屋もついていて、闇に紛れて今は見えないが小川を引き込んだ池で鯉の泳ぐ、瀟洒な建物。
「亡くなった父が晩年、使っていた部屋です」
説明を受けてよし、という風に男は頷き、
「……で?」
さきを促すと、
「こちらです」
離れの納戸を、主人は空けた。その奥の壁を持ち上げる。カタリと軽い音がして、壁は外れて、そこには吉原の仕置き部屋に似た、格子の嵌った、座敷牢。
「カビ臭いな」
むっと、男は眉を寄せた。
「申し訳ございません。ご連絡を頂いた日から開け放ってはいたのですが、なにせ場所が場所の上、梅雨でして」
「まぁ仕方ない。夜具は?」
「ご指示通り、新しいものを運び込んでおります」
「ならいい。念を押すが、閉じ込めるのは雨の日だけでいいからな」
「は、承知しております」
「明りを」
燭台を持った主人が先導し、闇を払う。麗人を抱えたままで男は後を進む。
「お足元、お気をつけ下さい」
褥はたしかに厚く敷かれていた。簡素な文机の上に燭台を置いて主人は出て行った。麗人をおろして男は燭台を持ち上げ内部を確認する。壁は厚い板壁で、声は漏れない。格子も頑丈だ。
「風、通らねぇな」
城の座敷牢もそうだったことを思い出す。空気がいつも淀んでいて、暑いのが嫌いな彼は食欲を無くす。拘束し薬をかがせて好きにした、一年前の彼。
「痩せるなよ?」
無理を承知で言ってみる。意識のない、綺麗な大好きな人に。
職台を文机に戻して炎を吹き消した。暗闇の中で、意識をなくしたままの人から着物を剥ぐ。素肌に剥いて、かき抱く。手さぐりで舐め、撫でて嬲り、あいしているうちに。
「……ん」
与えられる感覚に覚醒したらしい、声。胸に閉じ込めるようにぎゅっと、男は彼を抱き締めた。
「……けい、すけ?どこ……」
自分を抱く男など忘れ果てたように、弟の名前を呼ぶ。
「啓介、どこ、けい……」
聞いているのが辛くてくちづける。弱々しくもがく肢体を押さえつけながら唇に、脱がせた袖を、詰め込んで声を奪う。
「ん、ん……ッ、ん」
アタマを左右に振って逃れようとする。抱かれる事を拒んでいるというよりも、あくまでも弟を捜しに行きたがる仕草で。腰を掴んで引き寄せて、指で確かめた場所にうちこみながら、
「ん、んーッ」
「俺の、せい、かよ」
「んぁ、ん、……ッ」
「俺が下手に、希望もたせたりしたからか?なんにも言わずに黙ってあんた、抱いてりゃ良かったのか。憎ったらしい義弟のままの方があんた、楽だった?」
「ん……」
「でも俺だって、そうって信じてたんだ。なんでだろ。分かんねーけど。手紙読んだか、話し聞いたか、京の藩邸であんたたちのこと、こっそり覗いた、のかもしれねぇな」
もう声も出せずに震えるだけの身体をつきあげ、揺らす。
「行くなよ。何処にも。かえってきて、くれよ……」
雨の降りしきる、日だった。
古くから前藩主の正妻に仕える侍女に、拷問まがいのことまでして、口を割らせた。
下屋敷の一角、人目につかない社の裏、藪の中。
子供の死体を、埋めた、と。
そう聞いても男は動揺しなかった。埋められたのは正妻の息子と信じていたから。
豪雨の中で掘り返す。人目につかないように。
雨が低地を、川のように流れた。
掘った穴にも流れ込み、池のようになったそこから。
すくいあげられた、骨。
粘土層のなかで腐食が進まなかったのか、まるで昨日今日、埋めたばかりのような、衣装。
傘を放り出して、見ていた彼が、池の中に入った。
膝までついて粘土の池をかきまわす。指先に触れた、錦の護り袋。
『啓介』
雨音に紛れて消えてしまいそうな、声。
『啓介……ッ』
見つかったのは、子供一体分の、骨。
大きな壷に収めて彼の部屋に置いた。彼は暫く、その骨壷に寄り添うように過ごした。無理もないことだと男は黙認した。衝撃だったのは、男も同じだったから。
時がたち、ゆっくり彼も、日常に復帰して。
だました訳ではないと、俺もてっきり思い込んでいたのだと、まずその釈明から入ろうとしていた時だった。
雨が、降って。
濡れていると呟きながら、飛び出していった彼。
下屋敷の人間が総出でさがしたが、見つかったのは、夜明け前。
着物を裂かれて血だらけで、菩提寺の裏ヤブに、人形のように投げ捨てられていた。何人がかりだったのか、二人や三人ではないのは確かの、怪我と痕跡。命があったのは多分、彼が抵抗をしなかったから。気が触れていると思われて、人相風体から探索の手が伸びるとは思わなかったから。
それから彼は、雨の日におかしくなる。雨音を聞くと外へ行きたがる。ひどく無防備な様子で。まるでそう、無頼漢たちに滅茶苦茶にされるのを待っているような。
雨は、一日で上がった。
夜明け前に下屋敷に戻った男、残された涼介。
主人の妻女が恐る恐る、離れに近づき座敷牢の外から声を掛けた。牢に鍵はかかっていなかった。男がかけていなかったのだ。晴れていたから。
