供物・9
雨の、激しい夜だった。
夕方から涼介は座敷牢に入れられていた。導かれるまま、大人しく入った。降りだす前は平静で、どうして雨音で自分は正気を失ってしまうのだろうかと考えていた。
あの日、雨の夜、藩邸でみつけてしまった、遺体。
衝撃だった。それは確かだ。なまじ期待をしていたせいで、ショックは大きかった。俺は半分、いや本音をいえば殆ど、告白するなら完全に信じていた。……藩主が俺の、弟の啓介だと。
それが違った。そうじゃなかった。
雨が降ると苦しい。弟が呼んでいる気がして外へ、迷い出す。そうして無頼漢たちに捕まえられて乱暴、された。朧だが、記憶はある。うっすら覚えてる。雨の中、破れ寺の無人の堂に連れ込まれても、俺は抵抗しなかった。男たちが濡れていたから。雨にぬれた男は俺にとって、弟の啓介だった、から。
「大丈夫か?拭わなきゃ風邪を、ひく」
自分を捕らえた男にそう言うと、男は苦笑して平気だと言った。着物を剥がれて遊ばれて……、別に構わなかった。啓介だと思っていたから。したいように、させた。痛いのも苦しいのも当然の罰だと思った。……だって、俺は。
別の男を弟と信じた。違う男と抱き合った。……あいつのことを、たぶん、俺は。
愛し始めて、いたのだ。
あんなに大事な弟を、死に追いやっておきながら。
だから弟が怒るのは当たり前。怒って、俺を傷めに来る。どんな罰も当たり前だから、俺は受け入れるよ。どうしたっていいよ俺のこと。お前が好きなように、遊べばいい。
……ごめん。
ごめんな、啓介。そんなことじゃ、何の侘びにもならないって本当は、分かっているけれど。
ごめん。俺はあの若い藩主を……、愛した。
夜に雨が降り出して、どうしようもなくって。
出してくれと叫ぶ。答えは返らない。
でも叫んでいないと死にそう。小さな弟が雨に濡れて、俺の事を呼んでる声が聞こえる。行ってやらなきゃ。抱き締めて、暖めてやらなきゃ。濡れた服を脱がせて。
「開けて……、出してくれ、頼むから」
最後は泣いた。そうして夜半、かたりと離れの、雨戸が外れる音がした。
気配が近づく。俺は自分から腕を、格子の隙間から伸ばす。指先に触れたのは濡れた生地。
「来たのか、啓介。よくここが分かったな」
俺に答えず『啓介』は俺の手を掴む。親指の付け根のふくらみを柔らかく噛まれる。くすっと思わず、笑ってしまう。
「なにやってんだよ。……ほら、服を脱げ。風邪をひくから」
襟に手をかけて、でもそこではっとする。格子が俺たちを隔てて、俺は『啓介』を抱き締めてやることができない。乾いた俺の肌で包んでやることが。
「……ごめん」
申し訳なくって泣きそう。『啓介』を守ってやれなくて。
「ごめん、な」
答えはなくて、腕がのびてくる。格子にぎゅっと押し付けられて、俺の襟に手がかかる。自分から帯を解き着ていた夜具を、脱いだ。乾いたこれを着せようと思って。けど『啓介』は、俺が脱いだ着物には目もくれなかった。
「……ん」
裸の胸を、腰を、まわした腕で、撫でられる。時々力をこめて揉まれて、俺はそのたびに、声を漏らした。
「ナニ……、したいのか?」
遊びたいのか、また、これで。気配が頷く。
「なにしたい?なんでもしてやるけど……、あぁ、でも格子が」
この格子さえなかったら。
「開かないか、これ。外から錠が下りてるけど、なんかそのへん、弄って開けるみたいだった」
俺が指し示す場所に『啓介』は手を伸ばし、かちりと軽い音がして格子の一部が揺れる。入ってきた『啓介』を俺は抱き締めた。
よく、来れた。ちゃんと自分で、自分から。
「……大きくなったんだな」
言うと苦笑する気配。構わずに抱いて暖めてやる。濡れて冷たい手足が嬉しかった。俺が暖めてやることができるから。冷たさを体の内側で、挟んで体温を移していく。暫くそうしていたあとで、そっと動き出す手に、体を明渡す。
今夜の『啓介』き優しかった。丁寧に、大事に俺を愛してくれた。愛撫とくちづけに素直にとかされていたとき、膝に『啓介』の熱が当たって。
「いいよ、おいで」
優しく微笑んで誘う。
「なかおいで。大丈夫」
それでも躊躇するのを、甘くちづけて、
「おいで……」
ねだった。
膝が曲げられる。灼熱に、貫かれて。
「……ッ、アッ」
思わずあげた悲鳴に『啓介』が怯んだ。切り裂く動きを中断して、俺を撫でる。優しい仕草で慰撫されて、痛みも衝撃もどこかにとけてしまいそう。
「だい、じょうぶ」
荒い呼吸の狭間から声を絞り出す。
「大丈夫、気持ちいい……。お前、上手になったよ」
くすくす、笑いながら腕をまわす。いとおしい背中へ。
「筆、いれられたときは、寝込んだけど」
そんなこともあった。ほんの子供の頃の思い出。俺をどうしても自分のものにするのだといってきかなかった、わがままで残酷でいとおしい、弟。
「キモチイイ。上手だよ、お前」
息を吐いて身体を楽にする。上に乗ってる『啓介』が好きに動けるように。一回ゆさっと揺らされて、あぁっと甘い声を確認されてから、つきあげが始まる。堅くて、熱くて、ちょっ……、とだけ痛くって、……イイ。
「あぅ……、ひ、あ、ぁ」
擦り上げられる。こんなところを、同じ雄にそうされるのが、死ぬほどの快楽だったなんて昔は知らなかった。知っていたらもっとお前と、愉しいこと沢山できたのに。でも、いいよな。お前がここに自分から来てくれて、今、二人で抱き合っているから。
「け、すけ……、けい……ッ、ひッ」
……、凄い。
気が狂いそう。他には何も考えられなくなる。応えようとする俺の動きさえ追いつかない激しさで襲ってくる快楽の、波。素直に揉みこまれ包まれて、溺れる。肺まで一杯に密度の濃い甘さにひたひたに浸されて、泣きながら浅い呼吸を繰り返すのが、精一杯。
それでも。
「すけ……、好き」
必死で伝えた。
「大、好き。……本当に」
「お気に召したか?」
初めての言葉だった。意味が最初は、よく分からなかった。このまぐわいが気に入ったのかと、問われているのだと気づいて。
「……ん。お前で、……っぱいに、なるの、イイ」
正直に答えた。
「……じゃ、強姦じゃ、ねぇな」
なに、言ってるんだ、お前。
「馬鹿……」
お前は俺に、いつ何しても、いいんだよ。
だって、俺は。
お前を愛して、いるから。
喘ぎの合間に一生懸命、伝える。そう、と呟き俺の前髪を撫でて、
「あ……、ッヒ……っ」
無茶なくらいの高みに放り投げられて、咥え受けてめられて牙で切り裂かれる、錯覚。
残虐さまで、お前からなら……、快楽。
朝までそうして、抱き合って。
弛緩した身体を抱き起されて濡らして絞った布で拭われて。
優しさが嬉しくて、泣きそうになってくる。
雨はゆっくり、あがっていく。
抱き締めだきしめられながら、目を閉じる。
朝になって、雨があがってもどうかこの夢が、醒めないようにと祈りながら。
目覚めても、夢は醒めなかった。
悪夢に変わっただけ。
「……な、んで」
裸のままで俺を抱きながら、落ち着いた強い目で俺を見ていたのは……、若い藩主。
「なんで、お前が……」
ゆっくり起き上がりながら、
「誘ったのはあんただ」
否定は出来なかった。それは本当だったから。
「俺を朝まで離さなかったのも」
確かに。だって、啓介だと思ったから。
……違うのに。本当は、これは弟じゃない、のに。
衝撃に声も出ない俺に藩主は手を伸ばす。頭をふって、その手を避けた。おれがあんまり露骨に脅えたせいだろうか、藩主の目線と態度に苛立ちが混ざる。強引に褥に引き込まれて、
「……いやぁ」
悲鳴をあげた。恐かった。
「いや、いやだお前。……なんで」
「黙れよ」
「いつもいつも、俺を……。なんで滅茶苦茶に、する……」
「わざとじゃねぇ」
「思い出だけで、良かったんだ俺は……。地獄におちて、そこで会えれば、それで」
「黙れ」
「なのに、お前は俺を騙して。嘘ついて……。嘘つき」
「……」
「二度も三度も、俺に啓介を裏切らせて……。啓介怒ってる」
「怒ってねぇよ」
俺の悲嘆を持て余した男が適当に言った言葉を否定する。激しく首を、左右に振る。出来ないように頭をきつく抱きこまれ、唇が深く重ねられる。……涙が、出た。
「イヤ……、もとから俺は、嫌だったんだから」
「いまさら言うな。卑怯だぜ」
「どっちが。お前こそ卑怯じゃないか。俺に啓介だって言ったくせに。啓介が怒ってるの、お前のせいだからな」
「強姦じゃないってあんた、自分で言っただろ」
「もぉやだ。触るな。俺、も、あいつとしか、嫌なんだから」
泣き言は聞き入れられなかった。
引き裂かれる身体も引き裂く楔も、楔の打ち込まれる場所も同じなのに。
気持ちが離れていればこんなに違うんだろうか。
痛くて苦しい、だけだった。
「啓介、啓介」
名前を呼ぶ。本当に愛しているたった一人の名前。
愛しているのはお前だけなんだ。これは、今は、不本意な相手に強いられている行為だと。
「けい、すけ……」
耳障りだったのだろう。布を詰め込まれた。
昨夜、身体を拭ってくれた布。『啓介』が、優しく始末、してくれた証拠。
声が押さえられて、変わりに涙が、情けないほど溢れる。……苦しい。
「そんなに、嫌かよッ」
抱く男の、軋む奥歯の間から漏れたように苦い声が、俺の鼓膜に、届いた。
朝焼けの茜色が、外された雨戸から差し込み障子の一部分だけを、禍々しいほど美しいくれないに染めていく。
これこそが罰の地獄かと、それを眺めながら思う。
「啓介……」
許して。
助けて……。