朝食が召し上がりますかと尋ねられ、お世話かけますと尋常な声がした。しばらく身支度を整える気配の後で、現れたのは涼やかな美貌の青年。藩邸から狂人を隔離するのだと聞いて脅えていた妻女は驚き、まじまじと涼介を見つめる。立居振舞も穏やかで静かで、物腰も優しい。育ちの良さそうな、理知的な横顔。
「あの人、とても狂人にはみえないよ」
食膳を下げて妻女は、夫に訴える。
「お殿様の異母兄だったていうじゃないか。少しもおかしくないのに、おかしいって事にして閉じ込めて、お家騒動を防ごうって考えじゃないのかい」
「ふだんは普通なんだとさ。雨の日だけ、おかしくなる。雨の日になんだかひどい事があったらしい。昨日は暴れて、大変だったのだ」
「ひどい事?そりゃお殿様がなさったんじゃないかい。手首も首も、指跡だらけだったよ。それに、アノ」
「シッ」
主人は妻女の口をつねりあげる。
「いいか、あちらの藩は、うちの大切な取引相手だ」
「そりゃあ、分かっているけどさ」
「あのお客人を預かれば、帯物を一手に任せてもらえる。そうすれば店も大きく出来るし、真子にいい婿も迎えることが出来る」
「……そりゃあ、そうだけど」
一人娘の名前を出されて、江戸気質の妻女も舌鋒を弱めた。
「ご本人も、同意の上なのだ。雨の降る日以外は療養中の賓客としておもてなしして、雨の日だけは申し訳ないが、座敷牢にお入れする。閉じ込めるのではない、お守りするためだ。いいな?」
「わかったよ」
日が暮れるのを待ちかねたように、藩主は商人の離れにやって来た。下屋敷から馬でなら、四半刻とかからない距離だ。縁側で団扇片手に、涼んでいた涼介は、
「また来たのか」
呆れながらも侍女に座布団を持ってこさせて、一番風の通る場所を譲ってやる。縁にあがってゆるゆると、団扇で風を送ってやった。主人がてづから井戸で冷やした麦茶を持って来る。それに口をつけながら、
「……どう?」
そっと尋ねた。
「いいところだ。鯉が可愛いし、犬もいるし」
さっきから庭の隅で、賢そうな柴犬がちょんと座ったまま尾を振っている。呼ばれないうちは近づかないけれど、呼んでくれればすぐに行くよという待機の姿勢。
「ご飯がおいしい」
「そりゃいい事だ」
「奥方は、料理がとてもお上手だ」
下目のものに心遣いをしなれた口調で、そう言って、笑う。
「へぇ、いい嫁さん持っているんだな、池谷」
いえいえとにこにこしながら汗をかき、主人は下がっていく。彼が背中を向けたとき、既に二人の唇は重なっていた。強引に、肩を掴んで引き寄せられて。
「泊まって行くぜ」
「好きに。どうせ、お前の掌の中だ」
「抱くからな。分かってるな」
「いちいち言うな、わかってる」
逃がすまいとするようにきつく手首をつかまれて、行灯のほのかに灯る座敷へ。帯の結び目を解いて緩めて、畳に落とす。そのまま、褥につきとばす。襟を広げて現れた白い胸元に、食いつく。
「……ッ」
昨日は聞けなかった喘ぎと、
「は、……アッ」
嬌声。
人差し指を曲げた内側と親指の腹とで突起をはさみ、押しつぶし捏ねる。時々は舌も搦めて、実に淫猥な音をたてる。
「……っ、ん、……っあ、も、ヤ……」
「わざと、やってんならもう、勘弁してくれよ」
藩主の声に含まれる成分のうち、語尾を震わせて掠れたのは、哀願。
「わざと嘘ついたわけじゃねぇんだ、俺だって。だからもう、許して」
「そんなに、……ぁ、ん」
「お願い」
昨夜の乱暴さの埋め合わせのように藩主はゆっくり、彼の身体をほぐしてゆく。とろけたところを貫かれ、絶叫。けれどもそれは甘かった。同時にとろとろ、彼も蜜をこぼして果てた。
「……わざとじゃない」
荒い呼吸を整えて仰向けに身体を返しながら、彼が答える。
「本当に呼んでいるんだ、雨の日は、弟が」
「空耳だよ」
「うん。今は分かってる」
けれどいざ、聞こえてくれば逆らえない。
「なぁ、頼みがある」
「ナニ?」
嬉しそうにさえ見えた藩主は、
「壷、こっちに持って来させて」
埋められていた骨を収めた壷。
返事をしない藩主に、
「頼む。……近くにあったら、少しは落ち着くかも」
「同じ部屋に居て飛び出してたくせに」
「……頼む」
うなだれた彼の項にくちづけながら、
「いいぜ」
藩主は結局、彼には甘かった。
「代わりに名前、呼んで」
啓介と、あの骨を掘るまでは呼ばせていたけれど。
「俺の名前を、呼んでよ」
言われて彼は唇を開いて、しかし結局、何も言わないまま閉じる。悲しげに笑って、
「……知らない」
呟いた。そういえばそうだ。対面やお目見えで名乗るのはいつも下座のものばかり。
「なんだっけ、名前?」
涼介の問いかけに、
「やっぱ、いいよ」
答えないまま、抱き寄せる。
涼介もそれ以上追求しようとはせず、二人はもう一度、身体だけ繋げた。